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本になれない魔法使い  作者: ももんはるひ
1/1

1.魔法使いの落とし物_1

日本のおおよそ真ん中辺り、4月の春風が冷たい空気を運んでは小さな体に吹き付ける。

階段を上り、赤色を基調とした和風の劇場にそって角を曲がると、小さな和菓子屋を左に抜けて大通りをなぞるように小走りに進む。

大きな橋の手前で大通りを渡り、大きめの室外機2台と小さな室外機1台の風が全身の服という服をくまなく揺らす。

「むっ……」

くちゃくちゃになったくすんだ青色の髪を、手櫛で整えた少女は、人気のティーサロンを右に曲がった。

ホテルの駐車場裏に年季の入ったマンションがある。

欠伸をしながらマンションに迷いなく向かっていると、少女は道に何かが落ちているとこに気がついた。

身長は中学2年生ほどで、手足は平均的な肉付きをしている少女は、キラリと光ったものに顔を近づけた。

くすんだ青色の髪は黒くて細いリボンで括られており、雀のしっぽのようにちょろりとまとめられてる。

光を反射するガラス玉のような黒い瞳は、落ちていたものを鍵と認識すると、触れる前に周りを見渡した。

「誰もいない」

20歳にしては幼い顔立ちに似合う黒のニット、裾にフリルがついたロングスカートを身につけている。白くて大きな艶のあるトートバッグを肩から下げた少女は、ずり落ちるトートバッグの紐を抑えながらしゃがみこんだ。

