7 お題【青春】 『自販機のボタン』
「いいお天気ねえ」
「今日は洗濯物がよく乾きそうだわ」
そんな井戸端会議をするおばさん達の後ろを、出来るだけ早足で通り抜ける。
大人って能天気だな。
こっちは天気に関係なく、ずうっと頭に重い雲が乗っかっているのに。
頭だけじゃない。暗い紺色の鎧みたいなブレザーと、膝下まであるもっさりしたスカートのせいで、身体までもが押し潰されそうだ。
好きな色の好きなデザインの好きな服を着て行けたら。それだけで幾らか軽くなるのに。
少し進むと、同じ鎧の中学生達が前方に見える。何がそんなに楽しいのか、朝からわいわいはしゃぐ集団。この先の細い道を塞がれてしまう前に、半分駆け足で追い抜かした。
鎧がひしめき合う重たい教室。
誰かと挨拶ぐらいはするけど、それだけ。
嫌われている訳じゃないけど、好かれている訳でもない。
いじめられている訳じゃないけど、自然と一人になる。
私はそんな存在だ。
成績も悪くないし、困っていることはない。
学校行事は面倒だけど、割り切って『無』でこなす。
ただ、常に全身が重く、息苦しかった。
今日も暑苦しい担任が、先週の合唱コンを振り返り、青春だのなんだのと熱弁している。
たった4クラスしかない校内の合唱コンで優勝したことの、何が青春に結びつくのか分からない。
そうして分からないまま迎えた三年目の今年も、例のプリントが配られてしまう。
『合唱コンクールを振り返って』
“ 学校行事だから仕方なくやっただけで、特に何も感じませんでした ”
……って正直に書けたら、どんなに気持ちいいか。
面倒くさいから、結局大人が望む答えを書いてしまうんだけどね。
鉛のようなシャーペンをノックすると、仮面を被った心から、重い字を『無』で置いていった。
中学校時代が楽しかった人なんているのだろうか。ましてや青春だなんて。
軍隊? もしくは囚人?
個性を撲滅し、社会に従順な駒を育てる為の施設にしか思えない。
大人になったらもっと不自由なことばかりだ。その為の予行練習だなんて、大人は言うけれど。
私からしたら、大人の方がずっと自由に見える。
だって、好きな仕事を選べるでしょ?
嫌なら辞めて、また次の仕事を選べるでしょ?
毎朝好きな服を選んで、好きな昼食を選んで、好きな道で帰れる。
勝手に決められた鎧で、勝手に決められた学校と家を往復するだけの私より、ずっとずっと自由じゃない。
……あと数ヶ月耐えたら、少しは呼吸が楽になるのだろうか。
◇
何の感動もない卒業式から数日後、最寄り駅から電車で30分の高校に入学した。
制服はまた紺色だけど、スカートが膝上になっただけで、随分軽く感じる。
高校生、大学生、会社員────
鎧ではない色んな服を見るだけで、それだけでホッとしていた。
今日は一つ楽しみにしていることがある。
それは、校内の自販機で飲み物を買うことだ。
学校の中で飲み物を買えるなんて。しかもお茶とか牛乳じゃなく、ジュースを買えるなんて。
中学に比べて、高校はなんて自由なんだろう。
お昼休みのチャイムが鳴ると、私は鞄からお財布を取り出し、自販機へ向かう。
学校でお財布を持っている。それだけでもうわくわくしていた。
長い廊下の突き当たり。
見えてきたカラフルな自販機達。
ねえ、この中からどれでも買えるんだよ? 自分の好きな物を選んでいいんだよ? と興奮しながらラインナップを眺める。
うーん、いつもならミルクティーだけど。今日はちょっと暑いから、スッキリした物が飲みたい。とはいえ、炭酸ほどの刺激は求めてないから……
自販機の前をしばらくうろうろした私は、百円玉を一枚と十円玉を一枚入れ、一つのボタンを正確に押す。
カコンと軽快に出てきたのは、黄色いパックのレモンティー。200mlの小さなそのパックは、信じられないくらいよく冷えていて、胸がキンとときめく。
チャリン
隣の自販機に、誰かがお金を入れている。
あ。確かこの人、後ろの席の……ナントカさんだ。
私と違い、迷いなく一つのボタンを押す彼女。
取り出し口から手にしたのは、黄色の後光に真っ赤な炎マークが眩しい『ドデカマンC』。色白で小さくて、いかにも女の子な見た目のナントカさんが、それを選んだことに驚いた。
「好きなの? それ」
思わず訊いてしまう。
「うん、なんか元気になる」
そう淡々と答えたナントカさんは、ボトル缶のキャップを外し、その場でぐいと傾けた。ごくごくと喉を鳴らし、プハッと息を吐く姿は、まるで中年のおっさんみたいだ。
お弁当と一緒にと思っていたけれど、私も何だかすぐに飲みたくなって。雑にストローを剥がすと、迷わずパックに挿し込んだ。
────すぼめた口から流れ込むそれに、全身が震える。
甘くて、酸っぱくて、どこまでも爽やかで。
学校という閉鎖空間の中で、久しぶりに自由に飛べた気がした。
近くの窓を開け、風にそよそよと吹かれるナントカさん。ドデカマンCを飲む度細められる目は、やっぱりどこかおっさんくさい。可笑しくて、なんとなく面白くて、私も隣に並んだ。
青い空と美味しい春風。
のし掛かっていた雲が晴れていく。
身体の重りがさあっと流れていく。
青春て、こういうものなのかもしれない。
缶をほぼ垂直に傾け、ポンポンと叩くと、ナントカさんはくるりとこちらを向く。
キュッとキャップを閉めながら、ふわふわな笑顔で口を開いた。
「売店、一緒に見に行かない?」