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校内侵蝕【R15指定版】〈第二部〉  作者: サンソン琢磨
16/23

蜘蛛の巣合戦――電撃稲妻熱風編――


 1


 結美から放たれた黒くて長い矢が、次々と軌道を描いて飛んでゆく。それは、真っ直ぐとではなく、それぞれの矢が弧をまたは急カーブを“みずからの意志があるかの如く”それらに添って、煉から受けた指示の標的へとその黒く光る矢に殺意を込めて向かっていった。武器を射出してゆく結美については、弦を引く片腕の肘から手首の根元にかけて筒のような物を出現させたのちに、肘の先から黒い槍のようなのが先端部を見せたすぐに手元まで移動。そうして、次の間が生まれぬように、再び肘の先に鋭角な先端部を生やして連射が可能となる。

 まず標的にされたのは、北に六と西に五との陣営をとっていたワインレッドの制服、聖ガブリエラ女学園。

 それぞれが屋上の貯水タンクや出入り口の物陰からようすをうかがっていたさなかで、総勢十一名のうち約半数の女たちの遠くの前方で、唸りをあげながら風を切って迫り来る物を発見。そのほんの一秒から二秒後に“それ”が先ほど三日月結美から放たれた“針”だと解った頃には、もう、黒くて長大な針から貫かれていた。まずひとりは、顔のド真ん中に突き刺さったそのままの勢いで、頭だけを持っていかれてしまい、貯水タンクの柱へと貼り付けられる。あと、これを追うかたちで、司令塔を失った切り口からは赤い線を数本ほど噴き上げながら、後ろへと膝を折って倒れこんだ。次の間を空かしたふたり目は、心臓を真正面から射抜かれた刹那に、あっという間に後ろのビルへと躰ごと持っていかれて、そのまま壁に突き刺さった。また次も間をとった三人目、細い喉を正面から貫かれた瞬間に、出入り口の壁へと貼り付けられて今度は躰の部位がもたなかったのか、細く長く皮膚と筋肉繊維とを引きつつ首から下がずり落ちた。そして、これを追うように、あとから頭が“針”の上で横に傾きながら己の躰の隣りに転げ落ちてゆく。

 続いてもひとり分空かして、四人目。この三角白眼の女の眉間に突き刺さるかと思われたそのとき、背中を大きく反らせるなりに片手を地に突いて、同時に足を力いっぱい蹴り上げた。刹那、軌道を狂わされた“針”は、意にそぐわぬ標的―――つまりは貯水タンク―――にへと音を大きく鳴らして突き刺さり、無色透明の液体を細い線にして滴らせてゆく。着地して片膝を突いた姿勢から、四人目がゆっくりと膝を伸ばして、青空で羽ばたかせながら待機していた鷲尾嶽子を見上げていった。そして間をとって五人目の女の顔を、この“針”は無情にも半分をごっそりと持っていき、貯水タンクの柱へと貼り付けた。金属を突き刺す甲高い音をじぶんの後方で聞いたのちに、白眼に反転させて横に倒れこんだ。そうして、再びひとり分を空けて六人目は、反射的に上体を流して奇跡的にも間一髪で心臓貫通を免れたものの、左腕を肩ごと持っていかれた勢いで吹き飛び、金網フェンスを歪ませるほどに背をぶつけた。

 途中、予想外の事態が起こったが、三日月結美はこれらの“針”を八爪目煉の指示通りに「犬神はつきを基準に除いて、ひとりずつ空けて射抜いた」のだ。


 当然のようだが、零華の指揮する手下たちの攻撃は“これっきり”ではない。

 一文字隼美いちもんじはやみの足元から山椒真魚さんしょうまなが屋上に着地するなりに、両腕を突き出して、その生えた膨らみの先端の筒から液を噴き出していくと、空中で混合した途端に赤く盛る炎となって聖ガブリエラ女学園のひとりの生徒に反撃の隙を与えず焼き尽くしていった。真魚を降ろしてすぐに次の屋上へと飛行していった隼美は、短髪の生徒の頭を、鈎爪の足でスライスする。顔を西瓜の輪切りのように切り刻まれた女の断面からは、赤い鉄の液を飛び散らして、噴き出された眼球から繊維の糸を引いていった。もうひとりの生徒も、宙からきた鷹爪翔子たかのつめしょうこの足から蹴られて転倒したところを馬乗りをとられてしまい、鈎爪の生えた腕で腹を貫かれて絶命した。ひとりを焼き殺したのちに、真魚は、屋上をカエル跳びして渡ってゆき、犬神はつきのもとへと早々とたどり着いたのだ。しかも、来たのはこの女だけではなく、飛んできた隼美からも背後を捕られて八方塞がりとなる。

 軟質の少しブヨついた短い触角を額から生やし、眼全体を血のような赤に変えた真魚が、房のある両腕を胸元で交差させながら口を開けてゆく。

「へぇー。貴女がその隠し玉って子? 予想以上の美人さんじゃない」

「そうね。可愛いかと思っていたけれど、ちょっとこれは、女のアタシでも“そそる”いい女だね。―――ねぇ、真魚。この子だけ楽しんで殺しちゃおうか」

「という訳だけれども。どうする、はつきさん。―――もちろん私は隼美に同意するね」

 こう結んで、薄い唇の端をグイと歪ませた。二人の言葉を聞きながらも、はつきは屋上全体に目を配って逃走経路を探していたのだ。しかし、云われ放題にも限界があるもので、この銀髪の女は珍しく歯ぎしりを見せたのちにひとつ吐き出した。

「全く……。品性に欠けることばっかり云うのね。―――しかし、所詮は再生怪人。リサイクルされたら、初登場よりも弱くなるのが鉄則って知っていた?」

 最後は語尾を上げて構えていく。

 だが、はつきを挟む真魚と隼美が互いに不敵な笑みを浮かべると、宙で滞空していた方の女が切り出してきた。しかも、明らかな侮蔑を含ませて。

「馬鹿ねぇ。だから貴女をワザと残しておいたんじゃない。まあ、それ以後の指示は受けていないから、アタシらが貴女をどうしようとお構いなしらしいわ」

「そうそう。御自慢の『兵隊さん』たちをあっさり減らされたあとじゃ、残された道は逃げるだけだと思うけどね。―――それに、リサイクルされたからって必ずしも弱いとは限らないのよ」

