回想 春の終わり
1
それは。
春休みに入る前のこと。
週末の夕刻。
電車通りに面する大波止にある喫茶店内に、幾人もの制服姿の女の子たちが、窓際の席に集まっていた。皆それぞれ、黒い腕章をしている。どうやら、葬式の帰り道の途中で立ち寄っていたようだ。
私立紫陽花女子高等学校。
私立聖ガブリエラ女学園。
私立聖マリアンナ女学院。
各学校から代表者が四人づつ。だが、この席には、零華と煉の二人の姿はなかった。
長崎市私立聖マリアンナ女学院。先にあげた二校と同じく、百年を超える伝統を持つ。焦げ茶色が特徴的な制服。上は襟無しのショートジャケットで、両肩から上腕にかけて走る太く黒いライン。下は膝丈のプリーツの裾にも、幅三センチほどの黒いラインが引いてあった。そして、ここに同席しているこのメンバーも、それぞれ目をみはる者たちが揃っている。
まずは、黒部勝美。三年生、十八歳。まるで野生種のネコ科を思わせるかのような顔立ちに、大巻きの癖毛が特徴的な黒髪を肩のあたりで切りそろえていた。身長は、麻実と並ぶ百七五。なんだか、ここにいる面々のなかで一番シャープな印象がある。続いて、瀬川歌子。同じく三年生。身長は百六五。大きくて黒い瞳を持つものの、それはキリッとしまった眼差し。艶やかな黒髪は、肩甲骨までに達していた。歌子の隣には、妹の奏子。二年生、十七歳。身長は姉と並ぶ。姉とは対称的に、全体から落ち着いたものを感じさせ、それは優しげな眼差しとなってあらわれていた。肩にかかる黒髪に、黒いカチューシャをしている。そして、最後に、中村百合子。三年生、十八歳。生徒会会長。その容姿は、日本人形かと見紛うほどに整っており、透明感のある色白な顔には、切れ長な一重瞼に黒く輝く瞳。そして、適当にしっとりとした黒髪は、腰までに達していた。線の細い躰の身の丈は、百六七。
次に、聖ガブリエラ女学園。眞輝神樹梨、蓮華道縁、阿部満月、稲荷こがね。
最後は、紫陽花女子高等学校。城麻実、風見志穂、神棚八千代、八尋鰐真也。そして――――
皆、各々が注文した飲み物をある程度喉に流し込んで空気もほぐれ始めた頃に、黒部勝美が麻実側の席を見るなりに切り出してきた。
「ふふん、なるほど。貴女が麻実から聞いていた、可愛い子こと神棚八千代さんね」
「いえ、アタシはそんなに……」
思ってもいなかった振りに、八千代は肩を竦めて顔を赤くする。その恥ずかしがる様子に、ニヤニヤとしながらも、勝美は更にというか今さきほど気づいたらしく、今度は麻実へと質問をした。
「あのさ……。麻実」
「なに?」
「志穂の隣りにいる、お人形さんみたいな可愛い二人は誰?」
「え? この子たち、さっき自己紹介しなかった?」
「まさか。この子たち、さっきから、ひと言も喋っていないみたいなのよ」
そう云いつつ、腕と脚を組んだ。それもそうだなと勝美の言葉に納得した麻実が、縁無し眼鏡を正したのちに志穂越の二人へと向けて「ちゃんと紹介しないと駄目じゃないか」といった顔を見せた。すると、その二人はもじもじとしながらも、樹梨たちと勝美たちとに名乗っていく。
「稲穂、翠です……」
「稲穂、茜です……」
次に声を揃えて。
「よろしくお願いします」
頭を下げる。
よくできました。
同席していたプラスαとは、GOHT娘こと稲穂姉妹。だが今回は、葬式の場だったといったこともあり、例のゴシックメイクはしておらずのノーメイク顔であった。八千代も含めてこのような双子の顔は初めて見るものだったから、ちょっとドキドキしたらしい。この姉妹、三角白眼で目つきが悪いといえどもそこは十代の女の子らしく、まだまだあどけなさが充分に残っていた。
そんな双子を微笑んで見つめていた勝美は、組んでいた腕を解いて麻実に尋ねる。
「この子たちが、松葉と紅葉のかわりをつとめるのね」
「いや」
こう静かに否定した女は、縁無し眼鏡を外して制服の胸ポケットに掛けたのちに、口を開いていく。
「別に、翠と茜にその二人のかわりをさせようとは考えていない。松葉と紅葉とは、元々から何もかも違うんだ。飽きるまで居てもらうことにしているだけだよ」
そのように締めながら、身を乗り出してゆき、机で腕を組んでそれを枕にして伏せてしまったのだ。そして、女のその背中を、隣りの志穂が優しく撫でていく。
