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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

セーブ&ロードのできる宿屋さん

セーブ&ロードのできる宿屋さん ~崖 人生の断崖~

作者: 稲荷竜

「アレクさ……いや、なんでもねえ」



『銀の狐亭』食堂。

 夕刻のこの場所には、多くの宿泊客が存在した。


 食堂自体は広くもないので、もうほぼ満席と言える状態だ。

 ホーはそんな中、一人カウンター席で、手持ちぶさたにジョッキをもてあそんでいる。


 珍しいことだ。

 この宿に宿泊している客たちは、基本的に仲がいいので、食事はともにする。

 それもこれも、とある『つらいこと』を全員が経験しているから、連帯感みたいなものがあるという理由だが……


 しかし今、ホーは、あえて一人でカウンターにいた。

 料理をしている男性に用事があるのだ。


 宿屋店主アレクサンダー。

 よく人からは『アレク』と略し呼ばれる、年齢不詳の男性。


 種族は人間で、髪は黒い。

 目は――どうだろう。たぶん黒いのだが、彼が常に目を細め笑顔を浮かべているせいで、実際のところ目の色についてホーは自信がなかった。


 その彼が、首をかしげている。

 そして料理を――豆を炒る手を止めて、ホーへと向き直った。



「大丈夫だよ、ホー」



 出し抜けに大丈夫と言われた。

 優しい声音。

 穏やかな語調。

 いつでも浮かべている笑顔とあいまって、包容力のある年上の青年という印象だ。


 ……ただし、それはあくまでも印象にしかすぎない。

 彼が悪意を持たないだけで、人よりむしろモンスターのようなものであるということを、この宿にいる面々は充分すぎるほどよく知っていた。


 だからこそ――

 ホーも相談を迷っているのだが。


 しかしアレクは事情を察している様子だった。

 ひょっとしたら、祖母あたりからなにか聞いているのかもしれないとホーは考える。



「……そうか、あたしの言おうとしてること、わかるのか」

「ああ。わかるとも。言っただろう? 俺は赤ん坊のころから、お前を知ってるんだ」

「……そういや、そうらしいな。あたしは記憶にねーけど」

「昔からお前はあまり泣かない子でね。欲しいものがあると、黙って、ずっと触るんだ。ほしいものを」

「お、おう?」

「そんなにジョッキを触るっていうことは――飲み物のお代わりがほしいんだろう?」



 なにも察せられていなかった。

 このアレクなる人物は、空気を読まなかったり独自理論に基づいた行動をしたりするのだ。



「……いや、ちげーよ。っていうか、飲み物のお代わりなら普通に頼むわ」

「じゃあなんだい?」

「あたしが相談しようとしてたのは、新しいダンジョンのことだよ」

「ダンジョン?」

「……あっ」



 しまった。

 相談するかどうか迷っていたのに、つい、口がすべった。


 ホーはこのまま『なんでもない』と言って去ろうか、まだ迷ったが――

 意を決して、相談することにした。



「……実はな、新しく発見されたダンジョンが、また『特殊構造物』のダンジョンに該当するっぽくて、ババアから調査依頼が来たんだが……」

「ああ、そういえばセーブポイントを設置しに行ったことがあったけれど、あのダンジョンかな?」

「そうだよ。……で、そこに入っていくつかチェックをしようとしたんだが……どうにもわかんねえんだ」

「わからないこと? 構造物の正体が?」

「……いや、それ以前に――わけもわからず死ぬんだよ」



 わけもわからず死ぬ――

 比喩ではない。


 死んだ者がなぜ生きているかという問いをこの宿屋でする者は、もういないだろう。

『セーブポイント』のお陰だ。


 店主アレクはそういう名前の『死んでも生き返る装置』を生成、設置する特殊能力を持っている。

 その物体? は、ホーや他の宿泊客が、死ぬ目算の高いダンジョンに挑む際には、貸し出しもやってくれているので、大変重宝している。

 ……一方で、ある理由から大変怖れられてもいるのだが。



「そんなわけで、一日中挑み続けてもさっぱりどんなダンジョンかわかんねーっていう事態に陥ってる。まあババアのカンがいいお陰で、今のところあたし以外の死者はいねーのが救いだし、このまま『立ち入り禁止』にしちまってもいいって話なんだが……」

