2
私も姫プレイを始めることにした。
ちやほやされたいからではない。金策の一種として始めることにしたのである。
レア装備は高い。一月かかって貯めた金が一瞬にして蒸発する。それでも上を見ればきりがない。
元々男性アバタ―を使っていたが、かわいい装備を身にまとう女性アバタ―を見てやっぱり女の子アバタ―がいいやと思った末、一念発起してサブキャラクターを作ることにしたのがきっかけだ。
なので、姫プレイヤー先輩のあゆゆちゃんに師事することにした。
成功者が目の前にいてコツを聞かない理由がない。
「どうやったら貢がれるん」
あゆゆちゃんは嬉々として手法を教えてくれた。
一、ログイン時あいさつをかかさないこと
二、ちょっとしたプレゼントをおくること
三、話しかけた後返事が来たら少し放置すること
四、
私は姫プレイを始める前に止めることにした。
やってられねえ。
めんどくせー。
レべあげるするわ。
「私ね、師匠といっしょに心理学とか色々勉強したんだよー。その応用」
師匠というのは、あゆゆちゃんがおっかけている悪魔族の青年のあだなだ。この人にあゆゆちゃんは恋をしていると私にうちあけてきたことがある。
だが、あゆゆちゃん経由でこの師匠とたまたま一緒にパーティを組んだ際に、
「あいつマジしめころしてえ」
とソウメイさんに愚痴を吐く羽目になったことのある人物だ。あゆゆちゃんは本気でこの師匠とやらの歓心が買いたいらしく、色々けなげにやっているのだが、とかくダメ出しが多い。
見ていて気の毒になるくらい一方的な関係だった。
多くの男どもをはべらせるあゆゆちゃんだが、この世はままならぬ。
この師匠とあゆゆちゃんはリアル知人のようだが、師匠に駄目だしされるたびにあゆゆちゃんは少し不安定になる。
「どうしよう」
と相談してきたことがあるくらいだ。
「怒られて無視されてる。どうしようどうしよう」
かわいそうなくらいにうろたえていた。何を怒られたかといえば、
「私口癖がごめんなさいで。すぐにごめんなさいっていうのはやめろって怒られた。ごめんなさいは自分を貶める行為だって。怒って無視されてる。謝りたいけど、また怒られる。どうしよう」
私は呆れた。女子中学生相手に何をやっているのか。
いかに手前勝手で、口だけかという話だ。
きれいごとをいって、それでこれだけ不安定にさせているのを見れば、「ごめんなさいというな」というオレかっけーと酔っているだけとしか思えなかった。
なので「あゆゆちゃんが最近様子おかしいんだけど、タラオさんなにかしらない?」と聞いて来たソウメイさんに事情は伏せて、「師匠のせいじゃね?」とだけ言って、奴へのいら立ちをぶちまけた。
「あの悪魔族の師匠ってやつ、私は嫌いだね。あゆゆちゃんの手前本人に言わないけど、女子中に好きって慕われて、優越感に酔ってる感じだな」
「w まあ、ソウメイも一緒パーティ組んで苦手なタイプだな~ってなっちゃったw」
「あゆゆちゃんにダメ出しがが多すぎるよ」
「うん。かわいいかっこうしてたのにね。似合わないとか、けなしまくってたね。ソウメイ、かわいいと思ったけどな~」
そら、あんたは娘が何着ても「かわいいよ!」と連呼してカメラフラッシュたきまくるタイプだろう。んで、娘に「何着ても同じこという! もうパパにはきかない!!」と切れられるまでがデフォルトだ。
「ただ唯一よかったのは、リアル女子中に告白されて手を出してないこと。嫁さん含めた知人関係の既婚者だからだろうけど。くっそ、リアル知人だから何もいえねー。ごはんくってないあゆゆちゃんに食わせられるのは奴だけだ。腹立つのう」
「ほんとね~。近所だったら、ソウメイ、腹がパンパンになるまでご飯食べさせるのに~」
私は汚れているので、ついソウメイさんを通報したくなった。
それはともかく、姫プレイについて、あゆゆちゃんの本質をひも解いていくと、彼女は驚くほど勤勉で真面目なのだ。
頭の回転も良いと思っていたが、案の定本人いわく学業も成績優秀らしい。
それが姫プレイ人心掌握術の勉強などに力を割き、無駄なところで努力をしているというべきか、結局金策やレベ上げにかける時間を大幅短縮する効率的な使い方とみるべきか。
