4.森の杖屋さん 後編
リンとエリは天井まで届きそうな程の角材が並ぶ部屋に通された。大きい杖はここで選んだ角材を削って作るらしい。様々な木の香りがふわりと漂い、森の中にいるかのように目が覚める心地がする。結局、リンは肩くらいの高さの杖を作って貰うことになった。
「リンちゃんは魔力が高めの子なのね」
「人間にしては珍しいくらいにはね」
「そうなんですね。近くに魔法学校ができたせいか、最近こんな森の中のお店にも魔法使いになりたいって子が来るの。そういう子は大概、魔力量が足りないって悩んでて。少ない魔力でも使えるのとか、魔力の増幅ができる杖の需要が上がっていたんです。てっきり同じタイプかと思っていました」
「杖を変えたくらいでそんなに魔力が増えるとは思えないけど」
「ちょっとの差が、彼らにとっては死活問題なの。エルフの貴方には分からないかもしれないけど」
尻すぼみになりながらサラが口を尖らせる。
「でも、逆に魔力が多い分コントロールが効かなくて悩んでいる人もいるわ。そういう人にはエリさんの言うとおり、大きめの杖を薦めますね。細くて短いと、力加減を間違えた時に大量の魔力が一気に流れちゃって、壊れやすくなるのは確かだし。短くてお洒落な杖は、大きくなってからでもさほど苦労せず買えるから」
二人はさっきまでのやりとりが嘘であるかのように話し込んでいる。確かに修復魔法は呪文が複雑で覚えるのが難しく、原型が無くなるほど壊れていると掛からない。それに、エリが言うには、本来は魔法というのはむやみに使うものではないらしい。世の中には、「物は上から下に落ちる」といった法則がいくつもある。理屈としては、魔法というのは精霊に世界の理をねじ曲げさせる行為なので、やり過ぎると精霊が本来の働きができなくなり、世の中がおかしくなってしまうそうだ。だから、杖の丈夫さというのはリンが想像していた以上に重要なことだったのだ。
また、木材の選び方も色々あるらしい。良く使われる目安としては、生まれた日から守護樹木を割り出すというもの。簡単に言えば、風月(1月)生まれはホリー、雨月(2月)生まれはエルダー(ニワトコ)といった具合だ。しかし、リンは自分の誕生日を知らなかった。エリも冬だったことは何となく覚えているらしいが、何月かまでは覚えていないらしい。
「冬というのが確かなら、霜月(11月)のリンデン(シナノキ)、雪月(12月)のビーチ(ブナ)、風月(1月)のホリー辺りかしら」
と、サラ。手早く三種類の角材を見繕って、目の前に並べて置いてくれる。
「触ってしっくりくるものがあれば、それが一番ね」
「相性が良いのは手に吸い付くような感覚がするからね。ここで出会えるかは分からないけど」
角材の上にそっと手を乗せてみる。ざらつく感触、仄かな冷たさ。しかし、これがエリの言うような
「手に吸い付く」感覚なのかは判別がつかなかった。
「後は、よく使う魔法の属性によって選ぶのもありね。例えば、炎の魔法が得意な人なら火に対応するアシュ(トネリコ)、水魔法ならユー(イチイ)、風魔法ならアザレア(ツツジ)といったところを選ぶと発動を助けてくれるわね。逆に反対の属性を持つ木を選べば、魔法の暴発を防ぐこともできるってわけ」
「リンは極端な得意不得意はないからなあ」
炎の魔法よりは水魔法の方が使いやすい、といった傾向はあるものの、属性関係なく教えられた魔法は使えるようになっていた。それに炎魔法を極めたいというような希望があるわけでもない。
「強いて言うなら、雨降らせるのが得意かな」
「そんなことは……」
幼い頃ならともかく、ここのところは意図的に雨を降らせたことはない。きっと飲みに行こうとした時に雨が降っていたから、自分のせいにしているんだ。とリンは己に言い聞かせる。もし、無意識の内に雨乞いをしていたら、大多数の町の人に迷惑をかけていることになってしまう。頭の中で恐ろしい考えを全力で消そうとした。
「たまにいるのよね。どの属性の魔法も使えますっていう子。私は一人か二人会ったことがあるかどうかってところだけど。大概は炎魔法と風魔法が得意な子は水魔法がてんで駄目だったりするから。魔力はあるし、属性も関係ない。だからこそ、合う道具が分からない。贅沢な悩みよね」
サラが腕を組んで大きくため息をつく。リンはなんだか申し訳ない気持ちになった。例えば自分の誕生日がはっきりと分かっていて、火を起こす魔法しか使えなかったら、サラはすぐにぴったりの杖を見繕うことができたのだろう。物を壊すエルフを止めることができず、まともに商品を選ぶこともできない。何もできなくて、困らせてばかりの自分が大嫌いだった。