「納得いかない、と」

「そうだな。……それにほら、あたしはダンジョンの難易度についての新基準を設けようとしてんだろ? だっていうのに『ここはよくわからない。次』みたいに投げ出すのはなんつーか自分で納得できねーっていうか……」

「なるほど。つまり、ホーは『よくわからないけど死ぬダンジョンでよくわかって死にたい』とそう言いたいのかな?」

「いや死にたいわけじゃねーけどさ。死なずに調査を完了できれば一番だ」

「ふむ。あのダンジョンはそんなことになってたのか……」



 アレクがなにかを考えこむ。

 そして。



「ちなみにそれは、『調査を代わってくれ』という話なのか、それとも『調査できるだけの力をつけてくれ』という話なのか、どちらかな?」



 力をつけてくれとは――

 ようするに、修行だ。


 アレクは宿泊客が『望めば』という建前で、よく宿泊客に修行をつける。

 ……それが目的で、ホーはアレクに相談を持ちかけたというのは、あった。


 お願いすれば、すぐにでも修行をつけてくれるだろう。

 しかし、ホーは事情を話しながらもまだ迷っていた。


 なぜならばアレクのつける修行はとんでもない苦痛を伴うからだ。

 いや、苦痛というか……


 生命とはなにか?

 そんな疑問を常に抱かせるような、そんな有様だからだ。

 なので『代わってくれる』という選択肢があるなら、それを選びたいのだが……



「……ちなみに、調査を代わってくれって言ったら、素直に代わってくれんのか?」

「そうだね。お前のおばあさん……冒険者ギルドマスターのクーさんの依頼で、そういう『よくわからないダンジョン』の調査は、俺も行っている。依頼を代わるのは別にかまわない」

「……そうなのか。その選択肢は考えてなかった」

「選択肢が増えたところで、どうしたい?」

「……代わっ…………いや、うーん…………」

「なにをそんなに迷うんだ」

「…………いや、今代わってもらったらさ、後々似たようなダンジョンが出てきた時に、また代わってもらわなきゃならなくなるだろ? それはちょっとなあって思ったんだよ」

「なるほど。たしかに――俺も、いつまでもいるとは限らないし」

「……まあ、あんたは人間で、あたしはドライアドだしな。寿命で考えれば間違いなくあたしのが長生きする。そもそも、あたしはあんたより若いし」

「いや、そういう意味でもあるんだけれど、ほら、不慮の事故で急にいなくなる可能性だってなくはないだろう?」

「は? ねーよ。素手でフルプレイトメイルぶち抜く腕力があって、大陸中央部って言われてる王都から大陸の端まで一日かそこらで往復できて、剣を腕で受け止めるような存在がいなくなる不慮の事故ってなんだよ。そんな事故起きたら、アレクさんより先に世界が滅亡するわ」

「そういうわけで、俺のおすすめは『力をつけること』かな」

「……まあ、そうだな。もとはと言えばあたしの受けた依頼だし……うーん……なあ、その、ちなみに、あたしがもし修行をお願いしたら、アレクさんはどんなことをするんだ?」

「詳しくはそのダンジョンに実際に行って調査してみないとわからないけど……」

「……いや、実際にあんたに行かれたらあたしが強くなる意味がなくなるわ」

「じゃあ今回はホーの話から察したことだけで修行方針を決めるのか……そうなると、とにかく丈夫さを上げる感じになるかなあ……俺としては、目的の精査をせずやみくもに修行をつけるのは、あまり好きじゃないんだけど」