 その刹那、両腕を突き出して、房の筒から液を吐き出してゆき空中で混ざって、赤く輝きながら、はつきに覆い被さっていった。たちまち眩い物に包まれてゆき、そのうえ噴射の勢いで吹き飛ばされて、鉄柵を突き破って落下していった。そうして、駄目押しとばかりに、急降下していった隼美が鈎爪の足を構えて燃え盛るはつきにへと狙いを定めていった、その刹那。赤と橙と交わる光りを縦に割いて、はつきが飛び出してきたのだ。これには目を剥いた隼美。まさに、無傷。焼け跡すら無く、透けるほどの色白さと眩い銀髪とは健在であった。燃えてゆく『殻』を蹴って、あっという間に翔子の位置に達したと思った次には、脳天を足場にされて上の階の窓を突き破って入り込まれてしまった。

「ド畜生!」

 お嬢様らしからぬ言葉を思わず吐き捨てて、身を捻って宙で切り返すと、今度は上昇して、はつきのあとを追って建物内部に入ってゆく。上に逃げられていったこのとき、腰ほどまでに達していた“はつき”の頭髪は僅かばかり短くなっていて、肩ほどであった。これを上からうかがっていた真魚は、舌打ちをして出入り口の扉を蹴破るなりに、銀髪の女を追ってゆく。



 2


 そして今度は、南に三と東に四とをめがけて二〇本ばかりの“針”を撃ち出してゆく。南にいるのは、風見志穂と春風若葉と巻風木葉の三人。そして、東には、黒部勝美と瀬川歌子と瀬川奏子との三人だが、煉は四人と見ていた。ならば、聖マリアンナ女学院勢にあとひとりが潜んでいるということになる。これらを含めて、結美はこの人数に対して倍の量の“針”を撃ち出していった。

 まず、紫陽花女子高校班。

 志穂は宙で身を翻してかわし、木葉このははとっさに地に伏せてそれぞれ避けたものの、若葉だけが一歩遅れて利き腕の肩を射抜かれてしまい、屋上出入り口の壁に叩きつけられてしまった。西で、聖ガブリエラ女学園の生徒をひとり葬った翔子は、三日月結美の“針”を追うように飛翔してゆき、志穂へと狙いを定めていく。アメリカ艦隊のスカッドミサイルのごとく、照準を正解に固定して、突っ込んでいった。唸りをあげて迫ってきた“針”から跳躍して身を捻ってかわしたのちに片膝で着地すると、遠くから翼を折り畳んで、投擲された槍のように飛んでくる翔子に首を向けたあと、貯水タンクの裏側へと駆け込んだ。すると、その物影から、青いマシンに乗ったカーキグリーンのライダースーツ姿の志穂が、二枚の白いマフラーをはためかせかながら飛び上がってきたではないか。これを見た翔子は、反射的に腕を羽ばたかせて、宙で急ブレーキをかけてしまったその刹那、バイクのタイヤが顔に衝突をしたさらに、そのままの勢いで回転を増していき女を頭から胸元にかけて、切り裂いた。前輪の回転数と摩擦熱で翔子を縦に割いた志穂が、その骸をジャンプ台として、跳

躍した。

 そして、仲間の救出へと向かってゆく。


 続いて、聖マリアンナ女学院班。

 勝美まさみが“とっさに”躰を沈めてかわしたときには、その二本の“針”は大きな音を鳴らして、屋上の出入り口の壁に突き刺さった。同じように、歌子も壁に身を隠して攻撃から逃れる。そして、この妹の奏子は、射出されたときに発するこの“針”独特の『唸り声』を耳にした矢先に素早く建物内部へと入り込んだ。その直後に、少女の残した気配を貫いていくかのように、三連続も“針”が壁に突き刺さった。しかも、この三人にへとさらに追い討ちをかけるかのごとく、次はその割り増しした量がその建物じたいを穴だらけにまさに蜂の巣にせんと志穂たち紫陽花女子高校班もまとめて射抜かんと迫ってきたそのとき。一斉に“針が宙で横並びに止まった”のだ。そして、力を失ったように落下してゆく。

 とある階にまで逃げ込んだ奏子が、ふと足を止めて、風を切って急接近してくるものに気づく。次の瞬間に、それは窓を突き破って入り込むと身を転がして起き上がった。休日、誰もいない薄暗いオフィスに、焦げ茶色の制服姿の少女が二人。奏子の前に立ちはだかった女は、阿門亥夜あもんいよ。ショートシャギーを白銀に変えて、四肢の先端は白い羽毛に覆われている上に、その指先爪先は鋭利な鈎爪に変化していた。

「奏子ちゃん。やっと二人っきりになれたね」

 喜びを含めた渋い声で述べたのちに、両腕を広げるなりに羽ばたいていき、階を支えている数々の柱を風圧で破壊しながら、オフィス機器から目隠しまで吹き飛ばしつつ、奏子を目指して真っ直ぐと飛翔していった。この亥夜からの特攻から避けるかと思いきや、奏子は腕を交差させるなりに真正面から受け止めたのだ。と、同時に、支えを失った事務所が二人を巻き込んで崩れていき、埃を巻き上げながら貯水タンクもろとも飲み込んでいった。これを三棟隣りの屋上から目撃していた歌子が、悲鳴を混じりに妹を呼んでいく。

 直後、頬を掠って壁にめり込んだ。

 それは、ピックだった。

 ギターを弾くときに使う物。

 その新たに現れた影に、歌子は顔を向けていくと、肩まである茶色のシャギーの女がピックを片手にニヤついていた。この女も、こちらと同じ焦げ茶色の制服姿であるから、聖マリアンナ女学院の生徒である。しかも、歌子の知らぬ顔ではなかった。

