3.森の杖屋さん 中編
小屋の中に入ると、びっしりと杖が飾ってあった。部屋の真ん中に置かれた丸い机に向かい合って、エリはサラに事情を話す。男は奥でお茶を用意していた。
「いるとうるさいから」
と、娘が笑う。
「事情はなんとなく分かったわ。あなたは人間の町に住むエルフで、事情があってこの子と暮らしているのね。それで、この子に魔法の才能があるから杖を買いにきたと」
「そうなんだよ。確かに最初はリンを連れ去るような形になっちゃったけど、それはこの子の母親にも頼まれていたことだったし。放っておいたらもっと酷い目に遭うところだったんだから」
「そう。とりあえずこの子への悪意がないことは確かなのね」
「ある訳ないよ」
(どうだか)
自信満々に言い切るエリに向かって、疑いの視線を向ける。
「うちの父がごめんなさいね」
「ホント困っちゃうなあ。ま、言いたいことは分かるけどね。この間まで森のエルフと小競り合いしててさ、身内をエルフに殺された人も、捕まったきり帰って来なかった人もいるわけで。まあ、敵だよな」
「そうなの。特に、数年前、人里に来たエルフに女の子が攫われちゃった事件があって。それ以来、森で迷子になったり、いなくなったりする人がいるとみんなエルフのせいじゃないかって言われるようになってて。実際は狼に食べられたりとか、妖精に惑わされたりとか色々あるのだろうけど、とにかく過激になっているの」
「なるほどねえ。長生きしすぎると性癖も歪むのかねえ」
「ちょっと、子どもの前よ」
「気にしなくて良いって」
サラは大きくため息をついた。そして、リンに顔を近づける。
「お父さんが怖がらせちゃってごめんなさい。でも、あなたを傷つけるつもりはなかったの。どうか寛大な心で許してくれないかしら?」
リンは緊張のあまりコクコクと頷くことしかできなかった。何か話した方が良いのだろうかとか、手を震わせずにお茶を飲めているのかとか、二人の会話はどういう意味だろうとか、余計な一言が多いエリへの苛立ちとか、他に気にすることがあまりにも多かったのである。
「ともかく、あなた達は杖を買いに来たのでしょう? 良かったらゆっくり見ていってくださいな」
と言ってサラが店の中を案内してくれた。部屋の半分は手先から肘くらいの長さをした短い杖がびっしりと並び、もう半分はリンの身長ほどある木の棒が立て掛けてあった。
「ここにあるのは全部見本品。ここで木の材質とか形とかを選んで貰って、私たちが一から作ったものをお渡しします」
リンは短い杖に刻まれた木材の名前を見比べる。樫、ブナ、楓、トネリコ……。似たような形なのに、色も質感も全く違う。この中から一本選べ、形や装飾も選べと言われても、途方にくれてしまう。
「エルフの職人ってのは凄いんだろ。お仲間に作って貰ったらどうなんだ」
台所から顔を出して男がヤジを飛ばす。サラが睨み付けるとすぐに引っこめた。
男はおそらくエリにだけ敵意を向けているのだと頭では分かっている。世間知らずなリンでも「それはちょっと……」と、言いたくなるようなことをしていることも。だが、まるで自分にも敵意が向いているような気がして心が痛んだ。こういう場面は苦手だ、早く帰って寝床に潜ってしまいたい。
「ま、確かにエルフってのは木の性格を見るのは得意かもしれないけどね。人間が使うなら人間が作ったものが一番だよ」
エリは不敵な笑みを浮かべて肩をすくめる。呆れ半分、面白半分といったところか。
「それとも人間ごときに高貴な種族の杖は使わせられないってか」
「お父さんったら」
「無い無い。人間のことが一番分かるのは人間ってだけ。あいつら同胞のことすら禄に考えないから。威張ってるくせに気まぐれにしか物を作らないし。頼んでもまじめ腐った顔で『まだその時ではない』とか言っちゃってさ。やってらんないよもう。人間の職人は凄いよ。頼めばパッパとそれなりの物を作ってくれて、取りに行くとこっちが『遅い。もう他の人に売った』って怒られるんだもん」
(それは一カ月後にできると言われたものを三年後とかに取りに行くからだろ)
リンは横目で見やるが、エリはどこ吹く風。
「もうその話は終わりにしましょう。折角こんな辺鄙なところまで来てくれたのよ。私が応対するから、お父さんは奥で作業してて」
男は渋々といった面持ちで外に出て行った。
「さて、いきなり木を選ぶのは難しいかしら。大きさとか、形とかのイメージはある?」
「大きいのが良いよ。身長くらいあるやつ。丈夫だし、山歩きできるし」
そんなに山を歩きたいのか、と心の中で呟く。魔法陣の中に立って、杖を持っている姿を想像してみた。大規模な魔法を使うなら老人がついている杖くらいの大きさが良いだろう。小枝のような杖では心許ない。しかし、普段大がかりな魔法を使うことなどまずない。魔法使いとして生きていきたい訳でもないのだ。ただ、それ以外で人並みにできることが無かっただけで。
「最近は小型のものが人気ですよ。取り回しが楽で、使う魔法や呼びかける精霊によって種類を変えられるように、複数本揃えることもできますし」
