10 お題【犬】 『たぬきの教室』
「おはよう、ポチ先生!」
「おう、おはよう」
「ポチ先生おはようございます」
「おはよう。みんな、水分ちゃんと摂れよ!」
真っ赤な顔で教室に入る子供たちを見て、『ポチ先生』は冷房の温度を下げる。
「マスクは涼しくなってからでいいからな! 無理するなよ!」
夏休み直前の猛暑日。朝からかんかんに照りつける太陽で、子ども達は皆ぐったりしていた。
そんな中、まだ汗が引いていないのに、急いでマスクを着けようとする子達もいる。家に高齢者や赤ちゃんがいる為、『感染予防対策』を徹底しているらしい。
ポチ先生は、そんな子ども達が不憫でならなかった。
現代の教室は冷房が効いているとはいえ、こんなに暑い日も一日中マスクが手離せないなんて。
『未知のウイルス』
得体の知れないそんなもののせいで、冷たいプールや縁日、花火大会などの夏の楽しみが次々に失われていった。
何より先生が心配しているのは、給食の時間だった。机をくっつけることも、おしゃべりすることも出来ず、前を向いて黙々と食べなければいけない。
三月には小学校を卒業してしまう六年生達。毎日の何気ないふれあいが、かけがえのない思い出に繋がるというのに。
歌をうたうこともリコーダーも禁じられているこのごろ。卒業式は一体どうなってしまうのだろうと、日々胸を痛めているのだった。
不自由な毎日の中で、ポチ先生は子どもの自由を常に探している。『感染予防対策』を心がけながら、新しい授業を試みたり、教室で手作りの縁日を楽しんだり。
そうした思い出を少しずつアルバムに収め、卒業式の日、一人一人に手渡そうとしていた。
今日は一学期最後の給食。
(窮屈な食事風景だが、一応記念に撮っておくか)
ポチ先生はそんな風に考え、子ども達に気付かれないように、こっそりカメラを構えた。
……あっ!
思わず声が出そうになる。
覗いたファインダーの中には、黙々と手を動かしては咀嚼する、沢山の子だぬきがいたからだ。
マスクを外すと、目の部分だけが黒く日焼けしている子ども達。そんな可愛い姿に、夢中でシャッターを切った。
(何故今まで気付かなかったのだろう。僕の心も、いつの間にか不自由になっていたのかな)
先生は少し悲しくなり、大切なカメラをそっと鞄にしまった。
三月。
沢山の不自由の中で迎えた卒業式。
保護者の人数制限、たった一曲だけの合唱。それでも子ども達全員でこの日を迎えられたことが、ポチ先生は何より嬉しかった。
教室に戻ると、先生は「まだ開けるなよ」と念を押しながら、例のアルバムを一人一人に手渡していく。
「ようし、じゃあいくぞ! いっせーの……」
せ! で開いた最初の写真に、子ども達は目を瞠る。
なんとそこにいたのは給食を無表情で食べる子だぬき達。目や耳が可愛く描き込まれたその31匹に大笑いした。
「いつ撮ったの!?」
「この目と耳、先生が描いたの!?」
質問攻めにあうポチ先生。
一つ一つ、笑いながらも丁寧に答えていく。
「ねえ、たぬきじゃなくて、犬の教室じゃないの?
三組の担任はポチ先生なんだし」
誰かのその言葉に、どっと笑いが起こる。
「……いいんだよ。たぬきはイヌ科だから」
少し大人びた白い子だぬき達を見ながら、先生は堂々と涙を拭った。
それから数年が経ち、あの騒動はなんだったのかというくらい、世界は平穏な日常を取り戻していた。
大人になった六年三組の元児童達は、ポチ先生の手作りアルバムを開いては、あの不自由だった日々をよく振り返る。
最初の写真に添えられたメッセージは、いつだって、優しい未来を彼らに示してくれた。
『たぬきの教室』
~いつかこの子だぬき達が、自由に泣いて笑えますように~
『六年三組担任 小犬丸 保智』
ありがとうございました。