3話 全てを食らう魔王、グラド・オーヴェル
魔人ミリシア・オーヴェル。
彼女は俺の手をしっかりと握り、そして立ち上がる。
俺は目を丸くして、間抜け顔をしていたと思う。
そんな俺の顔を見て、彼女は視線を外しながらに言った。
「か、勘違いしないでよね!まだ、あんたを認めたわけじゃないんだから。
でも、その……えっと、あんたの気持ちは伝わってきたから、それは評価してあげる」
握られた手から伝わる彼女の体温に早鐘を打つ自分の心臓。
繊細で華奢な手を見つめながら、夢見心地の俺の脳に彼女の言葉は入ってこなかった。
「ね、ねえ、聞いてるの?」
そんな俺を見かねて、彼女は俺の顔を覗き込んだ。
顔が近い!
整った顔立ちでまだ幼さを残す彼女の美しい顔が目の前にある。
一瞬、軽いパニックを起こしつつ、俺は顔を上げた。
えっと、名前を教えてくれて、今この瞬間、俺の手はしっかり握られている……ということは、お許しが出たってことでいいんだよね。
「えっと、じゃあ、ミリシア、行こうか。
俺の部屋には亜人化の術を施しているとはいっても、元は魔物だったやつらがいるんだ。
もしかしたら、ミリシアも仲良くなれるかもしれない」
そう言って、手を引いて歩き出そうとする俺を、彼女は止めた。
華奢な手からは想像もできないほどの力が込められている。
美しい外見に目を奪われ忘れがちだが、彼女は魔人なのだ。
「だから、勘違いしないでって言ってるでしょ!」
あれ、えっと、そうだったの!?
え、じゃあ、この握られた手は……いったいどういうことだ。
俺の視線に気づいたのか、彼女はつながれた手を振りほどいた。
「まずは、そうね、私のお父様に許しを得ることね。話はそれからよ」
「お……お父様に……ご、ご、ご挨拶に伺うんですか!?」
無意識に変な声を出してしまった。
お父様に会いに行くなんて、まだ心の準備というものが……。
「何よ、変な声を出して。
言っとくけど、お父様は厳しいから、簡単に許しが出るとは思わないことね。
お父様にかかれば、さすがのあんたも諦めるはずよ」
ああ、そうか。
人間で言えば、相手の両親に挨拶に行くということは、特別な意味合いがあるものだけど、魔人からすれば、そこまで特別なことでもないのかもしれない。
変に緊張する必要はないんだ、素直な気持ちを伝えれば、きっとわかってくれるだろう。
「ところで、ミリシア、その魔王のもとへは、どうやって行くんだ?」
「私だけなら、すぐに時空の歪みを抜けて帰ることはできるけど、あんたを連れていくとなると、私が先に帰って、向こう側から歪みを作るしかない」
ということは、少し時間がかかるうえに、ここでそれをするのは周囲に騎士団員たちがいる以上、避けた方がいいだろう。
多少面倒ではあるが、うまく言い訳を作り、単独行動をするように仕向けるか。
「ミリシア、提案があるんだが……」
***
「副隊長、魔人が結界から抜け出し、逃げていきます!」
結界から飛び去る魔人を指さし、1人の騎士が副隊長に報告している。
俺はすかさず、結界魔法を解除し、ラメロに指示を出す。
「ラメロ、あの魔人は手負いだ、俺が追いかける。
お前は騎士たちを率いて、周辺の警備に当たれ!