「……小さいのがいい」
蚊の泣くような声で、リンが呟く。手先から肘くらいまでの長さなら、袖の中に仕込むこともできるし鞄にも入る。一目で魔女だと思われることもない。どうせ買うのなら目立たないものが良かった。
サラはリンの希望を察したようで、一本の見本品を取り出した。ペンみたいな形をしている。
「このくらいのサイズはどう? 鉱石を埋め込んだり、彫刻を付けるような装飾はあまり施せないけれど、杖部分に文字を彫ったり、ニスにペガサスの羽根を入れたりすれば魔力の増強もできますよ」
「そんな小さいのじゃダメだって」
エリがすかさず反対する。
「魔力のコントロールを覚えるために使うんだから、大事なのは君の魔力に耐えられるかどうかなんだよ。こんな力を入れたら折れそうな杖なんて」
と言って近くにあった細身の杖を両手で掴んだ。
「一回でダメになる」
バキッと音がした途端。リンは悲鳴にも似た叫び声を上げた。エリが真っ二つに折った見本品を奪い取る。
「魔法使うたびに買い換える気か?」
「何してんだよ」
リンは震える手で折れた部分を近づけたり遠ざけたりする。サラの方を恐る恐る見ると、彼女は顔面蒼白になっていた。
「あ、あの、ご、ごめんなさい」
今日は碌なことがない。もう帰りたい。どうするべきか分からないままとりあえず頭を下げてみる。
「あ、いいえ。見本品ですから。ホリー(ヒイラギ)の杖ね。大丈夫よ、これならすぐに作り直せるから」
サラもあまりの衝撃で声がうわずっていた。
「お前もなんとかしろ。ほら、謝って」
エリが着ている外套の裾を引っ張り、訴える。
「ホントにこれで折れると思わなかったもん。普通の杖にしてもこの強度じゃちょっとまずいんじゃない?」
「見本品って言ってただろ。それに店のものを勝手に壊そうとするな」
「大丈夫、大丈夫。木の杖ならすぐに治るって」
彼女は裂け目を左手で繋ぎ、右手をかざす。呪文を呟くと周囲から光の粒が集まって、すぐに消えた。エリにしては珍しく、魔法に失敗したのだ。
「なんで。なんで治らないの。あ、こいつ突っぱねやがった」
呪文は正確だったし、光が集まっていたところからして手順は完璧。それでも発動しなかった理由があるとすれば、杖に宿る精霊の意志だろう。彼女の呪文で治ってやるものかと、抵抗してきたのだ。リンは魔法の仕組みとして教えてもらっただけで、本当に杖に精霊がいるのかは分からない。ただ、いるとすれば相当怒っていることは察せられた。当たり前だ。いきなり折られたのだから。
「大人しく治っておけよお」
杖を片方ずつ持って振り回すエルフ。リンはこれ以上店にいたら更なる被害が起きそうな気がした。すみません、すみません。と頭を下げながらエリを引っ張って店の外に連れだす。雨が降りそうな天気で、奇妙な肌触りの風が吹いていた。
「もう帰ろう」
「何で」
エリは自分のしたことが分かっていなさそうな、あどけない瞳でリンを見返す。
「お前のせいだろ」
思いっきりにらみ返すと、彼女は目を逸らした。
「まあ、確かにいきなり折っちゃだめだったよね。精霊もすねちゃったし。けど、大きくて丈夫な杖じゃなきゃ、もたないのは本当だよ。修復魔法だって、こんな風に上手く掛からない時があるし。ちょっと持って魔法を使ってみるといい。半分だけど」
裂け目が露わになっている杖の片割れが差し出される。
「やだ。お店の物だし、それにこれ以上の迷惑はかけられない。ねえ、帰ろうよ」
「だって。次買いに行けるの、いつになるか分かんないし」
「杖なんかいらないから。もう余計なことしないで」
リンは瞳に熱い物がこみ上げてくるのを感じて、顔を袖で隠した。泣いているとは思われたくなかった。エリはキョロキョロと辺りを見渡し、顔を掻きながら見下ろしている。リンは周りの目を気にしすぎる質だった。エリはその感情がどうにも理解しきれなかったようで、
「なんで君が泣くの?」
こぼれでたのは、素直な疑問の言葉だった。
「ちょっと待ってください」
サラが店から出て二人のもとに駈け寄ってくる。
「サラたん。この子どうしたらいいのかなあ?」
なぜかサラに泣きつこうとするエリ。
「まさか杖を壊したまま帰ろうとしていませんよね。弁償代の銀貨五枚払ってください」
サラは冷たくあしらう。
「それくらいならすぐ払えるけど」
弁償ということを考えもせずにすぐ立ち去ろうとしていた自分の浅はかさに、リンは気がさらに重くなる。そんな彼女の顔をサラが覗き込んだ。
「だからね、杖を選んでもらいたいのよ。一本買ってくれれば見本を作り直すお金も出せるから。弁償代は要らないわ」
彼女はリンを責めなかった。店を追い出そうともしなかった。それどころか杖を買って欲しいと言ってくれる。それは初めてのことだった。包み込むようなサラの優しさに、胸がほぐれていく。
ずっと買い物をすることが迷惑になると思っていた。でもそれで彼女が喜ぶのなら、どんな杖でもいいから買いたい。そう考えるようになっていた。
「一緒に探しましょう。あなたに合う杖を」
頬に涙を一筋流しながら、リンはこくりと頷いた。