第十三話『dissociative amnesia』
帶刀家の興りは江戸時代中期。
御様御用という刀剣の試し斬りと罪人の斬首を御役目とする山田浅右衛門家に弟子として身を置いていた二人の兄弟を祖とする。
ある日、山田浅右衛門家に二振りの刀が運び込まれた。
異能の刀鍛冶が禍霊を素材として打ったとされる、担い手に選ばれなければ鞘から抜くことさえかなわない刀──蠱業物。
一介の首斬り役人でしかなかった二人の兄弟の運命は、その刀に担い手として選ばれたことで大きく変わる。
幕府に召し抱えられ、帶刀の性を与えられ、禍霊と戦う祓除の一族としての地位を確立した。
幕府瓦解後、明治政府のもとで拝揖院の力が強まってからは、干渉されるのを嫌い大阪に拠点を移した。
蠱業物は担い手を選ぶ。
縁穢が結ばれた者だけが、その力を振るうことができる。
帶刀家の所有していた二振りは、帶刀家の開祖である兄弟が最初の担い手だった。
だからなのかは分からないが、帶刀家の血を継ぐ者には、その二振りの蠱業物と縁穢を結ぶ者が多く生まれた。
蠱業物は強大な力を持つが、担い手がいなければ、鈍刀以下の価値しかない。
安定して担い手を輩出する帶刀家には、それだけ有用性があった。
それ故に拝揖院による接収を免れ、二振りの蠱業物を所有し続けることが許され、大阪の地で強い力を持ち続けた。
しかし、その権勢は唐突に終わりを告げた。
「なんや……なんやねんこれ……」
一人の少年が呟く。
帶刀夏鳴太。
帶刀家の次男坊。
帶刀家の所有する二振りの蠱業物の片割れ、霳霞霹靂の担い手として選ばれた少年だ。
彼が見ているのは燃え盛る我が家。
そして至る場所に転がる死体。
いずれも帶刀家傘下の霊能者や使用人たちだ。
「夏鳴太様! はよお逃げっ……!」
夏鳴太に逃げるよう促す男の首が飛ぶ。
血が噴き出て、夏鳴太の顔にかかる。
視界が赤く染まる。
その赤い視界によく知る男が現れた。
「なにを……なにをしてんねん! 兄貴ぃ!」
「わめくなや。疲れてんねん」
夏鳴太の叫びに、落ち着いた声で答える男。
浅葱色の着流しを身に纏い、右手には日本刀を握っている。
帶刀 玻琉夏。
夏鳴太の兄であり、帶刀家の長男、そして次期当主になるはずの男だ。
玻琉夏は左手に持っていたものを夏鳴太の前に放り投げる。
それは犬。
生まれた時から兄弟で世話をしていた愛犬だ。
既に事切れ、冷たくなっている。
それを見た瞬間、夏鳴太の中でなにかが切れる音がした。
「"霳霞霹靂"!」
右手に持っていた霳霞霹靂から電撃を発生させる。
「持ち出したんか。まだ継承の儀してへんやろ。横着すな」
「なにが継承の儀や! こないに家めちゃくちゃにしくさって!」
「それもそうや」
帶刀家では十五歳の誕生日に継承の儀を行い、それを以て正式な蠱業物の担い手となる。
夏鳴太はまだそれを終えていないが、この騒ぎに対応する為に無断で持ち出していた。
しかし、最早それを咎める者もいない。
「親父もお袋も俺が殺してしもうたからなぁ」
その言葉に一瞬、夏鳴太の思考が止まる。
その可能性はもちろん考えていた。
しかし、いざ言葉にされるとショックが大きい。
それでも、夏鳴太は霳霞霹靂を振り、電撃を放つ。
玻琉夏はそれを右手に持つ刀で叩き斬った。
「電撃を斬んなや!」
夏鳴太が叫ぶ。
玻琉夏は天才だった。
中学生ぐらいの頃から、霊力が込められているだけの刀を振るって、上位の禍霊を祓うことさえあった。
継承の儀を経て蠱業物の正式な担い手になってからは、その強さは大阪においては並び立つ者がいないほどだった。
憧れだった。
自慢の兄だった。
そんな兄による突然の凶行であった。
「斬れるもんはしゃあないやろ」
夏鳴太は再び電撃を放つが、同じように叩き斬られる。
しかし、夏鳴太の狙いは攻撃を当てることではなく、動きを制限すること。
──鋒や。鋒をこっちに向けさせたらアカン。
夏鳴太は当然、玻琉夏の持つ蠱業物の能力を知っている。
蠱業物十三振の一振り、"遠雷居坐"。
それが玻琉夏を担い手として選んだ蠱業物だ。
その能力は刀身を伸ばすこと。
ただそれだけの能力だが、問題は──
──遠雷居坐の刀身の伸縮は零秒で行われる! 見てかわすんは無理、間合いも関係あらへん! とにかく鋒をこっちに向けさせんように……
「なんやごちゃごちゃ考えてるようやけど」
玻琉夏が電撃を掻い潜り、一瞬で距離を詰める。
「無駄やで」
「っ!」
斬りかかる夏鳴太。
しかし、それより速く、玻琉夏は夏鳴太を斬り捨てた。
「がっ……あっ……!」
「蠱業物関係なしに俺とお前じゃ差が大きすぎるわ。剣士としても霊能者としてもな」
血振りをしながら、玻琉夏は言う。
「なんで……なんでこんなことするん……」
血溜まりに打ち伏せる夏鳴太が消え入りそうな声で言う。
玻琉夏はそんな弟を冷たい目で見下ろす。
「お前はなんも知らんでええ。ただの阿呆なんやから」
「なん……やとっ!」
拳を握りしめ、睨みつけるように見上げる夏鳴太。
玻琉夏はそれを気にもとめず、転がる霳霞霹靂の柄を踏みつける。
