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1、黄昏の姫、イシュタナ。

 

 太陽の国、サティバ。


 その北側には宵闇の国が広がっており、死の神である宵闇の王が治めている。

 サティバは太陽の帝国であるために、十年に一度、帝国の姫を宵闇の国に生け贄として嫁がせていた。

 宵闇の国への生け贄は、そのまま太陽への生け贄である。

 夜に死に、宵闇の国へと赴く太陽は、生贄の心臓の血により生き返り、再び朝に大地を暖めると信じられていた。


 生け贄のための姫は、黄昏の姫と呼ばれ、生贄を産むためだけに娶られた、黄昏の王妃から産まれた姫が選ばれた。

 そのため黄昏の王妃は、常に男子が産まれるのを願った。

 男子であれば、宵闇の王の生け贄にならなくても済むからだ。

 けれど、その願い虚しく、黄昏の王妃には可愛らしい姫が二人産まれていた。

 姉姫は、今年十六歳になるイシュタナ。

 自殺の神イシュタムからその名を貰った、生まれながらに死ぬことが運命付けられている姫だった。

 そしてその妹姫は、まだ七歳であるイシュチェル。月の女神から名前を貰った、同じく宵闇の国に行くことを運命付けられた姉妹だった。




 明日は十年目の新月の夜。姉姫であるイシュタナが生け贄姫として、宵闇の国へ嫁ぐ日だった。


 黄昏の王妃と姉妹が暮らす黄昏の宮は、すっかり悲しみに沈んでいた。

 生け贄として宵闇の国に赴いた姫達のその後は、誰も知らない。

 恐らく、その心臓の血は太陽に捧げられ、残りの身体は宵闇の王の腹に納まるのだろうと思われた。

 待っているのは、名誉の死。太陽の国を生かすための死だった。


 けれどイシュタナは知っていた。

 心臓の血など捧げなくても、太陽はきちんと朝には大地からまた昇ってくることを。

 人の血を求める神など、ただの悪神であり、悪魔となんら変わりがない、と。

 けれどそれを知っていてなお、イシュタナは生け贄に赴かなくてはならなかった。

 何より大事な、母と妹を守るために。 


「私は大丈夫です。だから泣かないでください、お母様、イシュチェル。」

生け贄として捧げられる前の晩、母も妹も泣いていた。

「あなたを産んでごめんない、助けてあげられなくてごめんなさい…。」

母の美しい顔は、涙で腫れて真っ赤だった。

「私は、お母様の娘に産まれたことを誇りに思っています。ここまで育ててくださり、本当にありがとうございます。」

「お姉様、どうか行かないでください。私が代わりに参ります。」

「あなたはどうかお母様を守って、イシュチェル。私は必ずあなたを守ります。でも、もうお母様のそばにいられるのはあなただけだから…、酷なことを言ってごめんない。姉は、誰よりあなたとお母様を愛しています。」

泣くつもりはなかったけれど、私の目からも涙は溢れてしまっていた。

 三人で身を寄せ合い、その温もりを胸に、最後の夜を一緒に眠った。

 晦日月の静かな闇は、温かく黄昏の母子を包んでくれていた。



 そして翌日、生け贄のために特別に仕立てられた、辰砂で染められた赤いドレスを、イシュタナは身に付けた。

 猛毒を持つ辰砂で染められた絹は、身に付けているだけで、イシュタナの命を削るものだった。


 この日のために清められたイシュタナは、髪を美しく結い、見たこともないような金銀や翡翠、様々な珠と美しい花に飾られた。

 そして、同じく美しく飾られた輿へと乗せられ、静かに宵闇の国へと運ばれた。


 生け贄の輿の先導は、年老いた巫女の仕事だった。

 清めと祝福の祝詞を述べながら、巫女は粛々と山道を歩く。

 宵闇の国に入るには、サソリの川と血の川を渡らなくてはならない。

 普段であれば、立ち入る者を拒絶するその川は、生け贄を連れた巫女の声にだけ、橋を現す。


 その橋を渡り、イシュタナは宵闇の国へと入った。

 宵闇の国は、シバルバーと呼ばれる宵闇の王によって治められていた。


 血の川を渡り、血の祭壇へと赴くと、青く塗られたその石の上に、イシュタナは一人取り残された。

 輿を担いでいた家臣達と、先導の巫女は、宵闇の王であるシバルバーに生け贄を連れてきたことを告げると、そそくさと太陽の国サティバへと帰って行った。

 後には、赤い辰砂のドレスに身を包み、死を待つだけの黄昏の姫、イシュタナである。


 やがて大地が動き、黒い影がイシュタナの前に現れた。

 宵闇の王、シバルバーである。


「そなたがこの度の黄昏の姫、イシュタナか?」

シバルバーは、深い闇をそのまま音にしたような、深く低い声で尋ねた。

「気高き宵闇の王、シバルバー様、仰せの通りにございます。私はサティバの黄昏の姫、イシュタナでございます。」

イシュタナは、深くお辞儀をしたままそう答えた。

「遠い所ご苦労であった。顔を上げよ。」

宵闇の王シバルバーは、イシュタナに近付き、顔を見ようとした。


 その瞬間が、イシュタナの待っていたものだった。

 イシュタナは懐に隠していた、銀の刀を引き抜いた。

 無言でイシュタナは、その鋭い刃をシバルバーの胸へと突き立てた。


「なっ……!?」


 突然の凶行に、シバルバーの顔が驚愕に歪む。


「滅びてください。」


 シバルバーの心臓を正確に仕留めた刃を、イシュタナは少し捻った。

 傷口に空気を送り込み、致命傷をより確実な死へと繋げるために、この時のために、イシュタナは人知れず、いかに確実に殺すかの練習を続けていた。


 神殺し。


 その大罪を、必ずや確実に成し遂げるために。



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