1-2 日本人なら普通「読み書き計算」はできる? なわけないじゃん!
そしてオロロッカとアンジュは家に帰ったあと、領主である母親『カイカフル』のもとを訪ねた。
「ただいま。なあ、母さん」
「なんだい?」
「実は今日さ。俺と同じ『異世界転移者』にあったんだ。……来てくれ、アンジュ」
「は、はい……アンジュと申します……」
まだこの世界に慣れていないため、アンジュはきょろきょろと周囲を見渡しながら挨拶をする。
だが、アンジュは一見すると『酷薄ながら聡明な、悪役令嬢』だ。
そのため、オロロッカの母親は彼女のその様子について、
「自分たちの品定めをしながら、虎視眈々と成りあがろうとする、したたかな小娘」
と見えた。
「あんたアンジュい? ……オロロッカの話だと、住む家がないんだってね?」
「ええ。……ごめんなさい、実はこの世界に来たのが昨日だったので……」
「なるほど……ところで年齢は?」
「はい、17歳です」
それを聴いて、オロロッカは自分が思っていたよりも彼女が年上だったと気が付いた。
「なるほどね。……それでアンジュ、あんたは元の世界では何をしていたんだい?」
この世界では、17歳であれば大抵のものはすでに社会人として働いている。
そのため彼女は『何の仕事をしていたのか』という意味でそれを訪ねた。
だが、彼女はその含みをいまいち理解しておらず、
「あ、はい。学校ではディベート部で、色々討論をやっていました」
就職活動のようなノリで、そう答えた。
「ほう、ディベートか……テーマは?」
「はい。選挙で投票すべき人物についてです。来年から選挙に行く予定だったので」
「なんだって!?」
それを聴いて、彼女は驚いた。
この世界では、いわゆる普通選挙制は存在せず、一定以上の収入を持つ階級でなければ選挙に参加が出来ない。
そのためカイカフルはアンジュに対して、
「元の世界では、少女の身ながら選挙権を持つという、特権階級にいた存在だった」
と判断した。
それによってカイカフルは、アンジュのことを殊更、
「おどおどしたふりをしつつ、恐ろしい智謀をもって成り上がりを目指す、羊の皮を被った強烈な野心家」
であると判断した。
(……ん、私の首をじっと見てるな、この子……)
さらに彼女はアンジュが自分の首元をじっと見つめていることに気が付いた。これについても同様に、
(そうか、あの目つき……私を雇わないのであれば、いずれ報復をする……その時に首を刎ねてやろう……とでも言いたいのかねえ……フン、私の目は節穴ではないよ……)
と判断した。
なお実際にはアンジュは、
(あの領主様の首元……。変な虫が止まってるけど、どんな虫かな? そういえば、元の世界では蚊を最近見なくなったなあ……この世界にはいないといいけど……)
と、どうでもいいことしか思っていなかったのだが。
そのことを知らない『節穴の目を持つ領主』カイカフルは、少し畏怖を持った表情で答える。
「なるほど。じゃあさ。明日から私の屋敷で住み込みで働きながら、事務作業をやってもらうよ。読み書きや計算は出来るかい?」
「読み書き計算、ですか……?」
「アンジュ、安心してくれ。この世界はいわゆる『RPGゲームの世界』みたいだ。だから日本語を使えれば大丈夫だ。数字も『ふつうの数字』が使えれば問題ない」
オロロッカはそう横から補足するように答えた。
因みに『ふつうの数字』とはアラビア数字のことだ。だが頭が悪く語彙が少ないオロロッカには、その言葉が出なかったのだ。
だが、アンジュはその言葉の意味を理解し、
「はい、分かりました! 頑張ります!」
そう答えた。
そして数日後。
「ほう……大したもんだね」
「え、そ、そうですか?」
「ああ、これほど丁寧に密偵の報告書を要約できるとはね」
「いえ、別に……そんなに難しくないと思いますけど……」
「それに計算も恐ろしく早いんだね、あんた……」
そう驚くように答えた。
アンジュに与えられた仕事は、まず密偵から送られてきた周辺国の情報を要約すること。
そして大量の羊皮紙に記載された農作物の収量に関する計算だった。