 相手も歌子を知っている。

 だから、余計に嬉しかった。

「ほらほら、妹さんの心配している場合じゃないでしょ。貴女の相手は、この私」

「三葉、貴女……。裏切ったのね」

「裏切ったも何も、私は、貴女たちと闘う理由が欲しかっただけ」

 この女、名を古代三葉こだいみつばと云う。瀬川歌子と闘いたいがために、零華から“生き物”の力を受け取ったのだ。それに応えるかのように、我が妹の身を案じながらも、そこまでして挑んできた三葉の意を汲み取った歌子は、力強く大きな瞳を向けて口を結び、構えていった。



 3


 紫陽花女子高校班に戻って。

 時間も少し遡る。

 複数の“針”から身をかわして地に伏せた木葉の前に、大胆にも音を立てて降り立った者が。ゆっくりと用心しながら身を起こしていった木葉が、そのポニーテールをした長身の正体を確かめるなりに顔を引きつらせてゆく。

「嘘でしょ……!」

 その者とは、悟紅さとりこうだった。そう、春の終わり頃に零華とともに麻実の邸宅を襲撃したときに、吹風紅葉の首を青竜刀の一撃で撥ねとばした女。そうして、何かを云わんとして口を開きかけた木葉の腹に、悟紅が踵で蹴飛ばした。背にしていた扉を破壊して、階段を転げ落ちていき壁に激突。割れた膝から血を流していきながらも、駆け上ってくる稲妻に堪えつつ木葉は歯を食いしばって立ち上がったのちに、片足を引きずり歩いていく。この様子を今まで黙って見ていた悟紅が、負傷した足を抱えて移動し始めた木葉を確認したところで初めて、後を追い出した。そして、後ろから、己の躰の一部とも云える青竜刀を取り出して構えていく。

 ようやくやっとの思いで全身に噴き出す脂汗と寒気を味わいながらも、下の階――つまりは各事務所の並ぶ廊下――にへとたどり着いた木葉の背中を、無情にも蹴りの一撃が襲い、青白い通路にへと叩きつけた。腹を強打して、さらには割れた膝を再び打ちつけてしまい、木葉はとうとうその激痛に声をあげてしまう。すすり泣きに近いものも混ざっていたようだ。照明は点いていなくとも、太陽光により眩くなっている青白い廊下に、鮮血の歪んだ線を引いて這いずってゆく木葉の姿を、青竜刀を構えたポニーテールの女は露骨なほどの嘲笑を浮かべて、足を進めていく。そして、悟紅がその足もとに完全に近づいたときに、床で身を翻した木葉は、踵を振り上げた。足を上げた悟紅から、予想されていたかのようにこの蹴りを避けられてしまうが、諦めることなく、瞬間的にその足を逆行させた木葉の往復の蹴りが足の裏で止められてしまい、突き放されて、負傷した膝を踵で踏みつけられていく。その箇所を二度三度ほど踵で踏みつけた、というよりも、蹴り落としを喰らわせたのちに今度はこのまますり潰していくように、グリグリと割けた傷口を広げていき、木葉にますます苦痛

の喘ぎをあげさせていった。そして次でその膝を完全に破壊しようと踵を垂直に落とした悟紅だったが、虚しく床を踏みつけた脇で、とっさに脚を広げて蹴りをよけた木葉このはの蟹鋏みを受けて、横倒れになる。

 この好機を逃がすものかと、赤く滲んだ歯を剥きつつも木葉は、覆い被さるかたちをとりながら手を後ろへとやって忍者刀を引き抜いたその、瞬間、青白い床にオレンジの火花を走らせていく悟紅の姿を目撃したと思ったら、たちまち腰から力が抜けて廊下に口付けをしてしまった。それは、斬りつけようとした木葉の眼前で“上体のみを回転させた”悟紅からの横一線に繰り出された青竜刀のひと振りにより、女の躰は上下に断たれたのだ。床と同時に焼き斬られてしまい、切り口から煙りを立ち上らせていくも、出血はすることはなかった。しまいには、膝から崩れ落ちてきた残りの下半身を蹴りやったときには、木葉の意識は既に消え去っていた。



 志穂が零華を見張っていた建物の隣りの屋上。

 張り付けられた肩を、やっとの思いで“針”から抜いた春風若葉は、貫かれた傷口から走るプラズマに堪えながら、セーラーのタイを包帯代わりにして巻きつけていく。そして、結び目をつけ終えたときに、羽音を立てて舞い降りた者を見るなりに、心なしか安堵の顔を浮かべた。着地と同時に脈の走る乳白色の極薄の羽を折り畳んで肩甲骨へとしまい込むと、片膝から伸ばしていき、ツインテールをした小柄な影が、悪戯好きそうな顔立ちで若葉へと微笑みかけて話しかけてゆく。

「お疲れ様、若葉」

「黄緑。加勢に来てくれたの……?」

「ま さ か。―――零華がそんな生易しい事で、この私とこうを使うと思っていたの。貴女」

 穏やかな中にも露骨なまでな侮蔑を含めた声で、最後は語尾を上げて若葉に吐きつけたのだ。そうして、両手を後ろに回して引き抜いた二本の青竜刀を胸元で交差させて構えたこの、ツインテールの小柄な女は、鶴嘴黄緑つるはしきみどり。涼風松葉の四肢をぶった斬って、その後さらにしばらく精神的に追い込んだ女。刹那、銀色の閃光が上下に走ったときに、若葉の制服の上着とプリーツとを斜めに裂いて、張りのある胸元と太腿の肌に赤い線を引いていった。そして、有無を云わさずの黄緑からの蹴りを顔に喰らって、横に倒れ込んだ。切れた口内から流れ落ちてゆく赤い滴を手の甲で拭いながら、立ち上がった若葉は黄緑を睨みつけてひと言。

「な、なにをするの。私は、今までも、これからも零華たちの貴女たちの為に動いていたじゃない……!―――そう、この“生き物”の力を私にくれたのも、今後のためでしょ? 麻実を裏切った以上、もう後には戻れないんだよ……!」