「こういうのって選択肢が多いからこそ悩ましいのよね。だって、ほら。お菓子を買いに町へ出たとするじゃない? そこにリンゴのケーキしかなかったらそんなに好きじゃなくてもそれを買うでしょう。二個しかなかったら好きな方を選んだり、くじで選んだり、両方買うって手も使えちゃう。でもね、百個も二百個もあったらどう? どれを買おう、何個買おう、でも全部買えないし……って、途方にくれちゃうわよね」
明るく寄り添おうとしてくれるサラの言葉すら、痛々しく響く。
「ねえねえ。エリずっとここで突っ立っているの飽きてきたんだけど」
地面に尻をついて座りこむエリをサラは鋭い目で見下ろした。
「お弟子さんが一生懸命選んでいるのに何ですかその態度は。だったらあなたも選ぶのを手伝ってあげたらどうです?」
「ええ。結局本人じゃないと決められないだろ。そういうのって」
「ならせめて、合いそうな木を五本くらい見繕ってください。その中から一番使いやすそうなのを選ぶの。お師匠さんならきっと、ぴったりのを選んでくれるはずだし、その方が楽でしょう?」
ね? と念押しされ、リンは首を何度も縦に振る。笑顔の圧が強かった。
「エリさんが選んでいる間、杖の太さを選びましょう。お父さんのところに見本があるわ」
サラに連れられて、外に出る。彼女はエリがまた木を壊さないか見張っているから、と言い残して店の中に戻ってしまった。
白髪交じりの男は、出会った時とは対照的に穏やかな声で、リンの手形を取る。羊皮紙に手を押しつけて炭で輪郭をなぞったり、粘土に手を押しつけて型を取ったり、身長を測ったり。その人の手の形や体形にあったものを作るために、行うのだと教えてくれた。そして微妙に太さの違う円柱型の木を代わる代わる持たされる。握り込んだ時に親指と人差し指が重なるか重ならないか位の太さが良いらしい。持っては取り替え、時には小刀で削りながらまた握る。さほど時間をかけずに太さと杖の形は決まった。
「てっぺんのところだが、石でも嵌めるか? 太くしたり、動物の頭の形に彫ったり、色々できるが」
「えっと……」
男は立て掛けてある杖を手に取っては、見せてくれる。水晶のような宝石が載せられているもの、羽根を広げたような木の彫刻がついているもの、渦巻き状に湾曲した木の中央に鉱石が光っているもの。どれも綺麗ではあったが、自分に似合うとは思えない。魔法使いと言っても、王都みたいなところで活躍するようなキラキラした人達が使うべきだ。とにかく派手すぎる。貧民街の中では目立って仕方無い、一瞬で盗まれてしまう。
弁償代代わりに杖は買いたい。でも、使うかは分からない。ならば棒の部分があれば十分だ。余計な手間暇をかけさせずにすむ。
「あの、その……申し訳ないですが、あんまり目立つ物は……」
勇気を振り絞って口に出した時、上から様子を見守っていたストラスの声が降ってきた。
『エリは思いっきり派手にしたがりそうだけどね。それに、装飾が無いとあんまり高く売れないんじゃない?』
派手にして高く売れる方がありがたいのか、それとも彫刻を施すのは手間なのか? 何が正解なのか、ぐるぐると考えが巡って、頭が痛くなりそうだ。
「そうか。シンプルなのが良いんだな。だが折角のでっかい買い物、ガキの時に宝石なんざ買えるのはこの時くらいだぜ? 石を載せる台だけ作っておこうか。生憎俺らは石のことはさっぱりだ。希望があれば取り寄せて付けるくらいのことはするが、無いなら、後からその手の職人のところに持っていくといい」
「なら、それで。お願いします」
あとは木材を選ぶだけとなった段階でリンと男はドアを少し開けて店を覗き込む。二人は喧々囂々言いながら候補を選んでいた。
「もう少し時間がかかりそうだな」
リンも首肯する。
「待っている間に木を削ってみないか」
「え?」
目を点にして聞き返す。言われるがまま切り株のような椅子に座らされ、怪我をしないようにと分厚い皮の手袋を嵌め、緑色をした細めの幹と小刀を持たされる。手取り足取り教えて貰いながら、木の皮に刃を当てて、力を込める。刃が食い込んで、繊維を裂き、樹皮のかけらが宙を舞う。何度も繰り返すが、刃が食い込み過ぎたり、ほとんど削れていなかったり、杖として使えるか怪しいくらいでこぼこだ。
男は別の木材を専用の道具で削っていたが手早くて、滑らかだ。削った後の木くずも薄絹のよう。もう一度手元にある木に刃を当てる。職人に削って貰えば綺麗な杖になったのに、という恨み節が聞こえてきそうで、なかなか小刀を滑らせることができない。男が時折手を止めて様子を見に来る。
「なんか、こんなのになってしまって……すみません」