サイズがあっていないのか、ドレスのように膨らみ足元に広がるスカートを片手で纏めると、もう片手で鍵に手を伸ばした。

「だばっ!」

突然の衝撃に驚きの声があがる。

「った〜!!」

鍵を拾おうと下を見ていた少女の頭に重みのあるものが叩きつけられていた。

驚いた顔で顔を上げると、目の前には黒い本のようなものが落ちていた。

艶のある革張りの本のようなものを拾い上げると、手でパラパラとめくって中身を確かめる。

中には写真が隙間なく貼られており、家族写真のようなものが集められているアルバムのようなものであった。

少女は落ちてきた方を見てみるが、青空が広がるだけで、何も得られなかったようだった。

「落し物か」

アルバムをトートバッグにしまうと、マンションの入口に繋がる短い階段を降り、管理室と書いてあるガラス張りの扉を叩いた。

白髪の男性が扉を開けると、「どうした?」とこちらを見下げた。

「鍵が落ちていて…このマンションのものか分からないけど、階段のすぐ手前にありました」

管理室から出てきた男性は、人差し指と親指で顎を数回さすると「そうかい」と呟いて差し出された鍵を受け取った。

「届けてくれてありがとうね、君名前は?貴重品だから控えなきゃいけなくてね」

「このマンションの2階のオフィスで働いています、最門晴日です」

鍵だけを預けた晴日は、今日も何事も無かったかのような顔で2階にあるというオフィスに向かうのだった。



デスクがいくつか島のようになって並んでいるオフィスで、晴日はペンを紙の上に滑らせていた。

オフィスの照明がパソコンの影を濃くしていることに気がついたのか、窓の外を見てみると青色に染まっていた空はいつの間にか黒が混じり、あたりも薄暗くなってきていた。

「ももんさん帰れる?仕事終わりそう?」

話しかけてきた女性は同じ島のデスクで働く日向星子である。

肩の上まである薄紅色の髪に、そで口に向かって広がっている黒いトップス、ブラウンのデニムスカートを身につけている。

スラリと長い手足とファッションに大人っぽさを纏う雰囲気の彼女は、晴日に対して親しげに話しかけていた。

「ありがとうございます、帰れますよ」

オフィスの雰囲気にビジネス感はなく、自分たち以外の社員も皆親しげな仲で仕事に向かっている。

晴日は小さな体にしてはぷっくりとしたパンのような手で、パソコンの電源を落としたり、大きなトートバッグに水やら端末やらを放り込んでいく。

「お疲れ様でした」

オフィスから出ると、うっすらと照らす月が晴日を迎えた。



大きな橋の手前で大通りを渡ると、コンビニを突っ切り、オレンジ色のタイルが目立つ硫黄の匂いがするビジネスホテルの奥で曲がった。

スカートをドレスのように揺らしながら、ぽてぽてと音がしそうなリズムで歩く。

少しすると晴日の目の前に廃ビルかと思わせるような、蔦が覆う縦長い建物が見えた。

薄暗いビルに入り、長いスカートを両手で持ち上げて、階段を1段、また1段と上ると、3階あたりに木で鳥や花が彫られた扉が現れた。

取手を引くと、見た目からは想像がつかないほど綺麗にされた内装である。

白と黄緑色を基調とした洋服の壁に、金色の花形をした照明が一定間隔で並ぶ。

天井にはクリスタルを思わせるようなシャンデリアが鎮座し、辺りを満遍なく照らしている。

カウンターに黒のネクタイをしめ、緑のワンピースを着こなす女性が待ち構えており、「ご用件は?」と晴日に問いかける。

「"落し物を探しに"」

「では奥からどうぞ。どうか見つかりますように」

フリルのついた袖口から見えた指先は、入って来た方とは逆方向にある扉を指していた。

案内された先の扉に彫られた四角いタグのような紋章に手を当て、体重をかけて押し込むと、隠し扉のように板がぐるりと回転して小さな影をすっぽりと閉じ込める。

晴日は迷いなく前へ進むと、大きく湾曲したカウンターが中心に置かれた部屋へたどり着いた。

大量の書物やら美術品やらが並ぶそこは、隠された秘密基地のようにも感じられる。

書物は片手で持てる文庫本の大きさから、人の背丈くらい大きなものまで様々。

白いフリルを揺らしながら、カウンターの中心にある緑の物体へと近づいていく。

緑色をしたそれは、ケープに大きな三角帽を被った青年であった。

三角帽の先端にはシルバーの重厚なタグが着いており、下半身まですっぽりと隠すケープの裏地には刺繍の草花が咲かせられている。

高級感の感じられる衣類に身を包んでいる青年に晴日は話しかけた。

「落し物拾ったんだけど」

肩から下げたトートバッグを漁り、今朝拾った革張りの重たいアルバムを引っ張りだす。

「おぉ、それは運がよかったな」

青年が迎える大きな机には、名札であろう金属のプレートと不在用のハンドベル、人ひとり分ほどある大きな本が広げられていた。

金属のプレートは毎日磨かれているのか、こちらを反射するほど美しい。

金属は丁寧は流れるようなタッチで「tori」と刻まれている。

緑色のケープを身にまとうトウリは、晴日が差し出したアルバムを受け取ると、中身を確かめるようにパラパラとページをめくりはじめた。

アルバムを見つつ、「う~ん」と唸ると、トウリは座っていた椅子から立ち上がることなく壁に沿って並べられていた本棚から何冊か引っこ抜く。

人差し指をちょいちょいと動かすと本が自ら整列し、パラパラと開き始めた。

本を宙に浮かせるその姿は、まるでイリュージョンかマジシャンのよう。

こんなところを人に見られたらさぞ驚かれ、この仕組みはいったいなんだと世界中を沸かせるほどだ。

しかし晴日は目の前の珍しい現象に驚きはしなかった。

人が当然のように食事し、当然のように働く姿を見るような、当然の物事を見るかの顔をして眺めていた。

「これは人間の物か?」

「え」

「該当しそうなリストが無いんだよ。しかもこれ魔法使いの気配がない。君には感じられないだろうが、普通、魔法使いが死んだときに落とす"落とし物"には、魔法使いの気配が残る。それが全く感じられない…稀に落ちてから時間が経ちすぎている"落とし物"から気配が消えることはあるけど…掘り出し物?」

「空から降ってきたんだけど!?掘り出しどころか生まれたて!」

それまでレジ待ちをしているような無表情でいた晴日の顔が驚きに包まれた。

「どこで拾ったんだい」

「会社の入口」

「会社ねぇ…君の言う会社って、マンションの階下あたりにあるオフィスエリアのことだろう?入口で拾ったんなら、マンションの階上にある住宅部分の人間が落としたんじゃないか?」