「麻実、よっぽど疲れていたのね」
勝美が、こう切なげに呟いた。
今日は、松葉と紅葉の葬式だったのである。
紅葉のほうは、あの日零華たちから襲撃を受けた時に首をはねられて絶命したのだが、一方の松葉は四肢を切断されたものの、命は取り留めていた。だが、しかし、あの時目の前で見てしまった紅葉の最期は言葉で云い表せないほどに衝撃を受けたらしくて、いまだに麻実の屋敷で茫然自失のまま寝ているという。そして、こうした諸事情により、涼風松葉は“死んだことにされた”のだ。それは、松葉と近々籍を入れる予定であった鬼堂重蔵も承知しており、今は、彼女の意識の回復を信じて待ちながらも会社帰りに麻実の屋敷に通い続けて、夜遅くまで松葉を介抱しているらしい。
といった事情を、ここに居る皆へと伝えていた麻実。
「志穂」
不意に透明感のある声で呼ばれたので、思わず麻実の背中を撫でていた手を止める。声の主は、中村百合子。残りの紅茶を啜ったのちに、カップを静かに置いて再び志穂へと言葉を繋げてゆく。
「で、零華が抜けたあとの代表は、貴女と麻実のどちらがなさるの」
細い目の中で黒耀石のように輝く瞳を流した。少し沈黙をしたあとに、志穂が切り出す。
「紫陽花女子からの代表は、まだ決めていないわ。というか、今話すことでもないと思うけれど。―――気になってはいたのよね、百合子」
「ええ……」
これ以上、答える素振りすら見せずに相槌をうった百合子に目をやっていた志穂は、内心、この女を信用していなかったのだ。なにか、引っ掛かる。なにかしら、このモヤモヤは。決して良いものを受けることがなく、事態は更に悪い方へと転がりそうな予感をしていた。
その時。
「ちょっと、空気重すぎ」
「お、お姉ちゃん……!」
スーツ姿の神棚千代が、遅れて登場するなりに紫陽花女子高等学校側に椅子を持ってきて、妹と真也と向き合うかたちをとる。八千代は驚きつつも、姉にお疲れ様と述べた。ウェイトレスにミルクコーヒーをお願いと頼んで、メンバーを見渡して口を開く。忘れずに、黒い腕章をしていた。
「あ の ね。確かに今日は、松葉と紅葉ちゃんの葬式だったけれどもね。けれども、さ。これだけ可愛い女の子たちが集まっていながらも、華が枯れているってどーゆーこと?―――この千代お姉さんも事態は把握できているわよ。だからといって」
「オトナが口挟んじゃ駄目」
「あら、お疲れ様です」
ひと言千代に告げながら、その隣りに座ってきた女は、榊かほる《さかきかおる》。二八歳になる、会社員。百七〇の長身に見合った、細い躰つきながらも、ほのかに色を感じさせるスタイル。その白く整った細面に、黒い瞳を持つ切れ長な目と、高く緩やかに描く鼻梁。サラサラとした黒髪を肩より上のあたりで思いっきり切って、それらをやや外巻きにして整えている。こちらも、スーツに黒い腕章。
一番の年長者の登場に、千代を抜いた十代の面々が、たちまち緊張の空気になった。そんな中で、ウェイトレスがかほるのもとへと、何にいたしますかと注文を伺いに来たので、すかさず笑顔で答える。
「ホットコーシーお願いね」
「…………」
ウェイトレスを含めた全員、硬直。
「なに?」
「いえ……」
かほるが戸惑うウェイトレスを鋭く睨みつけた。すると、複雑な表情のまますごすごと引き下がっていき、その“ホットコーシー”を淹れに向かう。それから、数分後。
「お待たせ致しました。ミルクコーヒーと“ホットコーシー”です」
「ぶっっ!」
二杯目のホット紅茶を戴いていた百合子が、思わず噴き出した。かほると千代の頼んだ物を持ってきた時に、ウェイトレスは漏れなく“ホットコーシー”まで復唱したことがきっかけとなったのか、それまで漂っていた重く悲しい空気は砕けたようだ。まだ少しだけだが。それだけでも充分であった。
「やーー、百合ちゃんたらはしたなーい。―――ほら、これで拭いて」
「百合ちゃんて呼ばないでくださるっ。……ありがとう」
なんだか嬉しそうな顔をして、お絞りを手渡す歌子へと強めに突っ込みつつも、百合子は礼を述べた。己の口から顎にかけて濡れた部分を拭き取って、次にテーブルをキレイにしながら思い出したように切り出していく。