「ホンマ尊敬するわ。自分には無理」
「ふふふ」
元々半ば本気半ばやる気なしで姫プレイするわと言い出したが、かえってあゆゆちゃんの忍耐力に敬意を払う始末であった。
そんなこんなで私は今のギルドを抜けることにした。
前後につながりがないわけではない。
姫プレイを始めるにあたって古巣を荒らすのはどうかと思い、外部でやるかと思っていたのが一つ。やる前から断念したが人には向き不向きと言うものがある。
もう一つは、交友関係を広めたいというのが大きな理由である。
ギルマス(女)のすいみーさんに理由を話してから抜けようと思ったが、彼女は不在ばかりだ。
仕方ないのでその時ログインしてた副ギルマスの一人リリアンさんに事情を説明した。
リリアンさんは一回り年上の旦那に先立たれた未亡人で、ちょっと不思議系の人だ。右も左も分からない頃に初心者の私をギルド勧誘してきた。成り行きとはいえ、それなりに世話になった人だった。
ログイン時間がほぼ重なっているため、フレンドになって以来、しょっちゅうフレ茶がとんでくる。
「え~ぬけるんだ~」
「うん」
「抜けてどうするの?」
「新しいギルド探す」
「探してどうするの?」
「入る」
「入ってどうするの?」
どーもこーもねーだろと思ったが、
「交友関係広げたい。なので色んなギルド合うところ見つけるまで回るつもり。お試し期間OKなところも多いし」
「ふ~ん」
このように会話がなんかキャッチボール微妙である。
女の子アバタ―を作った時も不評で、
「女の子つくってどうするの?」
と聞いて来たから、「どうもこーもねーわ」と思いつきで「姫プレイするわ」と言った気がする。
そうするとリリアンさんが遠因だったのか。いやまあ、決めたのは私なんだが。
「またもどってきたくなるかもしれないけどね」
「んーそしたら、私、今ギルマスから一時的に権限もらってるから、もどりたかったら私がもどしてあげるよ」
「まじすか」
「うん。権限ある時までだけどね」
「いつになるか分かんないけど、交友関係広めるために出たいだけなんで、もしもの時は頼みます」
ギルマスにはメールを送ってさっさと抜けた。
ギルドを抜けるのはボタン一つで済む。万一儀礼的に引き止められたら、抜ける抜ける詐欺になりかねないのでやるならさくっとだ。
まずはギルドを捜すところから始める。
適当にメンバー募集中ギルドを捜すこともできるが、大きな町の広場では、いつでもギルメン募集のチャットがにぎやかにいきかっている。
てきとうにうろちょろしていると、グミグミ族のプレイヤーが目についた。
グミグミ族。
はっきり言おう。
このMMOゲームの頂点に立つ種族である。
恐らくグミグミとはぬいぐるみから来ていると思われる。
二頭身の獣と小人を足して二で割ったようなあいくるしい種族だ。
短い手足をちょこちょこと動かして、それでも他種族プレイヤーと同じ速さですたたたたーと走って行く姿に悶絶せざるをえない。
その小さな頭身でおぞましいレイドモンスターに立ち向かっていく姿は一種の畏怖すら感じさせる。
とにかくかわいい。
一匹でもかわいいのに、二匹いたら倍プッシュ、三匹以上でわちゃわちゃと戯れて「かわいいねー」「きゃー」などとお互いを褒め合っていたら驚天動地である。
HPが赤にでもなっていたら通りすがりでも辻ヒールしてしまう。
本ゲーム界きっての愛でられ種族であった。
そのグミグミ族のプレイヤーが短い首というか首あるのか? やや首をかしげぎみに、
「ぎるどをおさがしですか?」
と話しかけてきた。短い手足で懸命に伸びをして、目線を合わせようとしている。
皆までは言うまい。
私は彼のギルドに入隊した。
結果、そのギルドの気風は私に非常にあうものだった。
ログインアウト時挨拶不要、会話なしOK、ギルド貢献不要、ご自由にどうぞ、というものだ。
ちなみに、私をギルドに勧誘したグミグミ族の彼は、ルーミーさんといった。彼のサブキャラは同じくグミグミ族の女の子でワルーミーという名前だ。