「悪いが今回はゆずってくれ」

「まあ、そういうことだったら、丈夫さをあげていくかな……そうだ、せっかくだからカンストまであげようか?」

「どのぐらいかかる?」

「今の俺が考案しうる修行プランだと、二年ぐらいみっちりやればいけそうかな?」

「さすがにのんびりしすぎだ。……ちょっとやってみて、ダンジョン行って、駄目ならまた修行って感じでどうだ?」

「『修行する』という選択肢でいいんだね?」



 そういえばすっかり修行する前提で話を進めてしまっていた。

 これではまるでアレクだ。

 宿泊客のあいだで『まるでアレクさんだ』と表現される時、それは『考え方が異常者の領域に踏みこんでいる』というような意味を帯びる。

 ともあれ――



「そうだなあ……気は重いけど、修行をする方針……うーん……まあ、その、なんだ……軽く丈夫さとやらを上げていければいいなと、ホーはおもうよ」

「『ホーはおもうよ』?」

「……ハッ!? いや、なんか、なぜか意識が遠のいて……っていうか! まだその『丈夫さを上げる修行』の具体的な中身を聞いてねーぞ! それを聞くまでどうするかは保留だ!」

「ああ、それはほら、前にもやったアレだよ」

「どれだよ」

「『崖から落ちる修行』」

「……ああ、なんだそれなら――」



 ――それなら軽いな。

 なんていうことを言いかけて、首を横に振る。


『崖から落ちる』というのは、細かく言えば、『王都南にある底の見えない絶壁へジャンプし自然落下しつつ、岩肌などに体を叩きつけ死ぬ修行』だ。

 これは客観的に判断して決して軽くない。

 なにせ、死ぬ。


 ……色々やりすぎたせいで、基準値がおかしなことになっている。

 このままではまずい、とホーはまた首を横に振った。



「どうだい、修行、するかい?」

「……まあやるよ。軽いとは口が裂けても言えねーが、すでに一回やった修行だしな。覚悟してたほどじゃねーし」

「ああ、でも、すでに一回やった修行というわけじゃないよ。改良してるからね」

「そうなのか?」

「ほら、母さんが改良してくれたんだよ」

「……ああ、あの、ちっこい、尻尾の多い……」

「そうそう。悪いことを考えているような顔で笑っている……」

「悪いこと考えてんのか」

「いや、なにも考えてないみたいだよ。ただ、黒幕癖が抜けないみたいで」

「どんな癖だよ……ともあれ、改良されてんなら望むところだ。さすがにあの修行はひどすぎたからな……いやまあ、アレクさんの修行はだいたいひでーが」

「そうだねえ。研鑽が足りず申し訳ない」

「ともかく、これ以上修行被害が拡がらねえならよかったよ。んじゃあ、改良した修行とやらを早速お願いするか」

「わかりました。では、まいりましょうか」

「……おお、なんだ急に……口調が丁寧になってんぞ」

「まあ、仕事モードということですね」

「そ、そうか……で、そっちはすぐ行けるのか?」

「ちょうど手も空いてるし、大丈夫ですよ」

「じゃあ頼むわ」



 かくしてホーは修行を受けることになった。

 この先に待ち受ける運命を、彼女はまだ知らない。







「なあアレクさん、なんでおもむろにあたしの足を縄で縛ってるんだ?」



 王都南にある絶壁は、夕刻の赤い光で照らされていた。

 そこでホーは「ちょっと足を伸ばして座って」とアレクに言われるがまま、座った。

 そうしたら縛られた。

 意味がわからなかった。


 アレクが顔をあげる。

 その表情は、なぜか不思議そうなものだった。



「なぜって、修行のためですが」

「いや別に趣味であたしを縛りあげてるとは思ってねーよ。そうじゃなくって、ほら、あたし、一回やっただろ、この修行をさ? その時にこんな事前準備はなかったように記憶してるんだが」

