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魔女のテロメア

作者: 藤宮さらな

7冊計15万部出版したプロ作家作品


不老遺伝子を持ち

老いることがないエルフのような美しい容姿を持つ煌希。

自分の出生の秘密を探るため、不老長寿の研究機関に潜入。

最先端の予防医療の現場で暗躍する支配者の影。

ついに不老遺伝子がバレて、研究材料として体の組織を採取され・・・


次々に明らかになる出生の秘密、親世代の因縁に振り回される兄妹。

研究の名のもとに、生命倫理に反する受精卵という命を使った人体実験。

富裕層たちの飽くなき不老欲求と、それに応える治験扱いの予防医療。

再生医療、デザイナーベビーに切り込むメディカルエンターテイメント。

挿絵(By みてみん)


後藤煌希は、鏡の中の自分を見つめた。


艶やかでハリのある肌と、シルバーに輝くの髪。

大きな瞳は、ブラウンとブルーのオッドアイ。

ハーフのような端正な顔立ちで、極めて目立つ美しい容姿をしていた。

体形は小柄で、アイドルグループでも通るような愛らしさがあった。

外見だけ見れば、20代だ。


だが、煌希の実年齢は41歳。

彼の身体には、成人してから老いというものが訪れないのだ。

容姿だけでなく、全身の健康状態や体力も衰えを知らない。

(まるで、エルフだな)

鏡に向かって自嘲する。


煌希にとってこの容姿は、社会生活を送るうえで、邪魔でしかなかった。

IDの生年月日、経歴や実年齢は、容姿とかなりギャップがあった。


リジュべ・グローバル研究所に勤務するお堅い研究員としては、煌希の容姿はあまりにも奇異だ。

そこは、世界的に有名な不老長寿の研究機関で、テロメアやサーチュイン(長寿)遺伝子、再生医療、マイクロRNAやエクソソームなど研究をしている。

そんな中で、煌希の特異な身体がバレでもしたら、恰好の研究材料として、人体実験をされかねない。


 だが煌希は、自分のDNAと出生の謎を探るために、地味でまじめな研究員を装い、秘密裏にこのラボで自分のDNAの研究をしていた。


煌希は深いため息をつくと、老けメイクを始めた。

ファンデーションで浅黒く顔を汚し、シワやシミを書いていく。

白髪混じりのボサボサ頭のウィックをかぶり、前髪を目元まで落とす。

オッドアイのブルーの瞳を隠すために、カラーコンタクトを入れる。

黒ぶちの眼鏡をかければ、年相応に見えた。


               ★


リジュべ・グローバル研究所は、国立新美術館のような有機的な曲線で作られたガラスの高層ビルの上層階にあった。

 そこには、リジュベ・ウェルビーングホスピタルが併設され、多くの若返りを求める富裕層であふれていた。

 その病院は、最先端の老化予防のための医療や検診がメインで、自由診療のため、法外な医療費を請求していた。

 メインは、細胞からの若返りを目的とした再生医療だ。

 自分の脂肪細胞から幹細胞を取り出し、培養し増やしてから自分の身体に戻すというもので、それによって組織が新しく再生されるのだ。

 他の医療機関では膝関節の治療などにも使われているが、全身を対象とした若返り目的で実績があるのは、ここだけだった。

 もっと簡易な方法として、脂肪幹細胞培養液から抽出したエクソソームを投与する方法もあり、手軽な若返り点滴として人気があった。


ウェルビーングホスピタルでは、患者ではなくクライアントと呼ばれ、医療サービスを受けるお客様として、丁重に扱われ、もてなされる。

 だがその裏で行われる最先端の予防医療は、保険診療で病気を治す行為とはちがい、国の承認は受けていない。

医師の判断と顧客の承諾による治験として行われている。

 つまり、クライアントは法外な料金を搾取された上に、様々なバイタルデータを取られ、予防医療という名の臨床試験の被験者となっているのだ。

 もちろん、健康長寿のための予防医療で、健康を害すことがあってはならないので、慎重を期して行われている。

とはいえ、効果が出ない場合もあるので、個人差として片づけられるのだ。

 そして、サーチュイン(長寿)遺伝子を活性化させるサプリや、GDF-11のような若返りタンパクが入った化粧品の購入を薦められる。

もちろん、高額で。

 それらは、ダイエットサプリのように、微細な効果があっても、止めると老化は進行してしまう。


 こうして富裕層のクライアントたちは、若さを求めて高額の投資を続けている。

それが新たな研究費に充てられ、新たな医療へと循環していた。



不老長寿の錬金術



 ホスピタルからラボに、今日も大量の検体が届いていた。

 スタッフはテキパキとIDを確認して、DNA解析装置にかけていく。

 ここで、クライアントの究極の個人情報(DNA)を管理していく。

 また採取された脂肪は、CPC(細胞培養加工施設)に運ばれ、脂肪組織の中から幹細胞だけ取り出されて培養される。

 

 煌希は 届いた検体から、テロメアやGテールの長さ測定し、クライアントの寿命を算出していくのだ。

 

生物の遺伝情報が収納されている染色体の両端はテロメアと呼ばれ、別名『命の回数券』とも言われている。

細胞が分裂するたびにテロメアは少しずつ短くなるからだ。

時間とともに細胞分裂の回数が減り、やがて分裂しなくなった老化細胞からは、炎症の原因となるシグナルが出る。

老化細胞によって、老化も促進されるのだ。


寿命が短い人は、問診票を見ても明らかに生活習慣が悪い。

喫煙や過度な飲酒、睡眠時間が短いなどの不規則な生活に、ストレス。

高脂肪食、高糖質食、加工食品(添加物が多い)の過剰摂取と、運動不足。

これらの生活習慣が、老化の三大原因である、炎症、酸化、糖化を起こす。

ホスピタルで予防医療を受け、サプリメントを摂り、しっかりと生活習慣を改善すると、テロメアが伸びるのだ。


煌希はここのクライアントだけでなく、地方の医療機関の協力を得て、DNAを解析してテロメアの研究を続けてきた。

長寿村と言われるエリアでは、発酵食品や野菜の多い伝統的な食事で、高齢までずっと元気に働いている。

そういう人たちは金をかけなくても十分にテロメアが長い。

「高い金をかけなくても、テロメアは伸ばせるのに」

 こんな作業をしていると、つい独り言も出てしまうものだ。


 すると、向かいの席で入力作業をしている後輩の林田が、

「今さら、なにを言ってるんですか。クライアントは飯のタネですよ」

 と、呆れた顔で煌希に話しかけた。

 林田は、配属されたときから、煌希のアシスタントをしている後輩だ。

 年齢は2歳年下。

 他人に深く干渉せず、適度に距離を保つタイプだ。

 色々と詮索されると困る煌希にとって、気がラクな後輩だった。


「いや、独り言さ」

煌希は苦笑する。

「どんどん、データくださいよ」

林田は、煌希の算出したクライアントの寿命を、顧客データに入力していく。

「ん? 先輩、このIDの頭についたVってなんですかね」

煌希は怪訝そうに、自分のPCの顧客IDを確認する。

「えっ、こっちにはIDにVなんかついてないぞ」

「そういえば、システムを統合するとか言ってましたね」

「統合って?」

「僕の端末は、ホスピタルと共有になったんですよ。顧客情報の一元化とかだそうで、何がいいんだかよくわからないですけど」

「どうせ一元化するなら、全部やれよ」

 煌希は年季の入ったパソコンをコツコツ叩く。

 煌希のパソコンは、研究用にいろんな機器と繋がっており、特別なソフトが組み込まれているので、林田の顧客データ管理専用とは分けられていた。

「ですよね」

と林田は、愛想笑い。

「でもこのVなんだろう?顧客の属性だと思うんだけど・・・」

ブツブツを言いながら、データを加工している。

Vが付いたデータにソートをかけると、ある傾向が出た。

「えっ、なんだコレ。先輩、ちょっと見てくださいよ」

 煌希は面倒くさそうに、林田のPCを覗いた。

「先輩が診断した長寿指数AとかSランクばかりなんですよ」

「Vのクライアントだけ、パッと見ただけで優位性があるな。我々が知らない特別な治療でも、始めたのかもしれない」

「そうかもしれないですね」 

「ラボにも情報が開示されないなんて…」

煌希は、顔をしかめて考え込む。

「ま、いいじゃないですか。上層部が新手の錬金術を編み出したんじゃないですか?知らぬが花ですよ。我々には関係ない」

林田はお気楽に茶化すと、画面を作業用に戻した。

自分で話題をふっておきながら、興味を持とうとしない林田に、煌希は少しムッとしていた。

だが、林田のいう事は正論だ。

変なことに関わらない方が身のためだからだ。

このラボでは、法や生命倫理に関してギリギリというか、かなり黒に近いグレーゾーンの研究をやっているという噂だ。

卵子や精子バンクもあり、受精卵からES細胞までつくっている。

ES細胞は、体のあらゆる細胞に変化する能力をもつ多能性幹細胞のことだ。

受精卵に人権があるかというと、ここもグレーゾーンになるが、14日を超える培養を禁じているルールもある。

「さわらぬ神に祟りなしか」

煌希は林田の調子に合わせ、笑って見せたが、内心はそれどころでなかった。


秘密裏に行われている錬金術だ。

どんなことをやっているか、わかったものではない。

だが、研究員である煌希も、レベル3以上のデータの閲覧権、ラボへの入室権限を持っていなかった。

錬金術を調べるには、もっと出世して、上の権限を持つ必要がある。

だがそれは、年功序列のラボでは、何年かかるか、わからない話だった。


このラボで解明できたことは、煌希がSSSランク以上のテロメアをもっており、テロメアーゼ(テロメアを伸長させる酵素)の活性が高いこと。

そして、サーチュイン(長寿)遺伝子が発現している。

つまり、煌希のテロメアは細胞分裂の回数が減ることもなく、常に新しい細胞が再生されるので、老いることがない。

まさに不老長寿の身体をもっていることになる。

突然変異で、このような遺伝子が発現したとは、到底思えなかった。

煌希のオッドアイや銀髪も、メラニン色素を作る遺伝子が働かないと起きる遺伝病の一種で、非常にレアケースだ。

自分の遺伝子には何かがあると、研究者として直感しているが、それがまだ解明できずにいた。

それがわかれば、自分の出生の謎が解けるかもしれないのだ。


                ★


 煌希は、林田のパソコン を使って、Vが付いた顧客について調べ始めた。

 多くの顧客たちは3か月周期で通院していた。

半年以上通院がなかった顧客は、長寿指数が落ちており、通院を再開すると指数も上がっていた。

体の細胞は、部位によって入れ替わる期間が異なるが、約3ヶ月でほとんどの細胞が入れ替わると言われている。

そのタイミングに合わせるとなると、脂肪幹細胞培養液から抽出したエクソソーム点滴を通常は行っているが、こんなにいいデータは出ない。

特別な「何か」を使っているとしか思えなかった。

顧客データからは、これ以上の情報はつかめそうもない。

煌希は、ホスピタルへの潜入を試みることを考えた。

一般のクライアントの付き添いを装えば、怪しまれることはないだろう。



   ホスピタル潜入調査



煌希は、キレイめのカジュアルに、カラーコンタクトを入れただけの素の格好で、ウェルビーングホスピタルに潜入した。

そこはまるで、ホテルのロビーのような豪華な待合室だった。

いかにも富裕層らしいの男女が多く訪れていた。

ヘルスツーリズムで来ているスーツケースを持った外国人もいる。

若い容姿端麗なコンシェルジュがたくさんおり、手厚い接客をしていた。

ご丁寧に男性客には女性を、女性客には男性をつけている。


煌希はあのコンシェルジュに潜り込めば、色々探れると考えた。


祖母を待っているフリをしながら、

「ねえ、君。ちょっと聞いてもいいかな」

 煌希は、普段見せない極上の微笑で、コンシェルジュに話しかけた。

「はい、お客様。御用はなんなりとお申し付けくださいませ」

 振り返った彼女のネームプレートには、「内田美花」と書かれている。

美花は、親しみやすい感じのいい笑顔を向けた。

(さすが、躾、いや教育が行き届いているな)

「祖母が戻ってこないんだけど、時間かかるかな?248番なんだけど」

 煌希は、さっき診察室に入った高齢女性の番号を言った。

 美花は、端末で受付番号を確認する。

「伊集院様ですね。今日は点滴のご予定なので、1時間はかかるかと」

「そんなに待つのか。暇だなぁ…」

 煌希はわざと面倒くさそうな顔をしてみせた。

「あの、あちらのカフェコーナーでしたら、配信ドラマなど、自由にご覧になれるので、時間をつぶせると思いますよ」

「じゃあ、おれの暇つぶしにつきあってよ」

煌希の美しい瞳にみつめられ、美花は一瞬、顔を赤らめた。

「はい、かしこまりました」


 カフェコーナーでは、ドリンクサービスがあり、液晶ディスプレイ付きのリンライニングチェアもあった。

 煌希が窓際のテーブルにつくと、美花がドリンクを持ってきた。

「カフェアメリカーノをお持ちしました」

「ありがとう。ここは、居心地がいいね」

「ありがとうございます。お客様には、特別な癒しのお時間をすごしていただけるよう努めております」

 美花は、マニュアル通りの笑顔を向ける。

「ところで、美香さん。ここに勤めて長いの?」

美花は突然名前を呼ばれて、ドキッとした。

しかも、極めて個人的な質問だ。

「いえ、あの、まだ3年目なんです」

「そうなんだ。僕も美花さんみたいに、ここで働いてみたいなぁ。どうかな」

 煌希は艶っぽいまなざしで、美花の顔を覗き込んだ。

美花の頭から、接待マニュアルが消し飛んだ。

ドキドキが止まらない。

「えっ、あ、こ、こちらでコンシェルジュを、なさりたいのですか?」

美花は、この唐突も申し出に、返事をするのが精いっぱいだった。

煌希は、美花の手に自分の手を重ねて、耳元でささやく。

「そうだよ。美花さんと一緒に働きたいんだ。色々と教えてくれる?」

 この容姿をもってすれば、女をその気にさせるのはたやすいことだ。

「はい、喜んで。何なりとお答えいたします」


              ★

 

 美花は守秘義務、そっちのけで話し始めた。

「残念なんですけど、コンシェルジュは新卒採用なので、当分先になってしまうんです」

「そっかぁ、バイトなんか、雇わないんだね」

 煌希はカンタンに潜入できそうもなくて、がっかりした。

 美花はその様子を見て、言いよどみながら、

「あの・・・、このフロアのコンシェルジュでなくてよければ・・・」

「えっ、他のフロアなら、バイトができるの」

「そうなんですけど・・・、ちょっと問題があって・・・」

「なんか、意味深だけど、教えてよ」


美花は、自分の持てるすべての情報を話しはじめた。


それは、一般公開されていないVIPルームの存在だった。

煌希はVIPルームと聞き、顧客IDのVがVIPのことだと直感した。


VIPルームは、ゴージャスなラウンジになっていて、顧客に専用のコンシェルジュがつき、話し相手として徹底した接客をする。

その様はまるで、ホストとホステス。

有閑マダムのわがままなお相手にうんざりした同僚たちは、異動を希望し、常に人が足らないという。

それは、ホステス役の女性も同様で、セクハラまがいなことも多いそうだ。

美花もその噂から、特別支給が出ても、VIPルームの担当にはならないという。

だがその分、フルタイムではなくシフト制のバイトも募集していた。

ラボ勤務の煌希にとっては、本業の休みにシフトが入れられるので、好都合だ。


「それ、いいじゃん」

 煌希にとって、最高の情報源となる。

「本当に、VIPルームのホストになるんですか」

 美花は、ここで働くのは大変だということをわかってもらいたくて、話したのに、煌希がその気になっているので驚いていた。

「だって、バイトはその枠しかないんでしょう?」

「そうですけど・・・」

 美花は、煌希が有閑マダムの餌食になるのがいやだった。

「大丈夫。女の子はセクハラが辛いだろうけど、男は関係ないよ」

「でも…。面接が厳しくて、予防医療に関するテストもあるんですよ」

「おれ、面接には自信あるし、東京先端医療大学だから、テストも大丈夫」

「国立大…。超エリートなんですね。なんで、そんなバイト・・・」

 美花は、煌希の決意が理解できなかった。

 でも、彼がここで働けば、親しくできるチャンスも増える。

 有閑マダムはライバルにならないしと、考え方を変え協力することにした。


煌希は念のため、面接に母校の学生証を偽造して用意した。

テストは楽勝だが、逆に好成績にならないよう注意する必要もあった。

ただの学生を演じねばならない。



   VIPルームで高級ホスト



煌希は美花の紹介で、無事VIPルームのホストとして潜り込むことができた。


偽名は、佐藤功一というありふれた名前。

26歳の大学院生ということにした。

とにかく素性を隠して、情報を仕入れる必要がある。

幸い、VIPルームのホストたちは、金髪やメイクしている者もおり、素の煌希の容姿がとくに目立つことはなかった。


VIPルームは、飲食ができるラウンジを中心に各サービスを提供していた。

エステルームや、パーソナルトレーニングを受けられるジム、サウナやヨモギ蒸しなどの施設と繋がっている。

 つまり、ホストはこれらの施設にクライアントを誘導し、トータルでの予防医療と称して、客から徹底的にお金を落とさせるシステムになっていた。

 ホストもクライアントの落とした金額に応じて、特別支給が変わってくる。

 お客をたらしこんで、高額を払わせるのはホストと変わらないが、酒ではなく健康を売るので、まだ良心的かと煌希は思った。

 

クライアントと親密になるため、顧客名簿を確認することができる。

プロフィールには、誰の紹介か、配偶者の経歴や資産情報なども確認でき、VIPの中でもさらなるランク分けがされていた。

来院歴、一般的な治療内容とその結果、バイタルデータ、DNA情報、煌希が判定した寿命指数もある。

ホスト向けに、クライアントへのオススメの飲食メニューや施術のコースも記載されている。

担当者は、会話で得た情報を追記することが徹底され、初対面でも会話の糸口がつかみやすいシステムになっていた。

しかも、クライアントは、気に入ったホストも指名することも可能だ。

これらの個人情報をフル活用して、クライアントを囲い込みその気にさせる。

さらに、客とのトラブルを回避するため、各テーブルの接客は防犯カメラで四六時中撮影されており、管理されていた。


              ★


煌希は、タブレットの名簿の中から、有料顧客を探す。

VIPランクが高く、来院歴が長く、このホスピタルの関係者の紹介。

(あった!! これだ)

煌希は思わず、心の中で叫んでいた。


VIPランクは最上級

冷泉製薬の社長夫人 冷泉葵 67歳

冷泉製薬は、リジュべ・グローバルグループの大株主のひとつだ。

紹介者は、リジュべグループのCEO若宮杏寿郎。


(若宮杏寿郎!!)