「そんなこと、知ったこっちゃない」

 訴えを切り捨てるなりに、黄緑が躰を捻って、踵を振り上げた。若葉は聞き手でない腕で反射的に顔を庇ったものの、力が入らず、壁に叩きつけられて躓いて、さらに追い討ちをかけてくるような蹴りを背中に受けて、腹をコンクリートに打ちつけてしまう。一瞬の呼吸困難を起こして、咳き込んだ。こみ上げてきた物を、明灰色の地面に赤黒い粘性のある塊を吐き出したのちに、歯を食いしばって起きあがりざまに黄緑へとめがけて手裏剣を投げつけた。瞬間、黄緑の横で高い金属音を鳴らして武器は弾かれてしまい、塞がりかけていた傷口を踵で突き飛ばされたうえに足を払われて尻餅を突く。それでも素早く身を起こして片膝を突いて後ろに手を回したときに、若葉のその細い咽もとへと冷たくて薄い刃先が当てられて、動きを止めてしまった。そして、青竜刀の切っ先で顎を持ち上げた黄緑が、ひとつ静かに投げつけいく。

「間抜けなリーベン|(日本人)だこと。貴女、本当に城麻実のもとで働いていたの?―――まあ、いいや。どーせ貴女は“とっくの昔”に用済みだったし。お別れだね」

 とっくの昔。とは、麻実に襲撃をした際に零華たちに手配をしていて、その上、いったんは倒された翔子や隼美などそして現在は八畳間で眠っている蝦蟇口温子の“焼死体”を横流ししたことであった。この言葉を噛みしめながら、若葉が拳を握っていき、そして次は弾けるように離脱して身構えてゆく。

 拳を腰に添えて突き出した掌でゆっくりと円弧を描いていき、斜め上へと腕を掲げたすぐに、その拳と入れ替えるようにして型を決めた。すると、額を突き破って二つの触角が現れて、眼を赤々と染めたのちに下顎を縦に割いていき、雄叫びをあげながら四肢の先端を指先まで昆虫の脚のごとく変えて、若葉の変身は完了した。最後は、首の両脇の孔から赤い蒸気を噴き上げてゆき、それをマフラーがように巻きついていく。そして、コンクリートを抉ったと思われた直後、若葉は青空へと羽ばたいていった。これを見上げたのちに、黄緑が再び肩甲骨から羽根を伸ばしていき、垂直に飛んでいく。



 4


 同時刻。

 毒島邸。

 八畳間に集まっていた面々の中で、部屋じゅうで煌めく朱の光りと縁の下からくる気配とに感づいた零華が、皆に呼びかけてゆく。

「貴女たち、早くここから離れて!―――涼子と舞子さんは、直ちに温子を別室に運んでいってちょうだい」

 刹那。

 畳を突き破って、ワインレッドと藤紫色の影が飛び出した。軽やかに舞い降りてきた、強引なその侵入者たちとは。

 蓮華道縁れんげどうゆかり

 阿部満月あべみつき

 そして、城麻実じょうあさみ

 拳を高らかと突き上げたままゆかりが、赤いというか朱色に近い長髪の女に顔を向けて切り出した。

「じゃあ、私の役目はここまでだから。あとは任せたわよ」

「いつも力仕事おおきにな」

 こう、愛らしく微笑み向けて縁を送り出した満月は、周りで身構えている女たちに目を配ってゆく。

「文句無しのシチュエーションね」

 ひと言呟いて、いったん胸元で交差させたのちに力強く両腕を広げていったその白い指先から、極めて細くかつ太陽光を反射して朱色に輝く“糸のような物”が飛び出してゆくと、それらは、零華と煉の片腕に巻きついていった。標的を捕らえたのを確認した満月が、拳を握っていき、両脇を閉じていく。血管が透き通って見えるかと思われるほどに、白く木目の細かい肌に整った造形の顔と、対照的に眩いばかりに輝いて見える朱のような赤い頭髪を持つこの女は、美しい故の妖しさか妖しさ故の美しさを周りに与えながら、この特徴を備えていながらも、年端のいかない幼女が最高の悪戯を企てたときに思わず浮かべてしまった愛くるしい笑顔を見せていき、警告をしていく。

「妙な考えと行動は控えた方がよろしくってよ、お二方。あと、そこの結美さんも、あるじを助けようなんてしない事ね。―――なにせ、零華さんと煉さんの利き腕の他にも首と腰とお膝に、私の髪の毛を巻きつけているから、いつでもお二方を輪切りに出来てよ。―――お解りかしら」

 このあと続いた数秒間の沈黙を断ち切るかのように、結美が満月の鼻先にへとその“針”を突きつけて弓の弦をいっぱい一杯に引いていった。その女の眼差しは、まさに目の前の獲物を射抜くかのごとき鋭さを見せていたのだ。この時に、煉から「よしなさい結美」と声が飛んできた。

「魔女め……!―――だったらじゃあ、今このように私から突きつけられた場合、両手の塞がっている貴女はいったいどう解決するおつもりかしら……? 今の私は、いつでもその首を吹き飛ばす事が出来るのよ」

 片方の眉を器用に上げてみせた満月は、次の言葉の通りに爪先を結美の下腹部に真っ直ぐと射し込んだ。激痛に躰を折って下げた頭を狙って、足の裏を叩きつけられてしまい、縁側から吐き出されていった。

「ごめーん。脚を出しちゃった」

「あ、相変わらずですわ」

 部屋のすみから放たれた透明感のある声に、満月が顔を向けると、日本人形のごとく美しさを備えた女が焦げ茶色の制服を着ていた。

「おやおや。これは意図も簡単に敵の手に堕ちた百合子さんではなくて?―――なぁに、心配ご無用よ。貴女にもちゃんと髪の毛が巻きついているから。…………このように」

「え……? ちょ、ちょっと」

 待ったなしで人差し指を内側に曲げたその瞬間に、口縄龍くちなわりょうの傍らで鮮血を散らしていきながら、黒髪の少女が輪切りにされた。宙で数回転してから、重い音を立てて畳に落ちたそれは、頭。

「珠江!!」

 悲鳴混じりに女の名を叫んだりょうの頬から顎にかけて、赤い滴が細かく飛び散って付着していた。その様子を見ながらも、当の満月はというと、至って冷静にしかも笑みを含めた声で語りかけてゆく。