「それは改良していますからね」

「……そういやそんなこと言ってたな。でもいくら改良がなされてるっても、説明なしでいきなり足を縛り始めるのはどうかと思うぞ」

「ああ、そうでしたね。ではご説明させていただいても?」

「……よどみなく足を縛り終える前に説明がほしかったかな……」



 縛る手つきが手慣れすぎだった。

 ノールックで両足をまとめられてしまった。


 アレクの修行がものすごいのは最初から知っているが、なんだろう、自分の自由がいつの間にか物理的に拘束されているというのは、今までにない恐怖感だ。

 なにをされるのか不安でしかたない。


 アレクはいつもの笑顔で語る。

 その顔にホーへの害意は一切ない。



「これから行うのは丈夫さを伸ばすための修行ですね」

「そうだな。それは知ってる」

「以前まではご自身でただ崖から飛び降りていただくだけという簡単な修行でしたが、改良版なので、多少、手順が多くなっております」

「簡単……うん、まあ、簡単……」



 その『簡単』は『死ぬのは簡単だ。首に刃物を突き立てればいい』みたいな感じの話だ。

 それはもちろん動作としては簡単に違いないのだが、実際に行うとなると色々難しいというのは、人であれば考えるまでもなく理解できると思う。


 ちなみに。

 アレクはそのへんの恐怖とか覚悟とかそういうものが理解できないようだった。



「足を縛ったロープをごらんください」

「……しっかり縛られてるな」

「縛るのは慣れているのでほどけません」

「……なんで慣れてるんだ」

「交渉の基本なので」

「…………まあいいや。で?」

「あと、引きちぎることは、おそらく不可能だと思います。俺が魔力で強化しているので」

「……つまり脱出できないと」

「いえ、予期せぬ危険はないということですね」

「予期せぬ危険?」

「はい。これからあなたを、このロープで崖に吊るすので、意図せずほどけたり、ロープが切れたりしたら、大変でしょう?」

「…………」



 だんだん話が見えてきた。

 しかし見えた先が暗闇だった。

 アレクの深淵がまた始まっている。



「この修行は、まず、ロープであなたを崖にぶら下げます。あなたはこのロープをのぼります。そうして崖上まで戻ることができれば、クリアです」

「……落ちねーのか?」

「そうですね。すんなり進めば」

「ってことはすんなり進ませたりはしねーんだな……」

「時間制限が、ありますから。あとロープは振り回します」

「……あたしは今、ものすごく心が静かだ。なにか一つの境地にいたった気分だよ」

「おや、そうですか」

「わかった」

「今日のホーは覚悟が決まっていますね」

「そうだな……あたしも思えば色々あった……借金してマフィアにからまれたり、殺されたり、修行を終えたと思ったらオッタに付き合わされたり……それ以外にもな、実際に情報のないダンジョンに何度も挑んで調査なんかもした。もう昔のあたしじゃねーんだよ」

「人は成長するものですねえ」

「そうだな。だからまあ、悪いんだが、もうあたしは取り乱したりしねえよ。やらなきゃならねえことがあるんだ。そのためにだったら、色んなことに耐えきれる」

「素晴らしい。生き抜く覚悟がうかがえる」

「ああ。だから、修行をつけてくれ。これでも効果は信頼してるからな」

「じゃあ――いいんですか?」

「……いいんですか?」

「説明はここまでで、いいのかなと、そういう意図の質問ですね」



 にこりと彼は笑っていた。

 ホーはうろたえる。


 ここまででいいのか――

 それはつまり、『この先』があると、そういう意味に、受け取れた。


 崖にロープでぶら下げられる。

 そのロープをのぼればクリアだ。


 しかし一筋縄ではいかない。

 ロープは振り回されるし、時間内にのぼりきることができなければ、ロープは切られて、崖下へ真っ逆さまだ。


 ――その先?

 死以外のなにがあるのか?


 しかし『死にます』という一言を省略することを、この男性は気にしたりしないだろう。

 だって死ぬのは前提みたいなところがあるのだ。

 それに『崖から落ちたら死にます』というのは『食べたらお腹がいっぱいになります』というのと同じように、当たり前のことなのである。


 底の見えない崖に落ちます。でも死にませんよね?

