蜘蛛の巣合戦――vsサラマンダー&ファルコン編
1
ほぼ同時刻。
こちらは場所を変えて。
犬神はつきが、一文字隼美と山椒真魚との襲撃から逃げ込んだ、休日の無人のオフィス。人気の無いだけあって、白昼にもかかわらず、薄暗くうえに薄気味悪さは何とも云いようのない。
『前門の虎、後門の狼』ならぬ『前門の猛禽類、後門の両生類』に前後を挟まれている“はつき”であったが、中腰を保ったまま、腰の後ろから短剣を引き抜くなりに、順手の拳を下腹部辺りに逆手の拳を顎を庇うような型に構えてゆく。これを見たとき「お?」といった、心なしか嬉しさを含んだ顔をみせた真魚。これに気づいたかそうでないのか、隙あり!!と云わんばかりに、はつきは後方へと足を突き出して、真魚をめがけてデスクを蹴飛ばした。これに対して、喰らってたまるものかと云わんばかりにそのデスクを横に蹴り除けたと思ったら、今度は正面向いた“はつき”から蹴りやられてきたもうひとつのデスクを腹に喰らってしまい、それごと転倒した。
呆気にとられている隼美にへと身を捻ってダッシュするなりに、はつきは逆手の短剣を振りかざしていく。
間一髪で銀色の閃光からかわした隼美が、数歩ばかり飛び退けたのちに、両腕から羽根を引き抜いて手裏剣として銀髪の娘へと放ってゆく。刃を剥いて向かってくる羽根手裏剣を、はつきは両腕を滑らかに円を描くように動かして、まさに“舐めるように”相手の攻撃を退けてゆき、早々と懐に踏み込んだ。そして、順手にした両腕を広げて、隼美の脇腹を両側からその切っ先で狙った。その瞬間、標的はノーモーションで飛び上がり、はつきの短剣をかわす。二つの閃光が虚しく空を斬って交差するも、すぐに解いて、はつきは銀髪を白昼の光りに煌めかせながら床を力強く蹴って跳躍した。
宙で次の羽根手裏剣を放たんと構えていた隼美の眼前で、突然と躰を丸めた“はつき”から、刹那に鋭い直線を描いて刃のごとく飛び出すと、その切っ先が翼を持つ女の下腹部を貫いた。一瞬、背中のあたりが盛り上がったかに見えたが、錯覚だったかもしれない。
カウンターとも云える、はつきの胴廻し回転蹴りに、隼美は思わず躰を海老のように折り畳んで、まるで、隕石の落下を思わせるみたいに、目隠しやらデスクやらその他周辺の事務職の器材を崩壊させて、床に激しく叩きつけられた。
隼美が逆流してきた胃液および内容物とを吐き出して、被さっていた目隠し等を押しのけて立ち上がったすでには、犬神はつきにエリア内に侵入されていた。両手の鈎爪を剥いて広げたときに、銀髪の女から素速く懐に密着されてしまう。隼美がこれに「あ、この……!」と思った時には、両脇から突如生じた稲妻におそわれて、躰を大きく反らせて眼を剥いた。体内を焼かれるような激痛に声をあげていく。
それは、はつきが相手の胸元へと己の胸を当て身するなりに、その両脇の肋骨の隙間を狙って短剣で貫いたのである。もちろん、心臓を突いただけでは“生き物”の力を貰ったこの連中は倒れないことを、城麻実から訊いていた。これは単に、一時的に敵の動きを止める程度にしかすぎない。躰から引き抜いて、次の一手に移ろうかとした瞬間、はつきは力強く抱き締められてしまった。その隼美の遠くに見えるのは、崩れたデスクその他諸々を押しやって立ち上がってやく真魚の姿があった。物を蹴って「畜生」と吐き捨てた女へと、隼美が呼びかけていく。
「おい! アタシごと焼け」
「……は? お前、本気で云ってんのか」
捨て身の宣言に、真魚は当然のように戸惑った。そしてこちらの“はつき”も動揺を隠せないでいた。
「ち、ちょっと本気!?―――貴女も丸焼けになっちゃうわよ!!」
