第六話『戦う理由』
東京都千代田区・霞が関。
各中央省庁の庁舎が所在するこの町に、拝揖院本部も存在する。
見た目は何の変哲もないビル。
しかし、常時結果に覆われているため霊能者以外の人間には見えない。
霞が関で働いているほとんどの人間がそこにビルが建っていることすら認識していない。
拝揖院という組織の存在を知るのは、霊能者以外には政府上層部の一部の人間のみ。
拝揖院は元々は拝み屋稼業を行う者たちによる互助組織でしかなかったが、次第に巨大化し、明治維新後に新政府により国家の機関として取り込まれ今に至る。
表舞台に出ることこそないが"霊的国防"の要として、毎年莫大な予算を割り当てられ活動を行っている。
そんな組織の本部の四階に天平と純礼はいた。
「全然人いないね」
高級感の溢れるカーペットの敷かれた廊下を歩きつつきょろきょろとしながら天平が言う。
ビルに入ってから一階ロビーの受付の女性と、エレベーターで入り違いになった男性の二人以外にはまったく人を見ていない。
今いる四階フロアに至っては人の気配すらまったく感じないのだ。
「四階は禍対のフロアってことになってるけど、ほとんどの人員が常時23区内に散らばってる状態だからね。各隊には管轄内に事務所があるし」
「第二部隊にも?」
「あるわ。新宿にね。いずれ行くこともあるでしょ」
天平の問いに答えつつ、迷いのない足取りで純礼は廊下を進んで行く。
「でもこれから会う人は大体ここにいるわ」
そう言って扉の前で立ち止まる。
ドアプレートには医務室と書かれている。
「失礼します」
純礼はドアをノックし、返事を待たず扉を開けて入る。
天平も続いて入室し、部屋を見渡す。
内部は高校の保健室と変わりない。
机とソファにカーテンの備え付けられたベッドが三つ。
「村崎さん」
純礼が名を呼ぶと、扉から見て一番奥にあるベッドのカーテンが開き、男が出てくる。
スーツの上に白衣を着た、長身痩躯の男だ。
「早蕨か」
「また勤務中に寝てたんですか」
「俺の勤務時間は怪我人がいる時だけ。それ以外は休憩時間だ」
「それ、局長の前でも言えるんですか?」
「言えるわけないだろ。ふざけてるのか?」
「こっちの台詞ですけど……」
純礼はため息を付いて、天平の方へ振り向く。
「この人は、村崎 透流さん。禍対の医務官よ。昨日、貴方の傷を治してくれたのはこの人」
「その節はどうもっ」
純礼の説明を聞いて、天平は慌てて頭を下げる。
「誰かと思えば。昨日の今日でまた怪我したのか?」
「右腕を火傷して……」
天平が右腕を差し出す。
それは赤く焼け爛れている。
「腕はそのままで、ソファに座ってくれ」
天平は言われた通り、右腕を伸ばしたままでソファに座る。
その前に村崎が立ち、焼け爛れた天平の右腕に右手をかざす。
「分かってると思うが、憑霊術を使って傷を治す。少しショッキングな光景かもしれないが、痛みはないから我慢しろ」
「えっ? はい……」
村崎の警告に、一体なにをされるのかと不安になる天平。
そんな天平をよそに、村崎が憑霊術を発動する。
「"蠁子図"」
憑霊術が発動された瞬間、天平の右腕に大量の蛆虫が発生した。
「うええええええええええええっ!?」
それを見た天平は絶叫。
反射的に腕を振り上げようとするが、
「落ち着け」
村崎に阻止される。
「こいつらが傷を治してくれるんだ」
「へぇっ!?」
あからさまに顔をしかめながら、火傷を負った腕の上を這う蛆虫を見る天平。
今すぐに振り払いたい衝動に駆られるが、村崎に手首をがっしりと掴まれ動かせない。
「マゴットセラピーと云う治療法がある。無菌状態で繁殖させた蛆を患部に放ち、壊死した組織を食べさせる。さらにその際に分泌する液で肉芽組織の形成を促進する。それによって難治性の創傷も治すことができるんだ」
丁寧な説明をする村崎だが、天平はまったく聞いていない。
「俺の憑霊術はそのマゴットセラピーを行うわけだが、物理的なそれとはスピードも精度も段違いだ。この程度の火傷などすぐ治る」
村崎が言い終わるのと同時に、治癒が完了。
蛆虫は消え去り、天平の右腕は火傷を負う前の状態に、完璧に戻った。
「すご……」