「悪いルーミーさんということですか?」
「わるさしちゃうんだぜー」
とても悪さが出来るとは思えない。
このギルドの名前はぽこぺん組。ハイセンスですね、あ、はい。ギルマスは主婦。少し嫌な予感がした。
何日かして、フレンドチャットがきた。
前ギルドのマスターすいみーさんからだ。
「こんばんは、今いいかな?」
「あ、すいみーさん、すみません。脱退のご挨拶をメールで済ましてしまって」
「いいよ~、ログイン減ってたし。えと、それで何か理由があったなら聞いておきたいなって」
「女アバタ―作ったので外部で姫プレイしようかと思って」
「w」
草を生やされた。
「思ったんですが始める前に向いてないのでやめました」
「w」
またも草を生やされた。
私はゲーム内では自分を偽らずやっているのだが、いつも草を生やされる。
「まあそれは半分本気半分冗談だったんですが」
「半分本気だったんだw」
「はい。それはともかく、交友関係広めたいと思って」
「あ、なるほど。タラオさん、ゲーム始めたばかりだったものね」
始めたばかりで一つのギルドに留まっていると、交友関係もそれに限定されがちである。
まして前ギルドはゲームの開始初期もテストプレイのβ時代からのプレイヤーが多く、多くはログインすら稀という閑散とした状況に追い込まれていた。
別ゲーに浮気します、とギルドハウスの伝言板に書置きを残しているものもいたくらいだ。
やはりレベル差のある猛者通り越して枯れ気味ギルドより、新規プレイヤーの多い活気のあるところに行きたかったというのが本音である。
「いいと思うよ~、タイラントの世界を楽しんで~」
「はい」
内心こんなこと言われたら帰りたくなっちゃうよな~と複雑な気持ちだ。前ギルド、いい人多いんだよな。直結厨もいるけど、そいつもログイン枯れ気味だし。
そう、多くのメンバーのログインが少ないのだけが難点だ。それが原因で抜けたわけだけど。
そして今日も私はレベル上げをしていた。
「がおー」
フレンドチャットが開いた。あゆゆちゃんである。私は無視した。
「がおがおがおー」
私は無視した。
「がおー怪獣さんだぞー」
私はついに「w」と草を生やした。
「今フルーレの広場でがおーってさけんでるー」
そして走り回っては「がおー」と吠えているらしい。
なんという阿鼻叫喚地獄絵図ともいうべきアホな光景。
この日からあゆゆちゃんの「こんにちは」はしばらく「がおー」に変わった。最初はアホかこいつと思ったし本人にもそう言ったのだが、あゆゆちゃんは鉄のメンタルの女。私が何を言おうとくじけぬ。連日「がおー」と言ってくる。
慣れとは怖い。
なんかかわいくなってきた。
何この気持ち。
「術中にはまってる気がするんすよ」
グミグミ族のルーミーさんに吐露すると、「ほうほう」と彼は真面目に相槌をついた。二頭身のぬいぐるみがそれをやっているのかと思うとやはりくるものがある。
「なんかかわいくかんじちゃいますね」
「そうなんすよね」
中身オバハンの私ですらこれだ。リアル男性はどうなのであろうか。
なので一人だけ別ゲーを楽しんでいるソウメイさんに聞くことにした。
「きいてよお!」
ソウメイさんはあいさつするなりいきなり泣きついて来た。
「奥さんが帰宅するなり、ゲームばっかりしてって怒るんだよ~」
「w」
「ソウメイ、奥さんが帰ってくるまでに掃除も洗濯もすませてゲームしてたんだよ?」
「おお、いい旦那さんですね」
「でしょでしょ。何で奥さん怒ってるのかな~」
知らんがな。夫婦で話し合え。
「ゲームに旦那さんをとられてさびしいんじゃないですか。もっと私や家族をかまえってことじゃないんすかね」
これは意訳で、つまり家族サービスが足りないとわめいてるんじゃねーのか。
直接に言うと男性側を責める言い方になると思ったので、彼の立場を立てるようにいったつもりだった。
「え~そうかな~」
♪が見えた。
気のせいか。
後日、ソウメイさんはがっかりしたように真相を告げて来た。
「奥さん、ソウメイが洗濯物色物と白物混ぜたの怒ってたみたい」
「w」
