第62話 怪奇レポート017.自分の影が足を掴んだ・壱
「おぉ~、さすが夏! もうすぐ七時なのにまだ明るい!」
スーパーの出入り口で、思わず感嘆の声が漏れてしまう。
少し前までは仕事終わりにスーパーで買い物をしていると出る頃には真っ暗になっていたのに。
この時間でも涼しくならない空気に猛暑の気配を感じるが、それでも全国的な酷暑のニュースに比べれば随分と可愛い気温だ。
お化けのいる場所は他の所より寒く感じるという話も聞くけれど、キッカイ町に怪異が多いことと何か関係があったりするんだろうか?
もし関係しているなら、今回ばっかりは怪異に感謝かな。
なんて思いながら黄昏時の町を歩き出した。
長く伸びる影を引きずりながら、私を追い越していく中高生の自転車を見送る。
この時間帯特有の、何とも言えない懐かしさのような感覚。
これがノスタルジーってやつなのかな。
なんて思っていると足首になにかが引っかかった。
「……っと!」
よろめきながら、足元を確認しようと視線を下に移す。
しかし、私の方が一瞬遅かった。
黒い何かがサッと引っ込んでいくのを視界の端に捉えただけで、その正体はわからなかった。
「うーん、何だったんだろう?」
首を傾げながら歩き続けるも、何かが再び現れることはなかった。
菊花おばあちゃんの後を継いで、孫の橘花さんが大家になると知らされた次の日曜日。
私は救急車の音で目を覚ました。
サイレンは次第に大きくなり、突如止まった。
「かなり近いみたいだけど、どこだろう?」
眠い目をこすりながらベッドを抜け出して、ベランダの窓に向かう。
しかし、そこから見える範囲に救急車の姿はない。
となると恐らく建物の反対側、玄関かキッチンの窓から見える方向にいるのだろう。
この辺りもお年寄りが多いからなぁ、なんて悠長に考えていると、外がにわかに騒がしくなってきた。
「どうしよう、今見に行ったら完全に野次馬だよね……」
ベッドから降りて私の足元にやってきたみぃちゃんに話しかけると、みぃちゃんはお好きにどうぞとばかりに顔を洗い始める。
ちょっとだけ。
一瞬だけ。
好奇心に負けて玄関を開けて外の様子を窺う。
お向かいか、何件か先か。
なんて思いながら見回すと、驚いたことに救急車はキッカハイツの駐車場に停車していた。
「えっ!?」
救急隊の人が上に来ている様子はないから、一階の誰か?
なんて思っていると担架に乗った菊花おばあちゃんが運ばれてきた。
「おばあちゃん!」
驚きで声が漏れてしまった。
その声に付き添いで出てきた橘花さんが顔をこちらに向けた。
まずい、と思ってとっさに扉を閉める。
「みぃ?」
「あっ、みぃちゃん。おばあちゃん、何かあったのかなぁ……」
自分の祖母のように思っていた菊花おばあちゃんだったから、言葉にできない不安が込み上げてくる。
みぃちゃんはそんな私の独り言を寄り添って聞いてくれた。
お昼を少し回った頃。
来客を知らせるインターフォンが鳴った。
「はぁい」
誰だろう? と思いながら出てみると、そこに立っていたのは橘花さんだった。
「今朝は祖母がご心配をおかけしました」
橘花さんはそう言って深々と頭を下げる。
覗き見していたことを咎められるかと思っていたので、少し拍子抜けしてしまう。
「あの……おばあちゃん、どこか悪いんですか?」
「あっ、はい。その件でお願いしたいことがあってお邪魔しました」
橘花さんの言葉にドキリとして思わず身構えてしまう。
菊花おばあちゃんのことで、お願い??
「香塚さんは怪奇現象対策課にお勤めと聞きました」
「えっ!?」
仕事の話はみんなにはしてないはずだけど……。
「あれ? もしかしてお仕事のことは公にはされていない感じでしたか?」
私の反応に違和感を覚えたのか、橘花さんが首を傾げた。
このアパートの中に私の勤め先を知ってる人はいないはず、と思いながら首を縦に振っている途中で気付いてしまった。
私が視線だけでもしや……と合図すると、橘花さんはこくりとうなずく。
「木井さん!!」
あの人だったら何かの弾みでぽろっと言いそうだもんなぁ。
別に、私から口止めをしていたわけでもないし。
「お仕事のこと、非公開だったみたいなので今回の話はなかったことに――」
「橘花さん、聞かせてください」
踵を返して立ち去ろうとする彼女の手を、思わず掴んでしまった。
驚いた顔で振り返る橘花さん。
「伏木分室の話を他の方にしていないのは事実です。でも、橘花さんが今回相談に来てくださった件は菊花おばあちゃんが救急車で運ばれたのと関係のある事案なんですよね? それなら聞かせて欲しいんです。
私たちに解決できることかわかりませんけど……」
私の申し出に、橘花さんの表情がほのかに明るくなった。
その時、足元をちょいちょいとつつかれる。
みぃちゃんだ。
キッカハイツはペット不可の物件だから、他の人が来たら透明になって隠れててねって伝えたはずなのに。
「立ち話はなんですので、詳しい話はこちらで」
橘花さんはそう言って歩き出す。
ギリギリまで足元に絡みついてくるみぃちゃんを、橘花さんに気付かれないよう小さな声で叱りつけて私も部屋を出た。
それが、みぃちゃんなりの精一杯の警告だったとは気付かずに――。




