2話 一目惚れ
「隊長、敵は魔人1人です。一気に攻め落としますか?」
部下の問いに俺は、ようやく我に返ることができた。
攻める……あの魔人をか…………あんなに美しい魔人を俺はこの手で殺すのか。
確かに魔族は人間の敵、魔族が繁栄すれば、いずれ人間の領地は減り、多くの人間が死ぬだろう。
それはわかっている。だが、魔族とみるや殺すというのは、人間のエゴではないのか。
今でさえ、魔族と人間は小さな争いはあるとはいえ、大きな争いにまでは発展していないじゃないか。
……いや、どれも言い訳だな。
俺はあの魔人を殺したくないと思ってしまった。美しいと思ってしまったのだ。
「まずは俺が相手をする。お前たちは陣形を組み待機だ。手の空いている者は、冒険者の救護に向かえ」
「ははっ」
「大地に燻る無数の火種よ、我が魔力を糧に大いなる炎とならん。
大いなる炎は業火となり、かの者を捕らえ、永遠とも思える苦痛を与えよ。
爆炎結界」
俺の魔法により、地面から立ち上る巨大な火柱が、魔人の周囲を囲んだ。
周囲は炎に照らされ明るくなり、近くで呼吸をするだけで肺が焼けそうなほどの熱量で作り出された結界。
通常の魔物なら、この結界に囚われた時点で数分も生きられない。
この結界を目にした騎士たちは、皆勝利を確信していた。
俺は部下たちを後方へ下がらせ、爆炎の中に身を投じた。
結界の中にいる魔人は、目を丸くしキョロキョロと辺りを見回していた。
そして、炎の結界の中に入ってくる俺を見つけ、声を張り上げた。
「これはいったいどういうことよ!」
俺は一瞬、唐突に発せられた大声に戸惑いを覚えた。
きっと、キョトンとした間抜けな面をしていたと思う。呆気に取られてしまったのだ。
俺が呆気に取られ硬直しているのを見て耐えきれなくなったのか、魔人はさらにまくしたてるように問いかけてきた。
「これだけの魔力で作られた炎……この結界魔法が、かなり高度なものだというのは見ればわかるわ!でも、じゃあ、なんで私は無事なのよ!?」
なんで無事なのか、当然の疑問ではあるだろう。
いくら魔人とはいえ、このレベルの魔法を完全詠唱で使用すれば、無事で済むはずもない。
それが分かるということは、相手の力量を見定める能力と判断力を持ち合わせているということだ。
「それは、俺がこの結界内の炎熱空間をコントロールしているからだよ。結界内は熱も通さなければ、ダメージを負うこともないように調節している」
俺の言葉に魔人はさらに首をかしげた。
「なんでそんなことをするのよ!?そんなことしないで、内部にダメージを通せば、私を倒すことなんて簡単なはずでしょ!」
まあ、人間と魔族は敵同士だから、わざわざそんな調整をする意味が分からないのも無理はないと思う。
だが、俺がこの結界魔法を使用した目的は、ただ彼女と話をしたかったからなのだ。
「俺はきみを倒すことを目的としていないんだ。少し話をさせてくれないか?」
その言葉を聞いて彼女は静かに目を閉じ、拳を握りしめ、次第に両の肩をわなわなと震わせた。
「わかったわ、要するにあんたは私を甘く見ているってことよね?いいわ、全力で相手をしてあげる」
なぜ、そうなる!?
違う、俺は彼女と話をしたいだけだったんだ。
「ちょ、待っ……」
「問答無用!魔鬼雨!」
彼女の声とともに俺の周囲に魔力が渦巻く。
その魔力は徐々にその力を強め、次第に天へと昇っていく。
次の瞬間、おびただしい数の魔力弾が天より降り注いだ。
しばらくして、轟音とともに降り注ぐ魔力弾は止んだ。
彼女が意図的に止めたのか、それともここまでがこの技の効果時間なのかはわからないが、長いこと続いた魔力弾の雨も終わりを告げた。
土埃が晴れ、平然と立っている俺に向けて、彼女は目を丸くした。
「う、うそ……私の技をまともに受けて、無傷なんて……」
確かに威力は絶大だった。
並みの冒険者や隊長格以下の騎士団の者であれば、耐えられるレベルではないだろう。
だが、それでも俺の身体を覆う魔力装甲を貫くことはできなかったようだ。
「いや、素晴らしい威力だったと思うぞ?