拍子抜けした。真実は小説より奇なり。現実とは一体。
「あ、ソウメイ、娘を送りむかえしてくるね~」
「はいよ」
育児にしっかり参加されていて、すごいな~と感心したが私は適当な返事で送り出した。
そういった感じで、私のフレンドチャットはいつもどおりであった。
そんなある日だ。
私のメールボックスに珍しくメールが着ていた。
なんじゃこりゃ、雨でも降るかなと開封してみれば、前ギルドの不思議系未亡人リリアンさんからであった。
『こんにちは。さいきんエルフでよくログインしていますね』
出だしはこうである。そう、私の新しい女の子アバタ―はエルフであった。女の子アバタ―の方が装備が充実(見た目が)していて、もっぱらメインキャラに移行中、ひたすらレベ上げから攻略にといそしんでいた。そしてやっぱり黒髪黒目である。あゆゆちゃんには「黒髪エルフいいね!」と妙にテンションアップされた。
『エルフの時フレンドチャットで話しかけても無視されます』
え。
思わず呼吸が止まった。フレンドチャットが来ていたこと自体気づいていなかった。
少し振り返ってみると、新しいサブキャラを始めるに当たり、再度メインストーリーやクエストを攻略中であり、しょっちゅう攻略サイトを確認してはゲームを進めていた。
つまり、ゲーム画面を見ていないことが多かったのである。
フレンドチャットも一定時間が過ぎると画面上から消えてしまい、ログページを確認しないと分からない。
ログページも、チャットが来ていること自体気づいてないので、わざわざ開くこともなかった。
『さびしいです。悪魔族のタラオさんの時の方がよかったです。本当にエルフキャラを作る必要はあったのですか?』
え。
最後の疑問形はいったいなんなんじゃ。
一瞬悩んだが、フレンドログインリストを確認して、リリアンさんのオンラインを確認した。
フレンドチャットで話しかける。
「ごめん、エルフでログインしてる時って、攻略中のことが多くて、攻略サイト確認しながらやってるから気づかんかったわ」
「……そうなんだ」
え、その「……」はなんなの。
とりあえず、気づかなかった自分が悪いので、下手に謝った。
そのうちリリアンさんは機嫌が直ったのか、いつもどおりになった……と思っていた。
以降も、相変わらず私はエルフを鍛えていた。
エルフになってから、悪魔族の憂鬱な青年と違い、道端で辻ヒールや「がんばって!」などの声援を受けることがたまに起こるようになっていた。
「エルフになってよかった。タイラントは悪魔族男に冷たかったっす」
ギルドで呟くと、
「いや~、悪魔族青年ももてるよ~。女の子キャラが貢いでるのみたことあるもん」
とのギルメンからの返答が。
何それ。
やはり私にその方面の才能は全くないらしい。ひたすらに悪魔族青年への世間の冷たさだけを体感してエルフ少女へと転身せざるを得なかった。
「直結厨って悪魔族青年が多い気がする」
直結厨とは、ゲーム内で異性を漁り、現実で会おうと躍起になる人々のことだ。かつてあゆゆちゃんをオフ会に誘っていたコジロウさんも悪魔族青年アバタ―であった。
あゆゆちゃんやソウメイさんにそう漏らしたところ、両者とも、「うん、そうだね」とのこと。
「それか主婦が多い気がするな……」
やり込み組主婦がサブキャラなどで作っているパターンをよく見る。はべらせたい願望のあらわれであろうか。
私だって美青年を眺めたいという欲望で作った。しかし今は完全放置、エルフの養分になっているが……
何より野良と通称される一時的パーティを募集して作る際に、悪魔族青年の軽さというか奇妙なまでの上からため口が私に悪魔族青年へのむかつきを増大させていた。
美形アバタ―のためか、女性アバタ―に対していきなりなれなれしい口調で「~したら?」「~しなよ」「~でしょ」などと指示をしてくるプレイヤーが多いのだ。
他の種族ではまずみない口調である。
今では悪魔族青年をみるだけで、構えてしまう始末だ。
うちのギルドはぐみぐみ族が多く、まさにぐみまみれであるが、そのことを聞いてみたく、
「うちのギルドって悪魔族男タラオ以外にいましたっけ?」