「あらあら、百合子さんに巻きつけたつもりが、珠江さんだったなんて」

「なにをしているの龍! 早くその頭と躰を持って行ってくっつけなさい! あとから私が何とかするから、早く!!」

 放心気味の龍が珠江の頭を抱えようとしていたところ、零華の一喝を受けて我に返るなりに、櫛田美姫の手伝いによって邸宅から飛び出した。そうして、毒島邸の八畳間に残った者たちとは、零華に始まり、八爪目煉と中村百合子。あとは、別室では天照舞子と鱶涼子ふかりょうこ、庭で身を起こしてゆく三日月結美。で、ここにきて漸く、麻実は口を開いていった。もちろん、縁無し眼鏡を指先で正しながら。

「見事な“糸”の張り具合だな。が、しかし……。まだまだ張り始めたばかりだ。私の準備していた時期からすれば、実に小さい物だよ。―――そうだな。『蜘蛛の巣』を張るには、お前たちは遅過ぎた」

「へぇ……。じゃあ、若葉の裏切りも予測の内なんだ?」

「当然。だいいち、あの子は煉を好いていたからね。私にとっては痛くも痒くもない」

 零華の問いに答えたのちに、麻実は力強く云い放った。

「部下を“細工”していたのはお前たちだけだとでも思っていたのか?―――私たちも同じ事をしていたのさ」



 5


 この麻実のひと言と重なるかのように、ワインレッドの制服を着た三角白眼の生徒が、屋上で黒髪を靡かせながら両腕を『十時四〇分』の型にして構えた。そして、右に旋回させていき手刀の両腕を斜め一直線にして、それらを平行にして空を切り型を決めた。そのとき、女の額を勢いよく突き破った二本の触角が現れて、それぞれが“おさげ”のように後方へと伸びて腰までに達し、三角白眼はそのままに青林檎を思わせるほどに瞳は変色して、下顎は縦に割け、残した四肢は肘と膝から先端にかけて甲虫の“それ”と成り、それらは銀色へと色づいて女の変身は終えたのだ。

 そう、この女が、麻実が唯一“生き物”を使って“細工”を施した者。

 名を、村雨瑠璃子むらさめるりこ

 聖ガブリエラ女学園高等部三年、十八歳。


 カミキリ虫の如くその姿を変えた村雨瑠璃子が、十字模様のある肘から外した外皮を指で広げて構える。それを見た嶽子は舌打ちして、己の羽根をむしり取るなりに振り払っていく。羽根手裏剣が連続で屋上の地に突き刺さっていくが、瑠璃子はこれらを風に舞う木の葉のように身を翻していき、貯水タンクの前に着地した途端に、嶽子へとめがけて腕を振るった。滞空している女に、薄く楕円形の物が回転しながら複数で襲ってくる。宙で身を捻ってかわしたものの、肩と太腿とに二つを喰らって苦痛に歪ませた嶽子だが、今度は両手で羽根をむしって投げつけてゆく。羽根手裏剣が空を切って走り、標的を定めて飛んできた刹那に、それらは瑠璃子の放った外骨格手裏剣で弾かれて火花を散らした。

 そして、屋上を蹴って跳躍した瑠璃子の投げつけた武器と同時に、嶽子の羽根が弾いてゆく。続いて隙を与えんと己の羽根を投擲するも、宙で一回転スピンをした瑠璃子から放たれた手裏剣により甲高い音を鳴らして不発となった。隣りのビル屋上に着地してすぐに貯水タンクの台へと飛び移ると、自身の両肘を掴んだ瑠璃子が、その手を突き出して外骨格手裏剣を投げつけた。嶽子も、あの女に負けてなるものかと両腕の翼から引き抜いて、武器を放つ。そして、金属音を複数鳴らして打ち合い、火花を散らす。それから二人はしつこいくらいに互いの躰の一部を手裏剣として投げ合い続けていたそのとき、瑠璃子がその膠着を断ち切るかのように肩甲骨から羽根を広げて飛び出してきながら、手を休めることなく己の武器を投げつけてきた。これには一瞬たじろいだ嶽子だったが、なにくそと歯を剥いて反撃に出ていく。真正面から向かっていく瑠璃子と、それを迎え撃つかのように滞空したままの嶽子。この二人が絶え間なく己の武器を撃ち合い続けていたなかで、間合いはしだいに詰められてゆき、それはやがて数メートルとまで急接近した瞬間、嶽子が身を横に退かせたのを逃す

ものかとエリア内に入り込んだ瑠璃子は、白い羽毛に覆われたその細い首を狙って拳を振り下ろした。

 刹那、それは忽ち赤い線を引いたかと思ったら、切り口を広げて鮮やかな朱の液を噴き上げてゆく。嶽子の頸動脈を瞬時に切断した瑠璃子の銀色に輝くその腕には、手首から肘にかけて、ナイフの切っ先のようなとげが一列並んでいたのだ。首もとから感じた痛みに、思わず鈎爪の手で押さえてしまった嶽子に、さらなる攻撃が迫ってくる。胸元、腕、頬、額、と次々に刺で赤い線を引かれてゆき、次は腹から鳩尾に鼻へとかけて拳を撃ち込まれていったあとに、嶽子の眼に写る醜く歪んでゆく景色の中で、瑠璃子が宙で前転をした。と、嶽子が突如として後頭部から発生した雷を感じた次の瞬間、女の口から三日月が生えてきて、小さな痙攣を起こしていったのちにギョロッと白眼へと反転させて、四肢から完全に力を失ってしまった。相手が息を切らしたのを確認した瑠璃子は、女の後ろ頭から踵の歪曲した刺を引き抜いて、付着した血を振り払うなりに体内へと“しまい込んだ”のだ。そうして、ひと息をつかせたところ。

「“生き物”の力を手にして、エラい楽しそうだね。瑠璃ちゃん」

 そう別の建物の屋上から、ハスキーな声で話しかけられた。



 6


 瑠璃子を見上げている、この前下がりボブの女子生徒は、砲実虎子つつみとらこ。聖ガブリエラ女学園高等部三年、十八歳。犬神はつきの率いる十人のメンバーのひとり。愛用の、赤茶けた指貫の革手袋をしている。幼少の頃からの仲だった村雨瑠璃子は、当然のように安堵する。

