木曜日の退廃
-いじめられっ子―
圧倒的弱者に送られる蔑称であり、第一級の社会不適合者である称号。勧善懲悪の世界における悪。異端。
私は今日、その事実をたたきつけられた。
12月20日
鬱陶しく、冷たい雨が朝から降っていた。生来からの不器用さのせいで傘を差しているのに、服の端々が濡れてしまう。濡れた端から冷気が体に侵食してくる。歩けば歩くほど濡れ面積が大きくなり、冷えも増す。どうにもならない悪循環だ。冬場の雨は堪える。体を寒さから守ることができない。移動する拷問部屋のようだ。雨は止まることなく降り続ける。
(憂鬱だ…)
学校に着くころには完全に体が冷えきってしまった。早く教室に行こう。悪口地獄に行くのは癪だが、暖房で体が温める方が今は大事だ。背に腹は代えられない。
早足でリノリウムの床を、進んでいく。廊下には、生徒や先生がせわしなく歩いている。
人がいるのだし、視線を感じるのは普通だが、異様に粘ついたものを感じる。誰かに凝視されているような気がする。後ろを振り向いたら視線は消えた。クラスメートの奴らの新手の嫌がらせだろうか。
段数は少ないくせに無駄に疲れる階段を登っていく。上から誰か下りてくる。ぶつかるのを防ぐために顔を上げる。先生がこちらを覗き込むようにしてみていた。
関わりのない教師だ。こちらと顔が合うと教師は気まずそうに顔をそむけた。意外な人物だ。
(どうして、こちらを見つめていたのだろう?)
こちらは目立たない生徒のはずだ。特に素行の悪くなければ、愛想も良くない。その他大勢の人間だ。何故二度にわたって見つめられることがあるのか。昨日まではそんなことはなかった。
(なんだかおかしいな?なにかが変だ…)
私の足は先ほどまでの機敏さを失った。まるで泥の中を歩くような感じだ。頭からこぼれる不安の泥が足を拘束する。それでも寒さにせかれて進むが、一歩一歩が重い。
教室に着くころにはひどく疲れた。一日分の疲れがもう朝から蓄積される。魔法の言葉を唱えるが今日に限って全く機能しない。
(調子が悪いな今日は…。)
心と体が私のいうことを聞かないのは、たまにあるが今日に限ってか…。使えないとまずい状態のときにいつも使えないな。まるで裏切られてるようだ。体と心にも独立した意志のようなものがあるのだろうか?そうしたらこいつらは主人に向かってひどく薄情なものだ。
怒ってもどうしようもないものに怒りを覚えつつ、扉を開ける。いつも通り、待ち構えているように生徒の円の群体が整列している。近づくと悪口を言う壊れたおもちゃのようなそいつらの中を急ぎ足で歩く。席に着くころには、恐怖で左手が痙攣していた。魔法の言葉で麻酔をかけないと私はもろいものだ。高々悪口だけで、怖くなってしまうのだから。
恐怖といっしょに不思議な落ち着きを感じる。違和感を感じていった。なのに、いつもの日常が広がったから安心したのだろう。
(人の悪意で安心するのも皮肉だな)
「メグちゃん、にやけてどうしたの?コワいよ」
耳が生徒たちの雑談から一番聞きたくないものをピックアップして拾てくる。左手の痙攣がひどくなる。
「う~ん?いや別に今日は面白そうだと思って」
狸寝入りで視界を封じているため、聴覚がさえて、高く、粘着質ぬめりのある声が鼓膜に響く。
「なにそれぇ―?アハハハハ」
先ほどとは対照的に、能天気で朗らかなこえが聞こえる。またあの女は何かするつもりのようだ。先ほどの教師たちが私を見つめていたこととなにか関係があるのだろう。しかし、全く見当がつかない。いじめっ子と教師だ。結びつきそうじゃない。先のものとは別件か?じゃあなんで私は教師の注目を集めているのか?