 そんなことを思う人類は、いない。


 ホーの頭が勝手に様々な想像をめぐらせる。

 そんなふうになる前に、聞けばいい。

『その先』があるとアレクがほのめかすならば、彼に聞くのが、一番早い。


 彼は説明を省略したり、し忘れたり、そもそもする必要がないと思っていたりはするが――

 たずねれば素直に回答する生き物なのだ。

 だから聞けばいい。


 でも、様々な記憶がホーの脳内を駆け巡った。

 今まで、説明をしっかり受けて得をしたケースが、一度でもあっただろうか?


 いや、ない。

 そうだ。大丈夫、いける。絶対に負けない――そう思っていた心が、説明を聞くことでくじけてきた過去ばかりだ。


 だからここは『聞かない』という選択もアリなのではないか?

 聞かずに修行に挑んで、その時のお楽しみということにした方が、いいのではないか?



「ふっ……あたしも慣れたもんだぜ」

「どうしました?」

「いや、大丈夫だ。説明は以上でいい。あたしはやるぜ。ここで逃げてちゃ宿屋の後輩どもに示しがつかねーからな」

「そうですか。じゃあ、続きをしても?」

「続き?」

「まだ足しか縛っていないので、手と髪も縛っていいですか?」

「…………そうか、これか」

「はい?」

「いや、そのぐらいなら覚悟のうちだ。おう、やってくれ。はん、なんだよ、アレクさんの修行にしてはずいぶんぬるいじゃねーか。どんな恐怖体験が待ってるのかとビクビクしてた自分が馬鹿らしいぜ」

「俺の修行はいつだってぬるいですよ」

「そうだな。大丈夫、大丈夫。あたしは宿屋で一番の古株だからな。精神の頑強さは、そりゃもう、すさまじいもんだぜ。ロレッタがみるみるアレクさんになっていく中、あたしだけはずっと自我をたもってるしな」

「どうしたんですかホー。口数が不自然に増えていますけど」

「いや、思えば色々なことがあったなと、そういうことだな。なんでだか知らねーけど、今、あたしの頭の中をすげえ勢いで今までの人生の一幕が駆け巡ってるんだ。ガキのころから振り返って、今もう宿屋に着いたところだぜ。おう、ここが宿屋か。泊まってやるから宿帳出しな! うわあ……やだよう……やだよう……たすけてよう……」

「ホー?」

「……ハッ!? いやいや、平気だ。平気、うん、平気……手も髪も縛られた状態でロープのぼらされるとかもう、想定のうちだぜ」

「まあ、それは実際に問題ないと思いますよ。修行は母と効果を相談し、時に母で試しつつ、常に改良を行っておりますからね。両手首を縛っても、ロープをのぼることは可能です。あなたはドライアドなので髪も拘束させていただきましたが、それでもいけるでしょう」

「そうだな。時間制限が来たらロープを切るんだろ? そしたらさすがに死ぬが、まあ――」

「はい?」

「…………えっ?」

「いえ、そんなこと言いましたっけ?」

「……そんなことって?」

「『時間制限が来たらロープを切る』だなんて、俺が一言でも申し上げましたか?」

「……………………」



 言ってない、気がしてきた。

 てっきり『崖から落ちる修行の改良版』なので――今思えば完全に改悪版だが――時間制限とはロープを切るまでの時間制限かと思ったが……

 たしかにアレクの口から『ロープを切る』とは聞いていない、気がする。


 でも――切らずに、どうするのか?

 切らないんだったら、時間制限が来たら、どうなるのか?



「……だったら――」

「だったらどうするのか、ご説明しましょうか?」



 ――聞いちゃ駄目だ。

 先を聞いてはならない。聞いて得をしたことが今まで一度もない。むしろ聞かない方がいい。先ほどそう結論したはずだ。そしてその結論は正しいと、今も思っている。


 でも、本当にいいのか?

