~プロローグ・第1章~
「ねぇねぇ、知ってる?」
「何を?」
そんなドコにでもあるような会話から、この物語は始まりを告げた。
12月10日。その日は特に寒い夜だった。飲食店で働くバイトの日高章吾と羽山なつみは、仕事の後に話をしていた。
「運命堂って言うお店よ」
「運命堂? お菓子屋か何か?」
バイト先の休憩室にはストーブが置いてあり、章吾はそれに手をかざしている。
「違うわよ。運命堂って言うのはね、その名前の通り運命を左右するモノが売ってるんだって」
なつみは手をこすり合わせ、手の中に息を吹きかけながら言った。
「売ってるんだって……って、何それ」
「私も聞いた話なんだもん」
そう言いながら、なつみもストーブの前、章吾の隣に座り、手をかざした。
「なっ、何だよ。じゃあ俺だけ知らないみたいな言い方すんなよ」
章吾はなつみから少し離れるようにそっと動いた。
「別にしてないわよ。…あんまり離れると寒いよ?」
章吾は少し照れつつも、気持ち程度にストーブに、なつみに近づいた。
なつみからは、いい匂いがした。甘い匂いだ。ココが飲食店だからではなく、女の子から感じる独特の甘い匂い。それをなつみから感じるのだ。
「…で、それがどうしたの」
視線を合わせないように、手を強く揉みながら話を戻した。
「ん、別に。ただ知ってるのかなぁって思って聞いてみただけ。私は知らなかったから」
ニコッとして言うなつみの笑顔を、章吾は横目でチラッと見ていた。正面からなど見られない。章吾にとってそれは刺激が強過ぎた。
「あっ、私もう帰らないと。明日学校1限からなんだ」
「大学だっけ?」
「ううん、専門。日高くんも、もう20歳なんだから、いつまでもフリーターじゃなくて、就職しないとね。じゃあ、また明日ね。お疲れ様」
「うるせぇよ、ほっとけ。お疲れ」
バタバタと荷物をまとめて、なつみは部屋を出て行った。
章吾はストーブを見つめて、少しボーッとしていた。
「就職か…」
そう洩らしたものの、章吾は今の生活は嫌いではなかった。
1人暮らしではないので、最低限遊ぶ金があればいいし、仕事は、バイトと言えど楽しかった。ただ、代わり映えのしないリズムに飽きはしていたが。
「…帰ろ」
ストーブを止め、カバンを肩に掛け、部屋を後にした。
章吾は自転車で通っている。自転車で走るには12月の風は、酷く冷たく感じた。
「就職探してみようかな。本屋に行くか」
ふと思い出した様に呟き、自転車を止めた。
家までは10分あれば着く距離だが、その間に本屋はなかった。時計を見ると、深夜1時を過ぎたところだった。
「あそこならまだ開いてるだろ」
急ブレーキをかけて方向を変え、自転車を走らせる。
暗く、通い慣れてないせいか、いつの間にか知らない道を走っていた。
「っかしいな。道間違えたかな」
再び自転車を止め、辺りを見回す。街灯も少なく、家にも明かりは灯っていない。
そんな中、1つだけ明かりの漏れる家があった。近づいてみると、それは店だった。
「こんなトコに店なんてあったっけ? やっぱ道間違えたな、こりゃ」
店をジッと見ていると、看板が目に入った。
-運命堂-
「…これって、羽山が言ってたヤツ?」
先ほどの話が、頭の中で再び流れた。
『運命を左右するモノが売ってるんだって』
章吾は恐る恐る店を覗き込んだ。
誰もいない様にしんとしている。
1歩、また1歩、惹きつけられる様に店の中に入っていく。外からは明かりが漏れていたのに、入ってみると店内は意外に暗かった。
奥から、コツッコツッと、足音が聞こえてきた。
その方向を、目を細めて静かに見つめていると、背の高い男が姿を見せた。
「いらっしゃいませ」
男は一見若そうだが、口ひげを生やしており、そのせいか40代の様にも見える。すらっとした体で、特に長い足が印象的だった。
「あっ、……どうも」
章吾は言葉を飲み込みながら頭を軽く下げた。
「どうぞ、ごゆっくりご覧下さい。きっと、貴方様のお気に召す品がございます」
章吾は「はぁ」と気のない返事を返して、店の中を見て回った。店は以外に広く、商品はガラスケースに入れられ並べられていた。ガラスケースの中には、商品とその名前が書かれたプレートが置かれている。
しばらく見ていると、一冊のノートが目に入った。
-運命ノート(各種)-
プレートにはそう書かれていた。
章吾はなぜかそのノートから目が離せずにいた。
「お決まりですか」
男はいつの間にか章吾の側に立っていた。
「コレ、おいくらなんですか? それに各種って……」
男はニコリと微笑んだ。
「こちらの代金は、貴方様の給料2ヶ月分でございます」
「2っ、2ヵ月分!? こんなノートが!? ……あっ、いえ、すいません。でも、少し高いんじゃないですか」
章吾は勢いとはいえ、言い過ぎた事を詫びた。
「こちらの商品が高いかどうかは、お客様次第でございます。それに、2ヵ月分というのは、買われてから、その後に所得された給料の2ヵ月分でございます」
「それって、多くても少なくてもって事?」
「ハイ。例えば2ヶ月で所得された金額が千円なら、千円。一万円なら一万円でございます」
章吾は少し考えた。今月に入る給料は、それなりにまとまった金額が入るだろうからだ。
「……コレ、買います」
章吾は意外に早く決めた。それだけ、このノートには不思議な魅力があったのだ。
「ありがとうございます」
男は深く頭を下げた。
「では、どの運命ノートになさいますか」
「どの?」
章吾は聞き返した。
「はい。この運命ノートは、貴方様の運命ノート。貴方様の金銭、仕事、恋、様々なジャンルについて書かれてございます」
「それじゃあ…仕…、いや、恋で」
「かしこまりました。では、ココに貴方様のお名前をご記入下さい」
男は一枚の用紙を差し出した。章吾は不思議そうに男を見た。
「名前だけでいいんですか? 連絡先とかは」
男はまたニコリとして言った。
「お名前だけで結構でございます」
章吾はとにかく名前を書いた。
「これで契約成立でございます。こちらが恋愛の運命ノート、そしてこちらが取り扱い説明書でございます」
男は薄いピンク色のノートと、数ページ程の小さな説明書を手渡した。
「ありがとうございます」
それを受け取り、カバンの中に入れた。
「最後に、そのノートを持っていることは、他言無用でお願いいたします。お気をつけてお帰り下さい」
章吾は軽く頭を下げ、家へと戻った。
2章に続く……