4 お題【成層圏】 『成層圏で洗濯を』
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じめじめじめじめ
耐えきれずに押したエアコンのスイッチ。
リモコンに表示された室内の湿度にウンザリする。
梅雨時の土曜日。
浴室乾燥などない古いアパートの室内は、家族七人分の洗濯物が、所狭しとぶら下がっている。
「ぎゃははっ!」
「とおっ!」
宙と月のカマレンジャーごっこが白熱し、さっき干したばかりの洗濯物が、ピンチハンガーごと落っこちる。
「こらあ! 大人しく遊べっっっ!」
小憎らしい顔で、私になんたらビームを送る二人。
ううっと胸を押さえ迫真の演技で倒れてやると、満足したのか、隣の部屋へ行ってくれた。
まあ隣も洗濯物だらけなんだけどね。昨日干したヤツだから、こっちよりはまだマシだ。
「母ちゃん! 星が牛乳こぼした!」
昊の通報にダイニングを見れば、星のピンクのカップがテーブルに転がり、白い雫が床にポタポタと落ちている。
あーあーあーあー
叫ぶ間もない。
とりあえず星を風呂場へ連れて行き、濡れたワンピースを手早く脱がせる。
よりによって牛乳かあ。すぐ洗わないと臭くなるし。
ったく、レンジャーごっこなんかに付き合ってる場合じゃなかったぜ。
着替えさせ事故現場へ戻ると、昊がさっき畳んだばかりの綺麗なタオルで、汚い床をゴシゴシと拭いてくれちゃっている。
「母ちゃん! 俺、綺麗にしたよ!」
あーあーあーあー……
「ありがとよ」
ドヤッと笑う坊主頭を、泣きながらぐりぐりと撫でた。
雑巾でさりげなく床を拭き直し、乳臭いワンピースとタオルを処理した途端、急激な睡魔に襲われる。
兄弟達はテレビやお絵描きに夢中で、珍しく大人しい。
布団で昼寝している星の横へ転がると、私も忽ち夢の世界へ吸い込まれていった。
……ん? ここは……
カラッと晴れた青空。
足元にはふかふかの曇。
それだけがどこまでも続いている不思議な空間。
ああ、なんだっけ、ここ。
この間Eテレでやってたな。
ええと……確かなんとか圏ていうの。雲の上だから、雨も雪も降らないんだよね。
雲にゴロンと寝転がり、宇宙に繋がる濃い青空を見上げる。
いいなあ。こんな所で洗濯物を干したら、すぐに乾くんだろうな。さっきのワンピースも、タオルもあっという間に……
そんなことを考えていた時だった。
突然長い竿がスルスルと現れ、青い空に掛かる。
どこからどこまで続いているのか、端が見えないほどに長い。
うわあ! 最高!
干し放題じゃない!
ああ、ここに洗濯物があれば……
するといつの間にか、部屋中を埋め尽くしていた我が家のピンチハンガーが、空の竿にゆらゆらと揺れている。
昨日の生乾きのも、今日干したばかりのも。
それだけじゃない。洗濯機とカゴに溢れるお代わり分と、洗面器の中の乳臭いヤツ。おまけに布団や枕まで!
わあっ、うわあ!!
天国か!!!
やっほいと雲の上を飛び跳ねる。
これで明日一日くらいは、じめじめと洗濯から解放されるかな。
電気代も浮く!
乾け~乾け~一気に乾け~!
ふんふんふ~ん♪
パチリと目を空けると、青空ではなく、古い木目の天井と蛍光灯が私を見下ろしている。
「……星?」
隣で寝ていたはずの姿はどこにもなく、他の兄弟達の声もしない。
やたらと静かな部屋。時計の針を確認すれば、もう夕方の六時を回っている。
やだ、私どれだけ寝ちゃったの!?
早く夕飯の支度を……
ガバッと飛び起きると同時に、玄関のドアがガチャリと開く。
「ただいま~」
夫の呑気な声より先に、子供達の騒がしい足音が部屋になだれ込む。
あれ、今日は仕事のはずなのにと慌ててそちらへ向かえば、作業着姿の夫が、沢山の袋を車から下ろしている。涎を擦る私に気付いて、にこりと笑った。
「早く帰れたから、子供達と出掛けてきたんだ」
「そうなの。ごめんね、全然気付かなかったわ」
「これ洗濯物。全部コインランドリーで洗ってきたよ。生乾きのも乾燥してきた」
「ええっ!」
袋の中に手を突っ込めば、まだほこほこと温かい布に触れる。
「こんなに沢山……お金掛かったでしょう?」
「僕の小遣いだから大丈夫。ふっ、牛乳こぼして大変だったらしいし、たまにはいいじゃん」
「ママぁ、これ見て」
星の手には、ブリキュアの食玩。
兄弟達も、ガチャガチャのカプセルや本をわいわい見せに来る。
「部屋もスッキリしたことだし、今日はホットプレートで焼きそばでも作ろうよ」
「俺も焼く!」
「ウインナー!」
「俺ピーマン食えるよ!」
「よし。みんな手伝え~」
スーパーの袋をガサガサと開け、材料を取り出す夫。
じめっと汗ばんだその背中にくっつき、「ありがとう」と呟いた。
香ばしい煙が立ち昇るダイニング。
当分臭いが残りそうだけど、楽しいからいいか。
ホットプレートと格闘する夫の口に、冷たいトマトを放り、ふふっと笑う。
「ママね、さっき昼寝していた時、面白い夢を見たんだよ」
「どんな夢?」
「雲の上の、よく晴れたとこで洗濯するの。空が真っ青で、雲がふかふかですごく気持ちよかったよ。ええと、なに圏て言うんだっけ」
「成層圏でしょ? お母さん。雲の上には乗れないけどね」
塾から帰って来た晴が、曇った眼鏡をくいっと上げた。