「そういえば私たち聖マリアンナは、いったい何処まで貴女がたに協力したらよろしいのかしら」
「ああ、ほら、百合ちゃん。鼻の穴からも紅茶が……。―――アタシが拭いてあげる」
「や、そんな……。ありがとう」
テーブルを拭き終えたところを見計らって、歌子が妹の奏子越に身を乗り出して百合子へと近づいていき、顎を優しく持って新しいお絞りで労るように拭き取ってあげた。このような旧知の女の気遣いに、百合子はつい頬を赤くする。しかし、この百合子の一連の反応に、妙な既視感を覚えた、稲穂姉妹を除くメンバーであった。
「かほるさん、千代さん。なにをニタニタなさっているの……!?」
「だって、ミス聖マリアンナのこんなにも可愛い姿を見せられておいて、喜ぶなというのが無理でしょ。―――ねぇ、かほるさん」
「そういうわけで、千代と私は決定的瞬間を写メで戴いたからね」
千代から求められた同意に応じて、かほるは百合子へと向けて微笑んだ。今はガールズトークをしている場合でもないような、でも、こういった場も必要なような気もしていた八千代が、眉をひそめて膝に乗せていた拳を握りしめていく。その時、隣りにいた真也から、拳に優しく手を被せられたものだから、とっさに彼女に首を向けた。
「八千代。みんな、こうしながらも何とか切り抜けたいんだよ。ここは、お前の姉さんと、かほるさんたちに甘えておこうぜ」
「真也……。―――うん」
声は小さいながらも、その温かさに瞳を輝かせた八千代は、笑みを浮かべて頷いた。
2
グレープジュースを飲み干したグラスの中の氷をストローで突っついていた眞輝神樹梨が、ここで初めて口を開く。聖ガブリエラ側は、あの日の現場を直に見ていたから、もちろん全面的に協力をする気である。
「貴女たちの協力? そら、全面的にした方がいいんじゃないのか」
「それを聞いて安心しましたわ。私たち聖マリアンナも初めからそのつもりでしたから」―嗚呼、樹梨さん。拾っていただけて、感謝します。――
宙に浮いていた問いを、樹梨からキャッチされて丁寧に返してくれたので、百合子は内心ホッとした。
「なるべくなら、私たちは日本じゅうを騒がせたくはないわ。そういった上でのご協力なら、歓迎したいのだけれど」
静かながらにも、こう訴えてきたのは、いまだにテーブルに突っ伏したまま起きない麻実の背中を撫でていた風見志穂。
「その点に関しては、私と満月に任せてくれ。いくら隠密といえども、麻実には限界があるだろう」
「ええ、任せたわ。樹梨。―――って、こがねは何をしているのかな?」
有り難く名乗り出てきた樹梨へとひと言を返したその矢先に、志穂は稲荷こがねの怪しい行動に気づいて声をかけた。この狐顔の女は、重要な会話を耳に入れながら、寝息を立てている麻実を覗き込んでいたのだ。なんとか麻実の寝顔を拝もうかとしていた途中、低い声で呼び止められたものだから、こがねは少々焦り気味。
「え、いやあー。せっかく、眼鏡っ娘の麻実がみんなの前で眼鏡を取って寝ているわけだからね。貴重でしょ、これ? だからこの際、可愛い寝顔を拝んでおこうかしらと」
「抜け駆けは許さないわ」
稲穂色の髪をしたこがねの隣りから、赤味がかった頭髪をした阿部満月が口を挟んだ。
「私だって、麻実さんの寝顔見たことがないんだよ」
「贅沢云うねー。そんな満月は、あづさの寝顔を週末には恒例のように拝んでいるじゃないの」
桜月あづさという者は、最近、満月の恋人になったばかりである。と、ここで歌子がニンマリとしながら話しかけてゆく。
「そー、そー。満月とあづさちゃん。真也と八千代ちゃん。二組は、熱々なんだってね。―――とくに“そちら”のお二人は、ずっと手を握り合っちゃって。八千代ちゃんが可愛いから手放したくないんでしょ、真也」
「はわっ!?」
間抜け面になり声をあげた。
生き成りそう来たか。と、内心歯軋りをしながら引きつった笑顔で誤魔化すなりに、お互いの手を離脱させた。
「ズルは許さんぞ、真也っ」
「いいじゃねーか」
それは聞き捨てならぬと、ガバッと身を起こした麻実が、電光石火のごとく眼鏡を掛けたのちに力強く真也に指差す。負けじと八千代の肩を抱き寄せて、麻実へと“あっかんべー”としてみせた真也。
