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Prologue

 この部屋は、とても綺麗とは言えない部屋だ。

 ドレッサーの上は片付けられてはいるが、鏡の上には埃が積もっている。

 絨毯の上は綺麗に掃除されているが、フローリングの端には髪の毛が落ちていた。

 最低限度の掃除はしてある、その程度である。どうせこの部屋に客など来ない。


 探偵、井々村(いいむら) 直也(なおや)の目の前にはひとりの女性が座っていた。

 彼は注意深く、その女性――垂枝(したぎ) (かおる)の瞳を見ている。

 そして、目下に並べられた化粧品の中から紫色のマスカラを手に取った。


「君の瞳は本当に美しい」

「戯言は良いですから、手早く仕上げて下さい」

 垂枝(したぎ)は透き通るような美しい声で、冷徹に言い放つ。


 直也にはそれがたまらなかった。美しい花には棘があるという。

 垂枝(したぎ)はまさに、それを体現したような女性だったのだ。

 その綺麗な顔を傷つけないよう、細心の注意を払ってメイクを施す。

 直也は別に美容師などではない。純然たる探偵であり、いたって普通の男性だ。


 いや、普通では無いか。彼には特殊な事情があった。

 それは、探偵でありながら殺人鬼であるという事だ。

 胸の奥には「人を壊したい」というどす黒い願望が渦巻いている。

 そして、彼には常人には理解できない方法で同類を同定する事が出来た。

 直也の目から見たドレッサーの鏡には醜く歪んだ、渦巻きが見えている。

 首から下は人の形をしているが、顔や表情は分からない。


 彼は殺人鬼の顔を見る事が出来なかった。


「さて、こんなものかな」

「ありがとうございます、直也さん」

 垂枝(したぎ)はそう言ってワックスを手に取る。


「次は貴方の番ですね」

「なあ、これ必要か?」

 垂枝(したぎ)は返事もせずに直也の髪の毛をセットし始めた。


 短くカットされた髪を丁寧によじって形を整える。

 少しクセのある部分は目立たないように何度も調整した。

 直也は見た目など気にする気は無い。

 だが垂枝(したぎ)は「最低限度の容姿は必要です」と言って聞かなかった。


「まあ……これで良いでしょう」


 彼女の許しが出た事で、直也はやっと対面で座ることから解放された。


「さて、それじゃあ、今日も仕事をするか」

 直也はそう言って、ノートパソコンを立ち上げる。


「仕事、ねえ……」

 垂枝(したぎ)は心底馬鹿にした表情で直也を見ていた。


「そんな顔をしないでくれ、垂枝(したぎ)君。この地道な努力が仕事に繋がるのだ」

 直也はそう告げて食い入るようにモニタを見る。


 カチッ、クルクル……。カチッ、クルクル……。

 クリックとホイールを回す音しかしていない。

 カタカタというキーボードを叩く音はしなかった。


「まあ、否定はしませんが」

 垂枝(したぎ)はウンザリしたような表情でそう呟いた。


 なお、直也のこの行動は100%趣味である。

 SNSをチェックして、まずは話題になっている残虐な事件を探す。

 子供が殺されていると良い、1番は女児だ。

 どうやら、連続殺人犯の死刑執行が近いらしい。


 ――何故、直ぐに執行しないのか?

 ――こんなヤツを今まで生かして来た費用が無駄過ぎる!

 ――死刑って決まったら直ぐに実行しろよ!


 SNSでのやり取りを見ると、直也はニヤニヤが止まらない。

 正義感を持って死刑執行を望む……彼らの顔が見たかった。

 果たして、直也には見えるのだろうか。同じような渦巻きだったら面白い。

 結局は彼らも正義感を盾にして人を殺したい殺人鬼だ。


 次に目を引いたのは一家殺人事件。未解決だが、時効撤廃で今も捜査が続いている。


 ――警察、マジ無能。

 ――そもそも時効とか要らないでしょ。

 ――安心して生活出来ないよな。


 ああ、なんて素晴らしい。直也は嬉しくなった。

 警察の事をおそらくは何も知らないのだろう。

 無能な犯罪者はたしかに多い。完全犯罪など、本来は簡単に出来る。

 だが、日本の警察は十分に優秀だ。未解決事件が現在も数えられる程度で済んでいる。

 直也に言わせれば完全犯罪の大前提は「発見されない事」なのだから、現実がどうなのかは分からないが。

 ともあれ、警察は無能だと思ってくれた方が直也には都合が良いのだ。

 そうでなければ彼の好物である犯罪そのものが減ってしまう。

 犯罪者はおおいに警察を侮り、次々と凶行に走って欲しい。


 次に目を引いたのはキャバクラ嬢のストーカー殺人だ。

 ストーカーと言うのは面白い。直也はそう思っていた。

 殺人鬼で有ることには変わりがないはずなのだが、稀に直也に見える人種が居る。

 明らかに自らの手で人を殺しておきながら、それが殺意では無い。

 この事件でもそうだった。その心の中を覗いてい見たい。


 ――禿げたデブのオッサンが何を勘違いしたんだか。

 ――何故、無期懲役にしない、出てきたらまたやるぞ!