この若宮杏寿郎の正体を探ることも、煌希の大きな目的だった。

母親が亡くなる時、唯一、言い遺した名前だ。

ただの研究員にすぎない煌希は、自分の会社のトップと会ったこともなかった。

自分がつかんだ情報は、WEB上の経歴だけだ。

しかも顔写真は非公開となっているため、人物が特定できない。

これだけ有名な企業のトップでありながら、顔出ししないのは珍しい。


冷泉製薬の社長夫人である葵なら、若宮杏寿郎と面識があるかもしれない。

さっそく、葵の情報を読み込む。

来院したときに、接点を持たねばならない。


ところが、葵は優良顧客なのに、指名された担当者がハイペースで変わっている。

何が原因なのか知りたくて、その担当者を探したが異動か退職しており、情報を得ることができなかった。

プロフィール画像では、とても67歳には見えない。

アラフィフでも通りそうな容姿で、女ざかりの妖艶なタイプだ。

毎週のように、VIPルームのエステやジムに通い、ラウンジでの飲食含め、1回で150万円は落としている。典型的な有閑マダムだ。


来客履歴のコメント欄には、

夫婦仲が悪く、苗字で呼ばれるのを嫌かる。

高学歴で、ステータスのある男が好み。しかも面食い。

スキンシップを好む男好き。

美容と健康に関して金を惜しまない。

漢方や自然療法も好む。

などと書かれていた。

予防医療のメニュー詳細が非開示になっており、錬金術の実態は聞き出すしかない。

煌希は、他の客の接客をこなしながら、葵の来店を待っていた。



     超VIP顧客の社長夫人



数週間ほどして、ついに冷泉葵が現れた。

 煌希は、葵を迎えに行き、丁重に挨拶をする。

「葵さま、お待ち申し上げておりました。新人の佐藤功一と申します。私がお相手してよろしいでしょうか」

 葵は、煌希の全身をなめるように見て、まんざらでもない笑みを浮かべた。

「あなたでいいわ。案内して」

 葵は煌希に手を差し出す。

 煌希はその手を恭しくとると、席に案内をした。

「葵さま、前回お越しになってから、一か月ほど経ちましたが、お体の調子はいかがでしょうか」

「とくに変わりはないわ。それよりあなた、ここにいつ入ったの?」

 葵は煌希に興味津々だ。

「つい数週間前です。まだ大学院生なので、研究の合間にこちらに」

「そう、まだ学生なのね。かわいいこと。どちらの大学?」

「東京先端医療大学です」

「あら、トップレベルの国立じゃない。あなたも予防医療の研究をしているの」

「はい。お客様にお会いすることで、何か研究のヒントをつかめるかと思いまして」

「まあ、感心だこと。私は何か、お役に立つかしら」

「そうですね。葵様の治療の詳細が僕には見られないのですが、何をされたら、こんなに若くておキレイなのですか」

 煌希は早々に聞きだすチャンスを得て、葵の頬に触れながら、顔を寄せた。

「それは内緒よ。誰にも他言しないことを条件に受けられるの」

 葵の言葉に嘘はなさそうだと、煌希は感じた。

 ここの関係者にさえ情報を出させないトップシークレットの錬金術。

 なんとしても知りたい。

 葵の意味深な微笑みには、まだ可能性があると思った。

「そうですか、残念。葵さま、体の冷えは気になりませんか?指先が少々冷えてるように感じましたけど」

「そうかもしれないわ。ここのところ、運動もしてないし代謝が落ちているかも」

「ちょっと失礼します」

 煌希はそういうと、葵の手を取って脈を診始めた。

「沈脈のようですね。冷えのほかに、体がだるいと感じますか」

 葵は漢方にも興味があるので、東洋医学の真似ごとをしてみた。

「あら、そんなこともわかるの?すごいわね。そうなの。最近、ちょっとね」

 葵は「特に変わりがない」といったくせに、だるそうに、煌希にもたれかかる。

煌希も葵の腰に手を回して、体を寄せた。

「それはよくないですね。体が温まるものをご用意します。薬膳スープはいかがですか」

「メニューはあなたに任せるわ。それより、ココ。こんなに冷えてる」

 煌希の手を取ると、スカートの中に手を入れさせ、自分の太ももをなでさせた。

「ずいぶんと冷たくなってます。温めないと」

 煌希は葵のスカートの中で、官能的に太ももに指を這わせた。

 葵はたまらず、煌希の耳元でささやく。

「功一くん、今度、外で会わない?あなたの知りたいこと、教えてあげるから」

 それは煌希にとってもありがたい申し出だ。

 ここでは秘密を聞き出すにも限界がある。

「ありがとうございます。楽しみにしています」

 煌希は自分のスマホのナンバーを、そっと葵に渡した。



     トップシークレットの代償



数日後、煌希は葵に呼び出された。

 そこは、外資系の5つ星ホテルのスィートだった。

 高層階で、窓から皇居外苑や日比谷公園の眺望が見下ろせた。

 ルームサービスで、イタリアンのランチを二人で食べる。

 高級なワインも用意され、ほろ酔いの葵は、煌希にワインをすすめる。

 煌希は、奥のベットルームをチラリと見やり、心の中で思案していた。

 

なるほど、トップシークレットの見返りは、昼下がりの情事か。

 思惑通り、葵を落とせば、情報は得やすくなる。

 今までもこうしてVIPルームのホストに関係を迫っていたのだろう。

 たしかに20代の男には、この年代の女性の相手はしんどい。

 だから、部署を異動したり、バイトなら辞めていくのだと悟った。


葵は煌希の思惑なぞ知りもせず、饒舌に自分の話を続けた。

会話の内容は、葵の退屈な日常の愚痴だ。

典型的な有閑マダムのどうでもいい話が、延々と続く。

 他の若いホストたちには不毛な時間だが、煌希にとっては、若宮杏寿郎につながる話題がでるかもしれないので、興味深く聞いていた。

 葵にとっても、そんな煌希の態度は自分に関心があるのだと思わせ、とても心地いい。

 すっかり、煌希に心を許している。

「夫ったらね、リジュベのサロンの子が気に入って、ついに愛人にしてしまったわ」

葵のいうサロンは、VIPルームのことだった。

 煌希にも愛人になってほしいと、ほのめかしている。

 煌希は気づかぬふりをして、話をつづけた。

「会長もあのお年で、お盛んですね」

「そうよ、あのサロンのおかげで、みんな元気よ」

 葵は、煌希の手を握って、微笑んでいる。

 煌希は、葵の手をすっと外し、グラスにワインを注いだ。

 肝心な話が聞けていないのに、まだ報酬は早いというものだ。

 葵は、煌希の気持ちを察して、話題を変えた。


「そういえば、先月、リジュベのサロン10周年のパーティーがあったの」

「えっ、あのサロン、10年も前からあるんですか」

 10年前と言えば、煌希がまだ大学院生で、会社に入っていない。

 そんなころから、錬金術が始まったことになる。

「そうよ、私がまだ50代の頃よ」

「そのパーティーは、特別なお客様ばかりですよね。うちの社長や幹部の人たちも出席したんですか?」

「副社長はいらしたけど、若宮社長はいらっしゃらなかったわ」

 ついに、葵の口から若宮の名前が出た。

「そうですか。若宮社長って、顔だしされないけど、どんな方ですか」

 こんなVIP客にも顔出ししないのかと、煌希は驚いていた。

「あなた、社長に興味があるの?」

「そりゃそうですよ。予防医療のカリスマですから。若宮社長のご紹介とありましたので、ご面識があるのかと」 

「あるわよ。若い頃は、かなりのイケメンだったわよ」

 煌希が聞きたいのは、そんなことではない。

「でも、会ったのは、40年以上前よ。このラボができたころかしら」

 そんなに昔だと、現在はどんな容姿なのかわからない。

 ならば、錬金術の秘密を聞き出さねば、ここまでサービスしたかいがない。

「ところで、葵さんはどんな治療をうけているんですか」

「点滴やサプリよ。ちょうど5年前くらいに、新しい薬ができたとかで、みんな飛びついたわ」

「それは、どんな薬なんですか」

「それがよくわからないの。点滴なんだけど、説明聞いたけど忘れてしまったわ」

 煌希は肩透かしされた思いでがっかりした。

 たしかに、素人に点滴の詳細がわかるわけはなかったが。

 5年前と言えば、長寿指数のSランクが増え始めたころだった。

 落胆した煌希の様子に、葵はまずいと気づいた。

 やっと釣った魚を逃がしてしまう。

必死で遠い記憶を探る。

「なんかの培養とかで使ったのを、なんとかしたとか・・・」

 まったく要を得ない回答だが、煌希には察しがついた。

 幹細胞培養液から、エクソソームを抽出したものだろう。

だが、それは現在も普通の治療として行われている。

「それは、エクソソームとか言っていましたか? 原料は胎盤ですか、脂肪細胞ですか」

 煌希は思わず、専門的なことを聞いてしまう。

「えぇっ、そんな難しいことはわからないわ。ただ、特殊ルートから入手しているので、量も少ないし、限られた人しか使えないって」

 特殊ルート・・・。

 脂肪由来、歯髄由来、胎盤由来以外の、特別なものがあるのだろうか。

 しかも、量が限られるということは、入手困難な原料ということになる。

 原料と言っても、すべては人間の細胞由来だ。

 特定の人種か、若年層のものか。

 若年層の血液を輸血した老人が元気になったと話題になったことがある。

 それとも・・・・。

もしかして、限定された人間?

 煌希は、自分の幹細胞を培養すれば、若返り強度の高いエクソソームが採れるかもしれないと想像した。

 こんなとは、葵の話を聞くまで、想像すらしてこなかったことだ。

 まさか、自分と同じような遺伝子の存在がここにいるのか?

煌希はつい難しい顔をして考え込んでしまった。

 

「功一くん・・・」

 葵は、煌希を怒らせたのかと思い、不安な顔をしている。

「あっ、葵さん、ごめんなさい。つい研究のことを考えてしまって」

「なら、いいのだけど。気分を害したのかと思って」

 葵は餌をお預けされた子犬のように表情で、煌希を見つめている。

まったくの仮説でしかないが、葵の若さのレベルを知りたいと思った。

「とんでもないです。益々、葵さんの若さの秘密を知りたくなりました」

 煌希は、甘い微笑を葵に向け、彼女の身体を抱き上げた。

 そして、ベットルームに運ぶ。


              ★


 煌希は、葵を抱きながら、体をくまなく観察していた。

 臨床試験では、被験者にこんなことは到底できない。

葵は恰好の研究対象だった。

 昼下がりの情事なので、明るいまま体を観察できる。

 葵は最初恥ずかしがっていたが、煌希の甘い言葉にどんどん大胆になっていく。

 肌のハリや、豊かなバスト、ウエストのくびれ、体の反応は、女ざかりのままだ。

 この年代だと膣の収縮も起こるが、閉経前の女性とさして変わらない。

67歳にして、若い男を欲しがる体をしている。

 一般的なエクソソームでは、ここまでの若返りは期待できない。

 葵の身体は、特別なエクソソームが再生を促しているようだ。

 


   若返りエクソソーム



 煌希は、いつものようにオジサンメイクをして、ラボに出勤した。

 なんとしても、葵からヒントを得た仮説を検証したかった。


 再生医療では、自分の幹細胞を培養し患部に戻すのだが、色々問題があった。

 生まれた時には60億個ほどある幹細胞が、20歳頃には約10億個ほどになり、40歳では約3億個まで減ると言われている。

 若い方が好ましい訳だが、日本では自分の幹細胞の培養しか許されていない。

 そもそも幹細胞が減少して必要になるのは、高齢になってからだし、自分の体から幹細胞を摘出するのは、体への負担もある。

 また、他人の幹細胞は、免疫系が異物と認識して攻撃する拒絶のリスクもある。


 ところが、エクソソームは、拒絶反応が起こりにくいと考えられている。

それは、エクソソームが非常に小さな粒子であり、免疫系の監視をすり抜けることができるからだ。

エクソソームとは、細胞から分泌される小胞で、様々な物質(タンパク質、成長因子、抗炎症サイトカイン、核酸など)を内包している。

そして、細胞間で情報伝達をし、臓器などの損傷した部位に集まり、修復を促したり、組織の再生を促す効果がある。

肌でいえば、肌の細胞の修復を促し、肌のターンオーバーを正常化する。

新しいコラーゲンやエラスチンの生成を促し、肌にハリや弾力を与える。

活性酸素による肌の酸化を防ぎ、シワやたるみの原因となる老化を抑制する。

肌を再生し、若々しい肌に導くので、女性たちはその美容効果に飛びつくのだ。

 若い女性の血を飲むことで若返りをはかるドラキュラのように、他人のエクソソームを活用することで、若返りを期待する。

 とくに臍帯(へその緒)由来のエクソソームに人気があるのは、胎児の成長を促進する様々な成長因子を豊富に含んでいると考えられるからだ。


煌希は、自分のエクソソームを分析することにした。

そのためには、比較する対象が必要になる。

煌希は後輩の林田に声をかけた。

「すまないけど、少し血をわけてくれないか」

「はぁ? お、おれの血ですか?」

 林田はすっとんきょうな声を上げる。

「そうだよ。ついでにおれの血も採血してくれ」

 煌希は採血セットをテキパキと用意する。

 まずは、自分で腕まくりし、ゴム管を腕に巻いて縛り上げた。

「こんどは何を始めるんですか?」

 林田は怪訝そうに、煌希の静脈に注射針をさし採血をする。

「しかし、先輩の腕って、キレイですね。若々しいっていうか」

 煌希はハッとした。

 普段は他人に見せない腕だ。

 ここまで、オジサンメイクはしていなかった。

「そうかな」

 とりあえず言葉を濁したが、林田は気にする様子もなかった。

「ま、仮設の検証だよ。結果がでるかもわからないから、身内に頼んだのさ」

 林田はしかたなさそうに、煌希に腕を差し出した。

「まったく、詳しくは聞きませんけど、今度飯を奢ってください」

「わかったよ」

 

 分析結果から、煌希と林田のエクソソーム量にはかなりの差があった。

 自分より実年齢2歳下の林田の方が、かなり少ない。

 煌希は、次にマウスに自分と林田のエクソソームを投与し比較した。

 煌希のエクソソームを投与したマウスの方が、明らかに老化の進行が遅い。

 煌希の仮説どおり、自分と似たような遺伝子を持った人物がラボにいる可能性があった。

 もしかして、若宮自身か?