「あらら、麻実さん。八千代さんが絡んだ途端に覚醒なさったのね」
百合子が、まあ可愛らしいですわと云わんばかりに呟いて、小さく「ふふふ」と微笑んだ。
「こうなったら、私だってミス聖マリアンナの覇者・中村百合子と不純同性交遊してやる」
「――――きゃっ」
そうして、未だに湯気を揺らしているホット紅茶の残りをいただこうかとした矢先に、急に上体が横に流れたものだから、熱い琥珀色の液体が手首と太ももとのあたりにこぼれ落ちた。よって、当然のように椅子から飛び上がる。
「うわっち……っ! ぁあっち! あつつっっ!! くああーーっ!!―――あああ麻実さんっったら、いいいいきなりなんばすっとね!?」
「あー、ごめんゴメン。お詫びに私が拭いてあげるから。―――ほら、座った座った」
歯を剥いた上に鋭く睨みつけられても、麻実は動じる様子も見せずに、百合子の手を優しく引いて再び腰を下ろさせた。この麻実は、いつの間に移動していたのやら。すると、百合子が素直に着席。そして麻実は、新しいお絞りで、百合子の手をそっと冷やしながら拭ってあげた次は、その手を下げて、濡れたプリーツの上から丁寧に押していったのだ。そのような女の気遣いを感じたのか、百合子は照れてしまい顔を赤くさせた。
「あ、ありがとう……」
「礼はいいよ。悪いのは私なんだし」
そう語りかけながら、なにやらプリーツを徐々にズラしていくではないか。やがて、太ももの半分ほど露出した時点で、百合子はなにか変だと気づいた。そして素速くプリーツを膝まで戻す。
「ちょっと、麻実さんってば。なにをなさっているのっ!?」
「いやなに、百合子の“おみあし”が気になっちゃって。―――けっこう綺麗な脚だったぞ」
「いや……、恥ずかしい」
顔から火を噴かせるなりに、俯いた。百合子の白く透明感のある肌が、耳まで朱色に染まる。
「あーーっ、もうっ! 本当にお前と付き合ってしまおうか……!」
そんな百合子の反応に歯を剥いて悶えるも、麻実はやっぱりどこかで見た既視感を覚えたのだ。それは、対岸の席で見ていた八千代と真也も同じ。それぞれの予感は、千代とかほるの次に発した言葉で確実となった。
「あの可愛さ、零華ちゃんとそっくりですね」
「本当、そっくりね。―――嫁に欲しい」
「かほるさん、無理です」
「…………」
確かに、知った面々の前では決して飾らない、素直な反応。百合子当人は意識してはいないものの、これは、ひじょうに毒島零華と重なっていた。
3
今回、この場を欠席していた毒島零華と八爪目煉は、松葉と紅葉の葬式にはきちんと姿を見せており、周りにお悔やみを述べていたのだ。だが、八千代たちは零華という女が解らなくなっていた。襲撃を起こした張本人が、手下を使って松葉と紅葉を惨い目に遭わせた張本人が、葬儀の場でこうして神妙な面持ちでそれぞれの保護者たちへと挨拶をしてまわり、二人の位牌へと線香をあげて頭を下げていたのである。まるで、他人ごとのように。
そうして、八千代とその姉の千代のもとへときて挨拶を交わしてすれ違っていった直後。八千代は凍りついた。それは、千代が今までになく鋭い眼差しで、零華の背中を見つめていたこと。そして、怒りが震えとなって顕れるほどに、拳を強く握りしめていたことだった。このような姉の感情は、今の今まで八千代は見たことすらなく、それは驚きとともに恐怖を覚えて、全身の筋肉を硬直させてしまったのだ。しかしこの時、何故だか八千代自身も解らないが、この時ばかりは何とか姉に声をかけないといけないと思ったらしい。そして、喉の奥から精一杯振り絞って、姉を呼んだ。
「……お姉ちゃん……」
「あ、ああ……、ごめんね、八千代。恐かったよね……」
こう振り向きながら、妹を優しく抱きしめたのだ。思ってもみなかった姉の行動に、八千代は顔を熱くした。
「八千代」
「なに、お姉ちゃん?」
「零華ちゃんから受けたこのことを、あの子に兆倍返しにしてやりなさい」
「うん……」
「そして、八千代。零華ちゃんの想いも、受け止めてあげなさい」
「お姉ちゃん……。アタシにできるかな……?」
「できるわよ。だって、私の妹だもの」