第十七話『悪神』
上空へと打ち上げられた純礼に、悍埆が猛スピードで迫る。
「くっ!」
純礼は花びらのドリルを突き出し迎撃するが、ひらりとかわされ蹴り飛ばされる。
「ぐっ! あっ……!」
そのまま地面に激突し打ち伏せる純礼に、悍埆から巨大な岩石が放たれたる。
しかしそれを大量の花びらの刃が覆い、四方八方から切り刻み斬砕する。
「ふん!」
それを見た悍埆は鼻を鳴らし、再び純礼へと迫るが、飛来した稲妻に吹き飛ばされる。
「ぬぅぅ!?」
飛んできたのは夏鳴太。
天平たちと同じように上空へ打ち上げられていた彼は、自分の身体を稲妻のようにして飛んできたのだ。
悍埆は岩石の散弾を放つが、雷そのものとなっている夏鳴太には効かない。
「そろそろ時間切れや。いいかげん決めさせてもらうで」
そう言って大量の電撃を放出し、悍埆に体当たりをする。
「ぐおおおおおおおおっ!?」
なんとか押さえこもうとする悍埆だが、耐えきれずに吹き飛ばされる。
さらにそこに、何発もの落雷を撃ち込む。
「お、おのれ……」
「流石は癲恐禍霊ってとこやな。しぶといわ」
今の攻撃でも祓いきれないのを見て、夏鳴太がため息をつく。
「貴様らごときに使うことになるとは……」
悍埆は忌々しげに呟くと、左手で刀印を組み、顔の前にかざす。
それを見た三人の顔が青ざめる。
──禍祀禍終!? 禍霊も使えるのか!?
焦る天平。
しかし、悍埆の口から出たのは全く別の言葉だった。
「"逆垂加"──"悍埆鯰泳地謡"」
悍埆の身体が肥大する。
琥珀色の着物が裂け、手足は崩れ落ちてなくなり、完全な鯰へ。
空に浮かぶ巨大な鯰。
目は血走り、口からはだらだらとよだれが垂れている。
さらに腹部がぱっくりと裂け、中から無数の青白く細長い手が出てくる。
「さ、さかしでます……? なんだよこれ……。掛祀禍終じゃないのか……?」
おぞましい姿へと変貌した悍埆を見て天平が言う。
「言うなれば、禍霊版の掛祀禍終や。自分で自分を祀り上げて神に格上げすんねん。俺も見んのは初めてや」
「癲恐禍霊なら使える可能性を考慮しておくべきだったわ」
天平の疑問に夏鳴太が答える。
純礼は苦々しい顔で、変わり果てた悍埆を睨んでいる。
「神罰を下す……」
「なんやて?」
悍埆が重苦しい声で呟く。
垂加とは神道において、神の降臨と加護のこと。
それが逆さ。
それの意味するところはつまり、悪神の降臨と災禍である。
「うおおおおおおおっ!?」
突如、地面が大きく揺れる。
「地震!?」
立っていられないほどの揺れに、天平と純礼はしゃがみ込む。
一方、身体が雷と化している夏鳴太はその力で浮遊。
揺れの影響を受けずに済んでいる。
しかしそこに、悍埆の腹部から出ている手の一本が夏鳴太に迫る。
掴もうとしてくる手を避けるが、爪に引っかかれ、血を噴き出す。
「があっ!」
「え!?」
身体を雷に変えている夏鳴太が攻撃を受けたのを見た天平が驚く。
「今の夏鳴太は攻撃効かないはずじゃ……」
「神威。掛祀禍終及び逆垂加で顕現する擬神が放つ神の威光よ。簡単に言えば、自分と同じ神の領域にいる者以外の力を無効化するのよ」
純礼が説明を行う。
それを聞いた天平の顔が青ざめる。
「それってつまり、俺らに勝ち目ないってことじゃん……」
「そうなるわね……」
「どうするの?」
「涌井さんが救援を呼んでくれている筈だから、それまで時間を稼ぐしかないわ。夏鳴太くん!」
「分かっとる!」
純礼が叫ぶと、夏鳴太が二人のもとへ飛んでくる。
胸からは先ほどの攻撃による傷があり血が流れているが、動けないほどのダメージではないようだ。
「行けるとこまでお願い」
純礼の言葉に頷き、刀を口に咥え、天平と純礼の腕を掴む。
そしてそのまま、猛スピードで飛行。
雑木林を抜け住宅街を越え、練馬駅周辺の商業地区までやって来る。
「もう限界や」
夏鳴太が二人を降ろすと同時に、霳霞霹靂による身体の雷化が解ける。