「べ、別に私はそんなに仕事が早いわけではないですから……」
「ハハハ、謙遜するんじゃないよ」
別にアンジュは謙遜しているのではない。
客観的に判断すると、アンジュの事務処理能力は『高校生の平均レベル』でしかない。
……だが、彼女にとって幸運だったのは、カイカフルの比較対象がオロロッカだったことだ。
数年前までは、まだ彼女に期待をしていた領主は同様の仕事を彼女に割り振っていた。
だが……。
「なになに……? 今月の隣国における戦時における状況の問題は4割が兵士消耗による兵站が原因である。そして、や傷による損耗や、投石による消耗によって、敵兵の3割が撤退して混乱しているようで、残りの6割のうち4わりは駐屯している模様……おい、オロロッカ! なんだい、この文章は!」
……いうまでもないが、読み書きが出来ることと『精緻な文章をかけること』はまるで別物である。
また、計算についても同様だった。
「おい、オロロッカ! なんだい、この計算は! 一度も検算しなかったのか? なんで、国に納めた年貢の量が今年の収穫量より多いんだよ?」
「え、そ、その……電卓があれば、何とかなるんだけど……」
「なんだそれは! 転移元の話かい? あんた、計算出来るって言っていたのに、出来ないならそう言ってくれよ……」
計算が出来ることと『正確な四則演算が行えること』もまた、別物である。
彼女は手計算がまともに出来ず、ミスばかりしていたことも大きい。
……だが、我々はオロロッカを笑ってはいけない。
『自分は読み書き計算が出来る』なんて思っているが、実際にはオロロッカのような『日本語と計算方法を知っているだけ』という日本人は、決して珍しくはないのだから。
そのため、
「文字通り『普通の読み書き計算』ができるアンジュが、相対的に恐ろしく優秀に見えてしまう」
という現象が起きていた。
カイカフルは彼女の様子を見ながら、半ば呆れたようにつぶやく。
「オロロッカはさ。……自分は転生者だから読み書き計算が出来ると言っていたけどさ……実際にはあんたのようにはいかなかったからね」
「あれ、そうだったんですか?」
「ああ。ひょっとしたら、あんたみたいな転移者が来た時に居場所を作るため、出来ないふりでもしていたのかと思ったくらいだよ」
「へえ……」
無論これは、カイカフルは皮肉で言っている。
だが、アンジュはもともとエスカレーター式の私立学校の出身で、オロロッカのような『突き抜けたバカ』に会ったことはなかった。
そのため、
(そうよね。まさか、オロロッカさんは、こんな簡単な文章読解や計算が出来ないおバカさんなわけないもの……。きっとオロロッカさんは、爪を隠した優秀な鷹なのよね……ちょっと素敵かも……)
そんな風に真に受けてしまった。
そして彼女は、オロロッカに対して先輩に対する好意のような感情を持ちながらも、次の書類に取り掛かった。
そして数日の時が経過した。
「くそ……面白くないな……」
オロロッカは自領にある畑を耕しながら、アンジュが領主カイカフルから評価されるのを見て、あまりいい気持ではなかった。
そもそもこの世界では、彼を含む男性は、基本的に頭が悪い(無論、プロローグに出た女山賊のように、愚かな女性も多いが)。
彼もそのことは自覚していたため、
「自分より優秀な女性に対して嫉妬する」
という、元の世界の男性にありがちな嫉妬の感情は持たない。
……だが、このまま彼女がカイカフルからの評価を高めて行けば話は別だ。
もしも彼女のことを養子として受け入れるようなことになってしまったらどうなるか。
そうしたら、自分はカイカフルの領地を継ぐことが出来なくなってしまう。
その場合には自分は今の『つまらない仕事(オロロッカは、農作業をはじめとした力仕事を下に見ている)』を永遠に続けることになるし、念願の『美少女奴隷の購入』も出来なくなる。
(やっぱり、アンジュの奴は早いとこ、吸血鬼のとこに売り飛ばそう……。母さんには『旅の途中で賊に襲われて、奪われた』とでも言えばいいな……)
そんな風に考えながら、オロロッカは悪辣な表情で空を見上げた。