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断罪のシレネ〜神を否定した人間の物語〜  作者: 蒼月ケン


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episode7 手の平で踊る異端者

「…そう。お祈り…してないのね。」

 割れた花瓶に目を向けず、ゆっくりと近づいてきた。

(は…?何かまずいこと…言った…?)


 突然のおばさんの行動に困惑し、自分の目を疑った。そして瞬きしたときだった。

「がッ‥!?」

さっきまで離れていたおばさんは気がつけば目の前に立っていて、治療をしてくれたその手は私の喉を掴んでいた。

ドォンッ!

背中に衝撃が走った瞬間、一気に喉に圧力がかかり息が出来なくなった。

「な…!!なん…で…っ!」

私の言葉なんて届かず、指はさらに喉へめり込んだ。

「グリジア様の祈りをしないなんて…万死に値する。ここで死んで償いなさい。」

 ――殺される…っ!死ぬ…っ!

ただの一般人なはずなのに、どんなに空気を求めてもがいてもビクともしなかった。


ゴリッ、ミシッ…

嫌な音が喉から鳴る。叫ぼうとしてもまともな声が出ず、「ヒューッ」と頼りない風切り音しか出なかった。

少しずつ視界が歪んでいき、目が飛び出るかと思うほど奥から強く圧迫される。

所詮この人も狂った信者なことに酷く絶望した。

――ふざけるな…!あんな奴に使える奴はみんな死ね…!


 私の内側で、どす黒い本能が爆発した。

反射的に右手が握り込まれる。理性よりも速く、私の拳は彼女の頭蓋骨を砕こうと振り上げられていた。

(死ねっ…!)


 だが、歪んだ視界におばさんの静かな怒りを写した瞬間、手が固まったかのように止まった。

――腕に巻きつけられた包帯。冷え切った体を温めてくれたスープ。さっきまでの優しい笑顔が走馬灯のようにフラッシュバックした。


「ッ……あ゙あ゙…!!」

 行き場を失った拳が吸い付くようにおばさんの手を掴んだ。

(くそっ…!離せ…!)

意識が朦朧とする中、少しでも隙間を作ろうと手を引き放そうとするが、めり込んだ首に隙間なんてなかった。

(こんな奴…!なんで突き飛ばせない…!私が…死ぬかもしれないのに…!)

自分の命とおばさんの厚意を天秤にかけて、なぜ私は厚意に傾けているのか、自分の愚かさに絶望した。


 視界が黒く濁っていく。酸欠の頭で、世界がスローモーションのように感じた。

(あぁ…まただ。)

走馬灯のように記憶の断片が脳裏を過ぎる。

何かを信じようとすれば必ず離れ、「助けて」と言っても誰も聞いてくれない。

理不尽に暴力振るわれ、すべてが無意味になる。

母は途中で私を見捨てて、教会は救うといって何もしてくれない。

今だって、おばさんは私に温かいスープを出して笑ってくれた。あの笑顔はもう私に向けてくれない。


 教会に馴染めなかった私が悪い?いや、中途半端に反抗した結果がこれなのか…!

悔しい…っ!殺されるのに何も出来ない自分が…っ!

せめて私を陥れた教会を滅ぼしてやりたかった…!


もう体は言うことを効かない…。

もう体に力が入らない、視界もぼやけて…考えもまとまらない。

ああ…もうダメだなこれ…最後に教祖を…殺してやりたかったな…。

さようなら…未練しかないクソったれな世界……



「…ダメ…。」

 突然おばさんは手を離した。一気に流れこんできた空気が喉に激痛を与えてきた。

「カハッ!ガハッ!ゲホ…!!」

血を吐くような勢いで咳き込み、代わりによだれと涙が止まらなかった。

い、生きてる…?助かった…?

ふとおばさんの方を見ると、自分の手を見て震えていた。

「なんで…!こんなことするの…!私今…!」

さっきまで私を本気で殺そうとした目つきは逆に、絶望で目尻に涙を浮かべて顔色が相当悪い。


 あまりに正常ではない反応に恐怖を覚えた。

そして察した。この人は『洗脳』されているんだと。

教会は純粋な信仰心で出来ていないことは分かってた。

けれどこの街にまで広がっているとは思っていなかった。

この人は…もう救えない…洗脳を解く方法なんて知らないから。


 今も離れきれてない喉の違和感をごまかすように咳払いをして立ち上がる。

「……ごちそうさま。スープ、温かかったわ」

震える彼女にそれだけを言い残し、私は窓から路地へと飛び降りた。

これ以上関われば、あのおばさんは壊れてしまう。


 街の大通りに出ると、ぱっと見朝の街は活気に満ちていた。

「とれたて新鮮のお野菜だよっ!」とハキハキと道ゆく人に野菜を売っている男。道の真ん中で遊びまわる子供達。

何も考えなければ住みやすそうな街だった。


 …けれどすぐ違和感に気づいた。子供が私の目の前で「いてっ」と転けた。一瞬助けようと手を下げた。

けど子供は泣かずに真顔で立ち上がり,何事もなかったかのようにまた遊び始めた。行方を見失った手をゆっくりと下ろした。


 他にも、さっきの八百屋の男も再び「とれたて新鮮のお野菜だよっ!」と一語一句、同じトーンで繰り返し道ゆく人に話しかけていた。


すれ違う人はみんな歩き方一緒。


みんな笑うか無表情のどっちか。


……全員が、見えない法則ルールに縛られて動いている。おばさん一人じゃない。この街の住人は全員、教会の『洗脳』という糸で操られる人形だったのだ。グリジアの支配は、とうの昔にこの街全体を飲み込んでいた。


「……ウッ。」


 張り付いた笑顔の気持ち悪さ、さっきの締め付けられた喉の違和感が重なり、この場から離れたいと近くの路地裏に逃げ込んだ。

壁に激しく手をつき、こみ上げる吐き気を強引に飲み込む。

喉が熱い。空気が通るたびにヤスリで削られるように痛み、まだおばさんの指の感触が残っている気がして気持ち悪い。


 (なんなの…!あの街…!おばさんだけじゃない…みながあのグリジアに侵されてる…っ。)


心臓がドクドクとうるさい。何かが喉から込み上げて,必死に飲み込む。冷たい石壁に額をぶつけて、少しでも正気を保とうとした。


――――トンッ…トンッ…


「っ!? だれっ!」

路地裏の奥の暗闇から誰かが近づいてくる音がした。


 グリジアの刺客かっ…!

そう思ったがそこに現れたのは夜露に濡れた苔のような、奇妙な緑色の髪をした子供が立っていた。

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