「多少時間は稼げるやろ」
飛んできた方向を見ながら、夏鳴太が言う。
その方向にはうっすらと悍埆が見える。
ゆっくりとこちらに向かって来ているようだ。
「一旦、現世に逃げるのは駄目なの?」
天平が先ほどから考えていたことを言う。
禍霊には自分で現世に移動する手段がないと考えての発言だが、
「それは駄目よ」
純礼にきっぱりと否定された。
「そうなの?」
天平はガクッとうなだれる。
「禍霊は自分では現世に移動できないけど、時間が立てば自動的に転移されるわ。だからここに放置はできない」
「あんなんが現世で暴れたら大惨事や。何人死ぬか分からんで」
「え。でもそれなら時間稼ぎしてる余裕もないんじゃ……。こうしてる間に転移しちゃったら」
「そうならないように。私たちがここにいるのよ」
「どういうこと?」
「禍仕分手よ。あれで一緒に間世に移動した寄処禍と禍霊にも一時的に縁穢が結ばれるの。そして縁穢の結ばれた寄処禍が一人でも間世にいる限り、禍霊が現世に転移されることはないわ」
「俺たちがここにいる限り、あいつが転移されることはないってことか」
「逆に言えば、俺らが現世に戻ったらあいつも戻ってまうってことや」
「そういうこと。まぁ、一人でも残っていれば良いから、そんなに逃げたいなら私一人置いて逃げても良いけど」
「え? いやいやいや! そんなことするわけないじゃん! なあ夏鳴太!」
「俺はそもそも逃げようなんて言うてへんねん」
夏鳴太は呆れたように言うと、視線を悍埆のいる方へ戻す。
悍埆は相変わらずのゆっくりとしたスピードでこちらに向かってきている。
「とろいやっちゃな」
さっき見た時からほとんど変わっていない悍埆の位置を見て夏鳴太が言う。
「あれがここに辿りつく前に救援来そうだね」
同じように禍霊の位置を確認した天平が楽観的なことを言う。
しかしそんな甘い考えはすぐに覆される。
「どこに行った人間ども……。出てこおおおおおおい!」
地の底から響くような声が聞こえ、大地が大きく揺れる。
「うおおおおおおおおおおおっ!?」
立っていられないほどの揺れに三人は慌ててしゃがみ込む。
揺れはどんどん大きくなり、ついに周囲の建物が倒壊しだす。
「おいおいおい!」
立ち上がり避難しようとするが、揺れの中ではまともに歩けない。
「洒落になってへんぞ!」
「臈闌花!」
純礼が憑霊術を発動。
花びらを絨毯のように敷き詰め、それを浮遊させる。
「乗って!」
それに乗り、崩れ落ちてくる建物を避け脱出。
「そこにいたか……!」
浮遊したことで悍埆に見つかってしまった三人。
距離はまだあるが、複数の岩の砲弾を放ってくる。
「"明星・射光"」
「"霳霞霹靂"」
天平と夏鳴太が迎撃するが、神威により無力化される。
純礼が花びらの絨毯を操作して回避、それと同時に夏鳴太が悍埆へ攻撃を放つが、これまた神威によって無力化された。
「貴様らの力など効かんわ!」
悍埆が言うと腹部の無数の手が、天平たちに掌を向ける。
そしてそこから空気を震わせて、衝撃波を放った。
「うわああああああっ!」
花びらの絨毯は呆気なく吹き飛ばされ、天平たち三人も空を舞う。
夏鳴太は再び雷化し稲妻となって空を走る。
純礼は散らばった花びらを集め、もう一度絨毯を作り退避。
天平は球体との位置交換を駆使してなんとか地面に降り立つ。
しかし、依然として大揺れが続いておりまともに立てない。
「ええ加減にせえよクソ鯰!」
夏鳴太が強烈な雷撃を放つが、やはり神威に無力化される。
さらに、お返しとばかりに衝撃波が飛んでくる。
そうしている間にも悍埆はゆっくりと着実に近づいてきている。
攻撃は通用せず、揺れのせいで地面に立つことさえできない。
いよいよもって窮地に追い込まれた三人。
そこへ、
「おーーーーい! 生きてるかー? お前らー!」
場違いなほどに明るい声が響き渡った。