 ずっと顔出しできない理由として、自分のように老いないからなのか。

 若宮が自分の遺伝子の秘密をつかんでいるような気がしてならない。

 煌希は、なんとしても、若宮に近づきたいと思った。



    女性を愛せない理由



 煌希は若宮の情報を得ようと、美花を外部に誘い出した。

 ホスピタルの近くのカフェに、美花は嬉しそうにやってきた。

「美花ちゃん、こっち」

 先に席についていた煌希は、美花に手を振った。

「功一くん、お久しぶり。せっかく同じホスピタルで働いているのに、ちっとも会えないんだもの」

 美花は、煌希のバイトの面倒を見たことで、すっかり距離を縮めている。

「仕方ないだろ。あそこ、特別のIDがないと入れないから」

「でも、功一は、私たちのフロアに出れるじゃない」

「あれ?知らないの? おれたちみたいなチャラいホストは、表に出ないように言われてるんだよ。品位を損なうだろ」

「そうなんだ。知らなかった」

 美花は残念そうにいう。

「ねぇ、バイトはどんな感じ?」

 美花は興味津々に聞いてくる。

 おばあちゃんより、若い自分の方がいいと言ってもらいたいのだ。

「ああ、平穏にやってるよ。祖母の相手は慣れてるし」

 美花は、バイトの愚痴が聞けなくてがっかりした。

「そういえば、今日、おばあさまが来院されていたわよ。付き添わなくてよかったの」

 煌希は、あの時適当に選んだシニア女性を思い出した。

「ああ、元気だから大丈夫。それより、ここのバイトの話はしないでくれよ。祖母にも家族にも内緒だからさ」

 煌希は、内心焦っていた。

 美花に話しかけられでもしたら、自分の嘘がバレてしまう。

「もちろんよ。それで、なにか事件とかないの」

美花が期待しているのは、自分が顧客に受けたセクハラだと察した。

そういう意味では、かなりのセクハラにあっている。

当然、そんなこと、話すわけがない。

「事件?そんなもんないよ」

 煌希は、身を乗りだして、話題を変える。

「それよりさ、若宮社長って会ったことある?」

「えっ、社長なんて、会ったことないわよ。っていうか、見たことない」

「正社員なら、入社式とかさ」

「ないない。副社長が挨拶してたけど。なんで、そんなこと聞くの」

 美花にとっては、全く興味のない話しだ。

「いや、この病院の経営は、どうなってるかと思って。おれもいずれは、親の病院を継げと言われているし」

「功一くんて、病院の御曹司なのね」

 美花の目が輝く。

「いや、地方都市の小さい病院さ」

 適当についた嘘なのに、こうも信じるとは。

 煌希は、呆れていた。

 高学歴で、病院の御曹司の大学院生。

 いかにも嘘くさい設定で、自分でもうんざりする。

 美花は急に態度を変えて、熱心に話し出す。

「噂では、若宮社長のことを知っているのは幹部の人だけじゃないかって。だって、ドクターやナースも、社長を見たことないらしいわよ」

「そうなんだ」

 煌希は、若宮に近づくのは大変だと思った。

「それにホスピタルの経営は、全部、副社長が仕切っているって噂よ。どんな部署にも顔を出して、文句を言って回ってるって、同期が言っていたわ」

(ここのキーマンが副社長なのか・・・)

 煌希が思案していると、美花は、

「ねぇ、功一くんって、彼女いるの」

 煌希に接触してくる女性のほとんどが聞く質問だった。

「いや、いないよ」

 こう答えると、決まって、

「なら、私とつきあって」

(またかよ・・・)

 煌希にとって、この手の告白は日常茶飯事だ。

「友達としてなら、いいよ。おれは、彼女はいらない」

「えっ、なんで?」

「おれは、恋愛に興味がないんだ」


それは、本心だった。

実年齢の39歳なら、結婚して子供もいて、家庭を持ってもおかしくない。

だが、ともに年を重ねられないのに家庭を持つ意味がない。

自分は何歳まで生きるかわからない中、妻も子供も、孫でさえも、先に見送らねばな

らないのだ。

 ましてや、自分のこの遺伝子を子供に継ぐことなど、考えたくもない。

 そんな結果が待っているのであれば、恋愛などする気にもならない。

 煌希はこうして、人と距離をおきながら、孤独の中で生きてきたのだ。

 誰にも言えない秘密を抱えたまま。



    逃げ出した患者



 煌希は、情報をつかめないまま、行き詰っていた。

 ひとり、ラボを抜け出して、別のフロアの喫煙スペースで、加熱式たばこを吸っていた。

 リジュべの関係者は、誰一人たばこを吸わない。

 予防医学において、たばこのリスクを当然知っているからだ。

 ここでは知った顔の人間と顔を合わすこともない。

煌希にとってたばこは、何の害もなかった。

 肺胞がどんどん再生されるので、ダメージが蓄積されることもない。

 自分の身体を害して、老化の進行度合いを見るために始めたが、なんの変化もなく、習慣だけ残ってしまった。


 煌希がビルの中庭のテラスにでると、ベンチにうずくまっている女性の姿をみつけた。

 周りには誰もいない。

 煌希は、慌てて、その女性に近づいた。

 黒いロングヘアに、かなり痩せた体形をしている。

室内着のような薄手の服を着ていた。

 季節的にも、こんな格好では体が冷えてしまう。

 案の定、寒そうに震えている。

「大丈夫ですか」

 煌希は、彼女の肩をそっと叩いて、声をかけた。

 その女性が振り向いた。

 20代くらいのかわいい女性だった。

 長い前髪で、顔が半分くらいを覆われていた。

「そんな恰好では、風邪をひきますよ」

 その時、ちょうど雨が降ってきた。

 容赦なく、その子の身体を濡らしていく。

 煌希は、着ていた白衣を脱ぐと、その子にかけて、室内に移動させた。

「すみません。逃げ出してきたので」

「えっ、どこから?」

 その子は、上の方を指さして下を向いた。

 ビルの上といえば、ホスピタルとラボくらいしかない。

「もしかして、入院患者さんですか」

 煌希はびっくりして聞いた。

 ホスピタルでは、ファスティング(断食)療養などをやっているので、ホテルのような入院施設も備えていた。

「どうしても、カップラーメンが食べてみたくて」

 その子は微笑んだ。

 煌希はその笑顔に、なぜか、とても親近感を覚えた。

「ファスティング中ですか」

「はい。そんな感じです」

「そのままでは、風邪ひく。乾かしたほうがいい」


              ★

 

 煌希はラボの仮眠室に、その子を連れて行った。

 そこには、簡易シャワーやドライヤーもある。

 普段は、ほとんど使われていない部屋だった。

 部外者を連れて入っても、みつからなければ問題にはならない。


 彼女がドライヤーで乾かしている間、煌希はカップラーメンを用意した。

 テーブルを座り、二人でカップラーメンを食べる。

「美味しい!!  私、カップラーメン食べるの、初めて」

 彼女は屈託のない笑顔でいう。

「マジで? どんな生活していたの」

「あっ、父から体に悪いものは食べるなと」

 煌希は、その言葉を聞いてちょっと納得した。

 20代でリジュベの予防医療を受けさせるなんて、金持ちで健康オタクの父親だろう。

 なら、カップラーメンを止めるのもわかる。

「まだ、20代でしょ。何喰ったって大丈夫だよ」

 彼女はあいまいな微笑を浮かべた。

「あのお代を払いたいんですけど。私、今、持ち合わせがなくて」

「いいよ。大した金額じゃないし、ごちそうするよ」

「ありがとうございます。この御恩は忘れません」

「大げさだな」

「あの、おじさま。お名前教えてください」

(おじさまか)

 煌希がそう呼ばれたのは初めてだった。

 仕事以外では素の格好なので、おじさん呼ばわりされたことがない。

「後藤煌希だよ。ここのラボの研究員さ」

「私、雨宮紬希と申します」

 紬希は、煌希に深々とお辞儀をした。

 その時、長い髪の間から、真っ白い髪の毛が見えた。

 煌希の視線に気づいた紬希は、慌てて髪を直す。

「私、リジュベにはよくいるので。またお会いできたら御礼します」

 紬希は、そういってラボから出て行った。

(なんか、不思議な子だったな。浮世離れして)

 垣間見えたのは、自分の銀髪よりも真っ白い白髪だった。

(あの子もウィック? まさかな。インナーカラーのオシャレかな?)


 煌希は紬希の存在が気になって、VIPの顧客名簿を調べてみた。

だが、雨宮という苗字は見つからなかった。

親はVIP顧客ではないということだけは、わかった。

(一般客なのかな。あの子はいったい…)

 普段、女性に興味を持たない煌希だったが、どこか心にひっかかるものを感じた。


 

   がんプロジェクト発足



数日後、ラボで「がん」に関するするプロジェクトが発足された。


 予防医療に傾注している研究所として、病気である「がん」を研究対象にすることは異例だった。

 煌希は、その研究プロジェクトメンバーに選ばれた。

 大学院時代、がん細胞の研究をし、論文も出していたから抜擢されたのだった。


がん細胞はテロメラーゼという酵素の働きによって、自らテロメアを伸ばし無限に分裂を繰り返すことができる。

 がん細胞の性質が、なぜか自分の遺伝子と似ているように感じられたからだ。

 もちろん煌希の細胞は、再生するときにコピーミスを起こすこともないし、がん細胞のような無秩序な増殖をすることはない。


 数名のメンバーが収集された。

 クライアントの中から、がん患者が出たそうだ。

 細胞の再生を促すエクソソームは、がん細胞も活性化してしまい、増殖を早くする可能性がある。

 しかも、血管を通して体中に運ばれるエクソソームは、がんの転移も容易になる。

 なので、ウェルビーングホスピタルでは、事前にがん検診をうけ、問題のない健康な人間を対象にしてきたはずだ。

 それなのに、発症したということになる。

 VIPご用達エクソソームを使ったら、その細胞再生能力から、あっという間に全身がんで亡くなるかもしれない。

 どこの過程で、がん細胞が発生したのか、つきとめなければならない。

 がん専門の研究所ならいざ知らず、このラボにはその手のエキスパートがいない。

 煌希にとっても、やっかいなプロジェクトだった。

 

              ★


 煌希はため息をつきながら、自分のデスクにもどった。

「先輩、おめでとうございます。昇進ですね」

 林田は嬉しそうに、煌希に近づいてきた。

「何、ただの面倒ゴトだ。プロジェクトに入っても、昇進じゃない」

 煌希は不満そうに答えた。

 それでなくても、ホストのバイトが忙しい。

 プロジェクトは、とても時間がかかる作業なのだ。

「またまた。噂じゃ、レベル4まで情報開示されるんでしょ。立派な幹部候補ですよ」

 たしかにレベル4まで情報開示されるのは、シニア研究員クラスだ。

 林田がそう思っても仕方ない。

「そうだな。ついでに錬金術の秘密でも探ってみるか」

 煌希は、林田にジョークを言う。

「マジですか。先輩、暗殺されないように気を付けてくださいよ」

「おまえ、ドラマの見過ぎだよ」


            ★


煌希はレベル4の情報をフル活用して、錬金術の正体を調べ始めた。

せっかくもらった権限なので、使わない手はない。

今まで閲覧することができなかった階層にたどり着いた。

そこに、タイトルのないファイルをみつけた。

そこを開くと、特定のIDを持つ人物だけの治療履歴が入っていた。

そのIDを持つ人物は、脂肪幹細胞の培養を何度も行っていた。

だが、脂肪を定期的に摘出するだけで、自身への投与がない。

せっかく摘出した幹細胞を培養しても、自分に戻していないのだ。

(これは、いったい・・・)

煌希の脳裏に恐ろしい推測が過る。

(まさか、これは・・・)

このIDは体を切り刻んで、脂肪幹細胞の提供だけをしている?

そこから培養されて、エクソソームを採取されているのではないか。

錬金術のために。

不老長寿の妙薬の原料は、生身の人間の身体なのだ。

美容整形で、脂肪吸引して廃棄する脂肪とはわけが違う。

定期的に、腹部を切られて、体の一部を提供しているのだ。


煌希は、体の奥から猛烈な怒りがこみあげてくるのを感じた。


これは、一種の臓器売買じゃないのか。

こんなこと、許される訳がない。

本人は、本当に同意しているのか。

だとしたら、何のために体を売るんだ。


煌希だって、自分のDNAがわかれば、このラボで人体実験されかねない。

他人事ではないのだ。

 そのIDに関しては、それ以上の情報はなく、煌希は調べようもなかった。

 だが、自分と同じような、特殊の遺伝子をもっている可能性がある。

 煌希は、林田がさっき言ったジョークを思い出していた。

(これは、マジで、命が危ないかもな…)

 煌希は、亡くなった両親のことを思い返していた。



   会社をあやつる女狐



葵は煌希との関係を続けるため、サロンに通い詰めていた。

あの日以来、すっかり煌希の虜だ。

煌希の言いなりになり、勧められるままに、高額の高麗人参茶や薬膳料理を食べ、エステなどの施術を受けていた。

おかげで、ますます体調もよく、元気を持て余すようになっていた。

どんなに金を積んでも、煌希は愛人になる気はないという。

お金のためのバイトなら、葵の愛人になったほうが効率が良い。

だが煌希は、頑固なまでに、サロンの仕事にこだわっていた。

それを葵は、顧客を研究したいという煌希の好奇心として好意的に受け止めていた。

だけどサロンでは、煌希に会えても、スキンシップ止まり。

上顧客でありながら煌希の顔色を伺い、嫌われないようにしていた。


煌希も、葵の機嫌を上手にとりながら、

「ねえ、葵さん。あの人のこと、どうなった?」

「あの人って?」

葵がとぼけてみると、煌希は葵の耳元で

「若宮さんのことだって、わかってるでしょ」

と、ささやくのだ。

煌希の唇が、耳たぶに触れる。

煌希はこうして、葵の気持ちを煽る。

葵にとっても、煌希の秘密の頼まれごとは、外で会う絶好の機会になる。

煌希に抱かれるかと思うと、葵はときめきが抑えられなくなる。


こうして葵は、ご褒美のために、サロン仲間の友人や関係者にせっせとヒアリングして回った。

噂好きのお仲間は、いろんな情報をくれる。


                ★


煌希は、葵に呼び出され、またホテルのスィートルームにきていた。

アフタヌーンティセットとワインが、ルームサービスで運ばれてくる。

葵にとっては、待望の昼下がりのデートだ。

だが、若宮の情報を目前にした煌希にとって、葵の愚痴にのんびり付きあう気分ではなかった。

葵は、気もそぞろな煌希の様子に、がっかりした。

自分に興味がないのはわかっていた。

でも、少しは前回のように、優しくしてくれると思っていた。

煌希は、情報を知りたいだけなのだ。

となれば、話より報酬の時間に充てたほうがいい。

葵は、愚痴をやめ、話を切り出した。

「若宮社長のこと、少しわかったわ」

 葵はもったいぶって、煌希の顔を覗き込む。

「なんでそんなに知りたいかわからないけど、・・・重病説が出ているそうよ」

「えっ、重病?」

 煌希は、唯一の手掛かりとなる人物の状態におどろいた。

 これで会えないまま、死なれでもしたら、自分の謎は一生解けない。

 煌希のただならぬ様子に、

「あっ、ごめん。内部関係者の噂だから。ここ数年、誰も姿を見ていないって」

 そんな言葉は慰めにもならない。

 内部関係者が姿を見ていないのは事実。

元気だとしても、何かあるはずだ。

仮に内部に入っても、若宮と会うことは容易ではなさそうだ。

煌希は、どうしたら近づけるか思案にしていた。


「だから、あの女がやたら出しゃばって来るのよ」

 煌希の気持ちをよそに、葵は噂話を続ける。

「あの女って誰ですか」

「副社長の朝比奈玲依よ。元社長秘書だったくせに、出世したもんだわ」

 煌希は、美花が副社長の話をしていたのを思いだした。

「やり手なんですか」

「若宮さんはどちらかというと研究畑らしいわ。だから、経営を任されているみたい。あのサロンを企画したのもあの女らしいわ」

 煌希は、錬金術の裏に、この女の存在を感じた。

 VIPルームのシステムは、富裕層の欲を満たし、多額の金を搾り取れる。

「葵さん、その副社長さんって、どんな人?」

「多分、私より若いわよ。でも還暦はすぎているはず。派手な顔立ちで、有力者に媚びを売って回るのよ。で、部下にはパワハラがひどいらしいわ」

「パワハラって、なんでわかるのさ」

「ホストやスタッフが愚痴ってるって、噂なのよ」

 葵の情報源は、基本、有閑マダムたちの噂話だ。

 盛っているにしても、ある程度は事実だろう。

火のないところには煙は立たないものだ。

「あの女、会社を牛耳っているのは自分だと憚らないのよ。有力者たちの弱みを握って、抜け目のない女狐よ」

煌希は、玲依に対し、強欲でずるがしこいイメージを持った。

 だが、その女が若宮への近道になること確実だ。

 煌希は、その女狐に近づく手段を考えていた。

 葵のように、簡単には落とせないだろう。


「あの女のせいで、夫は若いコとベッタリよ」

 葵は自分のことを棚にあげていう。

「葵さんは、僕と旦那さん、どっちがいいのかな」

 煌希は、いたずらっぽく葵を見つめた。

 まずは、葵に報酬を与えて、次なる情報を集めてもらわねばならない。

「やだぁ、功一に決まってるでしょ」

 煌希は、優しく葵をベッドルームに誘った。

 


    ナンバー1ホストの座



 玲依は、副社長室いた。

 ビルの最上階にあり、眼下にオフィスビルや、東京ベイエリアも望める。

プロジェクタ―に映し出されたグラフを見ながら、革張りの大きなプレジデントチェアに、ふんぞり返って座っていた。

 

副社長秘書の須藤は、部門別の売上報告をしていた。

VIPルーム部門の売上推移が、ある時期から急に右肩上がりになっている。

「あら、VIPルームは、ここのところ好調じゃない。要因は?」

 須藤は、顧客別データを出す。

「冷泉葵様の来店頻度と、購入金額が以前の5倍になっております」

「あら、葵さん。いいホストを見つけたのかしら。あの人のおかげで、どれだけホストが辞めたことか」

「須藤、ホストの売上ランキングは?」

 スクリーンに売上高のランキングのグラフが写された。

 トップに煌希の名前が写される。

「佐藤功一? 知らないわね。どんなコなの?」

「冷泉様以外にも、上顧客から何人も指名されている売れっ子です」

「いいから、プロフィールデータだして」

 煌希の顔写真や、出身校などが写された。

「これは、かなりのイケメンね。しかも国立大の院生とはできすぎだわ」

 玲依は、煌希が葵を抱いている姿を想像した。

 そうでもしなきゃ、葵がここまでハマるわけがない。

「枕営業してまで、ここで働く意味があるのかしら。葵さんと直接付き合えば、贅沢し放題なのに」

 玲依は煌希に興味を持った。

「須藤、このコの出勤日を調べて」


              ★

         

 煌希はいつものように、VIPルームに出勤していた。

 端末で今日の顧客名簿を見ていると、入口の方がざわついている。

 振り向くと、派手な顔立ちの白いスーツ姿の女が立っていた。

 VIPルームのマネージャーやスタッフが一斉に、すっ飛んでいくところを見ると、顧客ではなく、幹部であることが想像できた。

(あれが、女狐の副社長か?)