「気にするな、初めてはこんなもんだ。なんでも昔の魔法使いってのは自分で木を削って杖を作ったそうだ。思いを込めながら一回一回、木を削ったんだろうな。俺らは代々ただの木こりだった。たまに余った木で机とか作ってたけどな。だが、魔法使いの杖を作ることになるとは想像もしていなかったんだ。ある日変な旅人がやってきて、俺らに杖を作ってくれって言い出したんだ。どうしても儀式に必要だが、自分は手を痛めていて難しい。しかもこの森の木で、この場所で作ったものにしたいと言い出す。仕方無く親父がそれっぽいのを作ったんだ。そしたらいたく気に入ったみたいでな。木を売るだけじゃ儲からなくて困っていたから、杖を作っては売るようになったんだ。しかも戦争のせいだか知らないが、ここ最近は魔法使いになりたい奴がどんどん増えているらしい。俺達が杖を作っているって噂をどこで聞きつけたか知らないが、今や仕事の半分が杖作りよ。全く、世の中分からねえよなあ」
そう話す男は楽しそうに木を削っている。世の中は不思議だ。どれだけ願っても叶わないことがある一方で、魔法に興味のない人が立派な杖職人になるように、望んでいなかった運命でも案外悪く無かったりする。
自分の性格も、持って生まれてしまった力も、いつか「それで良かった」と言える日がくるだろうか……先行きは暗かった。
「リンちゃん、ちょっと来て」
サラが息を切らしながら顔を出す。木を選びに店の中へ入ろうとした時、自分で削った木の棒を持ったままであることに気がついた。不格好な削り後をなぞる。これでは杖にならないはずなのに、手放すのが惜しい気がする。持ち直しては、手を滑らせる、滑らかな感触が心地よい。
「それ、気に入った?」
サラは小首を傾げて、顔をほころばせた。
(もしかして、これがエリの言っていた手に吸い付くっていう感覚なのか?)
「ウィロー(柳)か。木材、決まったね」
リンの頬に赤みが差し、口元が緩んだ。
杖ができあがるまでにはおよそ半年かかるらしい。細々とした打ち合わせを終えて、リンとエリは外に出る。空は先ほどまでとは打って変わり、晴れ渡っていた。あまりの眩しさに外套を頭から被る。しかし、人の少ない森の中にいるせいか、晴れも悪い気がしなかった。
「全く、選んだのがウィローなんてさ。因縁を感じちゃうよね。あーやだやだ」
エリが箒にまたがって空を飛びながら言う。月の天使に捧げることもあると言われるウィロー。その「因縁」の意味をリンが知るのは、もう少し後になってからのことだった。
***
ある晴れた日。うららかな日が差し込む部屋の片隅でリンは横になっていた。
「ほら、洗濯ものを畳んでください」
母親よりも母親みたいな台詞を吐きながら、モモが頬を膨らます。
「疲れた」
と、言いながらも自分の服を洗濯してもらっているのは確かなので、ゆっくりと起き上がってぼろぼろのタオルに手を伸ばす。彼女は二、三年前にこの町へやってきた。出会った時は色々と迷惑をかけてしまい、そして今も何かと迷惑をかけている。それなのに時々家に遊びに来たり、畑仕事をしている時に声を掛けてくれたりするから不思議だ。
彼女と一緒にいるだけで心が温かくなって、嫌なことも忘れられるような気がして、幸せな気持ちになる。しかし、彼女はどうだろう。なぜ自分なんかといるのかも分からない、だが、一緒にいるのが嫌なら話しかけて来ないだろうし……、楽しいと思ってくれているのなら嬉しいが。
リンにとって彼女は、この世界の中で一、二を争うほど大切な人で、唯一無二の友達と言っても過言で無い存在だった。
(でも、モモは少ししかここにいないのに、沢山の友達がいる。同居している男だっている)
彼女にとってリンは、良くても数ある友達の一人に過ぎないし、何とも思われていない可能性だってある。
モモが洗った服を抱えて物干し竿のあるところへ行くと、素っ頓狂な声を上げた。
「あら。これって、リンちゃんの杖ですよね。エリ様に買ってもらった物でしょう。大事に使わなきゃ駄目じゃないですか」
モモが振り返ると、リンは顔を背けた。結局、耐久力のある杖を買ってもらい、エリの鞄の中から転がり出てきた赤い石を職人に嵌めてもらった。彼女が言うにはリンの母親から貰ったものだという。しかし、引きこもり生活を続けていたおかげで杖をほとんど使わなかった。最初こそ魔法の練習のため手にしていたが、段々と杖を持たなくても魔力のコントロールがある程度効くようになり、杖の補助が必要な魔法を使う機会などまず訪れなくなっている。
「別に欲しくて買った訳じゃないし……」
「勿体ないですよ。確かに、ここのくぼみは手ぬぐいを引っかけるのに便利ですが……。ところで、何故こんな端っこだけへこんでいるのでしょう?」
「さあ?」
削るのに失敗したところだから、と言い出せないまま、黙々と乾いた服を畳む。濡れた服をはためかせながら、ウィローの杖は日の光を浴びていた。