「ふん。知るかよ、んな事。それよりも、こうされちまったらー、アンタのその奇妙な髪の毛が使えなくなるよなぁ〜?―――真魚、なにボケッとしてんだ!! いいからアタシに構わず焼いちまえ!!」
さらにこう呼びかけて。
次のひと言で背中を押した。
「零華のためだろ!?」
「……隼美、ごめん」
「いいってことよ。そのかわり、中までちゃんと(火)通してくれよな」
「ああ。最っ高の焼き方にしてやるさ」
そう決意に口元を歪ませたあとに、両足を床にしっかりと踏ん張らせて両腕を突き出して、房から生えた筒の先端から噴射された二種類の液が宙で混ざり合ってゆく、そのとき。
“はつき”は、隼美の肋骨から引き抜いた短剣を、今度はその二の腕の腋の下近くへと下から突き刺して、それに反応してロックの緩まった隙に両腕から抜け出したそのまま、相手の足首に足を引っかけて軽快に反転をした。これに隼美が呆気にとられてしまった時には既に遅く、真魚の放った火炎によって、背中から全身を焼かれていた。“仲間だけを焼いてしまった”ことに仰天して思わず「げっ!?」と漏らした真魚を後目に、はつきは、赤々と眩く包まれて燃え盛る目の前の隼美を狙って、クロスした両腕を広げてすり抜けていく。
すると、これに僅かばかり遅れて、膝から仰ぎながら躰と頭とを分離させてゆく隼美。何かを掴まんと天井へと伸ばした片腕をピクピクッと痙攣させたあと、息絶えた。
2
受け身をとって片膝を突いていた“はつき”は、目の前で睨みをきかせている真魚から目線を外すことなく、膝を伸ばしてゆくと、躰をバネと化して飛びかかっていった。そうはさせるかと両腕を突き出して、丸焼きにしてやらんと構えた真魚の視界から、銀髪の女が空気中に解けたかと思われたほどに残像が見えたその瞬間に、細い首を銀色の光りが横切った。
間一髪で上体を傾けて己の首の切断を逃れた真魚は、そのままの姿勢で腕を上げて二撃目を防ぎ、相手の襟を掴むとすぐに足を突き出して、踵でアキレス腱を狙った。足を引っ掛けて押し倒すなどといった、大外刈りというそんな“慈悲深いこと”ではない。狙うは、アキレス腱の切断。これで再起不能になってしまったのなら、しょうがない。と、した時に、銀髪の女こと犬神はつきから肩を当てられて、不発に終わった。
なんの、次の一手もあるわよと、真魚が胸倉から襟足へと手の位置を変えようかと放した刹那に、待ってましたとばかりに“はつき”からあれよあれよと押し切られてゆき、デスクの角に腰をぶつけられるなりに押さえ込まれてしまったのだ。そして、止めと云わんばかりの、肘による喉の押さえつけを喰らった。
薔薇色の瞳で真魚を射抜いてゆく。
「王手ね」
「冗談は、よし子さん」
「はつき。と、云います」
真魚、この返しに一瞬呆気になる。
「ええい、くそ」
片腕を突き出したときに、液体から顔じゅうを覆われた銀髪の女は「わぷ!!」と思わず漏らして、体勢を崩してしまった。この隙を逃さずに、脱出ついでに“はつき”の腹へと蹴りをお見舞いして、真魚は脱出。しかも、二液混合による発火なので、一液のみではなんの反応も起こらない。
起こらないのだが。
「か、かか、顔がぁ!! 顔がぁ!!」
はつきが液まみれの顔を両手で覆って、身を仰け反って絶叫してゆく。
―――だが。
「あれ。溶けてない……?」
「“それ”だけじゃ、何の反応も起こさないっつの」
「!!」
この真魚の突っ込みを聞いたときには、腰にタックルを受けていた。