煌希は直感でそう思った。

 案の定、マネージャーが、

「副社長、急にお越しになられて、なんの御用でしょうか」

 あたふたしている。

「私がいつ来ようが、おまえに報告する必要はあって?」

 きつい眼差しで、マネージャーを一括している。

「業績がいいから、見に来たのよ」

「ありがとうございます」

「おまえじゃないでしょ。稼いでいるのは」

 玲依は、須藤に目配せをする。

「佐藤功一を呼びなさい」

 須藤はマネージャーに命じた。

 煌希は、自分が呼ばれたのを察したが、あえて無視していた。

 体に緊張が走る。

 葵に話を聞いたときは、玲依をどうやって落とそうかと画策していた。

 だが、それは、数段ハードルが高いと直感した。

いやな予感しかしない。

 マネージャーが煌希のそばに来る。

「副社長のお呼びだ。こっちに来てくれ」

「はい。なんの用ですか」

「私にもわからん。失礼のないようにな」

 マネージャーが明らかにビビっている様子がうかがえた。

(たしかに、パワハラがありそうだ)

 煌希は、玲依が社内を高圧的な態度で、仕切っていると察した。


 煌希は、平静を装って、玲依の前に立った。

「佐藤功一と申します。僕になにか御用でしょうか」

 玲依は煌希の全身を舐めるように見る。

「なるほどね。さすが、ナンバー1ホストね」

 煌希は無表情なまま、会釈した。

(しまった。売上を上げ過ぎて、目をつけられたのか)

 煌希は売り上げなど気にしていなかったが、葵を筆頭に、みんな煌希のために、貢いでくれた結果、ナンバー1になっていた。

「ずいぶん、がんばってくれているようだけど、理由は」

「金のためです。他に理由が必要ですか?」

「金のためだけに、あんなことするのかしら」

 玲依は、煌希の耳元で

「枕営業よ。葵さんを抱いたでしょう」

 煌希は、カッとのぼせるのを感じたが、必死にこらえた。

「何のことでしょう?」

 表情ひとつ変えずに答えた。

 煌希は内心焦っていた。

(この女、どこまでおれの情報をつかんでいる?)

葵が自分のことを、この女に話すとは思えない。

どんな情報網を持っているか、想像もできず、ぞっとした。

「ま、いいわ。機密情報を外部に売らなければね」

 玲依は、ニコッと氷の微笑を向けた。

(おれを産業スパイだと疑っているのか?)

煌希は、玲依を落とすことを断念した。

 迂闊に動けば、こちらの寝首をかかれる。

 今後の動きも注意しないと危ない。

「しっかり、働いてちょうだいね」

 玲依は去っていた。

 

玲依は須藤に

「あのコ、怪しいわ。素性を洗ってちょうだい。極秘扱いで」

「かしこまりました」

「それと、あのコが葵さんの接客に入る時、隠しカメラを仕込んでおいて。どんな接客をするか、見てみたいわ」

 


   煌希の両親の謎



葵は夫のいない間に、夫の書斎を入り、物色していた。

それもこれも、煌希に会いたいためだ。

外で会う口実さえつくれば、煌希がとろけるようなご褒美をくれる。

なんとしても、若宮の情報を探したい。


夫の書斎には、会社関係の書類は一切置かれていなかった。

だが、デスクの引き出しから、関係者とのスナップ写真をみつけた。

若宮を探すが、どうでもいい夫の顔ばかり。

その中に、ラボ創設時代の古いスナップをみつけだ。

当時いた研究員たちが、ラボで働いしてる、

数枚だけ、若宮が写っている写真があった。

だが、どれも後ろ姿で、顔がわからなかった。

それでも、煌希と会う約束はできる。

葵は、居てもたってもいられず、煌希に連絡をした。


            ★


煌希は、いつものホテルにやってくるなり、

「葵さん、若宮さんの写真見つけたって?」

葵の切り札を早急に要求した。 

見返りに応えるにしても、あまり時間をかけたくない。

煌希は、玲依の動きに焦っていた。

葵は自分との関係を、マダム仲間に自慢している可能性はあった。

葵と悠長に関係を持っているのは、危険だと感じていた。

葵は煌希の性急さに驚いていた。

だが、甘いご褒美のためには、機嫌を壊したくない。

 葵はうなづくと、バックを手に取った。

「ところで、おれと葵さんのこと、誰にも話してないよね」

「えっ、なんでそんなこと聞くの?お友達に自慢したかったけど、功一との約束だから、誰にも話してないわ」

 葵の言葉には嘘はないと思った。

 友人への自慢も我慢するほど、葵は従順な乙女になっていた。

 となると、玲依がカマをかけてきていることになる。

 (一筋縄ではいきそうもないな、あの女狐は)

「そうか、ごめん。キツイ言い方した」

 煌希は葵に対し、いつもの自分を演じられず、反省していた。

「何かあったの?」

「いや、大丈夫だよ」

 煌希は葵に、優しく微笑みかけた。

 逢瀬を楽しみにしていた葵は、微笑にほっとしたが、煌希の様子がおかしい事だけは気が付いた。

恋愛に年齢はないというが、煌希にすっかり恋をしている。

だから、笑顔でごまかす煌希にこれ以上は聞けなかった。


 葵は気まずそうにスナップ写真を見せた。

「ごめんなさい。若宮さんはコレ」

 葵は、後ろ姿の若宮を指さした。

 これでは顔がまったくわからない。

 スナップを数枚めくってみた。

 だが、若宮の表情がわかるものがない。

 文句を言おうとした瞬間、煌希は絶句した。

 写真の中に、若き日の両親が写っている。

 白衣を着て、並んで座っていた。

 (な、なんで、父さんと母さんが・・・)

「これ、誰ですか」

「知らないわ。ラボ創設時のスタッフじゃないの。40年以上前よ」

 葵は、想定外の質問に憤慨した。

 煌希は、若宮と両親の死、何かあるとは思っていた。

 まさか、同じ職場で、研究員として働いていたとは想像もしていなかった。

 両親が働いていたラボで、今、煌希も働いている。

 これは、何かの運命としか思えなかった。

 


 壮絶な生い立ち



煌希は10歳の時、交通事故で両親を失っていた。


自宅に帰ってきた父親が、

「二人とも、早く車に乗れ、逃げるんだ」

 玄関を開けるなり、そう叫んだ。

 母親も煌希も、着替える間もなく家を出た。

母親に促されて、煌希は後部座席に押し込まれる。

父親が車を発進させると、すぐに後続車が追ってきたようだった。

「くそっ、アイツら。しつこいな」

 父親は後続車を振り切れず、市街地から山中に入った。

 後続車のヘッドライトが、煌希たちを執拗に追いかけている。

 カーブが続く中、遠心力で体が振り回される。

母親に抱きしめられながら、煌希はそれ耐えていた。


「ああっ」

父親の叫び声とともに、車が真っ逆さまになった。

煌希も、シートから体が投げ出される。

父親がハンドルを切り損ねて、崖から落ちたのだった。


ガッシャーーン!!

落下とともに、後部座席のドアが開き、煌希は外に投げ出されていた。

母親に守られていた煌希は、奇跡的に助かったのだ。

つぶれた後部座席から、母親は血まみれの腕を差し出した。

「これは事故じゃない。あの男にすべてを奪われた・・・」

 母親は、息も絶え絶えだった。

「あの男って」

 煌希は訳も分からないまま聞いた。

「わかみや・きょうじゅ・・・逃げて、煌希・・」

 そう言って、息を引き取った。


煌希は、その言葉を胸に刻み、その場から急いで逃げだした。

両親の命を狙った追手が、探しに来るかもしれない。


煌希が真っ暗な森を数十メートル下ったとき、

ドッカンッ

 大きな爆発音がした。

 振り返ると、車が爆発して、火柱をあげていた。 

 煌希は、両親を永遠に失ったのだと悟った。

 人を殺す追手の存在。

煌希は素性を隠さねばならないと本能的に悟った。

 だが、命が助かったとはいえ、腕や肋骨の骨が折れている。

 体中、傷だらけになっていた。


 翌朝になり、煌希は山を降り、市街地に出た。

 全く知らない街だった。

 折れた腕や肋骨が腫れ、ものすごい痛みが襲ってくる。

(やばい、治療しなきゃ)

煌希は、記憶喪失のフリをして病院に行った。

 身寄りのわからない子供に、ケースワーカーは親切に対応してくれた。

治療後、煌希は児童養護施設に入ることになった。


 地元の新聞記事には、両親の死は、単なる自動車事故として報道されていた。

(あれは、殺人事件じゃないの?)

 煌希は子供心に不審に思ったが、大人に訴えることはしなかった。

 大人を信じたらいいのかさえ、わからない。

 苗字を変え、素性を隠した煌希に、新たな追手が現れることはなかった。


               ★


新しく学校生活を送る中で、煌希は体の異変が気になり始めた。

 友人たちより、怪我の治りが速い。

 学級閉鎖になっても、自分だけ感染症に罹らない。

 体だけでなく、頭も友人より優れていた。

記憶力が抜群によく、大した勉強をしなくても高得点が取れた。

 煌希は、人よりも能力が優れていることが不思議だった。

 もしかしたら自分は、他の人間と違うのではないかと思うようになる。


 自分で謎を解明するために、奨学金で国立東京先端医療大学に進んだ。

 大学で学生生活を送る中、煌希は『リジュべ・グローバル研究所』の存在を耳にすることになった。

 最先端の再生医療をしていると、話題になっていたからだ。

 煌希も興味を持って調べていくと、あの名前と出会ったのだ。


わかみや・きょうじゅ・・

若宮杏寿郎

それは、母が遺した名前だ。


なんと、リジュべ・グローバル研究所の社長の名前だったのだ。

両親から全てを奪った相手だ。

煌希は、この研究所に入社することを目標にした。

大学院で博士号を取り、やっと入社にこぎつけることができた。



   ラボの創設メンバー



煌希は、両親の謎を調べるため、ラボに来ていた。

まさか、ここで、両親が働いていたとは。

両親が導いてくれたとしか、思えなかった。


煌希はラボの端末で、社員登録名簿から、自分の両親の名前を検索した。

not found

所属していた履歴が抹消されていた。

40年前のことだ。

当時を知る人間は、すでに退職する年齢になっている。

知っているとすれば、若宮本人と、創設メンバーの一部の役員だ。

おそらく、当時秘書をしていた玲依も、事情を知っているだろう。

だが、近づくには危険すぎる。


なぜ、若宮は、両親からすべてを奪ったのだろうか。

すべてとは何を指すのか。

それは、両親の命と、自分の命だったかもしれない。


煌希は子供の頃の記憶を思い返していた。

父親は近所の工場に勤めており、母親は専業主婦だった。

今思い返しても、同業の研究者らしい一面を見たことがない。

多分、何かがあって、研究所を退職して、素性を隠していたのだろう。

転勤も多く、色んな町に引っ越した記憶がある。

それも、素性隠しのためだったのかもしれない。

煌希の目立つ銀髪やオッドアイの青い瞳も、子供専用のウィックや、コンタクトレンズで、隠していた。

そこまでして守るものはなんだろうか。


もしかして、自分の存在?

血縁関係のない子供である自分を、そこまで守るだろうか。


煌希は血液型から、両親が自分と血縁がないことに気づいていた。

両親はO型だが、煌希はB型だった。

DNA鑑定もいらない、子供でもわかる事実だった。

それに亡くなった両親の顔は、煌希と全く似ていなかった。

外見も年相応に老いていたし、病気もする普通の人だった。


煌希は、若宮にとっての自分の価値を考えた。

特異な不老遺伝子を持っている。

リジュベ・ウェルビーングホスピタルにとって、錬金術のタネだ。

煌希は、ハッとした。

(おれは、実験対象だったのか?)

レベル4でみつけた特定のIDと同じ存在だったかもしれない。

両親たちは、乳幼児の身体を刻む行為を、同じ研究者として許せなかったのではないだろうか?

そして、ラボから乳幼児を助け出し、養子として育てた?

 だが、追手から身を隠すために、経歴も捨てざるを得なかった?

 結果、追手に見つかって、事故死するハメになった?

仮設でしかないが、煌希はそんな可能性を考えた。


            ★


煌希はホストとして、VIPルームに出勤していた。

ここの研究員だった両親の謎を探さねばならない。

今日の顧客は、退職したラボの研究員の奥様だった。

昔のことを、何か知っているかもしれない。

顧客リストを確認する。


藤田明子 70歳。

紹介者は夫になっている。

来院頻度は3か月に1度。

治療歴に、38歳 女性ホルモン補充療法(HRT)開始

45歳で子宮筋腫により子宮全摘。

来客履歴のコメント欄には、

健康に関する知識が高く、論理的思考。

ホルモン療法への抵抗感が強い。

性的な関係を好まない。

などと書かれていた。


 煌希は、葵とは真逆のタイプだと思った。

 この手のご婦人に性的なアプローチは逆効果になる。

 信頼を勝ち取って、心を開いてもらうしかない。


 プロフィールどおり、上品なご婦人だった。

 煌希は、明子を席に丁重に案内する。

「飲み物はいかがですか」

「オススメはあるのかしら」

「搾りたてのオーガニックザクロジュースはいかがですか?人気ですよ」

 煌希は、よくオーダーされているアイテムを選んだ。

 ザクロ=女性の味方と思っている客が多いのだ。

「どんな効果があるのかしら」

健康に関する知識が高いはずなのに、ザクロの効果を聞いてくるのは、自分の知識を試されているのだと思った。

「サーチュインという長寿遺伝子を活性化するそうです」

 明子の目が輝く。

「それは、どんな有効成分が効いているのかしら」

 また、テストのようだ。

「エラグ酸が含まれていて、それが腸内細菌によってウロリチンに代謝生成されます。それが、サーチュイン遺伝子を活性化するそうですよ」

 煌希はわざとマニアックな言い方をした。

「あなた、随分と詳しいのね。ちゃんと応えてくれた人は初めてよ」

 明子は嬉しそうにしている。

 煌希は、こんな簡単な知識もない他のホストたちを哀れんだ。

「僕は東京先進医療大学の大学院生で、バイトなんです」

「あら、現役の大学院生なのね」

 明子は驚く。


 明子は、ザクロジュースを飲みながら

「あの、ちょっと相談してもいいかしら」

「なんでしょうか」

「あのね、さっきここの先生に、女性ホルモンを薦められたんだけど、怖くて断ったの」

「なぜですか? 以前された経験がおありですよね」

「そうなんだけと、それで筋腫が大きくなってしまって・・・」

 明子は言いづらそうに下を向く。

 顧客リストにあった、『45歳で子宮筋腫により子宮全摘』を思い出した。

「そうでしたか、その治療を受けたのはここですか」

「いいえ、その頃は働いていたので、会社の近くの婦人科なんだけど」

「処方された薬は、プレマロンという錠剤ではなかったですか?」

「えぇっ、なんでそんなことまでわかるの」

「当時使われていた有名な薬ですから。妊娠した馬の尿から精製していて、ちょっと問題になった薬です」

「まあ、そうなの。馬の尿だなんて・・・」

 明子はショックを受けていた。

「ここでは、ナチュラルな天然型のエストロゲンを処方していますよ」

 それでも、明子は浮かない顔をしている。

「では、サプリメントのエクオールはどうですか? 大豆イソフラボンを腸内細菌が代謝して作られます。女性ホルモンと似た働きをしますよ」

「あら、なんかよさそうね。それください」

 煌希は、明子の信頼を得ることができた。

 明子は心を開いて、煌希との会話を楽しむ。

「主人がねー、家でずっとゴロゴロしてて、ボケちゃいそうで心配なの」

「ご主人は確か、ここの・・・」

「そうよ。ここのラボの研究員だった。定年退職したの。同じ年の若宮さんが、まだ現役で頑張っているのに」

 ついに、明子が若宮の話題を出した。

「うちの社長をご存じなんですか?」

「ここ数十年はお会いしたことないけど、若い頃はね。主人がよく話していたわ」

「どんな方なんですか? ぼくはバイトだから、全然知らなくて」

「すごく研究熱心な方だったわ。従来の医療は病人を治すことだけど、これからの医療は病気にならない体をつくることだって、40年前からおっしゃっていたのよ」

「そんな頃から予防医療の概念を。素晴らしい方なんですね」

 煌希はこのビジョンを聞いて、ただの金の亡者ではないと思った。

経営者というよりは、研究者だ。

「夫もすごく傾倒してしまってね。一緒に熱心に遅くまで研究をしていたそうよ」

「旦那さまの同僚に、斉藤という名の夫婦はいませんでしたか」

「さあ、夫から、その名前をきいたことはないわ。お知り合い?」

「あ、すみません。親戚が勤めていて」

 煌希は、両親の情報が得られず、がっかりした。

「ところで、若宮社長の後継者は、いらっしゃるんですか?ご子息とか」

「それが、息子さんを亡くされてね。お嬢さんはいらした気がするわ。でも、会社の後継者は、副社長がなるんじゃないかしら」

「すみません、立ち入ったことを伺い過ぎました」

 煌希は不審がられる前に、慌てて話題を変えた。


 また、あの女狐の名前が出て、煌希は不愉快だった。

 (若宮の娘か、30代くらいだろうか・・・)

