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彼女のスピードが一気に上がるのが分かった。
息を整えながら走っていたルナの様子が急に変わる。荒い息を上げながら、ペースアップしている。
後ろで走っていた者たちも彼女から距離をこれ以上あけまいとペースアップするが、どんどん離されている。
「なんだあの女、すげぇスピードで走ってるぞ」
「……あのペースで最後まで持つのかどうかだな」
ガイルの言葉にエリザベルが反応する。
俺はルナだけを見ていた。彼女は楽しそうだった。風を切って誰よりも速く走ることに恍惚な表情を浮かべていた。
お前はいつだって想像を超えてくる。俺はいつもルナのことを見誤っている。彼女はこれからもずっと期待以上のことをしてくるのだろう。
………………俺はお前が欲しい。
心の底からそう思った。
彼女が十周目を終えた瞬間、アーサーの瞳が揺らいだのが分かった。
その瞳は熱を帯びていた。アーサーのこんな顔を見たのは初めてだった。初めて互角に戦える者が現れたという喜びと興奮で、彼の口角は上がっていた。
今までずっと一人だった世界が突如壊される。……その感覚をルナはアーサーに与えたのだ。アーサーはルナを認めたということだ。
「アーサーと同じぐらいか?」
「どうでしょうね……。是非勝負してみたいものです」
「……お前にはやらないぞ」
エリザベルとアーサーの会話に俺は割り込んだ。
俺の言葉に驚いたのか、この場にいた四人が俺の方を見る。
「惚れてもいいが、あいつは俺のだ」
その言葉にアーサーは目を見開き、その後すぐにフッと柔らかく笑みを作った。
「彼女には落ちませんよ」
無理だな、と俺は心の中でそう返した。
彼女に惚れずにはいられないだろう。一緒にいたら取り込まれてしまう。いつの間にか虜になっているだろう。
女に全く興味のなかった俺が一人の女に執着し始めるとは思いもしなかった。
「殿下はルナ・グレイディに恋をしているのか?」
「……そうみたいだな。まだ本人は『恋』だとは思っていないようだが」
「あの殿下が……。これは非常に興味深いな。まさか殿下が女に興味を持つとは……。それも叶わない恋を」
「内密にしとけよ」
「お前こそ。私たちは傍観者として楽しもう」
ガイルとエリザベスがなにやら小さな声で話していたが、どんな会話をしていたのか聞き取れなかった。
「あの子のこれからが大変そうですね」
息を切らしながら膝に手を置いているルナを見つめながら、アーサーはそう言った。俺もルナへと視線を向ける。
顔が良いだけ、の女であった方が生きやすかったかもしれないな。