あの魔人の配下の魔物が潜んでいるかもしれない!」
「承知いたしました」
よし、これで単独行動をしても問題ないだろう。
あとは誰にも気づかれずにミリシアと合流さえできれば……。
そこへ、1人の騎士が駆け寄ってくる。
あいつは確か、以前、俺を襲撃した騎士のうちの1人、名前はたしかラース……だったか。
「レオン隊長、本当に1人で大丈夫ですか?もし良ければ、我らも同行いたしますが……」
「あははは。それで、また高範囲魔法で俺を殺しにかかるか?」
俺の言葉に彼は、狼狽した声を上げた。
「あのときは本当に申し訳ありませんでした。
しかし、我らは、あの瞬間よりレオン隊長に生涯の忠誠を誓っております。
どうか、信じてはいただけないでしょうか」
信じるも何も、俺はこいつらが真面目に騎士の務めを全うしているのを見ている。
その姿を見て、まだ俺を陥れようとしているとは、微塵も思えない。
「悪い、冗談だ。俺はお前たちを信頼しているさ。だからひとつ頼まれてくれ。
俺はあの魔人を追い、自分の陣営に加えたいと思っている。
そのために少々帰還が遅れるだろう、そのときは怪しまれないようにあの魔人の拠点の調査に行っているとでも言っておいてくれないか?」
「わかりました、お任せください。くれぐれも無理はしないでください」
***
そうして、騎士団から離れ、俺は今1人、森の中にいる。
そこで、ミリシアと合流。
そして彼女が先に時空の歪みに入って、数分が経過している。
さらに数分、数十分……少し不安になってきた。
まさか、騙されたなんてことはないと思いたいんだけど……。
すると目の前に、歪みが生じ、黒い空間が出現した。
これがミリシアの言っていた時空の歪みか。
俺は警戒しつつ、その中に足を踏み入れる。
足を踏み入れる前に、そばにあった石ころを全力で投げ込んだことは内緒にしておこう。
もちろん、嫌がらせではなく、罠かどうかの確認のためだったのだから。
しばらくして明るく開けた場所に出た。
見ると、足元に先ほど投げ込んだ石が落ちている。
どうやら、ここが魔王の居城で間違いないようだ。
廊下を抜け、大きな門の前まで来たところで、中から声がした……魔人の声だ。
そして、ゆっくりと扉の中へ。
目の前には玉座があり、1人の老練な男が座っている。その横には先ほどの魔人の姿もあった。
彼が、魔王グラド・オーヴェルか。
「きさまか、何用でこのわしの前におる?」
俺は深呼吸をひとつ、覚悟を決め、魔王をまっすぐに見て答える。
「あなたの配下、そちらにいる魔人を俺にください」
「断る!そんなこと許すわけがないだろう!
それよりも、きさまにひとつ聞く。
きさまは魔物に亜人化の術とやらを使ったと言っていたらしいな。
どういう術で、どこで身につけた?」
即答で拒否された。ま、まあ、簡単にいくとは思ってなかったけどさ。
俺は簡潔に亜人化の術の解説と、数年前に魔王を倒したときの遺跡からヒントを得たということを説明した。
説明をするにつれ魔王の表情は険しくなり、話を聞き終わるや否や、魔王は俺に手のひらを向けた。
「そうか、やはりきさまが強欲の魔王のやつを殺したということか。
よかろう、きさまは直々にわしがこの手で殺してやろう。
我が盟友を殺し、さらには我が娘に手をかけようとは……楽に死ねると思うなよ。
全てを食らい、我が糧にせよ。暴食之終焉」
魔王の雰囲気が一瞬にして変わった。
直感的に身の危険を感じる。全身の細胞が俺の生命の危機を脳に伝達してくる。
なんだ、これ……やばい、やばい、ヤバイ!
「なんで、そうなるのよ!!!」
「ぐへっ」
あっ、ミリシアが魔王を殴りつけた。
その瞬間、全身を包み込むイヤな気配はなくなったが、一瞬にして疲労感が蓄積した。
身体が重い、俺は今、何をされたんだ……。
「いきなり殺すことないでしょ!ここまで来た覚悟を評価してあげてって言ったじゃない!」
あっ、また殴った。
そうだ、今はミリシアのことについてだ。
それにしても、今、評価してあげてと言ったのか……たしか父である魔王に会えば、俺が諦めると言っていた気がするが、いったいどういう風の吹き回しだ……。
「し、しかしだな、ミリたん。やつはわしの盟友であるザリードのやつ……ぐあっ」
「だから、その呼び方はやめてって言ってるじゃない!