 煌希は、娘に近づけないかと思ったが、それこそ、何の情報もない。

 それに、一研究員にすぎない両親の存在を探すのも困難だ。

 写真を持っていた葵でさえ、知らないのだ。

 ここで探すとすれば、明子のようなOB夫人を当たるしかない。



    狙われたDNA



 煌希は、ラボのOB夫人を見つけては、積極的に接客していた。

 今日も、新しいOB夫人の相手をしていた。

 だが、両親の存在は知らないという。

 その時、ウエーターが耳打ちをしに来た。

「後藤さん、冷泉様がお見えですが」

 煌希は、時間を見る。

 確かに葵の予約の時間だ。

「もう少し、待っていただいて」

 情報を持っていないからと言って、接客を止めるわけにもいかない。

 入口の方を見ると、葵が怒った顔でこちらを見ている。

 煌希は、軽く会釈をした。

 その様子をみたOB夫人は、

「あの、冷泉さまの予約が入っているんですか」

「あ、お気になさらないでください。先客優先なので」

「そんな、私が困ります。後で睨まれますので、あちらを優先してください」

 OB夫人は、葵にかなりビビッているようだった。

 さすが、冷泉製薬の社長夫人だ。

 マダムたちのヒエラルキーのトップに君臨している。

 なら、お客さまのご意向なら従うまでだ。

 煌希は葵の席に行った。


「お待たせいたしまして、申し訳ありません」

 煌希は丁寧にあいさつをして席についた。

葵は開口一番に、

「ねえ、功一。あの方とも仲がよろしいのかしら」

 嫉妬をむき出しにしている。

「今日、初めて接客した方ですよ。僕も仕事なんだから、仕方ないでしょ」

「こんな仕事しなくても、いくらでもお小遣いをあげるのに」

「ここにいたから、葵さんと会えたんでしょ」

「でも、私は、功一が他の女に触れるのがいやなの」

 煌希は、葵の耳元で

「僕は誰とでも寝るような、安い男じゃないですよ。あなたは特別なんだ」

 煌希は葵を抱き寄せる。

「功一ったら」

 葵はうっとりした瞳で煌希を見つめる。

「葵さん、最近ますますキレイになってるね。今度は何をしたの」

「功一のおかげに決まってるじゃない」

 葵は煌希に甘えて寄りかかる。

 煌希は、他の席から見えない死角に周り、葵をハグしてやった。

 葵はうっとりしながら、唇を寄せてくる。

 煌希は、葵の頬に触れながら、官能的なディープキスをした。

 こうやって煽れば、葵はたまらず、また情報を集めてくる。

 

            ★


その時、煌希と葵の様子は、リアルタイムで見られていた。

葵の席には事前にセットした隠しカメラがあり、玲依と須藤は、VIPルームのバックヤードで、その様子をモニターで見ていた。

「まあ、ずいぶんなサービスだこと」

 玲依は、煌希の態度に、さすがに呆れていた。

「いかがいたしましょうか」

 須藤は真顔で、玲依に指示を仰ぐ。

「別にいいわ。これで利益が上がるんだから、ありがたいじゃない。うちの客にここまでサービスしてやるホストがどこにいるっていうのよ」

玲依は、スクッと立ち上がる。

バックヤードから出ると、ツカツカと葵の席にやってきた。


 すでにキスは終了し、高額な料理がテーブルに運ばれていた。

「葵様、本日もお越しくださいまして、ありがとうございます」

 玲依は丁重にお辞儀する。

(えっ、なんで、ここに女狐が・・・)

煌希は、玲依の登場に絶句していた。

 あの日以来、目を付けられていたようだ。

 まさか、接客の様子を見られたのか。

 煌希は、テーブルに置かれた花の中に、隠しカメラを見つけた。

 背筋に悪寒が走る。

 (聞かれてまずい話はしていないはずだ)

 煌希は、記憶をすごいスピードで回想する。


「あら、副社長さんじゃない。相変わらずおキレイね」

 葵は、皮肉を込めて嫌そうに挨拶を返した。

「何をおっしゃいますか。葵様の方が輝いてますわよ。ところで、うちのコに、何か失礼はありませんか」

 玲依は煌希の顔をじっと見た。

 煌希はその視線にゾッとする。

 まるで獲物を見るようなまなざしだ。

(なんの茶番劇だ。おれに何か仕掛けようとしているのか)

 煌希は、平静を装いながら、思案に暮れていた。

「功一くんは、すごくいい子。私は気持ちから若返ったわ」

 葵は満面の笑みで、煌希に微笑んだ。

 煌希も慌てて、微笑み返す。

 ここは、茶番に素直に従うしかない。

「それは、よかったですわ。それにしてもキレイな銀髪ね。ブリーチじゃなさそう」

 玲依は、煌希の髪をサワサワとなでるように触れた。

 触られた瞬間、猫の毛を逆立てるような嫌悪感が走った。

 まるでモルモットを観察するようなさわり方だ。

 玲依の指輪に髪の毛がひっかかり、1本抜ける。

 葵は、煌希を触れられて、すごく不愉快な顔をした。

「生まれつき、色素がないので」

 煌希は、不快な感情を抑えつつ、微笑を浮かべて答えた。

「そう、アルビノとは珍しいわね」

 玲依は、にやりと煌希を見つめた。

 アルビノとは、生まれつき体内の色素が不足している遺伝病の専門用語だ。

「引き続き、うちのコをよろしくお願いします」

 そう、会釈して去っていった。

「なんなの、あの女。あなたに触れるなんて、セクハラじゃない」

 葵は、自分の行動を棚に上げて、憤慨していた。

 

煌希は、玲依の態度に、嫌な予感しかしなかった。

産業スパイと疑っているなら、とっくに素性を洗っているだろう。

偽名だし、東京医療大学に在籍していないこともわかるはず。

なのに、そのまま泳がされたままだ。

行動を監視されたのは、今回が初めてだろうか。

アルビノという染色体異常にも反応していたのが気になった。

いずれにしろ、身辺に注意を払わねばならない。

 


   デザイナーベビー



 煌希は「がん」プロジェクトで、レベル4の特別な研究室に来ていた。

 研究するに際し、レベル2の情報しか知らない煌希は、特別にレベル4の情報のレクチャーを受けることになった。

 噂レベルで聞いていた通り、法や生命倫理を無視した行いが実際に行われていた。


 ここでは、顧客の要望に応え、卵子バンクと精子バンクから、遺伝子を選別し、交配して受精卵を作っている。

 一般的に片親が原因の不妊治療の場合は、卵子や精子提供者の個人情報は、開示されず匿名性が保証される。

だが、ここで提供された卵子や精子には、提供者のIQや経歴、容姿にいたるまで、詳細な血統書付きだ。

優秀な遺伝子を持つ卵子や精子ほど、ランク別に高額で販売している。

国立大出身の研究者や、プロのアスリート、美形の男性たちは、気軽く精子を売りに来るそうだ。

ここでは、卵子や精子の遺伝情報を解析して、望み通りの子どもが生まれる確率を予測するシステムまで持っている。

つまり、頭脳明晰で、運動神経もよく、美しい容姿を持つ子供を持つことができる。

自分の遺伝子を入れなければ、髪の色や目の色も、顔立ちも自由に選べるのだ。

まさにデザイナーベイビーだ。

 こうして、富裕層に向け、デザイナーベイビーを提供していた。

 もちろん、日本では、許されたことではない。

 

 デザイナーベビーの精度を上げるため、選別した受精卵を培養して、交配後の遺伝子の

解析も行っている。

 受精卵の人権は明確ではないが、14日を超える培養を禁じているルールもある。

だが、受精卵という人の命をつかった、人体実験に他ならなかった。


この研究を見て、煌希はハッとした。

もし、テロメアの長い遺伝子を選別し、デザイナーベビーをつくれば、自分と同じような人間が誕生するのではないか。

 

 育ての親は、どんな経緯で自分を助けたのか。

 まさか、受精卵で持ち出したのか。 

 それとも、母の子宮に着床させて、ラボからでたのか。

 乳児や幼児の時に、連れ出したのか。

 両親が死亡した今、謎を知るすべもない。

 

 インキュベーターに並べられた、培養容器を見て、煌希は吐き気がした。

 あの中で、多くの人の命が育てられている。

 そして母の子宮で育てられることなく、ただの細胞として捨てられる。

 自分ももしかしたら、あの中にいたのかもしれないと思った。


「君、大丈夫か。顔が真っ青だぞ」

 煌希はチーフに腕をつかまれ、顔をあげた。

 あまりのショックに、気分が悪いのを気づかれたようだ。

 しっかりしなければならない。

 煌希は気持ちを引き締めた。

「大丈夫です。すみません」

「ならいいが、説明を続ける。ここでがん細胞を培養し・・・」

 チーフは、がん細胞の培養について話しを続けた。



    女狐の罠



 玲依は、副社長室にいた。

 プレジデントチェアに、足を組んでふんぞり返っていた。

 須藤は、玲依に報告書を渡す。

「秘密裏に進めた佐藤功一のDNA の分析結果が出ました。副社長のご指摘の通り、とんでもない結果です」

 玲依は、葵を接客していた時に、煌希の髪の毛を採取していた。

 煌希のいやな予感は、見事に的中していた。

「彼は、お嬢さまと同様の不老遺伝子の持ち主でした」

「やっぱりね。あの方に面差しが似ていたのよ。まさか、自分からここに来るとは」

「まったくです。彼はどこまで知っているのでしょうか」

「さぁ、真相が知りたくて、ここに来たんじゃないの」

「なるほど」

 須藤は妙に納得したようにうなづいた。

「ところで、この情報は誰にも知られていないでしょうね」

「もちろんです。誰か特定できないように分析させました」

「で、あのコの素性は洗えたの? 偽名や経歴詐称以外の情報は?」

「すみません。巧妙に隠されていて、自宅はおろか、個人情報がつかめません」

「ま、いいわ。出勤しているんでしょ。呼び出して」

「かしこまりました」

「わからないことは、本人に聞けばいいだけよ」


                ★


煌希は、副社長室に呼び出された。

(いやな予感しかしない…。あの女狐、何の用だ…)

できれば、この事態を避けたがったが、雇用されている以上、拒めない。

まだ辞めるわけにはいかなかった。

VIPルームで、若宮のことも両親のことも調べねばならない。

 

 煌希は意を決して、副社長室に入った。

 玲依は、部屋の中央にある応接セットのソファーにかけていた。

 須藤は、秘書らしく、玲依の脇に立っている。

 須藤に促され、煌希は玲依の対面に座った。

「なにか御用でしょうか」

 煌希はつい、緊張した面持ちで尋ねた。

「あら、緊張しなくていいのよ。ちょっとお客様のことを聞きたくて」

 玲依は、笑みを浮かべた。

 その笑みが、いっそうの恐怖を煌希に与えた。

(明らかに嘘だな。本当は何を知りたいんだろうか)

「あなた、葵さまとかなり親密なようね」

(葵さんの接客が、問題になっているのか?)

 煌希は色々と考えあぐねるが、玲依の狙いがわからない。

「いえ、そのような。よく指名をいただいてますが」

「まあ、いいわ。注文データを見ると、あなたは、葵さんの食の好みを知りつくしているようね」

「ただ、ご希望に合わせてお勧めしているだけです」

 玲依は片手をあげて、須藤に合図をした。

須藤は、煌希の目の前に、お茶を差し出した。

「これ、新しく開発した漢方茶なのよ。葵さまのお口に合うと思う?」

 こう切り出された、飲まない訳にはいかない。

「僕でわかるかどうか、失礼します」

 煌希はしかたなく、お茶を飲んだ。

 何の変哲のない漢方茶のはずだったが、煌希はほどなく意識を失った。

 睡眠薬が入っていたのだ。

 煌希は、体を保つことができずソファーにくずれ落ちた。

「あら、ずいぶん効き目がいいお茶だこと」

 玲依は意識のない煌希の顔を覗き込む。

「イケメンね。葵さんの気持ちもわかるわ。須藤、とっとと運んで」

 須藤は、煌希を抱きかかえて、副社長室を出て行った。

 

                 

   晒された出生の秘密



煌希が意識を取り戻すと、そこは手術室だった。

歯科医の診療に使うような電動チェアに座わらせられていた。

手足を縛られていて、身動きができない。

しかも、患者用の手術着を着させられている。

煌希は自分の有様に、恐怖した。

(おれに、何をする気なんだ)

 扉が開くと、玲依と須藤が入ってきた。

「やっと、お目覚めのようね」

 玲依は嬉しそうに煌希をみている。

「おれをどうする気だ」

 煌希は拘束されたまま、体を全力で揺すって暴れる。

「静かにさせて。意識を残す程度にね」

 須藤は、医師に指示をして、筋肉弛緩薬を注射させる。

 煌希は体の自由を奪われて、一層の恐怖にかられた。

「眠っている間に、あなたの体をくまなく調べさせてもらったわ」

 玲依は、視姦するようなまなざしで、煌希の身体を見降ろした。

「人間として生まれて、立派に成長したものだわ。色素異常以外、なんら欠損も異常はなかったわよ。とってもキレイな身体だわ」

煌希は羞恥心と怒りで血が逆流するのを感じた。

「キレイなブルーのオッドアイね。コンタクトで隠すなんてもったいない」

 玲依は、煌希に近づき、頬に触れた。

 煌希は抗おうにも、体が動かない。

「お、おれを、どうするんだ」

 やっとの思いで、言葉にする。

「どうするもなにも、あなたはこのラボで生まれたのよ。所有者はこの会社。つまり、私ってこと。わかっていて、帰ってきてくれたんじゃないの」

「ええっ」

 煌希は絶句した。

 煌希が想像したことは、現実だったのだ。

 あのインキュベーターにいた受精卵は、自分と同じ。

 デザイナーベイビーとして研究用に作られていた。

「おれは、デザイナーベイビーなのか」

「あら、何も知らないで、ここに来たの?」

 玲依は呆れた顔をする。

「斉藤は何もあなたに話してないのね」

 あんなに知りたかった両親の名前を、玲依が話している。

「両親のことを知っているのか」

「知ってるも何も、恨んでるわ。あの男は、この会社の知的財産を盗んだのよ」

(知的財産?知的財産って何のことだ。研究のことか)

煌希には、玲依が言っている意味がよく分からなかった。


「斉藤にあなたを盗まれたとき、もうだめだと思ったわ。あの男はね、ラボの後輩を代理母にして、受精卵を着床させて、ラボからまんまと逃げたのよ」

(え? 受精卵っておれのことか?)

玲依のいう知的財産とは、煌希自身のことだった。

 煌希はずっと知りたかった真実を突きつけられ、ひどく混乱していた。


 まさか父親と慕っていた男が、研究用の受精卵を盗んだなんて。

 しかも、その受精卵を母に着床させていたなんて。


(おれを人間にしたのは、研究成果を盗むためだというのか?)


「盗んだなんて、嘘だ!!」

 煌希は、斉藤夫妻に愛情深く育てられた。

 そんなことをする親とは思えない。

 女狐が本当のことを言うわけがない。

(おれを惑わせようとしているだけだ。いいように扱うために)

 煌希は、葛藤していた。

 両親に愛された記憶が、次々とよみがえる。


「本当のことよ。斉藤はね、若宮社長の研究成果を盗んで、海外の研究機関に売ろうとしたのよ」

 玲依は追い打ちをかけるように、残酷な現実を煌希に突き付けた。

「そんなわけないだろ!!」

(そんなこと、信じたくない。おれを命がけで守ってくれたのに)

玲依は、残酷な笑みを浮かべ、

「だって、あなたにはそれだけの価値があるのよ。世界初の、遺伝子操作で生まれた不老遺伝子を持つ人間だから」

 衝撃の事実を、言い放った。

「なっ、なんだって!?」

 煌希は雷に打たれたようなショックを受けていた。

 頭が混乱する。

 突きつけられた情報が、あまりに過酷で受け止め切れない。


 まさか自分が、デザイナーベイビーどころか、遺伝子操作で生まれたとは。

 生命倫理に反するこの行為は、各国で禁止されている。

 ずっと疑問だった自分の不老遺伝子の謎は、遺伝子操作なら納得できた。

 だが、技術的にそんなことが可能なのだろうか。

 しかも、自分が誕生した頃は40年も前だ。

 そんな昔なら、法律も生命倫理も話題にすらならなかったろう。

 煌希は、呆然としていた。


「あなたは奇跡なのよ。遺伝子操作でどれだけ失敗したかわからないわ」

 煌希は、インキュベーターの受精卵が、医療ゴミで捨てられていくのを想像した。

 自分も同じ運命だったのかもしれない。

 吐き気がこみ上げてくる。


「あなたがラボで誕生したとき、みんな奇跡だと喜んだのよ。コードネームも「煌希」きらめく希望とつけられた」

 煌希は自分の名前の由来を初めて知った。

(なにが、きらめく希望だ。受精卵のおれで人体実験していたんだろう)


「おまえが、おれの両親を殺したのか」

 煌希はこの女なら、やりかねないと思った。

 こうなったら、なんとしても殺した犯人を突き止めたい。

「なんの言いがかり? 私はね、DNAを見て、やっとあなたの存在を知ったのよ。斉藤が殺されたんなら、依頼先の海外の企業じゃないの。大方、あなたをもらう約束を反故にされた腹いせじゃないの」

たしかに、玲依の言葉には筋が通っていた。

(まさか、この女の言ってることは、本当なのか?)