と質問すると、
「ギルマスのサブが悪魔男だね。他はいないね~」
と返事があった。
「残念っす。悪魔男の悪口言おうと思ったのに」
「w」
とまた草を生やされた。
「悪魔男のなれなれしいため口を初対面でされると私の中のアスラ天が火をふきます」
アスラ天はタイラントのネームドモンスターであった。炎刀を六本の手にもつ強力な敵である。追い詰めると口からも炎を吐いて来る。
「w」
「w」
「w」
他のギルメンまで草を生やして来たので、
「皆の心がひとつっすね」
「w」
「ww」
「wwww」
更に草が群生した。もうそろそろ草原になるだろう。
不意にギルマスがログインした。
「私も悪魔男の時はなんかため口になっちゃうな~。種族的にそういうキャラプレイに近づいてく感じあるね」
そいうギルマスは複アカウントのぐみぐみ族キャラで、たむ~むという表示になっていた。
この人は旦那さんともどもタイラント世界でプレイしており、複数アカウントで無数のサブキャラを持つどっぷりやり込み組であった。
割にギルド内のことは放置気味でありがたいのだが、一点だけ問題がある。
「タロスそっくりにサブ作ってやったわ」
タロスさんは旦那さんのキャラだ。
なにかにつけては旦那さんの話をギルドチャットで垂れ流すのだ。
旦那がセクハラしてくるだのリアル知人ギルメンに旦那を飲みに連れて行ってだのゲームとリアルの区別がついていないのは、旦那さんと一緒に同じゲームをプレイしている弊害だろう。いわく、「私が旦那を飲みに出さない女と思われたくないから誘って連れ出して」と言っていたが、ギルドチャットで流す内容ではない。
入ったばかりのギルメンなど、完全に「?」状態で沈黙である。
悪い人ではない。ギルド貢献も本当に必死にされている。難点はそこだけだ。
気遣いの達人であるルーミーさんが、
「くーる」
と返した。クール(かっこいい)という意味だったのだろう。
しかし私は一瞬脳味噌が豆腐になり、反射的に
「くーる。きっとくる」
と続けてしまった。旦那話を別にそらしたかったための反射的な何かであった。
これは某ホラードラマの主題歌出だしである。理解不能でもよいが、とにかく日本国民を恐怖のどん底に突き落としたドラマの主題歌であったとだけ理解してもらえばよい。
別のギルメンが更に歌を続けた。
更に次のギルメンが……
そしてギルマスは悲鳴を上げた。
「イヤァア!!」
怖いから止めて~と叫んでいる。苦手な人には本当に恐ろしすぎる内容だったため、当時の恐怖が甦ったのであろう。ぶりっこなどではない、当時を体験したものにしか分からない符号があり、本気の恐怖が伝わってきた。
私はちょっと溜飲が下がったので、
「いいね! その悲鳴!」
とコメントしておいた。
すると今度は別の男性ギルメンが野太い悲鳴を上げた。
「イヤァアアアオ!!」
ドヤ顔待機が幻視できたので、
「いいね! その奇声!」
と褒めておいた。
するとなぜか、ルーミーさんが、
「いきゃぉおおおおお」
と更なる奇声を発したので、
「w」
と草をそっと返しておいた。
悲しそうなグミグミ族のすすけた背中がまぼろしとみえた。
つまりなんだかんだで私のギルド生活はそこそこ充実していたのである。
そんなある日、私はたまたま悪魔男でログインしていた。たまったクエストをそろそろ消化しようかなと思ったのだ。
すると、ぽーん、とフレンドチャットが鳴った。
未亡人リリアンさんだった。
ログイン時間帯のかぶりから毎日話しかけてきたリリアンさんだが、ここ数日会話もなく、そういえば久しぶりだなと応じると、
「もうエルフの時話しかけないことにするね」
と開口一番に言ってきた。
リアルで「は?」とも「へ?」ともつかぬ息が零れた。
とりあえず、
「?」
と打つ。
「どういうこと?」
「だからタラオさんがエルフでログインしてる時はこちらから話しかけないってこと」
「えーとごめん、意味が分からない。説明してくれると助かるんだけど」
「エルフの時話しかけても無視したでしょ」
え。その話、もうこちらが謝って終わったんじゃなかったのか。
