第11話 笑顔の女性
期末テストが終え、ひと段落のある日の昼休み、僕の心はざわついていた。
というのも、最近クラスに漂う違和感のせいだろう。
いつも休み時間になると馬鹿騒ぎをする集団が分割され、異様な空気に僕を含め周りの生徒たちはそれを静観していた。
だが、僕の場合はそうはいかなかった。
「それでさ、この黒猫追いかけてたら、駅の改札をすり抜けて行っちゃってさー。駅員が大慌てで捕まえようとしてて・・。」
桐ヶ谷さんがスマホの画面を梵さんに見せながら、そんな談笑をしていた。
箸を片手に話す姿は行儀が悪かったが、本人が楽しそうなのと、この空気を壊すのが勿体ないと感じた僕は静かに弁当と向き合う。
まさか、僕が梵さんと昼食を一緒に出来るなんて・・。
嬉しさを感じるのも束の間すぐに現実に叩き落とされる。
「大声でうざっ・・。」
聞こえるほど声量でわざとそう言ったのは向かいの窓側の席の集団ではあった。
クラスのギャルである、吉川さんを筆頭としたイケイケ集団だ。
つい先日まで梵さんや桐ヶ谷さんがいたグループなのだが、何故か今日は僕のところに梵さんと桐ヶ谷さんそれに・・。
「そっちもでしょ・・。」
眠気まなこでそう反論したのは、蛍光色の橙色の長髪の喜多嶋さんであった。
その一言に吉川さんが舌打ちをすると、吉川さんはグループの会話へと戻るのであった。
喜多嶋さんは張り合いのなさに鼻を鳴らす。
僕は初めてというぐらい関わりしかない喜多嶋さんに緊張してしまう。
正直僕が彼女に抱いている印象は『とても怖い』というものだ。
格好もそうだが、先生にも物怖じしない態度などが主な要因である。
「あ、あの・・。」
「何ビクビクしてんの?キモいからそれやめてくれない?」
僕が沈黙を脱しようと話題を振ろうとするが、その前に喜多嶋さんに毒を吐かれ断念する。
僕がなす術なくうなだれていると、その様子を見て桐ヶ谷さんが笑う。
「アハハハ!三島っちってば何真に受けてんの?」
「・・え?」
「今のキキのジョークっしょ」
僕はおそるおそる喜多嶋さんを見ると、頬に手を当て照れを隠しているようであった。
「わざわざ言うなし」
「キキちゃんって見た目と違って不思議ちゃんぽいよね」
梵さんにも言われ、喜多嶋さんは不貞腐れて、自身の手に持ったサンドイッチを齧る。
案外怖くないかもしれない・・。
「ところで、何でキキってあだ名なんですか?」
気の緩んでしまった僕は、喜多嶋さんにそう尋ねる。
「別に何だって良くない?」
僕が尋ねたら途端に喜多嶋さんの冷たい視線が僕を見定める。
「うっ・・!?」
「喜多嶋ミキで前後を取ると『キキ』だからだよ」
僕は少し肩を動かし怯えると、またもや桐ヶ谷さんが補足する。
その言葉に反応して喜多嶋さんは「おい」と、桐ヶ谷さんを小突く。
「そ、そうだったんだ?」
「名前と違って可愛くなくて悪かったね」
皮肉混じりにそう言った彼女に僕は全力で首を振る。
「そ、そんなことないよ」
「はいはい・・。どーせ思ってないでしょ?」
「い、いや、本当に喜多嶋さんて綺麗だと思うけど・・。」
その言葉に三者三様の顔をされ僕は戸惑ってしまう。
「あ・・そう・・。」
照れ臭そうに口籠もる喜多嶋さん。
「三島っちヤラシー」
と、煽り立てるのは桐ヶ谷さんで、何故か羨ましそうに喜多嶋さんを見る梵さん、その様子に僕は頭を悩ませていると・・。
「ちょっと、美羽!どこ行くん?」
「別にどこだっていいでしょ!」
と、隣のグループから苛立った怒鳴り声が聞こえてくる。
僕が隣を見ると、不機嫌な顔で吉川さんが立ち上がり教室へと出て行く。
吉川さんは教室を出る際に、梵さんを睨むのであった。
「敵意剥き出しじゃん」
「生理じゃね?」
半笑いでそう答えた桐ヶ谷さんを喜多嶋さんはまたもや小突く。
だが、梵さんだけは深刻そうな表情で俯いていた。
「梵さん大丈夫?」
と、僕は彼女にしか聞こえない声量で話しかける。
「えっ!?あ、大丈夫だよ?」
すると梵さんは、ぎこちない笑顔を浮かべる。
おそらく何か悩み事があるのだろうが、僕は「なら良かった」と、有耶無耶にするのであった。