 確かに、煌希を渡さなければ、相手は執拗に両親を探すだろう。

 あの点々とした生活を考えると、納得せざるを得ない。

 ずっと、追手から逃げていた。

 それは何のため?

 とっとと金と引き換えに自分を売れば、あんな生活はしなくていいはずだ。

 なぜ売ることもせず、親子として暮らし続けたのか。

 煌希は両親と過ごした、幼少の記憶をたどる。

(おれは両親に愛された。ずっと守られてきたんだ。あれは嘘じゃない)


煌希は両親を失ってからずっと、若宮を仇だと思って生きてきた。

たから、つきつけられた事実が受け止め切れないでいた。

何が真実で偽りなのか、わからなくて混乱していた。

だが、このラボで生まれたのは事実。

現状として、玲依に自分の命を握られているのも事実だった。


「こんどは、成長したおれの身体を切り刻むのか」

「察しがいいわね。あなたには実験動物になってもらうわ」

「ふざけんな!! おれは生を受けた人間だ。おれにも人権はある」

「そんなもの、承諾書を偽造すれば、ただの治験よ」

玲依は、須藤に合図する。

「まずは、脂肪由来幹細胞をとらせてもらうわ」

 医師たちは、手術台をリクライニングさせ、手術着の前を開く。

 煌希の露になった腹部を、玲依はそっと撫でた。

「やめろ、おれに触るな」

「それにしても、引き締まったキレイな腹筋ね。脂肪なんてないじゃない」

「この程度なら大丈夫です。採取は可能です」

 医師はそういうと、煌希の腹部に局所麻酔を打った。

そして、細い管状の器具カニューレを皮下脂肪に挿入し、機械で吸引しながら、脂肪を抜き取っていく。

「よくこんなことができるな」

 煌希は玲依に向かって、怒鳴った。

「お客様はみんな喜んでなさるわよ。大金を払ってね」

 玲依は、ほくそ笑む。

「部位ごとの幹細胞の差で、どんなエクソソームが取れるか楽しみだわね」

「さようですね。早々にラボに回します」

 須藤も玲依に素直に従っている。

 ここにいる人間は、みな狂っていると煌希は思った。

「明日は骨髄由来間葉系幹細胞の採取よ。全身麻酔下で、腰の骨からいただくわ。今度は痛みが引くまで大変だと思うけど」

「おまえは、サイコの殺人鬼か」

「あなたを殺す訳ないじゃない。あなたの身体はお金になるの。いつまでも元気でいてもらわないと。ここで一生大切にしてあげるから」

 獲物を弄ぶ女狐のまなざしを、煌希に向けた。



監禁、絶望の果てに



 手術室に、一人取りのされた煌希は、絶望していた。

 体は拘束されたまま、動けない。

 腹部の切開された傷も、麻酔が切れてジクジク痛む。

 ここから脱出するすべも、考えられない。

 生きるという、生への執着を失っていた。


 何よりも、両親がしたことが、ショックだった。

 これが事実だとしたら、何のために復讐を誓ってここに来たのだろう。

 母が残した「若宮にすべてを奪われた」という言葉の意味も分からない。

 そして、自分が遺伝子操作で生まれた「人」でない存在であること。

 このラボで研究のためだけにつくられたのだ。

人として成長したら、今度は肉体を切り刻まれて、錬金術の材料にされる。

自分は何のために生を受けて、この世に誕生したのだろうか。

これでは、家畜の動物や、研究に使うマウスと変わらない。

研究成果を盗むだけなら、受精卵のまま、海外に売ればよかったのだ。

そうしたら、こんな苦しい思いをすることなく、ただの細胞として培養されていたかもしれない。

こんなことが一生続くのなら、不老長寿の遺伝子が恨めしい。


 煌希は、ふっと、特定のIDのことを思い出した。

 自分以外にも、遺伝子操作で生まれた「人」がここにいるかもしれない。

 そして、特定のIDの人物も同じ目にあっているとしたら。


 こんな非人道的なことが、許される訳がない。

 煌希は、絶望の底から沸き起こった怒りに、身体が熱くなるのを感じた。

(おれはこんなところで、絶望している場合ではない)

 煌希はあたりを見回して、脱出の算段を巡らした。


 ガチャッ

 その時、扉の方で音がした。 

(また、女狐か)

 振り向いた煌希の目の前に、真っ白い髪の女性が立っていた。

 しかも、瞳が煌希と同じオッドアイ。

 片眼がキレイなブルーだった。

 煌希はすぐに、中庭のテラスで助けた、雨宮紬希だと気づいた。

「君は、あの時の・・・。どうして」

「ごめんなさい。説明している時間はないの」

 紬希は、煌希の拘束を外す。

「これを着て、すぐに逃げて」

 紬希は、煌希に研究者用の白衣を渡す。

「あ、ありがとう。君はこんなことして大丈夫なのか」

「平気よ。私にも助けてくれる人がいるの」

 紬希は、煌希を廊下に誘導し、地図を渡した。

「これに沿って逃げれば、うまく逃げられるわ」

「ありがとう。君はもしかして…」

 煌希は、自分とあまりに似ている紬希を不思議に思った。

そして、紬希が特定のIDだと直感したのだ。

「早く逃げて」

「君も一緒に逃げよう」

「それは無理なの。私のことはコレで調べて」

紬希は自分の白い髪を抜いて煌希に渡した。

 煌希の背を押して、紬希は別の方向に小走りに去っていった。



   もうひとりの不老遺伝子



 翌日、煌希がラボに出勤すると、

「先輩、どうしたんですか? 無断欠勤なんて珍しい」

 玲依に監禁されている間、無断欠勤になっていた。

「ああ、ちょっと熱をだして寝込んでいたんだ」

「大丈夫ですか? 一応、病欠で届け出しておきましたから」

「ああ、助かったよ。ありがとう」

 煌希はあらためて、監禁された恐怖を思い返していた。

 自分に家族や恋人がいたら、捜索願いが出るだろうし、玲依があんな暴挙にでることが信じられなかった。

 有力者とのつながりで、自分ひとり、世間から抹殺することは容易いのかもしれない。

 煌希はそう思うと、心底、玲依のことが恐ろしくなった。

 紬希は大丈夫なのかと思う。

 今思えば、中庭のテラスで紬希と出会った時、ホスピタルから抜け出していたのかもしれない。

 だが、カップラーメンを美味しそうに食べて帰っていった。

 紬希には、ここを離れられない理由があるとしか思えなかった。

 煌希は自分なら、海外へでも逃げていたと思う。

 だが現実問題、紬希を残したまま、ここを離れる気にはならなかった。


 あんなに知りたかった出生の秘密も、両親のことも分かった。

 ただ、玲依の話がどこまで真実かはわからない。

 遺伝子操作や、研究を盗んだことは事実かもしれない。

 だが、その事実の裏に隠された、やむをえない理由や真実があるかもしれない。

 母の残した言葉の意味も。

 煌希には、まだ解明しなければならないことが、山ほどあった。


 煌希は紬希に渡された髪の毛を見つめた。

 全く色素のない真っ白い髪だった。

(紬希の本当の髪。ここにどんな秘密があるんだ)


煌希は、その髪をDNA解析にかけた。

なんと、紬希は、煌希の妹だった。

 両親も完全一致する生物学的な実の妹だった。

 そして、同じ不老遺伝子を持っている。


煌希の受精卵が盗まれた数年後、同条件で遺伝子操作をされた可能性があった。

(紬希は、おれの身代わりになって、ずっとこのラボで・・・)

 そう思うと、煌希は涙がこみあげてくる。

 きっと、食事や生活環境も管理され、外出も許されていなかったのだろう。

 カップラーメンも食べたことがなければ、学校に通ったり、人並みの人生も歩んでいないかもしれない。

 そして、定期的に、腹部の脂肪を採取される。

 煌希は麻酔が切れた後の、腹部の痛みを思い出した。

ともにインキュベーターの容器の中で、育成された受精卵。

 一緒に育った家族でもないし、同じ両親の遺伝子をもつだけの関係。

 でも煌希は、同じ運命を持つ紬希を、妹として愛しいと感じていた。

 どんな理由があるにしろ、ここから助け出したい。

 人並みの人生を送らせてやりたいと思った。


 そして、こんな生命倫理に反する実験を、二度も行った若宮に憤りを感じた。

 ビジネスにしたのは玲依だろうが、発端となった実験をしたのは若宮なのだ。

 彼は何のために、自分たちを弄んだのか。

 医療のためなら、受精卵の実験だけで闇に葬ればいいものを。

 なぜ、子宮に着床させて、人間として誕生させたのか。

 生まれた子供には、魂も感情もないと思っていたのか。

  

               ★


煌希が逃走したが発覚した。

バッシン

玲依は、須藤の頬を思いっきり平手打ちした。

「まんまと逃げられるなんて、どういう事」

「申し訳ありません。誰も開錠できないようロックをかけたのですが」

「いい訳はいいわ。で、防犯カメラは? 誰が手引きしたの?」

「それが、あの部屋の記録を残さないために、防犯カメラは切っておりました。佐藤が白衣を着て走っていく後ろ姿は発見できたのですか」

「それで?」

「申し訳ございません。これから至急、情報を集めます」

「ったく。あのコをなんとしても探し出して。そして、必ず、社内の裏切り者もあぶりだしてちょうだい」

「はい、全力を尽くします」

 その時、玲依のデスクの電話が鳴った。

 玲依は苛立たしく電話に出る。

「何、こっちは取り込み中よ」

『申し訳ございません。冷泉様から、至急のご用件とのことで』

「葵さん? あのコの情報があるかも。繋いて」

『はい、かしこまりました』

 内線から、葵の外線につながった。

『朝比奈さん、功一がサロンを辞めたって本当なの』

 煌希を監禁した時点で、自己都合退職にしていた。

 このラボで飼い殺しにするため、佐藤功一の痕跡は消したのだ。

「葵さま、申し訳ありません。急に退職届けが提出されて、私どもも驚いています」

『そんなはずないわ。功一が私に黙って辞めるなんて。あなた何かしたでしょ』

 葵は、すごい剣幕で話す。

『スマホも解約しているし、全く連絡がとれないのよ。功一には私がまだ必要なはずなのに、突然いなくなるなんて、おかしいわ』

 玲依は、葵のことを、さすがに勘がいいと思った。

 恋をしている女は、敵に対して敏いものだ。

「スマホも解約ですか。そうなると当社としても連絡の取りようもなく」

『もういいわ。探偵でも雇って調べます』

 葵は電話を一方的に切った。

 玲依は葵の態度に触れ、逆に自分の平静を取り戻していた。

「須藤、厄介なことになったわね。社内の裏切り者を探す方が、早道になるかもしれないわよ」

「かしこまりました」

 須藤は副社長室を出て行った。


                ★


煌希は、佐藤功一の痕跡をすべて消して、自分を捜索できないようにしていた。

ただ、玲依には、究極の個人情報である、DNAも指紋も虹彩情報もつかまれている。

ラボの研究員と照合されたら、危険だった。

煌希はラボの端末の指紋認証や、虹彩認証の扉も、偽造して再登録した。

1点だけ変えられないものがあった。

後藤煌希という名前だ。

戸籍上の名前を入社時に使っており、名前が会社情報に紐づいている。

こればかりは変更することができない。

コードネームの「煌希」との一致に、気が付かないことを祈った。


煌希は鏡に映ったおじさんメイクの自分を見つめた。

おそらくこれなら、銀髪のイケメンホストと同一人物とは思われまい。

煌希はラボの研究員とて、身をひそめることに徹した。

 


   がんを運ぶエクソソーム



 煌希は「がん」プロジェクトに参加するため、レベル4の研究室に来ていた。


 ここで、培養したがん細胞からでるエクソソームを調べるのだ。

 そのエクソソームが血流にのって、ほかの部位の細胞について、がんが転移するのではないか考えられている。


 そもそも、がん細胞がつくられる主原因は、細胞のコピーミスだ。

 元々正常な細胞が、古くなって再生するときに、DNAを複製する。

 その複製をミスすることで、細胞の増殖や生存に関わる遺伝子に異常が生じ、がん細胞へと変化する場合がある。

 国立がんセンターの統計によれば、一生のうちにがんと診断される確率は、男性で65.5%、女性で51.2%。 日本人の2人に1人以上ががんになる。

知らないだけで、がん細胞(コピーミス)は、日々人間の体の中で発生している。

人の身体には、異常な増殖を始めた細胞を、自ら死滅するプログラム(アポトーシス)を持っており、免疫システムなどにより、がんを防いでいる。

だが、生活習慣やストレス、発がん物質など、様々な要因で、この防衛システムが破綻して、がんになってしまうのだ。

がん細胞はアポトーシスを回避し、生き延びることができる。

そして、自ら新しい血管を作り出し、栄養や酸素を供給することで、腫瘍を大きく成長させる。

エクソソームをとばし転移することで、体中に広がってしまうのだ。


                  ★


プロジェクトリーダーの大島は、今日の趣旨を説明する。

「今日は、がん細胞から放出されるエクソソームが、人体にどう影響を及ぼすか、検証しようと思う」

大島はラボの所長でもあり、古くからラボで働いてきた重鎮だ。

煌希にとって、両親の真相を聞きたい相手だが、玲依側の人間だとしたら危険だ。

「そこで、今日は、被験者に来てもらった」

 煌希は絶句した。

(被験者だって、そんな恐ろしいことに協力するヤツがいるか)

 そんなことしたら、健康な人間の身体に、がん細胞を移植するようなものだ。

 自分の身体をがんにしてくれという被験者がいるわけがない。

 

 なんと、入ってきたのは紬希だった。

「みなさん。私の父は、がんなんです。私は何としても助けたいんです。私の身体はどうなってもいいので、協力してください」

 ほかの研究員たちも驚いて、言葉を失っている。

 大島は、紬希の肩をそっと叩いた。

「レベル3以下の研究員は知らないと思うが、彼女は不老遺伝子を持っており、細胞の再生能力が我々と段違いだ。彼女の身体に投与したがん化エクソソームを、どう体が防衛するか観察することで、解決の糸口をつかみたい」

 煌希は、大島のいうことも一理あると思った。

 だが、そんなことのために、妹を人体実験に使っていいはずがない。

 それに、紬希が助けたい父親とは、自分の父親のことなのか。

 

 煌希は、紬希をつれて逃げ出したい衝動にかられた。

 でもそんなことをしたら、すぐにでも、玲依に捕まる。

(今は、無理だ。チャンスを探すしかない)

 煌希は仕方なく、非道な人体実験に参加することになった。

 煌希と同じ遺伝子なら、がんに罹ることもなく、健康には影響が出ない。


 紬希は、計器に囲まれた測定室のベッドに横たわった。

 点滴として、腕からがん化エクソソームと生理食塩水が落とされる。

がん化エクソソームには、特殊な造影剤で色づけされ、体内での様子を確認することができた。

24時間の画像モニターをつけて、観察することになる。

研究員は、交代で紬希につくことになった。

煌希は、紬希と二人だけの時間を作る絶好の機会を得た。

他の研究員に交渉し、半日分の付き添いを引き受けることにした。


           ★


煌希は、他の研究員と交代して、測定室に入ってきた。

紬希は、煌希を見るなり、微笑みかける。

「煌希さん、またお世話になります」

「なんで、こんなことに志願したんだ?君はいったい、何者なんだ?」

 煌希は矢継ぎ早に、質問責めにする。

紬希のことを知りたい。

 父親は誰なのか。

 どんな生活を今までしてきたのか。

 なぜ監禁されたとき、見知らぬ自分を助けに来たのか。

「あら、調べてくれたんじゃないの?」

 紬希は、自分の髪の毛をつかんで見せる。

 煌希はハッとした。

 紬希は、銀髪の自分と研究員の自分が同一人物だと気づいている。

「あの時、僕だと知って、助けてくれたのか」

「そうよ。イケメンだもん。そんなメイクじゃ隠せないわ」

 紬希は嬉しそうに笑う。

「それで、私のこと、わかったの?」

「僕の妹だった」

「やっぱり、そうだったんだ」

 紬希は手をパタパタさせて喜んでいる。

「君は、僕の存在を知っていたのか」

「うん。お父さまがよく話してくれたから」

「えっ、お父さんって、」

「お前には、煌希という兄がいたって」

「なぁ、父親は、いったい誰なんだ」

 煌希はつい、声を荒げてしまった。

 遺伝子操作で生まれた自分に、実の父親など、考えもしなかった。

「声が大きいよぉ。びっくりしちゃった」

「あっ、ごめん。つい」

「そうよね、お兄さまは、あそこで真実を知ったばかりだもの」

 紬希は、煌希の手を握った。

「生きててよかった。会えて本当に嬉しい。死んだって聞いてたから」

 紬希は涙ぐむ。

「おれが?」

「ええ、生まれてすぐに」

(妹にはそういう話になっているのか・・・) 