「うっそ…じゃあ私ただの窃盗じゃん…」

頭を抱える晴日の顔を、頬杖をつきながら下から覗き込むトウリは子犬を見るような目で微笑んでいた。

「ま、今回はハズレってことで。窃盗って言っても落とし物を拾っただけだから、明日にでもどこかに届ければただの"親切な人"だよ」

「それもそうか…」

差し出された重たいアルバムをトートバッグに再びしまうと、肩に重みがかかりバッグの紐がずれた。

体を揺らして紐を持ち上げると、携帯端末を取り出しカレンダーアプリを開き予定を眺め始めた。

1monthカレンダーの一コマ一コマには「帽子の回収〆日」「本のありかを探す〆日」「なくしたドラゴンの角・髭を探す〆日」などが日によって記録されている。

「今、何もやることないから、新しい依頼が欲しいの。あんま危なくないやつね」

「俺たちにとって危ないものが、君にとっては簡単なんだけどね~…」

「私の言う危ないは、空飛んだり、異生物と戦ったり、魔法使い同士で争ったりすることですー。怪我したくないし」

「人間に近づかなきゃいけない案件が、魔法使いにとっては危険指定。わざわざ依頼物分けてるくらいにはね…最近じゃ君専用だよ」

先ほどと同じように、1歩もその場所から動くことなく本を抜き出す。

棚から赤い本がふわりふわりと泳いでくると、晴日の目の前で止まった。

赤い本は晴日の背丈ほどの大きさがあり、そのページ数からかなりの重みがあると推測されるが、それすらも浮いたまま見てくれと言わんばかりに開かれている。

「この中からいいのを探しな」

晴日は目の前に開かれた本を指で一枚一枚ページをめくっていく。

「細かい依頼が多いなぁ」

「こっちの価値で言ったらワンコインってやつだ」

「家賃どころかランチも食べれるか危うい安さ」

実際のところ、晴日は毎日自分でご飯を炊いて、おかずを詰めたお弁当を持参するので何の問題もないが、これでは問題の家賃が払えない。

収穫のなさに、がっかりとしたような顔でため息をつくと「他に依頼はないのか」とトウリに問いかける。

「あったかなぁ」

「ないならまた来るよ、明日18時過ぎに来るから予約入れておいて」

晴日は早々に諦め、くるりと後ろに向かって歩き始める。

フリルを先ほどよりも重い足運びで揺らして歩いていると、トウリが思い出したように手を叩いた。

「アッ!」

「なに?」

振り向いた晴日の顔は期待したような顔というより、面倒くさいことを処理しなくてはというような、目が死んだ表情で足を止めている。

「忘れていた。今日から君にお付というか、おまけみたいなのが付くことになった」

「は?」

トウリは人差し指をちょいちょいと曲げると、ネームプレートのそばにあったシルバーのハンドベルを浮かして揺らす。

リンリンと音を奏でているトウリに、大きなトートバッグを揺らしながら何事だと速足で近づいて行った。

「ちょっと!ほんとに私いらないよ!?」

「晴日がいるかいらないかじゃなくて、君にご用があると。向こうが君をご指名なんだ」

トウリの顔もうっすら困った顔をしていることから、納得して用意したものではないことは察することができた。

「はあ?そんなこと言ったって、明日も普通に朝から晩まで仕事だから!」

「それは本人に言ってくれ、まあ本人もよくわからず来ているだろうけど」

緑の帽子をテーブルにおろすと、お手上げだというように椅子の背もたれに体を預け、両手をひらひらと揺らしている。

「っていったって!あんたがちゃんと!」

抗議の意を示していると、トウリの後ろにある扉をコンコンと叩く音がした。

扉の向こうから、柔らかな女性の声が来客を知らせた。

「トウリ、晴日、お客様です。お通ししても?」

「ああ」

「え~…」

どうすることもできず肩を落とすと、トートバッグの肩紐が重さに耐えきれずずり下がる。

扉が開くと、蜜柑色の髪を腰まで伸ばした女性が立っていた。

トウリと同じ緑色のケープと美しい髪を揺らし、書類を手に晴日とトウリがいるテーブルに向かって歩いてくる。

晴日はいつもの審判ではないかと不思議に思い首を捻ると、後ろからついてくる物に気が付いた。

「昨日からツキさんの研究室に入られたアナトリーさんです」

「こ、こんにちは!人間と落とし物の関係性の研究を主にしています、アナトリーです!」

緑色のケープからひょっこりと顔を出したのは晴日よりも少々背丈があるくらいの、ほっそりとした少年だった。

