3、ジャガーのジャガール
イシュタナは翼ある神に案内され、シバルバーの宮殿にある部屋へと案内された。
「本日からこちらをお使いくださいと、主からの言付けでございます。」
「ありがとう、ええと…、」
「私のことはシックとお呼びください。旅人を吐血させる神と呼ばれています。」
「そう…、シック、あなたはイシュバランケー様の臣下なの?」
「私は元々シバルバーの臣下でございます。シバルバーが、フン・カメー様からイシュバランケー様に代わりましたので、私の主もイシュバランケー様となりました。」
「そうなの…。」
元シバルバーであるフン・カメーに対する忠誠心はないのかと疑問にも思ったけれど、病の神であると言われれば、さもありなんという感じもした。
「では、ごゆっくり。」
病の神であり、シバルバーの臣下でもあるシックが下がると、代わりに侍女が入ってきた。
「初めまして、シバルバー妃、イシュタナ様、私はアプチと申します。本日からイシュタナ様の身の回りお世話は、私がさせていただきます。」
「それはありがとう、よろしくね。」
黒髪に小さな髑髏型の鈴を付けた侍女は、恭しくイシュタナに頭を下げた。
「早速湯浴みからさせていただきます。」
アプチはかなり優秀な侍女で、驚くほど手際良くイシュタナを湯浴みさせると、そのままテキパキと夕食まで済ませ、そしてイシュタナをベッドに寝かせるところまでこなしてから去って行った。
生け贄になった時点で、もう命はないものと覚悟をしていたので、まさかこんな豪華なベッドに寝かせて貰えるなんて、イシュタナにとっては驚きの連続だった。
けれど、一日目まぐるしいことの連続で、すっかり疲れていたイシュタナは、ほどなくして深い眠りに落ちていた。
翌朝、宵闇の国は、朝も薄暗いまま、遠くに太陽が出ているのであろう気配だけを感じていた。
「うーん…。」
柔らかな布団に包まれたイシュタナは、まだ夢うつつのまま寝返りを打った。
もふり、と、何かとても上質の毛並みが、イシュタナの顔に触れた。
「ん…?」
なんだかわからないけれど、とても心地が良い。
手探りで探ると、とても大きくて温かくて柔らかい極上の毛並みが横たわっているのが分かった。
「え…?」
ゴロゴロと、猫科の動物が喉を鳴らす音が聞こえる。何か大きな舌が頬をペロペロを舐め始めていた。
「ひっ…!」
薄目を開けると、イシュタナの顔の真ん前に、大きなジャガーの顔があった。
「あ、あわ……、」
死んだ。とイシュタナは思った。
密林において、ジャガーと遭遇するということは、そのまま死を意味した。
せっかくシバルバーに食べられるのは免れたのに、私はこんな所でジャガーに食われてしまうのか、とイシュタナは思った。
「ぐるるる…。」
けれどジャガーにイシュタナを食べる気配はなく、むしろ気持ち良さそうな顔をして、イシュタナに頭を擦り付けていた。
猫科の動物が頭を擦り付けるのは、親愛の情の表れだと、イシュタナは聞いていたことがあった。
もしかしたらこのジャガーは、こちらを食べるつもりではないのかもしれない。
そう判断したイシュタナは、恐る恐るジャガーの耳の後ろを撫でた。
ゴロゴロと、ジャガーは気持ち良さそうに喉を鳴らした。
その様子は、イシュタナに昔の記憶を呼び起こさせた。
「もしかして…、ジャガール?」
イシュタナがまだ小さかった頃、傷付いたジャガーの子供を助けたことがあった。
ジャガールと名付けたジャガーの子供は、しばらくイシュタナと一緒に暮らしていたけれど、元気になってから森に帰っていた。
「がう。」
そうだ、というように、ジャガーは首を上下に動かした。
「ジャガール!本当にジャガールなの?ああ、こんな所であなたに会えるなんて!」
ジャガールは、黄昏の姫として、誰とも親しくしていなかったイシュタナにとっては、唯一の友達だった。
「元気でいたのね、本当に良かった?」
イシュタナは、ジャガールの首に抱きついた。記憶よりは大分大きく成長していたジャガールだったけれど、記憶のままの優しさで、ジャガールはイシュタナの頬を舐めてくれた。
「でも何故あなたがここにいるの?宵闇の王に飼われているの?」
イシュタナの質問に、ジャガールはぐるる…、と唸ってから、小首を傾げた。
「ごめんなさいね、こんなことを聞いても、答えられるわけないわよね。」
ジャガーが話をできるわけがない、そう思って話を止めようとしたイシュタナだったけれど、ジャガールはその口を開いた。
「飼われてはいない。」
「え?」
ハッキリとした言葉に、イシュタナは耳を疑った。
「むしろ俺が、ここの主だ。」
ジャガールはそう言うと、みるみるうちに姿を人間に変えていった。
「ええ!?」
イシュタナの目の前のジャガーは、あっという間に、現宵闇の国の王、シバルバーであるイシュバランケーの姿に変わっていた。
「イシュ…バランケー…様。」
あまりのことに驚きながらも、イシュタナは慌てて頭を下げた。
「畏まることはない。俺はそもそもが、小さい頃にそなたに助けられた、ただのジャガーだったのだ。」
イシュバランケーはそう言うと、イシュタナの手を引いて、頭を上げさせた。
「会いたかった、俺の花嫁。」
そしてイシュタナは、イシュバランケーの腕に、強く抱き締められたのだった。




