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二代目魔王の御乱心  作者: 古口晶
Chapter.4 Conspiracy
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九十二話 宵の取り引き

「エーリスお嬢様を、どうかお助けいただけないでしょうか。きっと、いえ必ず、それに見合うようお礼いたします。お望みとあらば事が無事に済んだ後、客分としてラングハルト家にお招きすることも可能です。お嬢様もきっと了承していただけることで……」

「ちょっと、ちょっと待ってください」


 突然の申し出から流れるような怒涛の説明。慌ててユリアさんを止める。


「それって、どういうことです?」

「はい。端的に申し上げると、お嬢様をお助けいただきたいのです」

「いや、あの、それはわかりました、はい」


 猫の手も借りたい状況なのはわかる。

 わからないのは、その依頼に至る思考の経緯である。


「えっと、まず……ディーツさんは、俺達がこの件に関わるのが嫌なんじゃないんですか?何かその、信用できないとか、部外者だとか、そもそも役に立つの? とか、そんな風に思ってるんじゃ……」

「はい。正直にお答えしますと、当初……というより先程まで、このようにセイタさんに助力を乞うことは考えておりませんでした。セイタ様方のご迷惑にもなりますし、仰る通り、申し訳ないとは思うのですが、こんな状況下で完全に信用もできませんので」


 しかし、とユリアさんは続ける。


「思い直しました。エーリスお嬢様はとっくに心身の限界です。追手の追及も厳しく、私だけではもう守り切れないかもしれません。なりふり構っていられない状況なのです。たとえ恩人を頼って、ご迷惑をかけても、取れる手段は取らねば、と」

「その言い方だと、これはディーツさんの独断のように聞こえけど」

「はい。部外者の方を巻き込みたくないと考えているのは、むしろお嬢様の方でしょう。あなた方に事情の説明をしたのは、下手な告げ口はしないと信用しているのと同時に、これを聞けば事態の危険さをわかって引き下がってくれると思ったからです」


 下手に何も言わないより、説明して賢明な判断を促す。

 相手に多少なりと考える頭があれば、互いを危険に晒さないように振る舞うだろう。なるほど確かに、エーリスのしたことは間違っていないと思える。


 では、何だ? エーリスが間違っていないというのなら、ユリアさんの今やっていることは間違いなのか? 

 そうかもしれない。理由はどうあれ、他人を危険に引き摺り込む行為であることは間違いないだろうからだ。

 そうせざるを得ないくらい切羽詰まっているということ、そもそもの責任が彼女達にないということを考えれば、責める気にはなれないが。


「しかしね……俺みたいな馬の骨を雇って、何が変わるとも思えないけど」


 俺が正直に思ったことを言うと、ユリアさんは首を振った。


「ご謙遜を。食堂で拝見いたしました。セイタ様の実力が並外れていることくらい、私のような魔導師崩れにもわかります」

「拝見って……全部?」

「おおよそは」


 つまり、霧の中の大立ち回り──というほど派手でもなかったが──も見られたということか? 晴れる前に三人でトンズラこいたはずだけど。

 いや、考えてみれば彼女らはまさに襲われていた当人なわけで、その襲っていた連中がいつの間にかやられていて、しかも近くには俺くらいしかいなかったのだから、結論は必然的に一点に集束する気もする。するのか? 多分する。


 その前に、酔っ払いも手荒く叩きのめしていたからな。相当荒いことには慣れていると思われても仕方ない。確かに人殺しも厭わない人間だが。


「ほんの少し、護衛をしていただければ結構です。それで済みます。セイタ様ならば、襲撃者を追い払うことくらいはわけもないでしょう。相手も大っぴらに兵士や何やらを動かすことはできないので、今なら襲ってくるのはごろつきと魔導師崩れくらいなものです。私一人では手に余りますが……セイタ様なら」

「そうは言っても……」


 基本的なスタンスとして、面倒事は勘弁だ。陰謀はもっとごめんだ。

 俺も当然、というかどうでもいいとしても、シオンとキリカの身が心配なのだ。アロイスで滅茶苦茶あった後だから余計にそう思う。

 そりゃ、魔人とかに比べれば人間の陰謀の方がまだマシかもとも思うけど……いや、比べられることでもないか。お偉いお方は何を考えるかわからん。


 ……でも、かといってユリアさん達を放っておくというのもアレだ。

 頼まれてしまうと、どうにもいけない。頼まれずともルウィン狩りの一件に首を突っ込んでしまった俺である。何だかんだで今も「何かできるんじゃないの」と考えちゃってるし。