紅茶にたっぷりのミルクを注いだような髪色は、そこそこの長さがあるのか丸くくくられている。

純真無垢な顔は、緊張していますというような表情で、チョコレート色のキラキラとした目が晴日とトウリを映していた。

青いケープは新品なのか、アナトリーには少し大きいように見える。

手を腹部の前でぎゅっと握る少年は見たところ、15歳ほどに見えたが実年齢はわかるまい。

魔法使いは、その寿命が無限と呼ばれるほど長い。

ただ永遠の命ではないため、寿命を迎える物もいたが、その多くは事故による死や思わぬ消失で死亡してしまう。

あまり寿命のデータが取れていないせいか、平均寿命や最長寿命は不明とされている。

「君まだ若いね」

「はい!僕は生まれてから19年くらいになるそうです!」

見た目に惑わされるとはこのことか、少年だと思っていた相手は人間でいうところの青年であった。

人間であれば成人を迎え、立派な大人だ。

「僕、人間についての調べものはバッチリです!ツキさんからも実際の人間についてのことを聞いたり、研究室にあるほとんどの人間に関する文化などは把握しています!」

「うんうん、努力家だねぇ…青のトップであるツキが、自分の研究に人員を取るなんて久々に見たよ」

「と言っても、ツキさんの研究室には僕含め、50人以上の研究員がいるそうですが…」

青いケープはトウリの着ているものと似ており、裏地には雫の丸みを帯びた部分に、小さな星や丸が沈んでいる模様がパズルのように敷き詰められている。

「しかも、青なんてすべての研究員含めたら、何百万。この監視塔が繋がっている"現実"の県が1つ作れるほどいるらしいとも聞いています」

「よく知ってるねぇ」

「はい、ここに来る前に日本についての知識もしっかり頭に入れてきました!それに、審判の方にお会いできるなんて…本当に光栄です!僕たち青色は何百万といますが、選ばれし物しかなれない審判の方にお会いできるなんて…」

憧れからかそれとも、もの珍しいものが見られたわくわくからか彼の頭からはキラキラと星が舞っている。

「ふふっ、聞いた晴日?俺に会えて光栄だって!」

「まいにちあえてこうえいで~す」

「で、アナトリーくん、君はどんな用があって晴日に会いに来たんだい?」

それまでぽやぽやとしていたアナトリーだったが、夢から覚めたようにシャキッとして要件を話始めた。

「ツキさんにこの現実に落ちたであろう落とし物の内容を調べてきてほしいと、そしてここに通う晴日という頼もしい魔法使いが現実に詳しいから、案内してもらうように。と言われて来ました」

「あのやろ…」

「お~お~頼もしいねえ」

ツキという物の「頼もしい」は晴日にとっていい言葉ではなかったらしく、思わず眉間に皺を寄せ、悪態を口から漏らしてしまう。

「なので、協力してもらおうと思いまして」

「報酬は?タダ働きはできない」

間髪入れず、晴日は手の平を広げてアナトリーに向けて広げ、何か差し出されるまで動かんと足を踏ん張っている。

ただでさえうまい報酬の依頼が無く困っているのだから、親切心だけで動くことはできないようだった。

アナトリーは「ハッ」とすると、蜜柑色の髪をした審判に目をやった。

「晴日、それがあるのよ」

「え」

腰まで伸びた髪を緑色のケープと一緒にさらさらと舞わせながら晴日の目の前までやってくると、これでもかと目いっぱい広げていた晴日の手に紙を1枚乗せた。

「ツキさんから、報酬を要求されるだろうからこれを、って…まだ審判の審査通してないのですが…」

「大丈夫ですよ、先ほど私がチェックしました。あとはトウリの許可を」

晴日は手に乗せられた紙を乱暴に広げると、疑いの目で依頼内容の文字を追う。

その横からトウリが覗き見ると、晴日が紙を見つめたまま固まっていることに気が付いた。

「そんなにいい条件だったのか?」

依頼内容を見てみると、これはまれにみる良い案件だなぁと顎を人差し指でさすってにっこりとほほ笑んだ。

「家賃2ヵ月分…」

紙に明記してあったのは依頼内容と、その報酬である。

依頼内容は、アナトリーと共に落とし物の正体を探ること、そしてアナトリーを無事魔法使いの世界へ返すこと。

なお、落とし物の回収については、不要だという。

つまり、晴日はツキという魔法使いが探している落とし物がどんな"物"になって落ちたのか調べ、このぽやぽやとした少年を無事返すだけで家賃2ヵ月分を手に入れられるということらしい。