 ――こういう人の心がわからないヤツ、最近増えたよね。


 当然のように殺人犯にはバッシングの嵐だ。

 しかし、それだけでは無かった。


 ――女子大生がキャバクラ? その時点でもう……。

 ――金のために男を弄んだのだから、ある意味では自業自得でしょ。

 ――可愛いのって必ずしも得じゃないんだな。


 何故か被害者も悪かったような論調も存在する。

 直也は恋愛にも女にも興味はない。ただ、人の感情は面白かった。

 リアルではないからこそ、SNSには心の内面が映し出される。

 批判する連中は「自らが万能の神」でもあるように他者をこき下ろす。

 何とも痛快なやりとりである。


 あとは毒物混入事件と少女の誘拐事件ぐらいか。

 しかし、この世界は本当に面白いな。

 何故か毒物を入れた実行犯には冤罪説が浮上していた。

 少女をさらった犯人は母親の可能性があるらしい。

 普通に考えればでっち上げとしか思えないことが本気で論議されている。


「ふう……」


 めぼしい記事を見終わったら、最後は新型コロナのニュース速報を見た。

 もちろん、彼は病気そのものに興味は無い。

 彼の中でこの感染症は高齢者へのワクチン接種が終わった時点で終息している。

 それを何故か、残った人々は延々と論争を繰り広げていた。

 直也にはそれがたまらなかった。大衆が不安におびえ、慌てふためく姿に興奮する。


 ――日本人は油断せず対策を続けているから、この程度で済んでいる。

 ――何もしなければ市中は感染者で溢れかえり人が次々と亡くなるだろう。

 ――自粛しない無責任な連中がウィルスをばらまいている限り終わらない。


 危険と恐怖信じて疑わない連中が自らを正義と思い込み必死で啓蒙活動を続けている。


 ――ただの風邪で経済を止めてどうする?

 ――緊急事態宣言などの過剰な対策は税金を無駄に使っているだけだ。

 ――コロナにかからないためだけに人は生きているわけではない。


 そして、明らかに正しいと思われる意見がマイノリティとして退けられていく。

 お互いがお互いを正義と信じ、たたき合うことで人々は分断され軋轢が深まる。


「いいね、もっとやれ」


 それが直也の本音だ。この国は老人に支配されている。

 だから、誰も声を上げられないのだ。陰謀論でも何でもない。

 明らかに老人しか死なないウィルスを国民総出で無意味ともいえる対策に走っていく。

 結果、経済が悪化すれば犯罪は増えることになるだろう。大事件の火種はいつも貧困と決まっている。

 そうすれば、この国は直也にとって、もっと面白くなるはずだ。


「そろそろ、お昼ですよ」


 食い入るようにパソコンのモニタを見ていた直也に垂枝(したぎ)は冷徹な声でそう告げた。


「ああ、もうそんな時間か。ありがとう垂枝(したぎ)君」

「面白い記事はありましたか?」

 垂枝(したぎ)は直也の瞳をじっと見つめてそう言った。


 直也は知っている。垂枝(したぎ)は彼を監視しているのだ。

 どこかで犯罪の手引をしていないだろうか、と疑っている。

 もしも、その事に確信を持ったのなら彼女は迷いなく直也を殺すだろう。


「いや、いつも通りだ」

 それを知りつつも彼は手を上げて軽く答えた。


 期待するようなセンセーショナルな記事は無い。

 ただ、事件に対する人々の反応は掴めた。今はこれで十分だ。


「昨日も言いましたが、今日は依頼があります」

「何だと!?」

 直也は声を荒らげた。すっかり忘れていたのだ。


「貴方は本当にクソですね。私の管理する掲示板に書き込みがありました」

垂枝(したぎ)君、キミはもう少し言葉を選びたまえ」

 直也の反論を垂枝(したぎ)は少しも意に介さなかった。


「今日の午後……つまりこれから、こちらに来られます。準備して下さい」

「仕方ない、飯の種だからな、相手をしてやるか」

 直也はやれやれ、といった態度で立ち上がり、伸びをした。


 依頼、か……。どうせ碌なものじゃないだろう。

 直也はそう思いつつもほんの少しだけ期待していた。


 ――何か、面白い事が起こるかもしれないな。

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