第一話『覚醒』
──なんでこんな事になった?
真っ赤な鮮血を撒き散らしながら、少年──帚木 天平は心の中でそう呟いた。
目の前には大きな鉈で自分を斬りつけた化物。
その後方には大きく見開いた目でこちらを見る少女。
──死ぬのか? 俺……
薄れゆく意識の中で、天平は自分の中で何かが目覚めるような奇妙な感覚とともに、こんな事になってしまった経緯を思い出していた。
☆
「夜はまだ肌寒いなぁ」
数分前。
東京都杉並区。
コンビニで買い物を終え、天平は帰宅の途についていた。
時刻は九時過ぎだが、まだまだ人通りの多い商店街を歩いていると、前方を歩く少女の姿が目に入った。
「早蕨さん?」
早蕨 純礼。
ハーフアップにセットされた黒髪を揺らして歩く、人形のように整った顔をした少女。
天平がこの春から通っている高校の同級生でありクラスメイト。
入学から一ヶ月程で早くも学校のマドンナの如き存在と化している美少女だ。
至って平凡な生徒である天平とはまるで別世界の住人で、言葉を交わしたこともない。
そんな彼女が学校指定のセーラー服のまま夜の町を出歩いている。
──意外と遊んでるのかな?
そんな事を思いながら、天平は距離を保ったまま純礼の後ろを歩く。
すると不意に純礼は横の路地へと入っていく。
不審に思った天平はそこを通る際にチラッと横目に見る。
純礼は路地を少し進んだ所で立ち止まっていた。
一体何をしているのかと立ち止まり、声をかけようか迷う天平。
次の瞬間、
「禍仕分手」
純礼はパンッと手を叩く。
すると周囲が一瞬で夕暮れに変わる。
「は?」
呆けた声をだす天平。
さっきまで夜だった世界が時間が巻き戻ったかのように夕暮れになってしまったのだから無理もない。
異変はそれだけでは無い。
商店街からは人が消え、先程まで聞こえていた町の喧騒もなくなり静まりかえっている。
しかし最も大きな異変は、
「な、何だ……あれ」
純礼の前方に佇む巨大な人間。
血まみれのエプロンを着て顔には不気味なマスク。
まるで有名なホラー映画のキャラクターのコスプレのようだが、手にはチェーンソーではなく巨大な鉈を握っている。
──あんな奴、さっきまでいたか? てかあれ人間か?
「ゔぁぁっ!」
低い唸り声をあげて、マスク男が鉈を振りかぶる。
「さわ……」
咄嗟に天平が純礼に声をかけようとする。
しかし彼女はそれより早く、ある言葉を口にした。
「"臈闌花"」
純礼がそう言うと同時に、彼女の周囲に無数の花びらが出現し、舞う。
それはマスク男に一斉に襲いかかり、無数の裂傷を負わせる。
「ぎゃああああああっ!」
さっきとは打って変わって甲高い声で絶叫するマスク男。
巨体に似合わない素早い動きで純礼から距離を取り、グッと踏ん張ると、思いっきり跳躍。
純礼を飛び越え、天平の前に降り立つ。
「え?」
「な!?」
一瞬の出来事に硬直する天平と、その存在に気づいて驚愕する純礼。
「逃げなさい!」
すぐに我に返った純礼が天平にそう叫ぶが、ほぼ同じタイミングでマスク男が鉈を振り上げ、降ろした。
「がぁぁぁっ!」
鉈で斬りつけられ、肉が抉れ、凄まじい激痛に襲われる。
コンビニのビニール袋が舞い、真っ赤な鮮血が飛び散り、意識が遠退く。
──ああ、くそ。立ち止まらずにさっさと行けば良かった。それにしてもなんだ? この感覚。 痛み? 違う。なにか別の……
自身の行動を後悔しながら、身体におきている異変に考えを巡らせる天平。
まるで身体の中からマグマが湧き出でいるかのような熱さを彼は感じていた。
それが何かはまったく分からない。
ただこれが痛みからくるものではないということだけは何故かはっきりと分かった。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
鉈で斬りつけられた際に発したものより大きな絶叫をあげる天平。
