蜘蛛の巣合戦――閑話
1
周りに飛び散った香津美の肉片を焼却処分をして、そのさいちゅうに清子の上下に離れた遺体を部屋の隅へと移動させたところで、背後に気配を感じて、勝美の振り返ったところに歌子がいた。思わず安堵の溜め息とひと言を漏らす。
「生きていたのね」
「ええ」
無事だったその仲間をよく見てみたら、前髪で少し隠れてはいるものの、額には数針ほど縫ったあとを発見。この応急処置の仕方に、勝美には“これ”が誰がしたのかがすぐに理解できた。
「その“おでこ”、清子が縫ってくれたんだ」
「ええ。おかげで(アタシは)一命を取り留めたわ」
その恩人に目を流したのちに、再び勝美を見る。
「そして、奏子(の遺体)を安全なところまで移していてくれたの」
「そうだったのね。……お疲れさま」
勝美の放ったこの最後の言葉は、瞼を閉じている清子へと向けた労いだった。そして、その頭を優しく撫でてゆく。
少し間を置いたのちに、歌子が。
「しかし、清子ほどの子が……。いったい誰が―――」
「紫陽花女子の、鶴嘴黄緑って大陸系の子からよ。本当に一瞬だったわ。小さな影がここに飛び込んできたと思ったら、清子を真っ二つにしていたのよ」
それから勝美は「迂闊だったわ」というひと言を飲み込んだ。これは、あの時の状況が例え迂闊だったわけではなくとも、口を滑らせるわけにはいかなかったのだ。
2
時を同じくして。
毒島邸。
庭を見渡せる縁側から踏み入れた八畳間では、阿部満月の放った赤毛によって巻きつかれていた毒島零華と八爪目煉ともに膠着状態となっていた。そりゃあ当然、下手な動きでもすれば、満月の指先ひとつで、先刻ほど水野槌珠江のように輪切りにされてしまう末路が見えていたからだ。
よって、輪切りになった珠江を口縄龍と櫛田美姫とが零華の指示を受けて、そのバラバラになった女の躰を急いで別の棟へと運んでいった。
そんな中で、零華が口を開く。
「百合子」
「な、なにかしら」
「貴女は口縄と美姫さんとを手伝ってあげて」
「え? あのお二人でじゅうぶんなはずですわ」―わたくしは、零華の力になりたいのです。――
この断りに、後ろで構えている中村百合子へ。
「……暴れるわよ?」
と、流し目。
「―――それもそうですわね。ここはお先に失礼させていただきますわ。では皆さん“お好きなように”」
零華の猫のような形の瞳を見つめたのちに、何となく察した百合子は、この八畳間から静かに身を引いていった。
再びおとずれた僅かな沈黙ののち。
零華が、間に立つ満月と麻実にへと一度瞳を向けた途端に、躰の各所から刃を出現させたと思ったら、巻かれていた赤毛を一瞬にして一斉に断ち切った。そして、それらを体内にしまい込んだ。
これに言葉を失う一同。
「それって、狡いんじゃないの。零華ちゃん」
と、呆れ気味に漏らす満月。
聞いてないわよ。な、顔の煉。
無言で縁無し眼鏡を正す麻実。
すると、突然、煉を赤毛から解放した満月。これには隣りの女の顔を確かめずにはいられなかった、麻実。
「お前こそ、なんのつもりだ」
「解るでしょ。私は零華ちゃんと。貴女は、そちらのお二方と話しをつけたらいかが?―――とくに、煉さんと“姉妹仲良く”ね」
「…………殺すぞ」満月を一瞥。
「おお、怖い恐い」おどけてみせる。
そして、満月に背を向けた麻実が、煉と、庭で構えている三日月結美とに視線を送りながら、足を進めてゆく。それに合わせるかのように、煉は踵を返して、結美は変形させていた弓を元の手に戻して、零華と満月を八畳間に残していった。
女三人のそれぞれの背中を見送ったのちに、改めて零華に顔を向けた満月がひと言述べた。
「これで、二人っきりだね」
と、満面の笑みで。
3
場所は変わって。
ただし、時刻はほぼ同じとする。
とある建物の三階。
八畳間の和室には、敷布団で横たわって静かな寝息をたてている 蝦蟇口温子 。
の、その隣では、先刻ほどに満月から“輪切り”にされた珠江の姿があり、それを囲うようにその傍らに口縄龍。中村百合子、櫛田美姫、鱶涼子と連なっていた。零華から指示された通りに“くっ付けてはみた”ものの、未だその白い躰に赤い線を刻んでおり、癒着が遅れていたようだ。顎を境にして頭を上下に、首から胴体にかけても肋骨を境に二つ、腰は股下から踵にかけてさらにこちらは太股と膝と脹ら脛で分断されていた。そして、それだけではなく、さらには、珠江自身が日頃から手入れをし続けていた自慢の長い艶やかな黒髪は、見るも無惨に上顎のラインから“ざんばら”に断ち斬られていたのだ。いい加減に“生き物”の“力”で治癒が進んでいてもおかしくはないはずだが、いったいなにが問題なのか。
そんなとき。
口縄龍はなにかを閃いた。
勢いよく面を上げて跳ねるように立ち上がり、隣部屋の台所へと駆けていった。そして、電光石火のごとく八畳間に戻って来たかと思ってみたら、吃驚仰天、その女の右手には刃渡り30センチほどの出刃包丁が握り締められていたではないか。オマケに、その女の顔といったら、切羽詰まっているかのように思えて、実はなにか確信を抱いた含み笑いを浮かべていたという。
鱶涼子が“なだめ”にかかった。
「龍! はやまるな! 違う策があるはずだ!」
これに百合子も続く。