 本当に聞かないでも、大丈夫なのか?


 聞いて得したことはなかったが――

 聞かなかったら、もっと損をすると、そういうことは、ありえないのか?



「………………」

「ホー、どうします? 聞きますか?」

「…………」

「聞かないのでしたら、修行を開始――」

「待ってください。今大事なところだから、考えさせて」

「しかし俺の世界には『案ずるよりも産むが易し』という言葉がありまして、こうして悩んでいるより実際にやってみた方が時間効率がいいと思いますよ」

「やだよお……産みたくないよお……」

「なにを産むんですか。そういうことわざというだけです。……それでどうします? まあ、待てと言うならば、待ちますが。待ったところで、時間が経過する以外になにもないと、俺は思いますけどねえ」



 ホーは想像する。

 温情、ということはないだろうか?


 ロープを切らない。

 崖からぶら下がった自分の唯一の命綱である、ロープを切らない。


 これはもう、間違いなく情けとかそういうものにしか、聞こえない。

 だって切れば落ちるロープを切らないでくれるというのだ。切られなければ落ちない。落ちなければ死なない。そんな当たり前のこと、考えるまでもない。


 でも。

 アレクの修行でそんな、生命への配慮が今までにあっただろうか?


 ない。

 一度セーブしたが最後、この男は命へ頓着しなくなる。



「ホー、修行前にセーブを」



 ――決断の時が迫る。

 アレクが片手をかざすと、その先に青い球体が出現する。


『セーブポイント』と呼ばれる謎の技術の結晶だ。

 人の生首と同じような大きさの、中に浮かぶ、わずかに発光する物体。


 セーブを宣言したら始まる。

 始まってしまう。

 聞くか、聞かないか、ここが最後の選択地点で――



「『セーブする』。……始めるぞ、アレクさん」



 ホーは、聞かないことを選んだ。

 どちらの選択が正解だったのか、それはきっと誰にもわからないが――


 聞かないなりの未来が、彼女を待ち受けることになる。

 それだけはたしかだった。







 べちゃり。

 案の定一回でのぼりきることはできなくて、ホーはそんな音を立てつつ落とされた。


 崖下に――

 かと思いきや、そう落下せず、どこかにホーは尻から着地した。


 それは岩肌の中にポツンと突き出た足場だった。

 偶然――だろうか?