だいたい、前もって話をしてあるんだから、ザリード様のことは、どうでもいいでしょ!
今はあいつを認めてあげてほしいって話でしょ!!!」
う、うわあ、ボッコボコだ……いくら魔王と言えど、娘と父親の関係は人間のそれとあまり変わらないな。
それよりも、ミリシアの口から認めてあげてほしいなんて……これは期待してもいいのだろうか。
と、ミリシアの視線が俺に向けられた。
「勘違いしないでよね!私はまだ、あんたを認めてないんだから!
ただ、ここまで来たことに対して誠意を見せろって言ってるだけなんだから!!」
そう言いながら、再度、魔王の顔面を殴りつける。
「ぐ……ぐふっ。ま、まあ、ザリードのやつを倒したというなら、きさまの力は認めよう。
だが、我が娘が欲しいというのなら、条件がある。その条件は、きさまが魔王となることだ」
「わかりました、魔王になります」
とっさに声に出してしまったが、魔王っていったいどうやってなるんだ。
もう少し考えてから答えるべきだったか。
即答してしまったこともあり、魔王もミリシアも目を丸くしている。
「きさま、魔王になるということがどういうことか分かっているのか?」
「えっと、まあ、なんとなくは……ですが」
しばらくの沈黙の後、魔王はガハハと笑い声をあげた。
その様子にミリシアは困惑した様子で、俺と魔王を交互に見ている。
「面白いやつだな、よかろう、きさまのことを少しは認めてやろう。
いいか、魔王になるための条件は、人間の魂、魔物の使役、支配地域、この3つだ」
魔物の使役は、まあ亜人化の術を使えば問題はないだろう。
支配地域というのは、魔王として、一定の領地を得ろということか。
じゃあ、人間の魂とはなんだ……。
「人間の魂というのは?」
「そのままの意味だ、より多くの人間を殺し、人間の魂を集めろ」
人間を殺すか……俺は聖闘騎士団隊長だ、罪人や野党に対してはそのような対応をすることもある。
しかし、やはり人間を殺すということに抵抗がないわけではないんだよな。
「人間の魂というのは、具体的にはどれくらい必要で?」
「ふん、きさまは人間だ、それ相応の数の魂を集め、わしにきさまの覚悟を見せてみろ」
気は進まないが、ミリシアのためか……都合よく罪人や野党の類の者を見つければ済むだけのことだしな。
「わかりました、その条件、必ず達成して見せます」
「よかろう、監視役として、わしの下僕をくれてやる。最後だ、名を名乗れ」
「俺は、レオン、聖闘騎士団第二部隊隊長、レオン・バークス。
次に会うときは、新たな魔王レオン・バークスと名乗れるようになっています」
「ふん、ではこいつを連れて行け。せいぜい、わしを失望させてくれるなよ」
魔王の背後から1人の悪魔が姿を現す。
彼が魔王が言っていた下僕というところか。
俺は彼を引き連れ、魔王に背を向けた。
「あっ……そ、その、レオン……が、頑張りなさいよ!!」
ミリシアの声を背に受け、俺は魔王の居城をあとにした。
ラース「レオン・バークス隊長は、襲撃に来た魔人を追い、魔人の拠点の調査をするとのことです」
ソドム「ふん、誰がそんな報告を信じると思っている!すでに別の者から報告は受けている。
レオン・バークス聖闘騎士団第二部隊隊長は、襲撃してきた魔人を助け、我が領地を奪うために画策しているとな!」
ラース「なっ!?バカな!そんなはずは……」
ソドム「なんだ、きさまもやつの手先の者か!この者を捕らえよ!それと、やつの従えている魔物もだ!これからレオン・バークスは反逆罪で指名手配とする!」