突き飛ばされて尻餅を突き素早く身を起こしたときには、真魚から胸倉を捕らえられていた。両腕を交差させて、身を折った次の瞬間に、はつきは頭から“垂直に”地面へと落下していたのだ。このまま落とされた場合は、確実に頸椎を折って、最悪は即死。運が良くとも、半身不随。このとき、とっさの判断で、はつきは真魚の胸元に腕を巻いて、出来るだけ躰を丸め込んだ。すると、予定外の力が付加されたことによって勢いが殺されてしまい、真魚は相手を“背中から落としてしまった”のである。
おかげで足を滑らしてしまった真魚が、受け身をとった“はつき”の上に落下した。即座に前転して、銀髪の女から離脱。舌打ちをしながらも、片膝で構えてゆく。咳き込みつつ立ち上がった犬神はつきは、顎から滴る汗を拭うと、声を低くして吐いていった。
「おかしいな」
「なにが」
「柔道ってさ、スポーティーなものじゃなかったっけ……。貴女、今さっき、頭から落としたでしょ。―――全く。信じられない」
「……。あのね、お嬢ちゃん。いーい? 柔道って本来は危ない武道なんだけれども」
「そんなものかしら」
「そんなもんだよ」
「はい、質問」はつき、挙手。
「なにさ」と、ぶっきらぼうに。
刹那、真魚の頬を銀色の閃光が掠めたときには、はつきが宙を舞っていた。不意打ちに目を剥いたのにもかかわらず、とっさに顔の前で腕を交差させて、空中から飛んできた槍のような蹴りから防御した。そして、先ほどと全く同じ力と重さで、二撃目の蹴りを受けた真魚は、僅かながらにバランスを崩してしまった。
なんと、犬神はつきは、この僅かな滞空時間を使って宙で躰を捻り、もう一発の蹴りを出してきたのである。しかし、はつき当人にとっては初の実戦であるうえに、この技を初めて対戦相手に向けて繰り出したものだから、少しばかり当てるタイミングを外してしまい、力を爆発させることができなかった。
だが、次の一手も備えていた。
着地も間を置かずして、はつきは地を蹴って跳ね上がると、両腕を広げてそれを縦にして躰をスピンさせた。山椒真魚の脳天をめがけて、振り下ろされてきた刃が、無情に触れて肉にめり込み、頭蓋骨に当たって、下まで走り抜けてゆく。そして、さらには先ほどの刃と全く同じ速度と重量で、銀色の鋭い直線を描いて真魚の躰を縦に貫いた。直後に、その女の躰は真っ二つに割けて、左右が離れていく。
稲荷一門 陰陽十文字爪
力を失った真魚は、膝から落ちて、天井を仰いでいきながら“開き”となって倒れ込んだ。そのあと、周りの気配の無いことを確認したのちに、はつきは、小太刀を後ろに仕舞うなりにスプレー缶とライターとを取り出して、未だに小さく痙攣を見せている左右に離別した真魚へと向けて火を噴き出していった。
と、このような建物内で焼却処分しているのにもかかわらず、スプリンクラーが発動していないことに気づいて、はつきが周りへと目を配ってゆくと、その階の事務所の入り口から新たな人物を招き入れた。施設内警備員かと思ったが、それは違い、見覚えのあるワインレッドの制服を纏った女だった。その女が“はつき”を見るなりに、肩にかかる髪の毛を耳に掛けて、天使のような微笑みを向けて話しかけていく。
「はつきさん、デビュー戦で合格って凄いじゃない」
「ありがとうございます。―――えーと。あづささん、この建物に“何かした”んですか」
「もちろん。あのときアタシ、貴女のことサポートするって云っていたでしょ。思う存分戦えるように、(この建物のセキュリティー機能を)不能にしておいたわ」
「それはそれは。改めて、ありがとうございます」と、照れくさそうな犬神はつき。
「いいえー。どういたしまして」
こう、満面の笑みで返したのは、同じ聖ガブリエラ女学園高等部三年生の桜月あづさだった。