 ……いや、きっと違う。この足場はよく見れば金網で囲われていて、上部にはまるで『この修行のための入口です』と言わんばかりに丸い穴が空いている。


 しかも、ロープは本当に切られていないし、アレクは崖上でロープを保持したままのようだった。

 これならば、のぼれば崖上にいたることができるだろう。


 ホーは両手足と髪を拘束された状態で、垂れ下がったロープをのぼり続ける。

 けっこうびっちりと両手首、両足首、そして髪が縛られていて、ほとんど自由がきかない。

 たしかにこの状態でロープをのぼるのは力が必要で、それだけに力がつくだろう。


 だが、不自然だ。

 アレクの修行は『必死さ』を旨とする。

 その『必死さ』は本当に命を懸けることで試され、そして死に、死ぬがゆえに異常に強くなるというもののはずだ。


 いや、詳しいことは、ホーみたいな常人には理解できないのだが……

 でもアレクの修行で死なないというのは、それだけでなにかおかしいと、そう感じるぐらいにホーは場数を踏んでしまっていた。


 ロープをのぼっているのだが、いっこうに進まない。

 どうやら、アレクが一定のペースで縄を伸ばし続けているようだ。


 ……なるほど、切らない代わりにそういうことをするのか、とホーは理解する。

 このままロープを伸ばされ続ければ、いずれ、ロープを放すことになるだろう。

 そうなれば、両手両足と髪を拘束されたまま崖上に戻ることは不可能になる。


 こんな狭い足場、偶然落ちるわけがない。

 特にアレクならば、うっかりミスして殺し損ねるということはないだろう。


 つまり、この足場に落とされたのは、それもまた修行の一環で――

 ロープなしで崖上に戻るには、『死に戻り』しかない。

 つまり、アレクがロープを放したあと、あらためて『崖から落ちる修行』となるということだ。



「……ふっ、なんだ。そのぐらいなら覚悟のうちだぜ」



 ホーは本気で安堵した。

『両手両足と髪を拘束され崖下に降ろされ、時間内にロープをのぼりきらなければ飛び降り自殺するしかない状況に置かれる』というのは、冷静に考えれば一切安堵できる状況ではないのだが、修行中は色々と見失うものだ。――常識とか。


 だからホーはとりあえずロープをのぼり続ける。

 そして――



 べちゃり、べちゃり。



 ……そんな音が、耳にとどいた。

 ここはどこなのか?


 王都南、世界の果てと言われる断崖絶壁だ。

 底が見えず、向こう側になにがあるかさえわからない。

 生物も確認されない。

 それゆえに『果て』。


 ――だったら、この音は?

 ホーは異様な恐怖にかられて、自分が落ちた場所を見回す。


 そして――ある看板を発見した。

『このダンジョン、入るべからず』。



「……は?」



 なにか、記憶に引っかかる。

 絶壁に存在するダンジョン。

『入るべからず』――つまり、立ち入り禁止。


 ――『死の虚』。

 そういう名前のダンジョンが、記憶にあった。


 それはたしか『光る目』とあだ名されるモンスターが徘徊するレベル二百のダンジョンだ。

 その『光る目』はあらゆる音、光、そしてダンジョンの内壁に触れられた感触に反応して音もなく接近し、侵入者を排除するモンスターだ。

 排除方法は――吸収、溶解。



「……」



 ホーの全身に汗が噴き出す。

 いや、だが落ち着け。モンスターというのはダンジョンから出ないものだ。あまり増えすぎるとダンジョン外に進出すると言われてはいるが、それは長いあいだ放置されての現象で、適切な討伐が行われていれば、外には出ない。