この時彼女の異変を見逃さなかったらあんなことにはなっていなかっただろうに・・。
ーーーーー
曇天が立ち込め、気分すら濁ってしまっていた。
「あームカつくなぁ!」
吉川美羽は頭を掻きむしり、感情のままに、声を荒げる。
吉川美羽は苛立った様子で帰路に着こうとしていた。
いつからか、自分の思い通りにならないことに、イライラが募ってしまっていた。
現に今も、自身のことを学校に引き止めようとしなかったクラスメイトたちに怒っていた。
早足で彼女が歩道を歩いていると、彼女の視線の先には、他校のブレーザーを着た少年が立ち尽くしていた。
深緑のそのブレザーは地元で有名な進学校であった。
何故か不敵な笑みを向けるその少年に吉川は顔を顰め、警戒する。
彼女は視線を逸らし、小走りでそこを過ぎ去ろうとしたその時であった。
「その制服、星陽高校の方ですよね?」
物腰の柔らかな少年は笑顔でそう訊ねてくる。
吉川は身構えつつ、「そうだけど」と、相槌を打ちその少年の顔を見る。
小麦色の肌に、琥珀のように美しい金髪が特徴的なその少年は吉川の言葉にさらに眩しい笑みを向ける。
「やっぱり、そうなんですね!こんな偶然があるんですね!」
中性的な声でそう言った少年は、一度咳払いをすると、
「ちなみに梵芽依という人をご存じですか?」
と、質問をしてくる。
その名前を聞くだけで、吉川の眉間に皺が寄ってしまうが、仕方なく頷く。
目の前の少年は眉目秀麗でこの男をもうしばらく見ていたいという邪な気持ちが過り、つい本当のことを答えてしまう。
「もしかして知り合いですか?」
「まあ、同級生だから・・。」
その言葉に少年は喜びの声を上げる。
「本当ですか!?よかった・・。」
「そんなに喜んでどうしたの?」
吉川は感情の起伏が激しい少年を訝しげに見る。
やはり、関わるべきではないと感じた吉川は適当に会話をしてこの場から離れようとしたその時であった。
「中学校のとき、突然不登校になってそれっきりだったから・・。」
「・・え?」
吉川は少年のその言葉に驚く。
(あの芽依が不登校・・。)
吉川は今の梵芽依とは当てはまらない少年の言葉を反芻していると、
「そういえば、僕写真持ってるんですよ」
少年は嬉しさからか、自身のスマホを操作して、吉川に写真のフォルダを見せてくる。
「これこれ、この写真の左端にいるのが彼女なんですよ・・。今はどんな感じなんだろう」
「・・・は?」
少年が見せてくれた写真に吉川は唖然としてしまう。
彼女は驚きとともに、黒い感情が渦巻く。
そして彼女は自身の悪巧みに不敵に笑うのであった。
ーーーーー
吉川と歩道で喋っていた少年は、別れた後もその場で立ち尽くしていた。
吉川が完全に見えなくなったと同時に、少年はため息を吐く。
「ちょっと強引だったかな・・。」
「彼女はそんなこと気にしてないと思うけどね」
苦笑いをする少年にそう声をかけたのは、同い年ほどの若い少女であった。
雨も降っていないのに、黒色の傘とそれに合わせたかのような黒のワンピースを着た少女に少年は眉を下げる。
「そうだと良いんですけどね」
「彼女はね、弱みを握れた喜びで、ルイの怪しさなんてこれっぽっちも思ってないわよ」
口元を隠しながら上品に笑う少女はそのまま少年を傘の中に入れる。
少女の空のように青い髪が少年の肩に触れるほど近い距離に少年は頬を掻く。
「あら、相合い傘がそんなに恥ずかしい?」
「あの・・そうじゃなくて・・。まだ雨降ってないんですけど・・。」
周りの歩行者を見ながら恥ずかしがる少年に少女はクスクスと笑う。
「ふふっ。ルイったらコッチの生活に慣れすぎて、使ってないでしょ?」
少女はそう言い自身の目を指差す。
螺旋を描いた瞳は怪しく青い光を放つのであった。
「その力は天気を見るものじゃないですよ・・。先輩に怒られますよ?」
その瞳を見て少年はため息を漏らす。
だが、そんな態度を気にも止めずに、
「こんな便利なもの、使わなきゃ損でしょ」
と、開き直るのであった。
「もうすぐ雨も降ってくるしこのまま帰りましょう。濡れるのは嫌いなの」
少女たちの上で曇天が不幸を運ぶように蠢くのであった。