「いいい今どき無理心中なんて流行りませんわよ」
「まあまあ、おふたりとも、別にそんなのではなさそうよ」
と、美姫から鈴の鳴るような声で突っ込まれた。
すると、すかさずこの後に口縄龍が続いていく。
「そうだよ。そんなんじゃねえさ。違う策を、というか別の“救出方法”を思いついただけだ」
そう云い終えながら、そそくさと珠江の傍らに座り込むなりに、口縄龍は己の腕の動脈を探し当てるやいなや、刃を滑らせていく。そうすると、たちまち張りのある下腕のふくらみに赤い線を走らせていき、それから赤い液を垂らしていった。次にその滴る物を、珠江の躰に刻まれた傷に同じ分量くらいを滴らせていったのちに、最後は血色を失って乾いた唇にへと集中的にその血をかけていった。そしたら、僅かな口元の隙間から入り込んでいく口縄龍の血液に、なんと、珠江の白い喉元が反応を見せて、飲み込んだのである。それから少しの沈黙を置いたと思ったら、白眼を見せながら小刻みな“まばたき”を繰り返していく。すると今度は、完全に白眼を剥いたと同時に大きく息と声を吐きながら躰の全てを反らせて、片手を天井高く突き上げては何かを掴み取ろうかと思える仕草を見せた。
「頑張れ。耐えてくれ。戻ってきてくれ!」
そうとっさに珠江のその手を握りしめた口縄龍が、呼びかけていく。それから大きな仰け反りを数回ほど繰り返して、それと共に、雄叫びというか悲鳴ともとれる声を喉の奥底から幾つか発したのちに、ようやく落ち着きを見せて、この女の特徴的などこかしら冷たさを感じさせる眼差しを取り戻したのであった。そして、上顎のラインで“ざんばら”に断たれていた黒髪は、いつの間にか下顎を過ぎるほどに伸びていたのだ。
若干、朦朧とした意識を残しながらも、自身を心配そうに見下ろす面々に目を配っていく珠江。愛らしく笑みを浮かべた顔を口縄龍に向けて、ゆっくりと起き上がってゆく。「ありがとう」と皆に礼を述べたあとに、一番に献身的にじぶんを助けてくれたその女に再び愛らしい笑みを見せた。そして、しっかりと握り締めていた口縄龍の指を優しく解いた次は、自身に刻まれていた傷をその細くて白い指の腹で“なぞって”いってみたら、不思議なことに跡形もなく消えていた。それから今度は、顔というか頬を撫でていってみたら、あるところでその動きを止める。その不可解な盛り上がりを指先で辿ってみたら、それは、口許からはじまり、耳の下までに達していた。顎を境に頭を上下に切断されたせいか、他の部位と違って未だにダメージが残っているらしい。
そこでさらに気になってきたのは、自身のその身なり。
輪切りにされたのだから当然、制服はまともな状態ではなく。
珠江は立ち上がって確かめてみた。
すると、上は胸元から下が切断された、腹出し。
下のプリーツに至っては、股下から失ってしまったせいか、超の付くほどのミニスカートに変わり果てていた。はいていたお気に入りの黒いパンストも、哀れ各所でぶつ切り状態の上に、デンセンしまくりの見るも無惨な姿になっていた。
これに気の毒に思った口縄龍は、制服の代えがなかったと申し訳なさそうにひとつ断りをしてから、愛しの彼女、つまり、水野槌珠江にとある袋を手渡した。
「ちょっと前にここで見つけたんだ。お前に似合うヤツ、お前の好きな色を探してきた」
「りょう……。―――だから貴女って素敵。ありがとう」
「なあに。いいってことよ」
そう返して、早く履き替えてこいと珠江に促した。
4
再び、毒島邸に戻る。
八畳間から角を曲がり二部屋ほど移動して、麻実と煉は、お膳のある八畳間に出てきた。そして、縁側を挟んだ庭には、結美が二人に平行してついてきていた。庭の女に目線を送ったのちに、目の前に立つ妖艶な“妹”を見つめながら麻実は切り出していく。
「お前、今日は珍しくちょっと感情的になっているんじゃないのか」
「そうかしら」僅かに口ごもる。
「まあ、いい。それよりも、先ほど輪切りになった珠江を運んで行っただろ」
「ええ。―――それが、なに」
「私の予測が当たっていれば、その場所は、お前たちの“戦闘員”の控え室だろう」
「どうかしらね。その代わり、貴女の『仕返し』といった私情のせいで、そちらが失った戦力の方が大きいのではないの」
「なるほど。云われてみれば、その通りだな。……だが。この私が私情を挟んでいるという点は、ちょっと違うな。零華を選んだお前が、いかほどばかりに“蜘蛛の巣を張った”のかを見てみたくなったのさ」
「たったそれだけのために……?」
まさかとは思いつつも、麻実のその言葉に呆れて息を飲んだ。この女ならば、やりかねないとも思えたからだ。そんな煉の気持ちをよそに、麻実は、意気揚々としながら人差し指を立ててきた。
「私がここに来た目的は二つ。―――ひとつは、零華に用がある。そして、二つ目」
中指をゆっくりと立てたのちに。
「(蝦蟇口)温子を潰す」
このひと言を聞いた煉の顔に起こった、僅かな変化を見逃さなかった麻実が、自信あり気にこう付け加えてきたのだ。
「温子がここにはとっくに居ないことは知っている。“生き返らせたばかり”で悪いが、厄介な奴は早めに潰させてもらうよ。―――お前たちの強力な“武器”は、こちらの“武器”で叩き壊してやる」