天平が腕をさすりながら感嘆の声を漏らす。
焼け爛れた皮膚は綺麗に治り跡すらまったく残っていない。
「終了だ。傷を負ったらまた来るといい」
「ありがとうございました!」
礼を言う天平に軽く右手を挙げ、村崎は再びベッドに戻って行った。
「だから勤務中に寝たら駄目ですって……」
☆
医務室を後にした二人はそのまま拝揖院本部からも出て桜田通りを歩く。
「考え直すなら今よ」
「え?」
「禍対に入るかどうか。この仕事の危険性、じゅうぶん分かったでしょ。入るなら今後ずっと今日みたいな戦いをしなきゃならない。怪我するだけならともかく、最悪死ぬことだってあるわ」
純礼の言葉を天平は黙って聞く。
「確かに貴方には高い素質があると思うけど、危険性は変わらないわ。そもそも貴方にこの仕事をやる理由はないでしょ? 昨日だって場の空気に流されただけじゃないの?」
「まぁ、確かにそうかもね」
天平は苦笑して、純礼の言葉を肯定する。
「確かに昨日はあんまり深く考えないで言ってたよ。なんだか現実感なくてふわふわしてたし。でも今日、実際に禍霊と戦ってみて、逆にこの仕事をやっていきたいと思ったよ」
「どうして?」
「う〜ん。なんというか実感しちゃったというか」
「実感?」
「うん。禍霊って化物がいて、自分にはそれを祓う力があるってことを知って実感しちゃったんだ。だから例えばこの先、普通の生活に戻ったとしてさ、今自分がこうしてる間にも、どこかで誰かが禍霊に襲われてるかもって考えちゃうよね」
天平の言葉を、今度は純礼が黙って聞いている。
「俺にはそれを祓う力があるのにさ。それを使わずに知らない顔して生きていくのって嫌というか、普通に無理だなって。だから俺、禍対に入るよ。自分の意志で、今はっきりと決めた」
「……貴方って、お人好しなのね」
「ええ?」
「だってそうでしょ。知らない顔して生きていける人、決して少なくないと思うけど」
「そうかな。そういう純礼ちゃんはなんで戦ってるの? 寄処禍の家系だから?」
「それもあるわね。でももっと大きな理由があるわ」
「大きな理由?」
「……そうね。貴方には教えてあげる。ついてきて」
純礼はそう言うと踵を返し、先程までとは別の方向へ歩き出す。
天平は戸惑いながらも、黙ってついて行く。
「病院?」
十五分程歩いて辿り着いたのは、大きな総合病院。
「ここは祝由病院といって拝揖院が経営しているの。とはいっても職員も患者もほとんどは一般の人よ」
「へぇ~」
受付を済ませ、エレベーターで地下に降りる。
「地下?」
「地下には拝揖院関係者の特別病棟があるの」
エレベーターを降りて、長い廊下を歩く。
そして目的の部屋にたどり着く。
そこにはベッドで眠る女性がいた。
全身の皮膚が爛れており、腕に駆血帯を巻かれ、翼状針を刺され血を抜き取られている。
「私の母よ」
純礼がベッドで眠る女性を見て言う。
「五年前からずっとこの状態」
「ご病気なの?」
天平の言葉に、純礼は首を振る。
「体内でね、血が生成されてるの。禍霊の血が」
「禍霊の血?」
「禍霊の血は当然、人間の身体に適合しない。言うなれば、体内で毒を生成してるような状態よ。だからずっと昏睡状態で、こうやって常に血を抜いていないといけない」
「どうしてこんなことに?」
「五年前にある事件があってね。発見された時は既にこの状態だったらしいわ。状況から考えて、血を操る能力を持った寄処禍の仕業だろうって」
痛々しい純礼の母の姿を見て、天平は何も言えない。
「これが私の一番大きな戦う理由よ。母の症状が治らないということは、犯人はまだこの世に存在してる。寄処禍であれ禍霊であれ必ず見つけ出して、私がこの手で祓う」
「分かった」
「はい?」
「俺も手伝うよ。血を操る能力持った寄処禍を見つけたら捕まえとく」
天平の言葉に純礼は一瞬呆気にとられ、そして微かに微笑む。
「期待しないでおくわ」
「そこは期待しといてよ」
純礼は笑って目を細める。
そして右手を差し出した、
「ん?」
「こんな場所でなんだけど、改めてよろしく。天平くん」
「こちらこそ、よろしく。純礼ちゃん」
天平も右手を差し出し、二人は力強く握手を交わした。