火曜日の福音
―ロード中…
混みごみとした電車の中で揺られる。乗り慣れていないだろう大学生がよろめいたり、サラリーマンが立ったまま眠ったりしている。ここを見るだけで、現代の社会がどんなものかわかりそうだ。窓を鏡代わりにして、車内の様子をぼんやりみていると
「キモ、あいついんじゃん…。あ~キモマジ萎えるわ」
突然、背後からそんな声が聞こえた。窓を通してみると、自分の斜め右後ろ(正しくは斜め左後ろ)に同校の生徒が四人ほどいた。それぞれ、こちらをねめつけたり、ニヤニヤしたりしている。完全に奴らだ。
(会うはずないていった奴⁉どこのドイツだよ‼会ってんじゃねえかあぁ‼)
不測の事態で内心エマージェンシー全開だが、顔には表さない。ここでまた、学校時と同じように精神鍛錬(罵倒大会)が行われるのだろう。震える瞳で後ろの奴らの口を凝視する。
窓に映る口が痙攣する。
・・・・た…た…
口角を上げて開かれる。
…タラ…タラ…
喉が震え、言葉が紡がれる。
…タラッ!タラッ!タタン!
―ロード完了―
私は、睡眠というロードを終え、起動した。ロード時間、六時間半か…。長すぎだ。ソシャゲだったら即サービス終了だろう。
タラッ!タラッ!タラッ!タタン!
人間というのは無駄に時間を消費しすぎだ。七時間…
タラッ!タラッ!タラッ!タタン!
(起きているのに、アラームを鳴らし続ける携帯…。なんだこいつは…?)
イラついたので画面をタップしてから布団にぶん投げる。
朝の支度するために部屋から、出ようとしたが、自分を悪夢から解放したのに携帯の扱いがあんまりだと思い。ベッドまでリターンして、グチャグチャになった掛布団の中からサルベージする。それにしても先の夢はおぞましいものだった。昨日の電車のなかでの出来事をそのまま再現していたのだから。二度目の刻苦が来る前に退場できたのは本当に僥倖だ。
しっかり寝たはずなのに、心も体も疲労が残っている。休もうか…と考えて、自分にはそんな選択肢などないことを思いだす。覚めた目で、自室から出る。
学校の廊下を歩きながら、毎日恒例のあれに備えて、魔法の言葉を念じる。
人は絶対に傷つく。
相変わらず、傷つくことが大嫌いな私には、効果抜群だ。気力が回復した気がする。欠陥といえばたまに効き目がなくなることくらいだろう。
三階の教室を目指して、階段を上る。無駄に長い。苦悶の場所に行くのに苦労を強いるとは鬼畜の所業だ。建築士に文句を言いたい。いえるはずもないが。
息を荒くしながら今日も無事教室前に到着する。建付けの悪いスライドの扉に力を入れて、開け、教室に入る。生徒たちが談笑したり、スマホを弄ったりと三々五々よろしくやっている。私は、中央の一番後ろの席―自分の席を目指して、小惑星の群体のような生徒の間を糸を縫うように抜けていく。
「キモ」
と通り過ぎざまに聞こえたと思うと、まるで挨拶をするような気軽さで悪口を男女問わずに通り過ぎるたびに言った。まだ弱い子供の心が金切り声を上げているが、魔法の言葉を念じて黙らせる。心を犠牲にしてやっと席にたどり着く。回復した気力がゼロになり、マイナスにまで転落している。
回復するために狸寝入りをする。大概この時は、なんの攻撃もないから大丈夫だ。奴らのこの習性のせいか?一回ひどい目に合っているときの方が安心する。普段の方が落ち着かない。
(アメリカの某伝説のスナイパーじゃねえか…)
目をふさいでいるせいで、耳の感覚が鋭敏になっている。昨日のテレビの話。惚れた腫れたの話。奇声。笑い声。ろくに選別もされずに耳の中に入りこんでくる。
「あれて、本当に寝てんのかなあ?」
今、とんでもない言葉が耳から入ってきた‼心臓が鷲掴みにされたようになり、息が詰まる。