「虎ちゃん、無事だった」

「ああ、ウチは大丈夫。―――それよりも。そんな姿になっても、相変わらずの別嬪さんよね」

「おおきに」

 礼を述べた瑠璃子が、互いを労いあうほど悠長ではない空気を感じとり、この後に続くはずだった言葉を呑み込んでいく。それを知ってか知らずか、それともあえて探りを入れずに、虎子は極めて穏やかにその特徴的なハスキーヴォイスで語りを続けていった。

「ウチ、瑠璃子が好き。けれどね、ずっとずっと憧れてた人がいたんだ。貴女は、樹梨さん。―――そして、ウチは。ウチは……。ウチは……」

 両拳を握りしめていき。

 力を抜いた。

「ウチは、零華さんをひと目見た時から」

「そう……。お互い、もう後には退けない場所にまで行っていたんだね」

「ああ。―――だからもう、貴女と話すのはこれで最後ということになるから。……瑠璃子、いままで楽しかったで」

「あら。お別れを云うには、少しばかり早いとちがうの」

「なぁーに、生きているうちに云っておきたかっただけじゃない」

 こう締めた直後。

 虎子の犬歯は発達をしていき、黒眼は縦に細くなり、口は耳元まで裂けていくと、その耳が上へと移動して二本の角のような獣のそれと成り、肘膝から四肢の末端へとかけて黄金の体毛を生やしたのちに爪を鋭く成して、そして最後は、腰からは背骨に添って延髄まで肉を盛り上げていきながら大きな穴をあけた巨大な筒を現した。そう、それはまるで。

 大砲を背負った虎の如く。

 そのように姿を変えた虎子が、両拳を腰に添えて踏ん張る構えをとるなりに、背中の“大砲”の口を瑠璃子へと見せた。刹那、爆音をあげて宙で赤黒い煙りを巻き起こしたのだ。このとき、虎子の立つ屋上から直径数百メートルにわたってあらゆる建物のガラスが揺れていった。砲弾が発射されたときに、瑠璃子は当たる直前でその身をかわして、虎子へと立ち向かっていく。次々と“大砲”から撃たれてくる砲弾を避けていきながら、風を切って屋上を目指してゆくそれは、急降下しているようにも思えた。そうして遂には、完全に羽根を肩甲骨にしまい込んだ瑠璃子が間合いに突入をして、虎子の胸元をめがけて肩を当てた。当て身の勢いで二人は吹き飛んでいき、鉄柵を窪ませるほどに衝突。落下して転がり、離脱。同時に地を蹴って間合いを詰めたそのとき、二人の拳と肘と膝と足とが唸りをあげて空を切り、躰に痣を刻んでゆく。

 腹に一撃を叩き込み、次はその首を撥ね飛ばさんと爪を振り上げたとき、虎子の拳は弾かれて、かわりに瑠璃子が振り下ろしてきた触角を首に巻きつけられてしまい、下腹部に踵を喰らった直後。地面から足を離されて、貯水タンクの台に背中を叩きつけられていった。鉄筋入りのコンクリート台が抉れるほどに数回叩きつけられたのちに、放り投げられて、地面に落下。吐血をしながらも食いしばって起き上がっていったその前方で、瑠璃子が長い黒髪と触角とを風に靡かせて身構えていた。意を決した瞬間、虎子をめがけて真っ直ぐと駆け出してゆく。その意を汲み取り、瑠璃子を真正面から迎え撃つ体勢をとる。地を蹴って跳んだところを狙って、砲弾を放った。が、しかし、それは虚しくも残像を貫いたのみで、遠くで爆発するだけである。

 そうして、覚悟を決めた。

 虎子の喉を、瑠璃子の足が貫く。

 頸をへし折る感触が伝わってきた。

 鉄柵へと叩きつけられて落下。

 転がって仰向けになる。

 息を切らした幼馴染みのもとに歩み寄ってきた瑠璃子が、その顔を見つめていく。するとその姿は、元の砲実虎子に戻っていたのだ。暫くその骸を見ていたのちに瞼を閉じて、下唇を噛みしめて、拳を力強く握りしめていき、数秒にわたって闇の中に入り込んだ。そして現実の景色を視界に入れた直後に、肩甲骨から羽根を伸ばして、爆発を起こしたかのように地を蹴って飛んでいった。



 7


 ほぼ同時刻。

 一方こちらは、阿門亥夜と瀬川奏子のいる建物内部。ここでは先ほど、亥夜の体当たりによって階を支えていた柱をへし折られて、その流れの中で屋上は陥没を起こしていき貯水タンクまでも巻き込んで破壊されたのだ。それからはその勢いで、中身を浸していたタンクは巨大なる鉄球と変わり、容積重量と落下運動とに任せて次々と階に穴を空けてゆき、そのきっかけを起こした二人も解らぬくらいに一階フロア近くギリギリの所まで落ちてようやく止まった。

 それよりも『必要以上に風通しの良くなった』屋上に近い階では、大きな空洞の周りには、いびつに“ひん曲がった”鉄筋が破壊されたコンクリの断面からむき出しており、砕け散った硝子や事務用機器などが瓦礫に混ざって端々に積もったかっこうとなり、いまだに舞い上がっている埃は濁った明灰色の煙りとなって、中身をごっそりと抉られた建物を覆い隠していた。この姿をたとえるならば、青空を背景に堂々とそびえ立つ、不吉な入道雲といったところか。当然、このようになっていては、中の様子がうかがえない。しかし、動きが“なにもない”わけではなかった。

 その屋上に近い階の隅では、瓦礫の山を押しのけて、白銀の短髪と羽根を持った女が躰を伸ばして立ち上がってゆく。体当たりでフロアを崩壊させたさいに額を切ったようで、そこからだけでなく、上腕や太腿などから赤い滴りをつくり、白いシャツに朱の染みを広がらせていた。それなりのダメージは負っていても、“生き物”の力を得た阿門亥夜には『少しの時間が経てばどうにでも成る』程度である。そして、その女の足許では、額と肩から血を流して赤い溜まりを瓦礫と床に広げて仰向けに倒れている、瀬川奏子の姿があった。の、割りには、奏子のアイデンティティと云っても良い、黒いカチューシャが頭にしっかりと着いていたのだ。躰の一部とも断言できる。それはさて置き、わずかひとつ下の十七歳ながらも、未だ年端もいかないくらいな“あどけなさ”を感じさせる奏子を見下ろしていた亥夜は、胸の奥底からふつふつと沸き起こってくるあらぬ感情に押されてしまい、その破れている襟元へと鈎爪の手を伸ばしていったときだった。