「ちなみにツキさんは、物とかで報酬を出すのではなくて、実際に家賃を肩代わりして下さるとのことでした。大事なことだから伝えておいてくれって」

「現物支給の家賃…!」

「家賃分の報酬が物だったりすると、物価に左右されるからねぇ」

「悪い条件ではないでしょう」

「やる」

「ほんとですか!」

それまで少々不安そうに手を組んでいたアナトリーだったが、二つ返事の「やる」という声に安心したのか、小さくガッツポーズをした。

「ただし!期待しないでよ…私、ただ人間に紛れて過ごしてるだけだからそれ以上のことはできない」

「もちろんです!よかった~!初めての現実で不安だったので…。じゃ、僕、早速このビルの入り口を探索してきます!」

ほっとしたり、一瞬青ざめたり、百面相すると解き放たれたように跳ねていった。それはまるで高原を始めて見た馬のような軽やかな足取りであった。

「まって!本にでもなられたら困るのはこっちなんだから~!」

「大丈夫ですよ~!」

心配も気にすることはなく、ルンルンと部屋から出ていくアナトリーを追おうとすると柔らかい女のような手が晴日の腕を掴んだ。

晴日が振り向くと、トウリが片手に先ほどの依頼用紙とは違う紙を手に何か言いたげな顔をしていた。

「なに?」

「彼ね、君とよく似てるんだって」

「どゆこと?」

「彼はなかなか本になれないだろうから、そこまで心配しなくていい」

何がいいたのか晴日にはすぐにわかったようでトウリの顔をじっと見つめた。

魔法使いは、人間に魔法を使っているところを見られると本になってしまう。

"現実"と呼ばれる人間が生息する世界に来た物のほとんどの死因はこれになるが、「本になれない」とはそういうことだろう。

「ああ…そう」

「でも全くではないって、ツキから俺宛の手紙に書いてある」

トウリがひらひらと揺らす紙には、先ほどの簡易的な内容の依頼用紙と異なりびっしりと文字が詰められていた。

「なるほどね…って、それもしかしてトウリだけに来てるの?」

「うん」

「私にもよこしなさいよ!依頼相手だぞ!」

あろうことか依頼相手に適切な情報を伝えず、この審判にだけ情報を伝えているとはなんてことだろう。

彼が本にならないように、怪我をしないように気を遣うのは自分だというように晴日は頬を膨らませ、腕をぶんぶんとふって怒りを表す。

「ははっ、ツキに伝えておくよ」

「すんごい怒ってたって伝えておいて」

トウリを背にアナトリーの向かったビルの入り口を目指した。



埃っぽいビルの階段を、スカートをたくしあげながら下っていると甲高い笑い声が晴日の足を止めさせた。

それは意気揚々とビルの外へ飛び出して行ったアナトリーの声と、聞いた事のない声が2つ。

「お前ほんとに行けるのか?」

「空も飛べないお前が現実デビューとは」

「はい!でも、ひとりではないので…!」

「ふーん。ま、落し物の正体さえ分かれば俺らが取ってきてやるからガンバレよ」

「はい…!」

「じゃあ本にならないようにな〜」

「お前なぁ可哀想だろ〜」

「……はい」

近づいてくる足音2つ。

晴日は、ギュッとスカートを握りしめ、脇でカバンがズレないように力を入れると狭い階段を一気に駆け下りた。

「うぉっ!」

「なんだよ!急に止まるなよ!」

下から上がってきた男たちは晴日の勢いに押され、階段を2、3段ずり下がる。

「失礼っ!アナトリーどこー!」

そんな様子も気にすることなく晴日は歩みを進め、男らを押しのけてガツガツと降りていった。

嵐のように去っていった小さな生き物に押しのけられたまま壁に引っ付いていると、ひとりの男が嘆く。

「なんだあれ」

「例の行き場がないやつだろ」

「あれが…ま、お似合いだな。せいぜい役に立ってくれよ」

階段の折り返し地点で耳を立てていた小さな生物はは聞こえないように舌を打つと、慣れた足取りで階段を下り続けた。

「遅かったね」

ビルの外まで進むと、先程よりしおれたアナトリーが気力ない顔で迎える。

「なにしょんぼりしてるの!あんなの見返すよ!すぐ君の方が偉くなるんだから」

下を向いていたアナトリーの頬っぺたを両手でつまみあげると、目が合うように上を向かせた。

「偉くなんて…それに僕、先輩たちと違って魔法が使えないんだ」

