第63話 怪奇レポート017.自分の影が足を掴んだ・弐
「『自分の影に足を引っ張られた』と言ったら、香塚さんは私の頭がおかしくなったと思いますか?」
キッカハイツの一階、大家の菊花おばあちゃんの部屋に私を案内した橘花さんは開口一番そう切り出した。
「影に、足を?」
「そうです。こういう感じで」
橘花さんは私の背後に回り込み、足首を掴んで軽く後ろへ引く。
彼女の手にほとんど力は入っていなかったのに、それでも一瞬バランスを崩しそうになった。
しかし、そこはさすがの橘花さん。
私がよろけたのに即座に気が付いて、倒れないように背中を支えてくれる。
「驚かせてしまってすみません。実は、ここ数日そういうことが続いていたんです」
「引っ張られたような気がする、とかではなく? 本当に見たんですか?」
「はい。一度だけ……」
気付いた時にはスッと消えてしまったものの、影の一部が手の形になっている場面をきちんと見ているらしい。
こんな話を聞かされたら、三月までの私なら「気のせいじゃない?」と返していたはずだ。
けれど、今は「キッカイ町だしそのくらいは起こっても不思議じゃないかも」と思ってしまう自分がいる。
「それで、その手がどうかしましたか?」
「はい、ちょっと長くなるんですが、順を追って話しますね。
まず、初めて足を引っ張られたのは今週の水曜日。岡志奈マーケットの帰り道でした。
買い物を終えて帰路についてから、五百メートルほど進んだところだったと思います。さっきのように後ろから足を引かれました。
その時は何かに躓いたのかと思って気にも留めなかったんです。
ところが、翌日の木曜日。用事を済ませて帰ってくる途中、同じ道のさらに数百メートル先でまた足を引かれたんです。
時間帯は二日とも夕方だったと思います。
祖母からキッカイ町にはイタズラ好きな子鬼たちがたくさん隠れていると聞かされて育ちましたので、これが子鬼――いわゆるところの妖怪――の仕業なのかなと自然と納得がいきました。
さらに翌日の金曜日。この日は岡志奈マーケットとは関係ない方向から帰ってきたのですが、アパートの近くで足を掴まれました。
この時は警戒していたこともあって、すぐに足元に視線を向けたんです。
すると、影が手の形になって私の足首を掴んでいるのが見えました。
影は私に見つかったことがわかったのか、いつものように引っ張るよりも早く形を変えて消えてしまいました」
橘花さんは話し終えると一枚のルーズリーフのノートを取り出した。
書かれている内容に目を通すと、今まさに語っていた話の概要が簡潔にまとめられていた。
これまでのどの依頼者さんよりも丁寧でわかりやすく、本当に年下なんだろうかと疑問に思ってしまうほどの出来だ。
「翌土曜日は特に何事もなく、不思議な体験も終わったものだと思っていました。
ですが、今朝のことです。
この部屋の中で祖母が足を掴まれ、転倒しました」
「じゃあ、朝来てた救急車って――」
「はい。その時の衝撃で足の骨が折れてしまったようで……。祖母はしばらく入院することになりました」
「そうなんですね……」
まさかそんな事態になっていたなんて。
これは本当に怪奇現象対策課の出番じゃないか。
そう思う反面、ひとつの疑問も湧き上がってきた。
「橘花さんは影がおばあちゃんの足を掴むのを見ていたんですか?」
たしか、橘花さんは最初に「一度だけ」影が足を引くのを見たと言っていたはずだ。
そしてその一度は金曜日だったはず。
となると矛盾が生じる。
「直接見たわけではありませんが」
そう言いながらスマートフォンの画面を私に見せてくれる。
画面に表示されているのは、パジャマを着た人物の足元だけを写した写真だ。
足首には手の形をした跡が青アザとなってくっきりと残っている。
「気のせいと言われてしまえばそれまでです」
橘花さんは落ち着いた様子で言うが、気のせいだと片付けてしまうにはハッキリしすぎている。
「それにしても、ずいぶん小さな手形ですね。まるで子供みたい」
「はい。力も手の大きさ相応で、だから私は平気だったんです」
「おばあちゃんは膝が悪かったから……」
咄嗟の時に踏ん張りが効かず、転んでケガをしてしまったんだろう。
そういえば、私も買い物帰りに何かにつまずいたことを思い出した。
あれはたしか……と記憶を辿りながらスケジュール管理用のアプリを開く。
そうだ。
火曜日だ。
……ん? 火曜日?
「ちょっと待ってください。たしか、橘花さんが最初に足を掴まれたのは水曜日でしたよね?」
「そうです」
私は地図アプリを開き、岡志奈マーケットの辺りを表示する。
「よくよく考えたら私も似たような経験を岡志奈マーケットのところでしていて、火曜日のことだったと思うんです。次の水曜日、橘花さんが足を掴まれたのは……――」
「この辺ですね」
橘花さんが岡志奈マーケットから少しキッカハイツに近付いた地点にピンを立てる。
「で、翌日が」
「ここ」
選択地点を示すピンさらにキッカハイツに近付いた。
次、次と橘花さん立てたピンはキッカハイツに接近し、菊花おばあちゃんの暮らす101号室のある辺りに最後のピンが立った。
「見てください。足を掴んだ手の現れたポイントは、ほぼ等間隔で一直線上にあります」
「本当だ……」
「土曜日は何事もなかったとのことですが、きっとこの辺りで足を引かれた人が他にいるんじゃないでしょうか」
だから何だという説明はまだできないけれど。
この軌道を辿って行けばこの怪異の目的がわかるかもしれない。
「この先にあるのは――」
キッカイ町立図書館・伏木分室。
通い慣れた私の職場だった。