「生きていたりして」

 瞼を開いて。

 瑞々しい口もとが、こう吐き出した。

 亥夜が思わず鈎爪を止めたのを奏子は逃さず、膝の裏を蹴って体勢を崩させて、下腹部に踵を突き刺した。途端に亥夜は、後ろから糸で強引に引っ張られていくかのように躰を折って吹き飛んでいき、一階下のフロアの角の壁へと叩きつけられてずり落ちてゆく。このとき、瓦礫を背中に受けた以上の重量と打撃とを、下腹部に喰らった。内臓を太い稲妻から貫かれていく感覚におそわれてゆき、火傷したかと思ったほどの痛みと真逆の寒気が押し上げてきた直後に、朝食の分と粘性の高い血塊とが混じったものを吐き出した。そのあとに、数回咳き込んだ。

 なんという女なのかと、たった一撃を喰らっただけでこの異常な重さに亥夜は驚愕していた。奏子の『お嬢様な外見』からは全く判断がつかなかった、この力。怪力といって良いものか。やがて呼吸を整えていった亥夜が、腹を決めたのか、上着とシャツとのボタンを外していき、B以上C未満の胸元をさらけ出したのだ。どうやら、暑いから開けたのではないらしい。すると、胃のあたりから胸を経て喉へと“丸い何か”が幾つかあがってゆくのを見せたのちに、唇を尖らかせて、吐き出していった。それらは連射とともに奏子をめがけて飛んできて、女がとっさに身を避けた壁にめり込んだ。この亥夜の吐き出した“弾丸”を直感で危険と察した奏子が、足許に『散らかっていた』大きめな瓦礫の破片を、まるで畳んだ段ボール箱を“ひょいと”持ち上げるかのように手にして構えたときに、再びその“弾丸”に襲われていき後ろの壁に叩きつけられた。踏ん張って片膝を突くなりに、その大きめな破片を軽々しく亥夜に投げつけて、その場から跳んだ。ブーメランのように飛んできた鉄筋むき出しの瓦礫から身をひねってかわした亥夜が、みたび胸を張って、込み上げてきた“弾丸”

を連射してゆく。

 逃げ場のない真正面からのぶつかり合いで、まだ余裕の見られるのは、亥夜だ。宙から斜めに真っ直ぐと突進してくる奏子に対して、身をかわしたり退いたり避けられるなどの動作的な余裕といった意味である。しかし、亥夜はこの特攻を正面から迎え撃ってでた。このままだと、普通は流れ的に“弾丸”によって奏子は蜂の巣になるところを、小振りな拳のひと振りで全てを弾き返したのだ。全てというのは大げさだったが、全弾のうち二つ三つを殴りつけた途端に、“弾丸”どうしで乱反射してゆき、吐き出した主のもとへと返ってくる。これらから跳躍して避けたところに、奏子の顔が急接近してきた。そりゃないぜと心で呟いた亥夜は、奏子のタックルを受けて、壁を破壊して突き落とされていく。建物から飛び出た瞬間に縁を掴んで、よじ登ると埃まみれの床に寝転がった奏子。この一連の動作を――ロック・クライミングを――至極当然の動きの流れのごとくして、建物内部に戻ったというには、やはり並外れた腕力を有しているためか。

 そうして、片膝を伸ばしていこうかとしたそんな奏子の目の前に、突き落としたはずの亥夜が両腕の翼を広げて滞空していた。

「いやぁー、びびったびびった。今のは流石にじぶんが飛べることを忘れちゃったよ。―――全く、凄い可愛い顔してんのに、エラい怪力ちゃんでまいったね」

「えへへ……」

「……なに照れてんのさ」―畜生。超カワイイ……!!――

 亥夜放った言葉自体が誉めたものなのかそうでないのか、真相は不明だが、この奏子の照れ笑いようは本気で恥ずかしがっている。そして、口の端を一瞬だけつり上げたのちに、亥夜は再び腹から“弾丸”を込み上げさせていき、今度は至近距離からの発射を狙っていく。

 すると。

「貴女たちって、頭を潰すか全身を焼くかすれば『お終い』なんでしょ」

「……え……?」―ちょ、ちょっとマジ!? そんな可愛い顔で話しかけながら、瓦礫を豆腐をむしるみたいにしないでよ。――

 そう。驚愕をしながらもこう心で述べてゆく亥夜の通りに、奏子は、鉄筋コンクリートで形成された瓦礫の中から、まるで爪楊枝が刺さっている豆腐かゼリーかをその食べたい部分のみを“むしり取る”感覚で、長く突き出ていた鉄筋を掴みながら片手で引き抜いたのだ。もちろん、その先端には灰色の重くて固い塊が、ステック菓子の頭にたっぷりとチョコクリームを巻きつけているかのようにあった。次は、これまた片手で振り上げてゆく。このような奏子を見ていた亥夜は、喉に“弾丸”を残したまま思わず漏らした。

「ちょっと、待った……!」

「待たない」

 非情な断りを突きつけた直後に、奏子がその塊を放り投げた瞬間だった。本当にそのむしり取った瓦礫を片腕で投擲したと思ったときには、亥夜の頭はパッと赤い花を咲かせて、躰は突然と糸を切られたようなかたちで急降下してゆき、歩道で二つ目の赤を開花させたのだ。その様子を見下ろしていた奏子は、口元に少し笑みを浮かべて呟いていく。