煌希は、玲依から聞いた話との相違に、戸惑っていた。

 いったい何が真実なのか、よくわからない。

「教えてくれ、おれたちの父親は、いったい誰なんだ」

「ここの創始者、若宮杏寿郎」

「なんだって」

 煌希は絶句していた。

 ずっと仇だと思っていた相手が実の父親だったのだ。

「お兄さまは、写真に写った若い頃のお父さまとよく似ているの。そうなんじゃないかと思ったわ」

「おれが、若宮の・・・」

 ずっと顔さえもわからず、探し求めていた相手が、実の父親。

 しかも自分と顔が似ているとは。

「だから、朝比奈さんは、お兄さまを監禁しようとしたのよ」

「えっ? 目的は、おれの人体実験じゃあ・・・」

「死んだはずのお兄さまが現れたら、この会社を自分のモノにできないでしょ」

 煌希は、OB夫人の明子が「若宮の息子が亡くなった」といっていたのを思い出した。

 代理母は、煌希の受精卵を着床させて、ラボを出ている。

 だから、ラボの関係者にとって、煌希が実際に生まれて生を受けたことさえ、知られてなかったことになる。

 ラボの関係者にとって、煌希の存在は死んだも同然だった。

「あの女は、本気でおれの素性を隠して、ずっと監禁するつもりだったんだな」

「そうみたい。だから、慌てて助けに行ったの」

「紬希には、ちゃんと社内に味方がいるんだね」

「うん。だってお父さまの娘だもん。お父さまの側近が味方なの」

「そうか、なら、ひどい目にあっているわけじゃないんだな」

 煌希は安堵した。

 自分が受けたような卑劣な行為をされていたらと、心配だったから。

「なのになんで、定期的に脂肪由来幹細胞を摘出していたんだ」

 煌希の最大の疑問は、なぜ、自ら錬金術に身を捧げたかだ。

「お父さまのため。がんになってしまって、手術で切ってしまった臓器を修復するために、私の幹細胞を使ったの」

「そうだったのか」

 煌希はやっと納得できた。

 幹細胞を培養した再生医療は、本来自分の細胞しか使えないが、実の娘なら臓器移植のように、免疫に拒絶されるリスクが少ない。

 もちろん、違法行為だが、ここならなんとでも取り繕うだろう。

 再生能力の高い紬希の幹細胞を使うことは、理にかなっていた。

 紬希も親の命のためなら、協力するはずだ。

 腹部の傷も、高い再生能力で簡単に治ってしまう。

 培養液に滲み出たエクソソームをVIPに売ろうと考えたのは、玲依であることは明白だった。

 社長令嬢の身体が錬金術の原料となれば、自由に採取はできない。

 それで、限られたVIPだけのために高額で販売したのだろう。

だから秘密裏に、煌希の身体を利用しようとしていたのだ。

なんどでも自由に採取できるので、エクソソームの原料としては最適だった。

 しかも煌希の身体なら、どんなに切り刻んでも、キレイに修復される。

 煌希は危うく、若返りの妙薬の原料として、一生監禁されるところだった。


 

    コードネーム「煌希」



玲依は副社長室で、社員の情報を端末で調べていた。

須藤に依頼したが、指紋も虹彩もそれらしい人物にヒットしなかったからだ。

煌希と接触した社内の関係者に片っ端からヒアリングしても、彼と親しい人間は洗えなかった。

 須藤に任していても埒が明かないので、玲依は焦っていた。

 海外にでも逃げられたら、追うことも大変になる。

 とにかく、社内の協力者を探さねばならない。

 ホスピタル関係者を閲覧し、ラボの研究員を500人ほどみたところで、

「後藤煌希、煌希ですって?」

 玲依は思わず、叫んでいた。

 煌希はどちらかというと珍しい名前だ。

 玲依は引き込まれるように、社員情報を見た。


 後藤煌希 39歳

 東京先端医療大学 大学院卒 医学博士

 ラボの研究員として、在籍8年


 玲依は顔写真を見て、ハッとした。

 メイクやメガネで隠していても、美しい顔立ちは隠せていない。

 男だらけのラボだから、誰も気に留めなかったろう。

年齢も実年齢と一致している。

(灯台元暗しとは、このことね。ここに8年も隠れていたなんて)

 

「須藤、ラボに行くわよ」

 隣の部屋にいた須藤は、慌てて副社長室に入った。

「はい。何事でしょうか」

「これよ」

 玲依は勝ち誇ったように、煌希のプロフィールを須藤に見せた。

「後藤煌希って、まさか」

「そのまさかよ。8年も前からラボにいたとは。きっと、自分の出生の秘密を、研究しながら探していたのね」

 須藤は絶句していた。

「まったく、おまえの調査は穴だらけね」

「も、申し訳ありません」

 須藤は平謝りする。

「あのコを捕まえに行くわよ。あんな目にあったんだから、とっと逃げればいいものを。律儀にもラボに出勤しているわ」

「ですが、ラボでは周りの社員の目もありますし・・・」

「何、言ってるのよ。情報漏洩でも、なんでも罪はつくれるでしょ」

「はい。警備員を手配します」

 須藤はスマホで警備室に連絡する。


            ★


玲依は、煌希の所属するラボに警備員をつれてきた。

ラボの研究員は、物々しい様子に、一斉にざわついた。

煌希も、玲依の姿を見て顔面蒼白になった。

(バレたか。こんな社員の面前でおれを拘束する気か)

 

「後藤煌希はどこにいるの」

 玲依は、犯人の名前でも呼ぶように名指しした。

 研究員たちが、一斉に煌希の方をみる。

 向かいに座っている林田は、

「先輩、まさか例のヤツがわかったんですか?殺されますよ」

 林田は、煌希が錬金術の秘密をつかんだと思ったのだ。

 それで幹部に呼び出されていると。

「ああ、ついにバレたようだ」

 煌希は林田の推理が、あながちはずれていないと思った。

「あそこよ。捕まえて」

 煌希は警備員に抑えつけられる。

「待ってくれ、おれが何をしたっていうんだ」

 玲依の本当の目的はわかっているが、こんな人前での暴挙だ。

 正当性を主張しておかないと、こちらが不利になる。

「情報漏洩よ」

「おれは、そんなことしていない」

「何をいまさら。レベル4で、不正アクセスが見つかっているのよ」

 煌希はハッとした。

 確かに、紬希や両親のことを探っていた。

 そのログを不正アクセスとされたら、言い逃れできない。

「ただ、プロジェクトに必要な情報を探していただけだ」

「詳しいことは、別室で聞くわ」

 玲依は、抵抗できない煌希の身体を舐めるように見た。

 煌希の全身に悪寒が走る。

 また、あの部屋で監禁されるかも思うと、ぞっとする。

 今度は何をされるか、わかったものではない。

 協力者を吐くように、拷問されるかもしれない。

 どんなに傷つけられても、身体はすぐに回復する。

 サイコパスの玲依に、恰好のおもちゃにされるかもしれない。

 煌希は、心底、玲依が怖かった。

 今度は警備も厳重になり、紬希も助けも期待できない。

 煌希は半ば、絶望しかけていた。

 林田も、ラボの仲間も、だれもおれを助けられない。

「行くわよ」

 玲依が警備員に顎で合図する。

 煌希は、抗おうとせず、警備員に従った。

 ラボのスタッフは、ザワザワしながら、その様子を見ている。

「せ、先輩っ」

 林田も、なすすべもなく、言葉を失っていた。

(おれも、これまでか…)



   40年前の真実



「待ちたまえ」

 奥の部屋から、ラボの所長の大島が出できた。

「うちの研究員に、勝手なことをしないでもらいたい」

 煌希は大島の登場に驚いていた。

 プロジェクトでも話したことがない、ラボのトップだ。

「なんの権限があって、そんなことを言うつもり?」

「私はこのラボの責任者だ。副社長であっても、内政干渉はやめてもらいたい」

「何を言ってるの?機密情報の漏洩よ」

「だから、その件はこっちで精査すると、組織として言っているんだ」

「あなた、何様のつもり? 私に向かって」

 玲依はツカツカと大島の前に歩み出る。

「そういうあんたこそ、彼に何をしたんだ」

 大島は、煌希に近づくと、

「後藤君、失礼するよ」

 そういうと、煌希のウィックをはぎ取った。

 きれいな銀髪に、スタッフ一同がどよめく。

「彼は、若宮社長の息子さんだ。あんたから送られてきた検体で、DNAの親子関係は確認させてもらった」

「なっ、須藤、これはどういう事」

 玲依は、須藤を恐ろしい表情で見た。

 須藤は、ビビッて硬直している。

「なに、須藤くんがどんなにIDを偽造しても、分析するのはこのラボなんだ。私が何も知らないとでも思っているのか」

 大島は、逆に玲依に脅しをかけた。

 玲依は顔を歪めて、悔しそうな顔をする。

「ふん。わかったわ。ちゃんと精査して報告書をあげてちょうだい」

 玲依は、警備員たちをつれて、ラボを出て行った


 煌希は、この逆転劇に唖然としていた。

 紬希が言っていた父親の側近は、大島なのかもしれないと思った。

 ずっと供に若宮や両親と研究をしてきた仲間。

 大島なら、両親の真実を知っているかもしれない。


「みんな、騒がせたな。仕事に戻ってくれ」

 大島は、研究員たちに声をかける。

「後藤君、君には話がある。こっちに来てくれ」

 煌希は、大島に呼ばれて、部屋を出て行った。

 残された林田は、唖然としていた。

「せ、先輩が・・・。御曹司でしかもあんなに若いイケメンだったなんて・・・。ずっと一緒にいたのに」

 

             ★


 煌希は、ラボの所長室に来ていた。

 応接セットのソファーに座って、大島と対面した。

 煌希は聞きたいことが山のようにありすぎて、どこから聞いたらいいかわかない。

「ずいぶんと、大変な目にあったようだね。腹部脂肪の検体が届いたときは、さすかに驚いたよ」

 煌希は大島が、玲依のしたことに気づいているのだと悟った。

「はい。殺されるかと思いました。全部、ご存じなのですか」

「いや、全部ではないが、あらかた想像がついている。朝比奈は、君の存在が公になると、自分の立場が危うくなるからね」

「後継者争いですか」

「まあ、そういう事だ。社長が病床にいるのをいいことに、好き勝手して取締役内でも問題になっている」

「そうでしたか」

 玲依に関することは、紬希の情報と一致する。

 だが、煌希としては、若宮の息子と言われても、まだ納得できたわけではなかった。

 育ての両親との関係性がわからないままだ。

「後藤君、いや、煌希くんと呼ばせてくれ。まさか、斉藤が、コードネームを名前にして出生届を出したとは思わなかったよ」

 大島は、懐かしそうな眼差しで、煌希を見る。

「あの、所長。おれの育ての親のこと、教えてください」

 煌希の苦しんでいる表情に、大島も真顔になった。

「斉藤の事件は、ラボにとっても衝撃だった。君にはつらい話になるがいいかね」

「はい。覚悟はできています」

 煌希は、玲依が話したことが、真実なのか知りたかった。

 

 大島は、遠い過去を思い出すように、ゆっくりは話し始めた。 


 当時、デザイナーベビーの研究が盛んにおこなわれていた。

 そんな中、卵子バンクの中から、テロメアの長い卵子が選別され、若宮の精子と交配して受精卵を何個か作った。

 功を焦っていた斉藤が、その受精卵に遺伝子操作をしたのだ。

 受精卵は細胞分裂を繰り返しながら成長し、胚盤胞と呼ばれる状態にまで育った。

成功したのは二つだけで、あとはうまく分裂せず、失敗に終わった。

 だが、世界で初めて成功させた不老遺伝子を持つ受精卵だ。

 この画期的な成果は類を見ず、ラボ中が歓喜にわいた。

 男子の受精卵のコードを「煌希」とした。

 だが一方、ラボ内でこの無謀な実験は生命倫理に反すると問題となった。

上層部で議論を重ねた結果、若宮は、受精卵を人として誕生させることなく、凍結処理させることに決定した。

 それを不服に思った斉藤が、結婚予定だったラボの後輩女性の子宮に、煌希を着床させて、ラボから逃げたのだった。

 逃亡されたのち、斉藤が海外のジェロントロジー企業に移籍を条件に、煌希を渡すことになっていたメールが発見された。


玲依が煌希に話したことは、本当だった。

煌希を惑わせるためではなく、ありのままの真実だった。

但し、遺伝子操作を成功させたのは、若宮ではなかったが。

 煌希に遺伝子操作したのは育ての父で、代理母として、人間として生を与えてくれたのは母だった。

 せっかく成功した世界初の成果を、凍結させようとしたのは若宮。

 煌希は、同じ研究者として、斉藤の気持ちがわからなくもなかったが、自分が人間として生まれた経緯にショックを受けていた。

(おれは、凍結されたまま、生まれる予定ではなかったんだな・・・)

 そして、血も繋がっていない育ての両親が、愛情深く育ててくれたことが、どうしてもわからなかった。 

命がけで、自分の命を守ってくれたのだ。

なぜ、海外の企業に、乳幼児の自分を売らなかったのだろうか。

 複雑な思いが、煌希の心に渦巻いた。

 そして、煌希は紬希を思った。

 紬希は本来なら同時期に受精しているので、一緒に代理母の元で生まれていたら二卵性双生児だった。

 凍結されて時期がずれたから、年齢の違う妹として誕生している。

「あの、紬希は、どうして生まれたんですか」

 大島は、深くため息をついて、下を向いた。

「その事は、紬希にも話していないんだ。ちょっと厄介な話でね」

 煌希は、とても気になったが、本人も知らないことだし、大島の様子にこれ以上聞くことはできなかった。


 

    親子の対面



 煌希は翌日、メイクをすることなく、素のままで出勤した。

 ラボのスタッフがみな、遠巻きに煌希を見ている。

 ボサボサ頭の冴えないヒラの研究員が、突然、銀髪のイケメンの御曹司になって、ラボに帰ってきたのだから、注目されるはずだ。

 煌希が席に着くと、さっそく林田が

「先輩、事前に教えてくださいよ。おれ、めちゃくちゃ驚きましたよ」

「すまん。色々と事情があってな」

「でも、6年も一緒にいたのに」

 林田は拗ねている。

「おまえは、色々詮索しないやつだから、おれは助かったよ」

「えっ、それって、聞かなかったおれのせいですか」

 林田はむくれている。


 そこへ、紬希がやってきた。

 銀髪と白髪の美しい兄と妹に、周りの視線が集まる。

 林田は紬希と初対面なので、戸惑っていた。

「あ、あの・・・こちらは」

「ああ、おれの妹だ」

「えっ、社長令嬢ってこと」

 林田はオタついている。

「紬希です。いつも兄がお世話になっています」

「それは違うぞ。おれがこいつの世話をしている」

「先輩、事実でも、そこは否定しないでくださいよ」

 紬希は二人のやりとりに、嬉しそうに笑った。

「ねえ、お兄さま。お父さまに会っていただきたいの」

「わかった」

 ついに、探し求めてきた若宮との対面。

 煌希は覚悟した。

 自分が誕生してしまった経緯はわかったが、仇だと思っていた相手が実の父親で、自分の命を凍結しようとしていたのだ。

 頭で理解していても、心がついていかない状態だ。

 ここで対面して、どんな会話になるか、煌希は想像もつかない。


              ★


 ホスピタルの特別室に、煌希は通された。

 VIP用の入院施設で、ベッド(病床)を置いた部屋のほかに、6人掛けの応接セットがあるリビングエリアもありもゴージャスな空間だった。

 部屋の奥にある、ベッドルームに煌希は通された。

 そこは、モニターや多くの計器に囲まれた、集中治療室のような設備だった。

 点滴や、計測用のコードに幾重にも繋がれた若宮が横たわっていた。

 ガンのステージ4で、全身にがんが転移している。

 がんのプロジェクトで、がん化した一般患者とされていたのは、若宮のことだった。

 煌希は、事前にMRIやCTの所見を共有されていたので、状態があまりよくないことは分かっていた。

 紬希の幹細胞をつかった再生医療も、がんの進行に追いつけないでいる。

「お父さま、お兄さまよ」

 紬希が煌希を若宮のベッドサイドに立たせた。

 初めて見る若宮の顔は、確かに自分とよく似ていていた。

「おまえが、煌希か。よく無事に生きてくれて、ありがとう」

 若宮は、煌希を見ながら涙ぐんでいる。

 煌希は戸惑っていた。

 自分を凍結しようとしていたのに?