まだ続いていたのか。
あれ以来、私もフレンドチャットには気をつけるようにしていたのだが、また意図せずして無視することがあったのだろうか。
一応、攻略中なので、わざとではなく気づかないこともあるかも、と謝罪した時にいっていたのだが。
その旨、もう一度謝りつつ説明したが、リリアンさんはがんとして曲げなかった。
「そっちから話しかけてくるのはいいよ。私はエルフと違って、話しかけられたら無視したりしないからね」
少し彼女の言い分と意味を考えてみた。
そこで、私は、
「めんどくさ」
と言った。
心底めんどくさいと思ったのである。
「めんどうくさいとどうするの?」
淡々とリリアンさんは「どうするの?」「どうするの?」と尋ねてくる。
そういえば、この調子で、「いつギルドもどってくるの?」と顔を合わせるたびに淡々と尋ねてこられたことが急にじわじわと鳩尾に来た。
私はたびたび感じていたリリアンさんとの会話のキャッチボールの通らなさを思い出して戦慄していた。
そのエピソードの一つにこんなことがある。
ギルドに誘ってもらうなど、世話になったので、なにかお礼をしたいと考えていた時のことだ。
私はゲーム購入ユーザーが紹介者一名だけに送付可能なレアアイテムキャンペーンがあるのを知った。
しかし親切の押し売りも迷惑ということがある。始めたばかりで右も左も分からない私は、他のギルド古株メンバーに好意の是非というか送付すると迷惑か尋ねた。
「いや、それは凄い嬉しいよ。俺がほしいくらい」
「私もほしいわ~」
「タラオさん、それは初心者が何かお礼したいと考えた時、お金もレベルも足りなくて何もできないと思いがちだけど、いちばん最高の贈り物だよ。いいね、うん」
と言われ、安心して送ることにしたのだ。
「リリアンさん、イズモの神幣を送りたいんだけど、いいかな」
「いいよ」
私は送付に当たっての説明をした。これは通常のプレイヤー間における贈り物郵送と違い、運営から直接紹介者へ送付されるため、送付先住所となるIDが必要となること。
プレイヤーIDは誰でも閲覧可能なためこちらで調べるが、念のため間違いないか確認させてほしいと言うと、
「意味わかんない」
と一刀両断された記憶が甦ったのである。
初心者ユーザーが自分をゲームに招待してくれた人に贈ることができるアイテムなんだと説明を繰り返したが、「はあ、意味不明」と言われて、つまりアイテムを送りたいんだけどOKかだけ了承を得て、自分で調べた住所に取りあえず送るねとだけ言っておいた。
その後到着確認をしたが、回答なし。
あれ、会話が通じないな、おかしいな、と思い、IDって確認誰でもできるけど不愉快だったんだなと反省したりもした。
IDを打つ時も何度も確認したが、同名違いがあるかもと到着確認も感じ悪かったなと更に反省した。
つまり私も、「ありがとう」が欲しかったのである。見返りを求めないつもりで求めていた。
おお、恥ずかしい。
結局親切の押し売りだったのだと猛省した。色んなプレイスタイルがあるから、万人が喜ぶとは限らないと学んだ結末だった。
しかしその後も普通に話しかけてくるので、そのことは記憶の片隅に押しやられていた。
それが今色鮮やかに思い出され、色々点と線がつながって、
あ、これあかん。メンヘラの人や。
と文明開化の音がし、悟りの境地に至ったのであった。
未成年ならともかく、未亡人のおそらく一回り年上であろう母親世代メンヘラなど相手にしとれんわい。
撤退は速やかだった。
「もういいわ。それじゃさよなら」
私はフレンドチャットを切った。すぐにエルフアバタ―にログインする。
オンライン表示はそのままだ。
何しろ言質はとっている。
「エルフの時は話しかけない」
つまり向こうからは何も言ってこない。
さてどうしようか。
フレンドを速やかに切るか。
悪魔男は放置気味だが、ログインすることもある。
三日ほどして私は悪魔男の時のフレンドからリリアンさんを削除した。
それからあゆゆちゃんが、
「がおー」
と言ってきた。
「あーはいはい」
「タラオっち、ギルドもどってこないのー?」