「一番最初の体当たりまでは、良かったですよ。阿門先輩」



 8


 一方こちらの歌子はというと。

 古代三葉の徒手空拳を避け――時には喰らい――ながらも、妹の無事を遠目で確認するなりに、とんぼ返りをして間合いをとった。

 この様子に、三葉は口元を歪めた。

「あら? 急に(動きの)切れが良くなったじゃない」

「まぁねん」

「可愛い妹さんが心配でならなかったとか」

「ま、まぁね」

「じゃあ、無事と分かったなら、今度はアタシとガチンコやってくれるんでしょ」

「ええ、もちろんよ。―――だから、思いっ切りこの胸に飛び込んでおいで」

「あはは……! スッゲー嬉しい。―――あんた、マジで抱きつきたい女だよ」

 両腕を広げて構えている歌子を目の前に、三葉は恍惚とした顔を浮かべながら両手を脚の間に滑らせたのちに拳を胸元でクロスして、意識を高めていく。

「そして、その喉に噛みつきたい……」

 両肩に装甲を現せたと思ったら、それは蛇腹のように両手首まで伸びてゆき指先まで細分化して覆った。犬歯を発達させた次に、赤い線が真横に走る緑色の眼へと反転させて、肩まであった頭髪は鎧の前垂れのように連なった甲羅をまとい、それは真ん中左右と重なっておりとある太古の生物を連想させた。


 三葉虫。


 最後は額から長い触覚を出現させて、古代三葉の変身は完了した。

「ふふ。アンタ莫迦だよ。今まで切り刻む隙があったのにさ」

「いいや。ただ、“麻実の部下”だった貴女の最期の姿を目に焼き付けておこうかとしていただけだから」

「そこまで知ってたんだ」

 こう語りかけながら、上腕から外皮の一部を剥がして上段に構えてから、数枚重なっていたのを指で広げた。この投げかけを黙って受け止めていた歌子が、静かに返していく。

「歌子お姉さんは、なぁーんでも知っていてよ」

「そりゃ大したもんだ」

 云いきらないうちに、外皮の手裏剣を投げつけた。それらから身を捻って地に伏せたのちに駆けだしてゆき、歌子は貯水タンクの裏へと回り込んだかと思えば、すぐに表へと姿をみせて手元の長い物を構えてゆく。先ほどは、敵前逃亡のうえに背中を向けるとは如何なものかと怪訝になったものの、三葉はそんな女の所持するものに目をやるなりに忽ちニヤリとしだした。

「そんな代物で、アタシを斬れるとでも思ってんのかい」

「心配御無用。―――奏子は怪力、響子は瞬発力。そして、アタシはオールマイティー。―――だ か ら、心配御無用」

「……ムカつく……」歯軋り。

 そう吐きつける三葉の気持ちも解らないでもなく、歌子の手にしている物は鉄パイプだったからである。これ一本で構えたまま、自信たっぷりに心配御無用ときた。この三葉みつばのひと言が漏れたと同時に、外皮手裏剣が放たれていく。だが、歌子はこれらを物の見事に“即席の武器”で払いのけていったではないか。その技に舌打ちしながらも、三葉が第二陣の手裏剣を投げつけていった。休むことなく飛んでくる物を、舐めるようにして打ち払っていった歌子は、あっという間にエリアの中へと踏み入れるなりに、下から鉄パイプを振り上げた。スナップの効いた一撃に、三葉がその先端部から顎を突き上げられてしまい、バランスを崩した。顎から脳天といった至近距離を、一本の太い稲妻によって貫かれていき、意識は飛びかけて、足元はよたついてゆく。そして、間髪入れずに今度は脳天めがけて鉄パイプを振り下ろされた。たちまち脳内と眼球のレンズとに弾けてゆくプラズマを視る。

 だが、そのような条件下ながらも、歌子の腕を掴み取った。次は鉄パイプを握りしめて、両腕を封じたも同然を勝ち取る。そう、あとは、その細くて白い首筋を噛み砕けば歌子に勝つことができる。そして、焦点の定まらない眼に血走らせながら、三葉は牙を剥いていった。透明な極細の糸をいくつも垂らしていきつつ、僅かに盛り上がった頸動脈へと近づいていき、あと少しというところまで迫ったときだった。


 突然と、視界が横にぶれた。

 開けた顎から駆け巡っていく激痛に、たちまち意識を取り戻した三葉。同時に治った視点で歌子を睨みつけて、再び牙を剥いていくも、その刹那、お次は反対側から肘で顔の横を殴打されて手元を離してしまい、吹き飛ぶように横転した。辛うじて受け身を取れたものの、額をコンクリで切った。咳き込みながらも起き上がっていき、構える。顎を集中的に三連撃を受けた為か、その内部のダメージは、まわりの風景をプールに入ってから見ているような感覚におそわれるほどに、闘っている相手の顔まで揺らいできたのだ。

 ―畜生! 一撃も喰らわせられないなんて。…………いや。意地でもその首筋に食らいついて、アンタの血を飲んでやる!!――

 地を蹴って駈けていき、外皮手裏剣を両手もろてで投げつけてきた三葉に対して、なんと歌子は真正面から立ち向かっていく。一斉に発射されていくミサイルのごとく飛んでくるたくさんの武器を、鉄パイプで器用に弾きながら、間合いに飛び込んだ瞬間。銀色の落雷を三葉に叩き込んだ。先端部がコンクリの地を打ったとき、三葉の躰を一本の黒い線が頭から下腹部まで一直線に引かれたと思われた次に、左右へと開いた。付着した体液などを振り払って、鉄パイプを屋上の鉄柵に立てかけたのちに、歌子は合掌してゆく。そして、未だに小さく痙攣をみせている三葉の躰へと、チャッカマンとラッカースプレーとを向けて噴きつけていった。


 燃え尽きてゆく嘗ての同級生のむくろを見つめていた女の背中に、声をかけられて、その方へと振り向いた。

「勝美。生きてたのね」

「よっぽど運が良かったのかしら。あの“針”以外は誰も襲って来なかったもの」

 そう、黒部勝美が歌子にへと歯を見せて答えたのちに、実はあとひとりと合流したんだ、と目許を緩ませて付け加えた。そして、その『あとひとり』が出入り口の影から出てくる。

「姉さん」

「奏子ぉ〜〜」

 目尻を下げながら、妹の手を取った。

 命ある段階で、ささやかな祝福をしたかったに違いない。だが、その空気は、もうひとり現れた事によって忽ち緊張を生んでいったのだ。それは、三人のいるマンションから近くの民家の屋根からひとっ飛びで屋上へと着地した者が、突いていた片膝を伸ばしていき、このように声をかけたから。

「なるほど、全員無事だったか」

 田中香津美、登場。




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