 外には出ない――はずなのに。

 なんで目の前にそれらしきものがいるのか。



「……」



『光る目』がこちらを見ていた。

 ここはダンジョンに入りきらない、崖にぽつんと突き出た足場の上だ。

 にもかかわらず、不自然に盛り上がった土の塊みたいなものが目の前にいて、そいつは宝石みたいな二つの丸いものを、じっとホーへ向けていた。


 ホーは動きの一切を止め、息を殺す。

 ダンジョンレベルが二百――実際は百六十やそこららしいが、今のホーでも苦戦するレベルだ。

 しかも『苦戦する』というのは両手両足と髪が自由に動く状態でのことで、今みたいに完全拘束をされた状況だったら、ただのエサでしかない自覚があった。


 動きを止める。息を止める。気配を殺す。

 混乱と恐怖で頭がおかしくなりそうだ。なぜ、ここに。なぜ、今。なぜ――


 ロープをのぼる手が止まっている。

 でも、ロープは伸ばされ続けている。


 ホーは慎重な動作でロープが地面に落ちないよう支え続ける。

 早く行け、早く行け、と『光る目』をにらみながら、冷や汗を垂らす。


 そうして固まっているうちに、ついに、ロープの先っぽが落ちてきた。

 ロープの先っぽは危うく地面に落ちそうになったが――ホーはどうにかそれを無音でキャッチすることに成功し、安堵する。


 安堵して。

 …………ここからどうしよう、という疑問が湧いた。


 周囲には金網があって、出入り口は上部にしかない。

 そばには『光る目』がいて、気配か、動きか、音か、なにか少しでも感じ取れば、ホーを獲物だと認識し、排除にかかるだろう。


 手足と髪は拘束されていて、イモムシみたいに転がることしかできない。

 この状態で崖上に戻るには死ぬしかないのだが――落ちて死ぬことはできない。


 だって手足も髪も使えないのだ。

 金網をのぼったら音が出るし、なにより、動いた瞬間捕捉――いや、捕食される。



「……」



 ホーは目の端から涙が伝うのを感じた。

 ふうっと意識が遠くなっていく。

 そして。



「……やだあ……やだあ……」



 そんな声が、音が漏れて――

 ざばり、と瞬間的になにかが覆い被さる。

 こうしてホーの視界はお花畑に包まれたのだった。




 ○




「ダンジョンの拡張実験を行った結果、できたので、修行に技術を利用してみたんだ。本来は生活に有用なモンスターを安く生活圏内にとどけるための技術なんだよ」



 後日、『銀の狐亭』食堂――

 どうにか一回の修行で『わけもわからず死ぬダンジョン』で『死ぬわけ』を調査できたホーは、アレクからそんなネタバレをされていた。


『光る目』のいる場所に落とされたのは、もちろんアレクの意図したところであった。

 なんでもひどい目に遭うことで次は死にたくないと思うようになる。その死にたくない気持ちが大事だ(意訳)ということらしい。


 たしかに効果はすさまじいものがあった。

 すでに『必死』というものがなにか本当の意味で理解していたホーではあったが、新たに『死にものぐるい』というのがなにか、本当の意味で理解できた気がする。


 店主アレクはカウンター内部で豆を炒っていた。

 新しい修行者用なのか、それともただのライフワークなのか、もうわからない。


 ホーはカウンター席でほおづえをついて、出された飲み物を飲んでいた。

 香ばしく、甘く、ほろ苦い、乳白色の飲み物だ。

『かふぇらて』というらしい、このあたりではあまり見ないものである。



「……とにかくアレクさんの修行に『慣れる』ことはねーのがわかった。次からみだりに利用しないようにするわ」



 今回の修業で学んだ教訓は、そんな感じだった。

 アレクに頼るのは人生における最終手段だとあらためて実感したかたちである。


 人生の破壊と再生をつかさどる宿屋店主は笑う。

 それは優しい笑顔にしか見えなかった。



「ところで、『わけもわからず死ぬダンジョン』の正体はなんだったんだい?」

「ん? ああ、なんつーか、お恥ずかしい話なんだが……死んでなかったんだ」

「……どういうことかな?」

「いや、アレはどうやら『床の定まった位置を踏むと強制的にダンジョン外に転送する』っていう罠のあるダンジョンだったみたいでな。いきなりダンジョン入口……つまりセーブポイントのそばまで戻されるから、あたしが勝手に『死んだ』と勘違いしてただけだったんだよ」

「へえ……転送か。利用できれば生活が便利になりそうだねえ」

「どんな距離もほぼ一瞬で移動するあんたには一切関係ねえと思うがな……ともかく、アレクさんのところでまた修行するのが嫌で、細かく細かく調べていったらわかったことだよ。こういうのも『死にものぐるい』っていうのかな。まあ、なんだ――助かった。ありがとうな」

「どういたしまして」

「……はあ。あたしがもっと熱心に調査してたら、修行せずにすんだんだよなあ……あたしも気付かねえうちに『死に癖』がついてんのかなあ……」

「まあ、そうかもね。……最近、俺もね、『死ぬ』ってどんな感じかなって、考えることがあるんだよ」

「幾度となく経験してるんだろ?」

「そうだね。でも、生きてるから。死んだあとに死んでしまう死は、どんな感じかなって。そういう時にお前たちになにを遺せるか、そういうことを、考えるんだよ」

「……まあアレクさんにも寿命があるからな」

「そろそろ片付けないとなあ」

「……まだ飲んでるぞ、『かふぇらて』」

「食器じゃなくてね。まあ色々――かな。ともかく、調査依頼達成、お疲れ様」

「ああ。色々助かったよ。終わってみればいい経験だった」

「ならよかった」



 アレクが笑っている。

 ホーも笑って、『かふぇらて』を飲み干した。

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