ただ、俺の身体を覆う魔力装甲を貫くには、少し威力が足りなかったみたいだけどな」
そう言って微笑んで見せたのだが、彼女は笑みを返すどころか、その場に膝をついてしまった。
「私の負けよ、殺すなりなんなり、好きにすればいい……」
先ほどまでの勢いを失った彼女に、俺も正直戸惑いを隠せないところではあるが、これでようやく話ができそうだ。
「さっきも言ったが、俺はきみを殺すつもりはないよ。少し話がしたいだけなんだ」
顔を上げた彼女の瞳には光が失われているようにも感じた。
人間への敗北、魔人の彼女にとって、それが意味するものは死のみなのだろう。
でも、その瞳に光を失ってなお、その顔は美しく、俺の心臓は早鐘を打つのだ。
「なによ?いくら負けたからと言っても、私から聞き出せることなんて何もないわ。
拷問をしても無駄よ、捕虜としての価値もないわ。そんな私になんの話があるって言うのよ?」
俺は彼女の前に腰を下ろし、彼女と目線を合わせた。
そしてまっすぐに彼女の目を見て言う。
「俺はきみに一目惚れをしたみたいだ、俺と一緒に生きてくれないか?」
その瞬間、彼女の目は見開かれた。
そして次第に眉根は寄り、険しい表情へと変化していく。
まだ、瞳に光りは戻っていないようだが、彼女の白い肌は心なしか赤らんでいるようにも感じる。
「は……はあ!?あんた、バカ!?私は魔人で、あんたは人間、一緒になんて……なれるわけがないでしょ!!!」
彼女の中の人間は敵という概念や、今までの争いの歴史を見れば、彼女がそう思うのも無理はない。
しかし、俺は、亜人化の術を使用したとはいえ、魔物と協力して暮らしている。
ということは、ある程度の知能がある魔物なら、話し合いも可能なのではないかというのが俺の考えなのだ。
「そんなことはないよ。俺は実際に魔物を使役しているとはいえ、協力して生活しているし、俺の周囲の人間も不満はあるかもしれないが、それを反対されてはいない。
だから、きみさえよければ一緒に生活することくらいは可能だと思うんだ」
「……何が目的よ?」
「えっ?」
「私を殺さず連れ帰って、何が目的だって聞いてんのよ!
私を戦闘奴隷のように従えるつもり?それで魔物と戦えって?
私は魔人よ、同じ魔族と戦うくらいなら、今ここで死を選ぶわ!」
彼女はバッと立ち上がり、後方へと距離を取る。
怒りの表情を浮かべてはいるが、その瞳にはやはり力がない。
何だろう、諦めているのとは何か違うようにも感じるが……。
「篠突く雨!」
彼女の両手から槍のような魔力弾が無数に放たれる。
先ほどの技が、彼女の中での一番強い技だったのだろうか、先ほどまでの威力はない。
俺は彼女の攻撃を魔力装甲のみで対処し、ゆっくりと彼女のところまで歩いていく。
「人間のあんたが、魔人である私に魅力を感じるなんてありえない!」
唐突に発せられた彼女の言葉。
その言葉の意味を考えるまでもなく、俺は自然と言葉を発していた。
「俺は魔物と一緒に暮らしている。
だから、人間にも魔族にも例外なく、魅力を感じることができる。
きみは、今まで俺が出会った中で、もっとも美しい女性だよ」
「うそ……うそよ!私は信じない!
仮にそれが本当だとして、私や他の魔族、我が主である魔王様がそれを許すわけがない!魔天黒雨!」
空から降り注ぐ黒色の魔弾が、地面や俺の身体に辺り、ジューッという音を立てている。
これは、毒か、もしくは酸か。
威力はないが、致死性の高い攻撃だ。先ほどの技よりも警戒する必要はあるだろう。
だが、この攻撃の威力では俺の魔力装甲は破れない。
俺は魔力装甲の効果範囲を広げ、小さなバリアを張りつつ、なおも歩みを止めず彼女との距離を詰めていく。
「周りのものすべてが認めてくれないというなら、認めてもらうまでだ。
たとえどんな手段を使ってもな。まあ、きみの気持ちはもちろん考慮するつもりだけどね。
必要であるなら、魔王にだって頭を下げるさ」
「なんで、そこまでできると言い切れるの!?
私は魔人で人間の敵よ!あなたがそこまでする理由が分からない!!
これで終わりよ、神立!」
高密度・高威力の魔力波が天と地を結ぶ。
それでも歩みを止めず、俺はついに彼女の目の前までたどり着いた。
「俺はきみに一目惚れをしてしまった、俺の記憶にあるどの女性よりもきみは美しい。
理由としては、それだけで十分なはずだ。できれば、きみの名前だけでも教えてくれないか?」
「私……私は…………魔人なのよ。いつかそのことで……あなたは私を…………裏切るわ。だったら、いっそ初めから何もなければ…………」
そう言って、彼女はへたり込んでしまった。
やはりダメなのか、そう思いつつ手を差し伸べた。
「俺はきみを裏切らない。約束だ、たとえ全世界が敵に回っても、俺はきみを守ろう。
任せてほしい、なんたって……俺は強いからね」
そのまま数秒、時間が流れた。
自分で自分のことを強いと言った手前、この沈黙は精神的にくるものがある。
なかば諦めながら差し出したその手を、彼女はしっかりと握りしめた。
「私は、暴食の魔王、グラド・オーヴェルの娘、上級魔人ミリシア・オーヴェル……」
顔を上げた彼女の瞳には、優しい光が宿っているように見えた。
騎士「副隊長、中の様子が分かりませんが、加勢に行ったほうがよろしいですか?」
ラメロ「いや、もう少し待て。まだ結界は持続している。あの結界の内部に行けば、俺たちですら危険だ」
騎士「ははっ、承知いたしました」
ラメロ「ネイズ、いるか?」
ネイズ「ここに」
ラメロ「上からの命だ、監視は続けろ。些細なことでも見逃すなよ」
ネイズ「御意」