「全く?」

晴日が問うと、胸の前にあった手をギュッと握る。

「ちょっと、本当にちょっとだけ浮くことが出来る…けど……」

「ふーん、まあ青で魔法の質なんて関係ないようなもんだから」

「そんな事ないよ…姿も消せないし、3秒くらいしか飛べない。先輩たちみたいに現実の調査も満足に出来ない僕は、研究が進まない」

「ん?君、現実に来た事あるの?」

「え、 無いよ」

「なんだ、無いなら出来ないかどうかは分からないでしょ。それに、さっきまで現実に行けるって楽しそうにしてたじゃん」

蕩けそうなチョコレート色の瞳は晴日から視線をそらすと、周りに立ちはだかるビルや建物を見渡した。

大通りには人が歩いており、車がライトで線を作りながら行列を作っている。

「見てみたかったんだ、僕と同じように魔法が使えない人たちの生活」

大通りに向かってゆっくりと足を進めるアナトリーを、後ろから寄り添うように晴日が歩く。

「ずっと本とか資料で見ていたから、想像が出来なくて。空も飛べない、見た目も気軽に変えられない、何かしながら文字すら書けない、絶対生きにくいと思うんだ。なのに全然みんなの顔が生き生きしてる」

時刻は19時頃。

街に光が灯り始める頃合であった。

「疲れてるとかそういうのじゃなくて、なんか生きてるって感じの顔」

「そうだね」

「僕もこっちに住んでみようかな」

アナトリーがぼうっと人の流れを見る。

放っておいたら人の流れに溶けて行ってしまいそうなくらい、うっとりとした目をしていた。

「さて、観察はまた今度にして、調査を進めなきゃ帰れないよ」

「そうだね…」

アナトリーは晴日に連れられ、キラキラと輝く街並みをあとにした。



「うああああああ!」

「声が大きい!」

先ほどまでの大人しい姿はなく、目の前に置かれたものに釘付けである。

大きく渦を巻いたソフトクリームが乗るココアに、そっとスプーンを差し込むと口まで運ぶ。

一口食べると、また一口、白い山は気づけばなくなっていた。

弾力のある赤いソファーはアナトリーの体をふわりと持ち上げており、長居するには最適である。

ココアと一緒に運ばれてきた豆菓子を、丁寧に一粒ずつむぐむぐと咀嚼すると満足そうに晴日に笑いかけた。

「美味しかった!」

「よかったねえ」

「現実には向こうにない食べ物とか、文化が沢山あっていいねっ!」

晴日は「言われてみれば」と空を見た。

あちらで食べていたものは味のしない肉を焼いたものや、茶葉を蒸らした飲み物、野菜を切って煮たものなど、最低限調理されたものが多く、食事の文化に関してはまだ浅い。

「あっちに持ち込んだら売れるかな」

「売れるよ!僕、宣伝する」

「いいね、どうしようもなくなったらやろ」

「なんか夢みたいで全然疲れないよ」

「夢見てるのもいいけど、本題は?」

「そうだった!えっと、僕が探してるのは、現実で暮らしてた魔法使いたちの落とし物なんだ」

アナトリーは小さなメモを取りだすと、落とし物について語り始めた。

「魔法使いの名は"タカキ"と"マリー"で、彼らは20年位前に戸籍を取ると現実で暮らし始めたんだ。でも、ちょうど10年位前にどちらも生存が確認できなくなったらしい、審判に確認してもらったら、住んでいた場所には誰もいなかった。近所の人によると、結構前に死んでしまったって」

「ふ~ん、家賃と稼働してたんだろ」

晴日は置かれたアイスカフェラテのストローを頬杖をつきながら口で咥えると、自分の家賃を思い出してゾッとした。

10年ともなると数か月働いても払える金額ではない。

賃貸であれば大事件である。

「それが、持ち家だったんだって。電気も水道も、現実でお金がかかるものは全て止まってたらしいよ」

「なるほど、魔法使いなら電気も水もいらないもんね」

「あ、違うんだ。彼らがいなくなったころに止まったらしいよ。それまでは普通に使ってたんだって」

晴日は首を傾げた。

目の前のアナトリーもそれを見ると一緒に首を傾げた。

「どうしたの?」

「いや、人間は死んだら勝手に電気や水道は止まらないはず。少なくともこの家には誰もいないってわかっている人がいて、意図的に止めなければ、未払いとかじゃないかぎりありえないカモ…」