「これもごっつい刀や。そこら辺の禍霊なんて相手にならへん。これ使うてお気楽な祓除活動してたらええ。お前程度の者にはそれがお似合いや」
そう言うと、玻琉夏は夏鳴太から離れていく。
「ふざけんなやっ! 絶対殺す! 強なって、俺が絶対殺したる!」
夏鳴太の叫びに、玻琉夏が立ち止まり、振り返る。
「……俺はこれから剣士としての高みに行く。お前が同じとこまで上がってこれたら相手したるわ。そん時は──」
「っ!」
うつ伏せで顔だけを上げている夏鳴太の喉元に遠雷居坐の鋒が突き付けられる。
伸びる過程に一切の時間経過を伴わないソレに反応することなどできない。
「その首刎ねたる」
そう言って、再び歩き出す。
また夏鳴太が叫ぶが、今度は立ち止まることはなかった。
「兄貴……」
その光景を夏鳴太は立ち尽くして眺めていた。
これは今から一年ほど前の夏鳴太の記憶。
解離性健忘によって忘却していた忌まわしい記憶だ。
「あの煙のせいか? 嫌なもん見してくれるわ」
血溜まりに打ち伏せる一年前の自分と、それを放って歩いて行く兄。
玻琉夏はこの後、今に至るまで行方不明。
動機も何もかも分からないままだ。
「まぁ、でも感謝やな。おかけで思い出せたわ」
夏鳴太は右手をぐっと握りしめる。
そこにはなにもないが、確かに刀の 霳霞霹靂の感触がある。
「俺はアイツを、あのクソ兄貴をぶち殺さなアカン」
忘れていた復讐心を思い出し、さらに右手に力を込める。
「せやから、こないなとこで躓いとるわけにはいかんねん!」
夏鳴太が叫ぶと、凄まじい電撃が発生。
それと同時に、彼は目を覚ました。
☆
一方の天平。
彼もまた不可思議な状況に置かれていた。
「ここは……」
二人分の布団がしかれた部屋。
時間は夜中のようで電気もついておらず真っ暗だが、横開きの扉がわずかに開いており、そこから光が漏れている。
この光景に天平は見覚えがあった。
「母さんと住んでた頃の家?」
そう、ここは天平が母を亡くす前に住んでいたアパートの一室。
暗闇に慣れた目に、布団で眠る幼い自分が映る。
「なんだこれ……幻覚? いや、記憶の再現? あの煙を吸い込んだせいか?」
自分の置かれた状況に困惑する天平。
しばらくすると、明かりの漏れるリビングから声がして、幼い天平が目を覚ました。
幼い天平は布団から起き上がり、わずかに開いた扉の隙間からそっとリビングを覗き見る。
それを見た天平も、幼い自分の後ろに立ち、リビングを覗く。
そこにいたのは二人の男女。
立っている男の足に、女がすがりつくようにしがみついている。
帚木香澄。
天平の母親だ。
「母さん……」
天平が小さく呟く。
「言ったはずだよ。あの子の様子を見に来ただけだと」
男が香澄に向けて言う。
黒いコートを着た、長髪の男。
顔立ちは整っているが、どこか冷たい印象を与える。
香澄はそんな男の足下にしがみついたまま首を振る。
「お願い。戻ってきて。貴方なしじゃ生きていけない」
「それも言ったはずだよ。結婚する意志はない。あったとしても君のご両親は認めてくれないだろう」
「どうして!? 子どもができたから!?」
「そうだったら、こんなふうに見に来ていないよ」
泣きわめく香澄に男はあやすように言う。
「あれが俺の父親?」
天平が困惑した面持ちで呟く。
天平は父親の顔を見たことがない。
これが自分の記憶なら、記憶に欠損があることになる。
「ならどうして……!」
「これ以上話すことはないよ」
男がそう言った瞬間、香澄の手がコートをすり抜ける。
「え!?」
それを見た天平は驚くが、俯いている香澄は単に振り払われただけと思っているのか気づかない。
「見間違いか? それとも、まさか寄処禍?」
今の光景を見て、天平に自分の父らしき男が寄処禍ではないのかという疑念が生じる。
「さようなら。もうここに来るのもやめるよ」
男は冷たく言い放ち部屋を出ていく。
「うっ……ううううっ……うううううっ!」
香澄は俯いたまま、嗚咽を漏らす。
「あの子を産んだせいよ……きっとそう……産まなければよかった……! あんな子、産まなければよかった! うううっ……!」
その言葉を聞いた瞬間、幼い天平は布団に走って戻る。
しばらくして、毛布にくるまる幼い天平から小さなすすり泣きが聞こえてきた。
それを見た天平の脳裏に、この瞬間の記憶が戻ってきた。
「ああ、そうか……。俺も夏鳴太と同じだったんだ」
小さく呟く天平。
彼は昼休みに純礼と夏鳴太の会話で聞いた言葉を思い出していた。
解離性健忘。
心的外傷やストレスによって引き起こされる記憶障害。
それが天平にも起きていたのだ。
今の今まで忘れていた。
母の言葉も。
父の顔も。
「過去のトラウマを再現する能力ってわけか。まさかあの禍霊も相手がそれを忘れてるとは思わなかったろうな」
皮肉めいた口調で呟き、すすり泣いている幼い自分を見つめる天平。
すると次第に、空間が歪みだした。
「なんだ?」
歪みはどんどん大きくなっていき、最後にはぐにゃりとねじれ、天平は記憶の世界から弾き出された。