(察しろよぉ!そこは触れちゃいけないて分かれよぉ‼)
最悪だ。これからまな板の上で奴らに調理される…‼
「え~?寝てんでしょ。あいつの話しないでくれる?マジで虫唾が走るから」
声は柔らかいのに、高飛車な調子の女の声が聞こえてくる。
「あははは‼受ける!めぐちゃん、あいつのことマジで嫌いすぎでしょ!ふいたわー‼」
なんだか助かったようだが全くうれしくない。むしろ反吐がでる。これの首謀者に助けられたのだ。とんだ皮肉だ。改めてこの女への憎しみが補填される。
外の様子に気づかないふりをしながら、手を握り締めてHRまで狸寝入りを継続した。
昨日よりも授業が一コマ多かったので陽がすっかり落ちてからの下校だ。周りの奴らがだべって、こちらから注意がそれているうちに学校から脱出する。陽が落ち切り、闇に没した道を歩く。暗闇に対して根源的な恐怖がこみ上げてくる。先が分からないというのはどうしてこう恐ろしいのか…。こう、考えると誘蛾灯に誘われる蛾の気持ちがわかる気がする。
未知を恐れ続けるよりは、判然とした終わりを選ぶ方が楽なのだろう。永遠の苦しみよりは、一瞬の苦しみというやつだ。妥当だな。冷静な時は、狂気の沙汰だが、恐慌状態のときは正常に感じる。
シャッター街に着き、閉店した店に群がっている人たちが目に入る。群がっているというところから、先ほどの蛾を連想してしまう。この人たちも破滅願望でも持っているのか?閉店した店に体当たりしても死ねると思っているのか?
そんなわけもなく、人々は人に群がていた。下品な笑顔を浮かべて。その渦中の人は、昨日の憎きギター男だった。
「おらぁ‼がんばれ!がんばれ!」
今日は、応援つきだ。一夜にしてとんでもない前進だ。憎しみが、怒りの炉心で煮えたぎる。沸騰してあふれ出してきそうだ。応援もあることだし、ひどいヤジをしても、大丈夫だろう。
「下手くそ―、辞めちまえ‼」
出鼻をくじかれた…。私が言う前にヤジが飛ばされた。飛ばした人たちを見ると、先応援していた人たちとへらへら笑っている。
「オモロ!ギターが右往左往するのが何とも言えねえな」
「ゲスイことするなあ。俺、ちょっとヤジ飛ばすのつらくなってきたわ」
「嘘乙!思えも屑だろ!」
応援する人と煽る人はグルでギター男をからかっているようだ。ギター男の悲惨な現状を目の当たりにして、憎しみから一転同情心がわいてきた。
「へたくそ~」「がんばれ!がんばれ!」
まだあまりたっていないのに、またヤジを飛ばす。まだまだこいつらはやり足りないようだ。これはまだしばらく続きそうだ。ギター男は気づいているのか、気づいてないのか知らないが、昨日のことから考えるとどちら道歌い続けるだろう。人々にもてあそばれ、歌い続けるギター男を想像するとひどくイラついた。どうしてそこまで不器用なのか?自分がうまくなるまでライブをやめたり、ここより人のいい場所で歌たりできるはずだ。なんで意地を張るのか?苛立ちが収まらない、こいつがここにできるだけ残留しないようにヤジを飛ばして、ダメージを与えておこう。ヤジを飛ばしている人びとの後方に隠れ、ギター男から見えない位置からヤジを送る。
「近所迷惑だ‼消えろ!下手くそ!」
ギター男がどうなっているのかここからよく見えないが、ヤジを飛ばしていた奴らは
「いいねえ!いいねえ!」
と言い、盛り上がている。おおよそこれからさらにヤジは激しさを増しそうだ。
イラつきの対処をしたはずなのに、かえって悪化している。イラつきと胸糞の悪さが体の中を這いずりまわっているようだ。これ以上悪化させないためにもここから立ち去ることにする。
駅までの短い道をひどく長く感じながら走っていく。
(今日は最悪だな…)