「じゃあ、死んだって知ってる誰かが止めたってこと?」

「そういうことになるね」

晴日はこれまでの情報をぐるぐると考えると、おかしなことに気が付いた。

「ね、近所の人はどうして死んだことを知ってたの?」

「え…えっと…それは情報が無いかも」

「今までのはどこ情報?」

「これは、トウリさんから事前にもらってたものだよ」

先ほどまでトウリのいた場所には、現実に渡る全ての魔法使いの情報が記されている。

少なくとも正規的なルートから現実に関与したのであれば、あそこに情報が無いということは他にそれ以上の情報が無いということ。

「仕方ない、その近所の人に聞きに行くか」

晴日は立ち上がると弾力ある赤いソファーに置かれたトートバッグを拾い上げた。

「もしかして実際にいくのかい?」

「うん、だって他に方法ないし」

「でも、現実は21時~8時くらいまでは基本干渉し合わないって資料にあったけど、いいの?」

「んあ~~~~~」

持ち上げたトートバッグと一緒に立ち上がった体を再び赤いソファーに落とした。

「忘れてた、いま何時」

「21時くらいだね」

晴日はキラキラとした、太陽のような少年を目の前にしていたせいか、すでに退社から数時間経っていることをすっかり忘れていた。

「また明日か…ちなみにその場所ってどこ?」

「ここから5キロくらい先の場所かな」

住所を覗き込むと、今いる場所から電車を使えば15分ほどでたどり着くとわかった。

「明日18時半ちょいすぎくらいに、この住所の場所に来て」

「良いけど、朝じゃだめなの?」

「だって私、会社あるし…」

「えッ!?会社!?」

「聞いてないの?私、普通に会社員だから、9時から18時は仕事だよ」

「そんな…じゃあその時間、僕何してれば…」

「そんなに時間あるんだったら、朝から自分で聞いてこればいいじゃない」

「…そっか」

「行ける?」

問いかけた答えは返ってくることなく、アナトリーは固まってしまった。

氷漬けされてしまったかの如く、ピクリとも動かない少年は、晴日がカフェラテを2・3回飲み下すと顔をカッと上げ叫んだ。

「やる!」

現実に初めて来た彼にとってはかなり決心のいる行動だったのか、晴日は少し申し訳ないという顔をした。

「じゃあ頼んだよ、わかったらまた連絡して」

メッセージアプリの連絡先を伝えると、ソファーから立ち上がりトートバッグを肩にかけた。

支払いも済ませ、最寄り駅までスタスタと歩くと「またね」というように手を挙げた。

「じゃ!」

帰ろうと改札まで歩こうとすると、袖が引っかかって前に進めなかった。

晴日は袖の先を見ると、アナトリーぷくぷくとした手がギュッと握りしめている。

「ん?」

「え?」

「えっと、まだなにかある?」

「僕、こっちいいるんだ。でも明日の朝までどこにいればいいの?」

全てを察したように白目をむくと前髪をかき上げた。

「そうだ!トウリに言って緑の拠点にいたら?」

「あそこは基本ゲストが休憩する場所はないんだって」

「大体アナトリー、君は寝なくても食べなくても平気でしょ?だったら満足するまで現実を散歩してればどう?」

「僕、弱いせいか寝ないと調子が出なくて…」

恥ずかしそうに頬をポリポリと掻くアナトリーの答えはもう決まっているようだった。

「ね、もしかしてツキに泊めてもらえとか言われた?」

「うん!」

「これだから魔法使いは…!」

ツキやトウリの「何がいけないんだ?」というような顔をしている奴らの顔が浮かぶのか、晴日は片手で虫を払うようにぶんぶんと念を払った。

「ぜっったいに騒ぐな!約束できるなら今夜は家で泊まっていい」

「約束するよ~~!」

どうにも納得がいかないのか、晴日は苦い顔をしながら「うるさかったら追い出す」といって改札へ再び歩き出した。



電車の乗り換えも初めて、コンビニも人込みも始めてであろうアナトリーは意外にも静かにしていた。

ガタゴトと揺られること40分程、ようやく自宅からの最寄り駅に到着した。

いつもはSNSや依頼の確認でつぶしていた時間も、今日はアナトリーの怒涛の質問メッセージに忙しく感じた。

電車はいつでも乗れるのか、人間は一日に何回の食事をするのか、8時間ずっと飲まず食わずで働くのか、みんな同じような格好をしているのは政府からの指定があるのかなど資料だけでは解決できなかった謎がどんどんと送られてくる。