何かが自分の中で目覚めるような感覚と異常な身体の熱。
それを吐き出すかの様に脳裏に浮かんだ言葉を口にした。
「"明星"!」
天平がそう叫んだ瞬間、彼の周囲に光り輝く球体が五つ出現した。
それは無軌道に暴れ回り、周囲を破壊する。
「ゔぁっ!」
マスク男は鉈で斬り落とそうとするが、逆に砕かれ武器を失う。
「ゔぉえっ!」
さらに顔面や腹部に球体が激突し、悶絶する。
「はぁぁぁっ!」
天平はそのままマスク男に飛びかかり、マウントポジションをとって殴りつける。
天平の身体は周囲の球体と同じような光を纏っており、高熱を持っているのか、拳が当たるたびに肉が焼けるような音がする。
「ゔぁぅぅあぁっ!」
殴打と高熱に晒され苦悶の声をあげるマスク男。
必死に抵抗するが、それを意に介さず、一心不乱に殴り続ける天平。
「あぁぁ……」
やがてマスク男は抵抗をやめ、ぐったりすると、か細い声をあげながら消滅した。
「ふぅ……ふぅ……ふぅ……」
肩で息をしながらゆっくりと立ち上がる天平。
そして鋭い眼光で純礼を睨みつける。
「貴方……帚木くん?」
そこでようやく、純礼は目の前にいる少年が自分のクラスメイトである事に気付く。
「貴方も……っ!」
何かを言おうとする純礼だが、天平に殴りかかられ中断。
──正気を失っているわね。こんなケース見たことも聞いたことも無いけど。
飛び退いてかわし、冷静に状況を分析する。
純礼の見立て通り、天平は完全に正気を失っている。
「とりあえず、おとなしくしてもらおうかしら」
そう言って、花びらを天平にけしかける。
鋭く尖ったそれらは触れたものを切り裂く花びらの形をした刃だが、天平の纏う光に触れた途端に熱で焼け落ちる。
「あまり相性が良くなさそうね、私たち」
「があっ!」
天平が再び純礼に殴りかかる。
しかし簡単にかわされる。
その後も何回も殴りかかるが、動きが単純でまったく当たらない。
埒が明かないと判断したのか、今度は五つの球体で攻撃を行う。
動きは単純だが、手数が増えたため、純礼は回避が困難になる。
「鬱陶しいわね」
回避しきれない分には花びらをぶつける。
当たった瞬間に焼け落ちるが、衝撃で軌道は反れる。
そうやって回避し続ける純礼だが、
「うっ!?」
突如、天平の姿が消えたかと思うと、次の瞬間にはすぐ横に現れ蹴りを入れられる。
「球体との位置が変わった?」
先程まで天平がいた位置に入れ替わるように球体が現れたのを見て、純礼はすぐに天平の持つ力に気付く。
「球体との位置交換能力。中々厄介ね」
能力を使いこなし始めた天平に少しずつ追い詰められていく純礼。
「手加減していたら、こっちがやられるわね」
純礼はそう言うと、右手をいわゆる猫の手と呼ばれる形にする。
「"臈闌花・刳為咲"」
掌に花びらが収束していく。
細長い円錐のような形へと収束したそれは、次に凄まじい速度で回転を始めた。
「かなり痛いと思うけど、悪く思わないでね」
さながら花びらで作られたドリルのようなそれを天平に突き出す。
天平は球体との位置交換で純礼のすぐ後ろに移動する事で回避し、カウンターを浴びせようとするが、
「甘いのよ」
それを読んでいた純礼にカウンター返しを受けた。
「がぁぁぁぁぁぁぁ!」
右腕の肉を抉り取られ絶叫する天平。
再び球体との位置交換で距離を取る。
しかしそこに純礼が素早く迫る。
「殺しはしないわ」
天平の決死の抵抗を寄せ付けず、花びらのドリルを腹部に突き刺す。
光と熱を纏った天平の身体は容易く貫かれ、大量の血を吹き出すが、瞬時に花びらが傷口を塞ぐ。
「ぐふっ!」
天平は口から血を吐き出し、膝から崩れ落ちる。
「早蕨……さん……?」
正気を取り戻した天平は純礼と血の滲む花びらに覆われた自身の腹部を見て、
「俺……何を……」
その言葉を最後に意識を手放し、血溜まりに打ち伏せた。