「あなたは、おれの誕生を望んでいたのですか」

 煌希は思い切って聞いてみた。

「もちろんだ。私は子供が欲しかった。だが、斉藤が遺伝子操作をしたので、あきらめたんだよ。生まれた子供にどんな運命がおこるかわからないだろ」

 煌希は、若宮の判断が嬉しかった。

きちんと、生まれた後の子供の人生も考えている。

「今まで、斉藤夫婦に育てられて、どんな人生を歩んできたんだい?」


 煌希は初めて、自分の過去を語った。

 血がつながった家族だと感じられたから、素直に話すことができた。

 転落事故後の施設の話に、紬希な涙を流していた。


「そうか、ずいぶん大変な思いをしたんだな」

 若宮は、煌希に手を伸ばした。

 煌希も若宮の手を取って、握り返す。

「おれには、どうして斉藤夫妻が、おれを海外の企業に売らなかったのか。命を懸けてまで、おれを守ろうとしたのか、わからないんだ」

「それは、親だからだよ。煌希。生まれた子供は愛しいものだ。培養した受精卵とはわけが違う。斉藤君は、生まれたお前を愛したから、手放さなかったんだろう」

「そういうものなんですかね」

 煌希は切ない微笑を若宮に向けた。

 心の中にずっと渦巻いていた思いが、ストンと穏やかになるのを感じた。

 触れた若宮の手のぬくもりに、親の愛情を感じる。


「お父さん、がんになったきっかけみたいなもの、何かわかりますか」

 煌希はやっと会えた父親の命を助けたいと思った。

 そのためには、きっかけとなるヒントが欲しい。

「あの頃、エクソソームの実用化に向けで、自分の身体を使って治験していた。ずっと効果が良好だったのに、ある日突然、がんが発症したんだ」

「えっ、突然ですか」

 煌希は、考え込んだ。

 がんは、突然発症するものではない。

種類にもよるが、10年くらいかけて小さい細胞が分裂を繰り返して大きくなる。

「先日、がん化エクソソームを紬希の身体に入れて観察したのですが、紬希の場合、エクソソームが細胞に取り込まれると、その細胞をマクロファージ(免疫細胞)がすぐに貪食していくんですよ」

「紬希、そんな実験までしたのか。おまえは、自分の身体をこれ以上傷つけないでくれ」

「お父さま、大丈夫。私たち、すぐ再生するから。ね、お兄さま」

「ああ、そうだな」

 煌希は苦笑した。

「これは仮説ですけど、お父さんに打ったエクソソームの中に、がん化エクソソームがあったのかもしれませんよ」

「そうか…、確かに可能性はあるかもしれない」

 その時、若宮が辛そうな表情をしたのを、煌希は気づかなかった。


                 ★


 煌希は、さっそく大島のもとに行き、がん化エクソソームの話をした。

「なるほどなぁ…。エクソソームを抽出する幹細胞は、保有者の健康状態も含め、かなり精査したもので治験していたんだが」

 大島は首をかしげて、怪訝そうな顔をする。

「父と同様に、エクソソームの治験に参加したもので、がんに罹患した人はいるのですか」

「それが、誰もいないのだ。ホスピタルのクライアントも含めてな」

「そんな。それじゃまるで、父が狙われたとしか思えない」

 煌希は思わずそう言って、自分の言葉の重さに愕然としていた。

「なんだと。では、殺害目的で社長はがん化エクソソームを投与されたというのか」

「ええ、仮説ですけど。父が死んで都合のいい人間もいるでしょう」

 煌希の脳裏には、玲依のサイコパスな表情が浮かんだ。

(あの女なら、やりかねない)

「父が投与されたエクソソームを提供した患者履歴はわかりますか? 脂肪幹細胞を摘出した後すぐにがんに罹患した人がいたら、殺人ではなく、医療事故になります」

「そうだな。プロジェクトのメンバーにも頼んで、履歴を追おう」

煌希たちは、患者履歴を調べ始めた。

 だが、該当するようながんの罹患者は見つからない。



   父との会話



 煌希は一人で、若宮のいる特別室に訪れた。

 どうしても、知りたいことがあったからだ。

 若宮の枕元に立つ。

「煌希か、どうした? 浮かない顔をして」

「お父さん、履歴に該当するようながんの罹患者がいないんだよ」

「そうか・・・。発がん物質の毒でも盛られたのかな?」

 若宮は切なそうに笑う。

「それに、今さら原因がわかっても、この体はもう長くない。紬希のおかげで永らえさしてもらって、おまえとも会えた。もう思い残すことはない」

「何を言うんだよ。やっと家族になれたのに」

「家族か。そうだな」

 若宮は嬉しそうに微笑む。

「あのさ、聞きたいことがあって」

 煌希は言いよどんでいた。

「なんだ。言ってみろ」

 若宮は、優しい笑みを浮かべて、促した。

「なんで、紬希は生まれたの?凍結したんじゃなかったの?」

 煌希は、紬希が誕生した訳を知りたかった。

 子供の将来のリスクを考えれば、誕生させるリスクは煌希と同じだ。

「そうか・・・。紬希は知らないから、黙っていてくれるか」

「はい。もちろんです」

「斉藤くんの事件の後、私は受精卵を扱うことが怖くなってね。デザイナーベビーの治験を中止したんだよ。でも、社内ではそれに反対する声もあってね」

 ヒトの遺伝子操作の成功を目の当たりなしたら、一部の研究者たちは、探求心を抑えられないだろうと、煌希は思った。

「でしょうねぇ」

「その反対者が、受精卵の紬希を解凍して代理母に着床してしまった。わかったときにはもう、妊娠6か月でね」

「そうでしたか・・・」

 煌希は、紬希もまた、研究者のエゴのために誕生したことを知った。

「おまえも気付いての通り、紬希は少々発達障害がある。おそらく、遺伝子操作の過程でなにか災いしたのかもしれない。それにあの容姿だから、普通の学校生活は無理だと思った。で、ここで育てることにしたんだ」

「それで、カップヌードルか」

 煌希は 紬希が『父から体に悪いものは食べるな』と言われていたのを思い出して、苦笑した。

「カップヌードル?」

 若宮も不思議そうな顔をする。

「いえ、前に紬希にカップヌードルを奢ったことがあって」

「わかっていると思うが、おまえも加工食品は控えろよ」

「大丈夫ですよ、僕らは。たばこをガンガンに吸っても、発がん性の添加物を食べても、細胞が損傷したり、コピーミスを起こすことなく再生しますから」

「すごいんだな。その不老遺伝子の力は。私は紬希を研究させなかったから、遺伝子のパワーを知らないんだ」


 煌希は、自分の身体で試してきた研究成果を、若宮に伝えた。

「おまえは、太古の昔から権力者たちが追い求めていた不老長寿の身体を持っているんだな。本人が望んでいないというのに」

 煌希は切なそうにうなづいた。

「私はそんな遺伝子より、おまえがなんの欠損も障害もなく、育ってくれたことが嬉しいよ。これは軌跡なんだ」

 すべての親が望む、子供の五体満足。

 第一線の研究者である若宮が、息子である自分に望んでいたのが、それだけだとわかって、心の奥から、温まるを感じた。


                  ★


 煌希は、ラボでパソコンに向かい合っていた。

 若宮の言葉、『毒でも盛られた』ということばが引っかかっていた。

つまり、どこかのタイミングで、エクソソームがすり替えられた可能性がある。

エクソソームの投与を時系列で並べてみた。 

 すると、がんを発症する前に、イレギュラーなタイミングで、エクソソームが投与された治療記録を見つけた。

 なんと、そのエクソソームには、元になった幹細胞の患者情報が、紐づけられていなかったのだ。

 若宮に投与したのは、いつもの担当者だったが、そのエクソソームを持ってきたのが、須藤だったのだ。

 通常は、ラボからの指示のはずが、なんらかの情報操作をして、須藤を差し込んだに違いなかった。

(須藤か、あの女狐の指図だな)

 煌希は、コトがコトだけに、大島だけにその事実を告げた。

「あの、須藤が・・・」

 大島は、驚いて言葉を失っている。

「所長、後ろで糸を引いているのは、副社長ですよ」

「ああ、殺人教唆は朝比奈で間違いないだろう。だが、エクソソームの中身を確かめないと、殺人教唆を立証できないぞ」

「そうなんですよね。でも、副社長のパソコンの中身は見れないし」

「私がシステム部に依頼して、メールの履歴を確認させる。パソコンの中身は洗えないが、何かわかるかもしれない」

「ありがとうございます」


 期間が特定されているので、メール情報がすぐ上がってきた。

 玲依が国立がんセンターにメールを送っているのがわかった。

 内容は、研究のために、がんの組織を入手したいという内容だった。

「がん細胞を培養して、がん化エクソソームを抽出した証拠になる。ラボの協力者も何も知らないでやらされたのだろう。そして須藤も」

大島はしきりと、須藤の名前をだす。

煌希は、あの残虐な玲依に、従順に従っている須藤のことを思った。

(パワハラもひどいし、いくら仕事とはいえ、よくあそこまでできるものだ)

「あの、須藤室長が、何か・・・」

「いや。とにかく、社長に報告して、指示を仰ごう」


 

     あかされた最後の真実


 

 大島と煌希は、若宮のいる特別室に行った。

 すると、すでに先客がいた。

玲依と須藤が、応接のソファーにどっかりと座っている。

「あら、所長と煌希さん、お揃いで社長に御用かしら」

 煌希は、病床の若宮に、何か危害を加えに来たのかと思った。

 これ以上、父親に関わられたくない。

「おまえこそ、父に何の用だ」

「すっかり親子気取りね。体を売ってまで、潜入したかいがあったわね」

 煌希は葵とのことを引き合いに出され、カッと羞恥心がこみ上げる。

「私は副社長よ。経営の報告をする義務があるの。あんたたちこそ、何の用なの?私がいては話せないような事かしら」

煌希は所長に、

「出直しますか」と小声で尋ねた。

「大丈夫だ。私からうまく社長に報告する」

「わかりました。お願いします」

 ここは大島に対応を任せた方がいい。

 大島は、玲依の性格を知り尽くしている。


「我々は、社長にエクソソームの解析結果を報告しに来ただけだ」

 大島は、きっちりと玲依と対峙する。

「そう。どうぞご勝手に」


 煌希は大島とともに、若宮のベッド脇に立った。

「お父さん、具合はどう?痛みは?」

「私は大丈夫だ。煌希は心配しなくていい」

 若宮は、優しく微笑を返す。

 それを見ていた玲依は、苦々しい顔でこちらを見ている。

「社長、ご報告があります」

 大島は、がん化エクソソームの経緯を話した。

「ガンに罹患する前の11月13日にイレギュラーで投与されたエクソソームは、がん患者のものだったようです」

「ええっ!!」

 そう叫んで、膝から崩れて座り込んだのは須藤だった。

「しゃ、社長。申し訳ありません。私はとんでもないことを」

 須藤は泣き崩れながら、社長に土下座する。

 若宮はつらそうに須藤を見下ろした。

「私は中身がそんな恐ろしいものと知らず・・・。なんてことを、なんてことを・・・」

 大島は、須藤の肩を抱いて、立たせた。

「須藤くん、そのエクソソームの点滴は、だれの指示だったんだい」

 須藤は泣きじゃくりながら、玲依を指さした。

「あの方の指示でした」

「須藤、何を言い出すの」

 玲依は明らかに動揺していた。

「私は、あの方の業務指示をすべて記録しています」

「ちょっと、おまえは、私を裏切る気?」

「ええ、この日が来るのをずっと耐えて待っていました。煌希さまに対する非道は、恐ろしいものだった」

 須藤は、煌希の方を向いて頭を下げた。

「あの時、止めることができず、申し訳ありませんでした」

 紬希が助け出してくれた謎が解けた。

 須藤が、玲依の行動を見張り、危険を周りに知らせていたのだ。

「いや、須藤室長はおれを助けてくれたから」

「いいえ、私のせいです。私がもっとうまく立ち回れば。社長を、社長を・・・」

 須藤は嗚咽をこらえきれない。

「須藤君、私こそ、君に謝らねばならない」

 若宮は、ベッドのリクライニングをあげ、須藤に頭を下げた。

「辛い役目をお願いしてしまった。すまない」

「社長、とんでもないです」

 須藤は、若宮のベッドに駆け寄った。

 煌希は、大島が須藤の件で躊躇していた理由がわかった。

 須藤は誰よりも守りたかった社長に、自ら手を下す結果になった。

 

 玲依はたった一人で憮然として立っていた。

「ちょっと、何よ。騙されたのは私だけじゃない? 私はね、この会社の経営をずっと支えてきたのよ。なんなの犯罪者扱いして」

「朝比奈くん。これは殺人教唆という立派な犯罪だよ」

 大島は、玲依に対峙して、言い放った。

「ふざけないでよ!! 私はね、若宮さんのために紬希の代理母になったのよ。なのに結婚もしてくれないし、家族になることを拒否された」

「私は君に、紬希を産んでくれと頼んだ覚えはない」

 若宮は、冷たく言い放つ。

「ええ、そうよね。でも、煌希を失って悲嘆に暮れたあなたを元気づける方法は、これしかないと思ったのよ」

 煌希は、とんでもない事実に、唖然としていた。

 若宮は、自分を失ったことをこんなにも悲しんでいた。

 反対派の研究のためではなく、玲依は、若宮のために身ごもっていた。

 独りよがりの判断だが、若宮を偏愛していたのは事実だ。

 そのために、紬希が生を受けることになったなんて。

「私はね、紬希を無理して産んで、自分の子供が産めない体になったのに、紬希の母になれなかった。お腹を痛めて産んだのよ」

「それは残念だったが、君は紬希の母にはなれない」

 煌希は若宮の判断は正しいと思った。

 もし、紬希が玲依に育てられていたら、どんな影響が出たかわからない。

 あの無垢でかわいい紬希では、いられなかっただろう。

「私は、私は、ずっとあなたを愛していたのよ。振り向いてほしくて、ずっと経営をサポートしてきた。だけどあなたは、私を拒んだ。だから・・・」

 醜態をさらすことなど想像もできない冷酷な玲依が、その場に泣き崩れた。

 そう、だから死んでもらおうと思ったのだろう。

 心が手に入らないなら、若宮のすべてだったこの会社を手に入れようとした。

 そして、若宮亡き後は、忘れ形見の煌希を、自分だけのものにしようとした。

「私を警察でも、どこにでも、突き出せばいいわ。殺人教唆を立証できるんだったらね。その代わり、会社も無傷ではいられないわよ」

 玲依は、ヒステリックにわめき散らして、にやりと笑った。

 玲依の言っていることは事実だった。

 ガン化エクソソームの投与で、傷害ではなく、殺人教唆になるのか。

明確な殺意の立証も難しく、裁判が長期化することは予想できた。

「そんなことをするつもりはない。煌希が継ぐ会社に傷はつけさせない」

 若宮は、きっぱりと言い放った。

(えっ、おれが継ぐ?)

 煌希は周りから、御曹司と言われていだが、父の後を継いで会社経営など、そんなこと具体的に考えたこともなかった。

「そうですね。その方がいい。朝比奈くんは、取締役会で解任しましょう」

 会社の役員でもある大島は、社会的な制裁を提案した。

「いや、朝比奈君には、辞表を書いてもらおう。一身上の都合で、この会社を辞職してもらいたい。私は、君のしたことを許したいんだ」

 その場にいた全員が、若宮を見つめた。

 全身がんでずっと苦しんできたのに、許したいという。

 普通の人間なら、ここぞとばかりに復讐したいと思うはずだ。


 若宮は、屈折した玲依の想いを知っていながら、受け入れなかった。

 病床にいる間、結果的だが、玲依の経営能力を利用していたようなものだ。

 許した一番の理由は、煌希と紬希のため。

 遺恨を残したままだと、暴露本でも出しかねないからだ。

 不老遺伝子の存在を、誤った形で世に公表されては困る。


「申し出はわかったわ。私にも考える時間をちょうだい」

 玲依はそう言って、特別室から出て行った。


 玲依が姿を消した後、辞表が若宮のもとに届いた。



   エピローグ



 若宮は、役員たちを特別室に招集した。

「私は経営から退くことにした。後継者は若宮煌希だ」

若宮は、後継者を煌希として正式に発表した。

若宮に促され、煌希があいさつをする。

「見た目は若いですが、もう40歳です。経営は素人なのでご指導ください」

 役員たちは、煌希を温かく向かい入れた。

 それだけ、玲依の強引な経営に反発していたのだ。

「大島所長。僕はまだ、父の病気をあきらめてないです。がん抑制遺伝子の発現に注力したい。力を貸してください」

「もちろんだ。がんばれ、新社長」

 大島は、煌希と固い握手が交わした。


 煌希はVIPルームを閉め、公平な予防医療に経営を切り替えることにした。

 

 VIP顧客を招待し、煌希の新社長就任と閉鎖の説明会を開いた。

 煌希がホストとして、相手をした多くの常連顧客が集まっていた。

 その中に葵の姿があった。

「功一、じゃなかった若宮新社長、お会いできて嬉しいわ。あなたが消息を絶ったとき、あの女に殺されたかと思って気が気でなかったのよ」

 葵の推測は、あながちはずれていないと煌希は思った。

「ご心配おかけました。僕はこの通りですから」

「あの、まさか若宮さんのご子息とは知らなくて、あの…、その…」

 葵は、煌希との過去の関係を謝罪したいらしく、戸惑っている。

「葵さん、気にしないで。ぼくも楽しかったので」

 煌希は、あのころのような甘い笑顔を葵に向けた。

 なんせ、大株主の奥様だ。

 機嫌を取っておくに越したことはない。

「よかったぁ。冷泉製薬は、これからも支援を惜しまないわよ」

「それは心強い」

 煌希は嬉しそうに微笑んだ。

 

               ★

 

「お兄さま~、こっちに来て」

 紬希が煌希を呼ぶ。

 特別室のテラスに、車いすに座った若宮の姿があった。

 もう、点滴やケーブルに繋がれた様子がない。

「お父さまが、3人で旅行したいって」

「それはいいねえ」 

煌希は、嬉しそうに、若宮のそばに駆け寄った。




以前、恋愛系ライトノベルを出版していた元プロ作家です。

すごく久しぶりに新作を書いてみました。

推しに演じてほしい役をイメージして書いてます。

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話題になっている、アンチエイジングや、エクソソームとか かなりリアルに書かれていて設定が面白い。 主人公のキャラ設定がよく、挿絵に惹かれる
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