初めは面倒くさそうな顔をして返していた晴日だったが、その質問の中身は意外に勉強しているものだなと分かるくらいにはいい質問ばかりだった。

アナトリーの勤勉さ、真面目さが感じられ回答の手は思っていたよりも重くならなかったようだ。

改札を出るとアナトリーを連れて踏切を渡る。

街頭がまばらにある道へ入ると、晴日はアナトリーに声をかけた。

「アナトリー、君は姿も変えられない認識でいい?」

「うん、あんまり得意じゃないかも…」

アナトリーは横髪をねじねじといじると、ちょいちょいと前髪を直す仕草をした。

「じゃあそのお団子ほどいておいて」

「お団子?」

「くくってある髪のことね。あと誰かに声をかけられたらいつもより高い声で返事するんだよ」

「どうして?」

髪をほどくとメモや端末で調べ始めるが、よくわからないのか首を傾げて「ん~」と唸っている。

晴日は深いため息をつくと、アナトリーが悪いわけではないというようにぶんぶんと首を振った。

以前から、どうして現実に来るための研修などが無いのかとトウリに言っていたが、本来魔法使いは人間に溶け込んだりせず干渉もしない。

必要がないから研修なるものはないと言われていた。

納得せざるを得ず、それ以降は現実で出会った魔法使いに自分から気を付けた方がいい文化などは伝えてる。

「近所の人に、君を女の子だと思ってほしいから」

「へんなの~」

「現実はいいこともあれば、面倒なこともあるんだよ」

晴日は自身の体についた胸のふくらみに手をのせると、押し込むように力をいれたが、スポッと縮むことはなく押し戻された手をそっと下ろした。



街頭のない道を進むと、ぼんやりと灯のついたレンガ造りの花屋を通りすぎる。

すぐ先にある橋を渡ると、細い歩道をまっすぐ進み続け、美容室の角を曲がるとまた橋が見えた。

夜遅くほとんど車の通りが無い横断歩道をわたり、またもまっすぐ歩く。

しばらくするとアパートが左手に現れ、アナトリーを連れて静かに階段を上った。

部屋はそれなりに物がある。

冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、漫画や文庫本など娯楽も充実しており、生活感のある部屋となっていた。

ゴミはないものの、部屋の角に少しばかり服やら本が積んであったりするため、晴日は「踏まないでね」と言ってリビングまでアナトリーを誘導した。

家具はシンプルなものが多く、そのほとんどが黒いインテリアでまとめられている。

ベッドはシンプルな黒のフレームにクリーム色のかけ布団、グレーのデスク、黒の衣装ボックスや棚が壁に沿って置かれていた。

「おぉ…本物の人間の部屋!」

「いやっ、人間じゃ…まあいいいか」

晴日はなにか言いかけたが、嬉しそうに部屋を探索するアナトリーを見て口を閉じた。



冷蔵庫に入っていた適当な食材で、みそ汁と冷凍ご飯、肉に適当な味をつけたものを食べると風呂に入り、晴日はベッドへ、アナトリーは布団へ横になった。

「晴日まだ起きてる?」

「ん~」

返事をしているのか、ただ唸っただけなのかわからないような声が小さな部屋に響く。

「眠いよねごめん。ねえ、晴日はどうして人間と同じ生活をしてるの?」

チクタクと秒針が進む音が鮮明に聞こえる部屋には、晴日からの答えはなく寝返りをする布が擦れる音だけが聞こえた。

「やっぱり、」

「研究が嫌いだからかな」

アナトリーの声に被せるように答えを言い放った晴日は、顔を背けるようにまたも寝返りをすると布団をかぶってミノムシのように顔まですっぽり埋まってしまった。

「そうなんだ…」

アナトリーの返事は部屋のどこにも行き場がない。

暗闇に溶けて、どこかに行ってしまったかのようになくなってしまった。

寝返りもなくなり、すっかり寝息しか聞こえなくなった部屋で天井を見つめる瞳は隣ですやすやと眠る魔法使いを映した。

手を伸ばして眠る魔法使いの額をなでると、「ごめんね、おやすみ」と呟いて再び目を閉じるのだった。


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