(全く分からない。……)
暗闇の中で、扉がすれる音が聞こえる。続いてパタ、パタとけだるそうな足音が聞こえる。担任の到着だ。ホームルームが始まる。
重い頭を上げる。担任は私を見つめており、私が顔を上げるのを待っていたようだ。動揺のせいだろう。いつもよりも上げるのが遅くなってしまった。
「ホームルーム始めるぞぉ」
担任の眠そうな声が教室の中に揺蕩う。
今日のホームルームは早く終わった。おおよそまだ10分くらいは授業まで時間がある。生徒たちが席を立とうとしたとき、
「待て、今日はまだやることがある」
と担任が制動を掛ける。
「いじめの報告があったから、いじめ調査するからなあ。秘密は守られるから素直に書けよお。終わったら裏向けて後ろの奴から回収しろよ」
わら半紙が前から、回されてくる。軽いはずのわら半紙がひどく重く感じる。いじめという言葉を見つめると、謎の動悸が起こる。心の中ではいじめられてないとどこかで思っていたのだろう。認識と心と齟齬が起きている。リズムが狂たのだろう。心臓が締め付けられる。
おおよそ、これを仕組んだ下手人。
恵。
あの女は、口を三日月のように裂けさして、
笑っていた。
奴で確定だ。ああ、だから教師たちは私を見ていたわけだ。いじめられっ子がどんな奴か見なければいけないから。あの女が教師に私がいじめられていると報告したのだろう。
あの女はよほど暇らしい。リスキーなことが大好きらしい。私がここで、「はい」を丸で囲めばあの女はどうなるだろうか?ふっとそんなことが頭をよぎったがやめた。この薄いわら半紙じゃ透けってしまう。後ろの回収者にばれて報告されるのがおちだろう。あの女は怒りくるって、私を集団リンチしかねない。
(やめておこう)
意気地なしのような気がするがしょうがない。いじめられ子だと思われるメリットもなければ、告白して何かが変わるということもない。教師に頼ったとしても、みんなから嫌われてるお前にも問題があるというだけだろう。ニュースで流れるいじめ自殺の流れを踏襲するだけだ。
あの女が予想通りの結果に進んでいる事はわかっているがどうしょうもない。私には選択肢がないのだから。
「いいえ」に丸を書く。
私が一番早くにシャーペンを置いた。初めから迷ってなどいなかったのだ。初めから
「いいえ」と決めていた。全員が書き終わり、回収が始まる。回収者は私の紙に興味もなさそうにたったと紙を重ねて、回収を終わらせた。
下校時間。妙な視線を感じて、小走りで学校を出た。今日否定したことで、視線などないはずなのに。朝から降っている雨がまだ降り続いている。
雨の時、特有の生臭いにおいが鼻腔に吸い込まれ、吐き気がする。踏んだり蹴ったりだ。温感と嗅覚をさいなわれる。世界が私を責めたてているようだ。世の中は人を助けることをせずに、責めたて続けるだけだ。意地の悪い世界も世界だが、人も人だ。なんでこんな世界で生き続けようとするのだろうか。意地か何かだろう。そうでなければ、みんな死んでいる。
意地を張ることは正しいのだろうか。人はどんどん意地を張るごとに悲惨を極めていくのに。もうそこまで、答えが迫っているというのに、それを受け入れることはしたくなかった。
シャッター街に着いたが、雨の音しか聞こえない。入口にいないことは昨日の時点で学習した。冬の冷気に当てられたシャッター街の中は、死んだ動物のはらわたの中にいるようだ。暗く、湿っている。この先には何もないんだろうということが分かった。完全に死んでいるのだ。今日、この場所は。昨日までの生気が全く感じられない。寄り付きたくもない。不吉な雰囲気を放っている。
あの男が来る前のシャッター街に戻った。屍が屍に帰った。
あの男はもうやめてしまったのか?くだらない意地を張ることに疲れたのか?どうして今日なのか?昨日が一番タイミングが良かったはずだ。
裏切られたな。私と同じ奴がいると思ったのに……。
今日、普通の生徒の私が死に。意地ぱりなギター男が死んだ。