「もどらねーよ」
「そっかー」
あゆゆちゃんと会話していると、キャッチボールになっているなと感じる。
リリアンさんには時々あれ? 通じてないけど、まあいっか、という違和感がたびたびあった。
「前は戻ろうと思ってたけど、リリアンさんと喧嘩してフレ切ったからな」
「え、そうなの?」
「うん」
私は経緯をざっと説明した。
「ん~」
あゆゆちゃんは少し間を置いて告げた。
「リリちゃん、そういうこと多いよ」
え。
「ギルチャでもね、自分が発言して誰も反応ないと『……』ってわざわざ打つし」
「あー」
「弱いキャラでボスくるし、空気読まないし。だからどんどんリリちゃん呼ばれなくなってるね」
散々に言われている。そういえば久々にログインしたメンバーに会話を遮って「私のサブキャラはこのギルドに3人います。誰でしょう」クイズを始め、3回外れたあたりで、まだ続けるため「もう正直どうでもいいんでやめてもいいかなw」とまで言われていた。
あんときゃ、何にも思わなかったな。ギルドの人間関係どころか、ギルドというもの自体、ましてタイラント世界自体私にはまだ未開の大地だったのだ。
「それに話していてもたのしくないもん!」
「おいw」
「私時間ないもん。リリちゃんに割く時間はない」
きっぱりと言った。いっそすがすがしさを感じた。
そして私はあゆゆちゃんの気遣いを感じて自分を恥じた。割り切れない自分がいて、吐露してしまった。その自分のうしろめたさを、自称女子中に慰められているのにさすがに気付いたからである。
彼女がいうまでもなく、確かに時間は有限だ。ゲームをプレイできる時間となるとさらに有限だ。何を切り捨てて、何をやるか。
割り当てる時間の中に、リリアンさんはなかったということだ。
その取捨選択にかかる痛みは、自分で享受すべきものだ。
「そうやな。あゆゆもけっこう悪さするし性格あれやけど、話してて楽しいもんなあ」
「でしょー」
「そこで肯定するのが君のいいところやなw」
「へへー」
「まあなんやかんやいって、あゆゆは思いやりもあるし、気遣いもしてるの分かるし、ホンマええこやと思うで」
「……照れるし」
「悪さもするけどな」
「えー!」
「リアルではおとなしそうやけどな」
ちょっと間があった。
「うん、なんでわかったしw」
リアルでは友達もいないというあゆゆちゃん。
時々、パソコンに向かって一人で姫プレイをする中学生のやせっぽっちの後ろ姿が見えることがある。膝をかかえて光る画面に見入っている。多分、本当に好物だろうココア片手に。
最近は、40のおっさんはないだろうな、と彼女の自称中学生説は本当だろうという気がしていた。
ただ、昔、
「40のおっさんでも許すわって本人言ったことある」
とソウメイさんに告げた際に、
「それ、ソウメイも言ったよ~」
と言われ、ドン引き一歩手前したことがある。いいのか、おっさんよ。
「これって対価なんだよね~。ソウメイは貢ぐ。あゆゆちゃんが喜ぶ。喜ぶ女の子の姿って、男は大好きなんだよ。それがリアルおっさんでも、関係ないよ。目の前のかわいい女の子が自分のプレゼントで喜ぶって姿を見せてもらう対価なんだよね~。そういう楽しみ方をソウメイはしたくてしてるわけ。あゆゆちゃんを育てるのが今のソウメイの楽しみなんだよ。その時中身は関係ないんだよね。だって彼女は女の子だから」
「ほう。じゃあ、今まで世話になった時遠慮したのまずかった?」
「そうだね~、ありがとう! って喜んでくれたら、それだけで男はうれしいんだよ~」
「ほーん。姫プレイの参考にするわ」
「w」
まずやらないのだが、そう返しておいた。
「だけど、最近あゆゆちゃん、マジ中学生だろうなーって思ってきたわ」
「うん、そだね~」
そして、どちらともなく、
「ただ、男子中学生かもしれないね」
と言った。示し合せたわけでもなく、同じ想像に至ったのである。男性プレイヤーの喜ぶ言動は、男性プレイヤーこそ熟知しているからな。
男の娘かもしれない。
ネットの闇は深いのであった。
「あれ、タラオさんギルド抜けてる!」
「……おそいしw」