episode5 恩寵の聖室
目が覚めたとき、私は身動き一つ取れなかった。
うつ伏せになっており、背中に固定された腕が重い鎖に縛られて、両脚もびくともせず立てなかった。
床は石で出来ていて、砂っぽい材質が体に刺さって気持ち悪い。
すると、背後から嫌悪感を感じるほどの悪寒を感じ、それがすぐに誰か分かった。
「目覚めたね、ようこそ、"恩寵の聖室"へ。」
「ラリウッドっ…!」
目線を後ろに向けようとしたが、もがくことしか出来なかった。
「おっと、手は出さないよ。"今"はね。」
「今はね…?」
ラリウッドの不気味な声色により一層警戒した。
「う…うぅ…ラリウッド…様…?」
目の前から声がして首を限界まで上げてその方に目を向けると、人影が鎖に縛られていた。しかし私とは別で、両腕を鎖で壁に固定されていた。
その男性は痩せ細っていて、体を纏っていた修道服はボロボロになっていた。ここに縛られて一体どのくらい時間が経っているんだ…。
思わず目を背けると、いつの間にかラリウッドが
注射器を片手にその男の近くにいた。
「ヒッ…!ラリウッド様…お助けを…っ!」
今にも崩れ落ちそうな体を必死に動かしてラリウッドに懇願した。
「…小娘、この男の罪を教えてやる」
「は…?」
ラリウッドはこの男の頭を掴んで顔を上げさせた。
「こいつは、教会の許可なく下級シスターにパンを与えたんだ。」
「…何言ってんの…?」
何度も耳を疑った。どんなに考えてもそれは善行だ。下級シスターは1日1食程度しか与えられない貧困層だ。それを助けてあげてるのは、どう考えても悪いことではない。
「それが…どうして罪になるわけ…?」
ラリウッドは鼻で息を鳴らすと、シレネの目線に合わせてしゃがんだ。
「分からないのか?大して偉くもないブラザーが、"ゴミ"に慈悲をかけるなんて、醜いにもほどがある。下級層は教祖様も相手にしないと決めている。それを相手にするのは、神への冒涜だ。」
――"ゴミ"。それは下級層である私の耳にも貫いた。
ただ孤児というだけでゴミと同等の扱いするなんて、理不尽にも程があるっ…!
「ふざ…けるなぁ!!どうしてお前なんかにそんな扱いされなきゃ…!」
「…やっぱり罪人は何を言っても無意味だな。」
ラリウッドは男の首に注射器を刺した。
「あぁ…!がっ…!!」
赤い液体が男の首に入り込み、声にならない悲鳴を上げた。
痙攣を上げてよだれが垂れているのを気にする暇がないほどもがき苦しむ。
「あづいぃっ…!あづいっ…!体が…!燃えるっ…!!あぁああ…!」
肌に鎖が食い込むのを気にしてられないほど、鎖を引きちぎる勢いで体を拗らせた。
「あなた…!何をしたの…!」
「偉大なるグリジア様の血によって、この罪人の罪を制裁しているのだ。そして制裁を終えた者は…。」
しかし、男の苦しみはやがてピタッと動きを止めた。
「あっ…。」
瞳の輝きが消え、苦しんでいた表情は完全に消えた。
『やがて従順な"下僕"に生まれ変わる。』
ラリウッドは男の目を見て話しかけた。
「気分はどうだ?」
「はい…とても清々しいです…。これが…グリジア様のお力なのですね…。」
男は希望に満ちた言葉で語っていたが、その声には理性も希望も抑揚もなかった。
「…最低ね。」
男は騎士に連れて行かれると、ラリウッドはシレネに体を向けた。
「…お前に何が分かる?」
徐々にラリウッドの足音がシレネの耳を貫いてきた。
「人格を奪っておいて…、制裁と偽る気…?洗脳の間違いじゃないの?」
「っ…ふん、初めてだな。目の前にして冷静なやつなんて…。」
ラリウッドが新しい注射器を手に取り、私を見下ろす。
その瞳には、私という人間への興味など微塵もなく、ただの実験材料を見る冷たい光だけがあった。
「っ…!来るな…偽善者が…!」
「抵抗するな、すぐ楽になる。」
ブスッ
抵抗を虚しく、針がシレネの首を刺した。
「がっ…!抜けっ…!」
首から全身にかけて血管が沸騰したかのように熱い。
目が痛いほど熱く、震えが止まらなかった。
だが、それより恐ろしいのは自分の中の怒り、悲しみ、憎しみの感情が少しずつ曇っていった。
(やめろ…私の中を覗くな…)
脳内の思考が溶かされ、憤怒がグリジアに対しての敬愛に染まりかけたその時だった。
――ドクンッ
心臓が大きく跳ねると、再び憎しみが溢れ出した。
体の全身の細胞がグリジアの血を拒んでいるようだ。
「が…がぁあ゙あ゙あ゙あ゙!!」
「む…?暴れるな、じきに染まる…」
「お前なんかに…!支配されてたまるかぁああ!」
ドクン、ドクン、ドクンッ!
心臓の音が耳に響くほど早く、とてもうるさかった。
ガシャァァンっ!
血管が切れるほどの怒りに満ち溢れ、縛られていた鎖を引きちぎった。
「なっ…!?鎖を…!?」
「そこをどけぇええ!!」
動揺して後ずさるラリウッドの腹へ、私は渾身の蹴りを叩き込んだ。
ドゴォッ!!
「がはっ!?」
神官とは思えない無様な声を上げ、ラリウッドが壁まで吹き飛び、音を立てて転がった。
さっきまで見下ろして勝ち誇っていたラリウッドが、腹部を抱えて顔を引き攣る表情に、心の奥底でドクドクと昂った。
「はぁっ…今から…お前の教祖を殺す…!」
「なっ…!?」
ラリウッドの次の言葉を待たず、すぐ恩寵の聖室を飛び出した。
教祖がいるであろう部屋に向かって走り出した。
けれど視界が歪んで、体は熱いまま、まるで高熱に侵されているようだ。
けれど私を支配しようとした元凶をこの手で葬りたいと、足を止めなかった。
その時だった。
「いたぞ!裏切り者だ!」「神殺しをひっ捕えろ!」
複数人の騎士が、何人、何十人と前から襲いかかってきた。
まずい…この人数の差はあまりにも不利すぎる。
……悔しいが、ここで相手するのは勝ち目がない。
「っ…!クソっ…!…必ず戻って…教祖を…グリジアを殺す!」
そう騎士たちに伝えると、窓を割って外に飛び出した。
草むらを掻き分けて騎士たちを撒くと、気がつけば森の中の木の葉の間から、月の光が差し込んでいた。
木に寄りかかると、全ての肩の荷が降りたのか立てなくなった。
足が痛い…指先すら動かせない。
教会から逃れられた…いや…というより逃げたという事実が、私のプライドが許せなかった。
まずい…意識が…今にも沈みそうだ。
今はとりあえず危機が逃れただけで、安全ではない。
まだ…どこか…安全なところへ………。