 駄目だろ。それは。

 見返りを見せられても、これが危険だってことはわかる。俺は馬鹿だが、そこまで無謀でもない。


 それは、ユリアさんだってわかっているはずだ。

 これが危ない橋っていうのはわかっている。それでいて俺達を巻き込もうとしている。そうしないとエーリスを守れないから。


 強い忠誠心を感じた。あるいは使命感か。


「……やはり、快い返事はいただけませんか」


 言い澱む俺に、小さく平坦な声を零すユリアさん。

 その落胆した様子に、つい声と手を出したくなる。だが、そう軽々と行動に移してはいけないことを俺も学んだ。多少なりと大人になった。


 分別と妥協と見切りをつける。大人ってのはそういうものだ。

 でも、俺は……


「仕方ありません……では、気が変わることを願って報酬の先払いをいたしましょう」

「え、なに?」


 不意に立ち上がったユリアさん。真面目に悩んでいたので、それにまともに反応できなかった俺。

 そのわずかな隙をつくように、ユリアさんが胸元のボタンに手をかけ、それをぱつんと外してしまった。


「んなっ」


 思わず口を押さえて声を抑える。そうやって驚きを飲み込んだ。

 驚くのも当然、目の前にはただでさえ薄着なのに、今やその胸元までも大きく開いてしまった妙齢の美女がおられるわけなのだ。


 俺の冷静な部分が、空気を読まず「何やってんだこの人」とか思ってた。


「なっ、なにをっ? 何をっ?」

「お静かに」


 冷たく小さく言って、今や押さえねば露わになってしまう胸元を押さえ、固まる俺のすぐ前にすっと近付くユリアさん。

 わずかな羞恥の色を浮かべつつ、彼女が言った。


「この部屋には浴室があるのですよね? では、一緒に来てください。そこで……お好きなようにしてくださって構いません」

「何を言ってるんです!?」

「先程も言った通り、今は何もお支払いできるものがありません。お金も、物も。差し出せるものは……私くらいなものです」

「いや、あの!」


 何だってこんなお固い美人がそんなことを言い出すのか、まるで意味がわからない。倒錯だ。異常だ。混乱だ。

 そうやってパニックに陥った俺は、とりあえずとばかりにしゃっきり椅子から立ち上がり、壁に沿ってユリアさんから遠ざかる。音も立てなかったのが我ながら凄いと思った。だから何だというのだが。


「いきなり何言い出すんです!?」

「有り体に言えば、色仕掛けです」

「有り体過ぎですよ!?」


 何かどっかで見た光景だぞ、これ。どっかの赤髪がやってたな。

 それはともかく、ユリアさんがぶっちゃけ過ぎて酷い。そういう人だとは思ってなかったのだが。幻滅というか、ショッキングだ。


 が、俺のそんな心持ちを一気に冷たいところに落とし込むくらい、ユリアさんの表情は真面目で痛ましいものだった。


「他に……方法がないのです。私には、もう取れる手段が……」

「い、いやそんな。だって、明日には信用できる所に逃げ込むんでしょう? お嬢様がそう言ってたじゃ……」

「お嬢様には言えませんが……穏健派の貴族様を頼るにしても、正直なところ信用できるかわかりません。元々情勢はお館様……ギオニス様に不利でした。あの方が亡くなられた以上、さらに立場の悪くなった後援の方もどれだけついてきてくれるか。お嬢様を守っていただけるか……」


 苦悶に満ちた声で言いながら、俺に歩み寄ってくるユリアさん。

 その雰囲気に、何か怖ろしいものを感じて、俺はもうそれ以上後ろに退くことができなかった。足が動かなかった。


 そのまま、壁に追い詰められてしまう。目の前にはユリアさんの目、鼻、唇、首筋、鎖骨、そして胸の谷間。

 背が俺と同程度なので、どうしても丁度いい位置に来てしまう。見ないでいられるわけがなかった。男だから。


「守っていただきたいのです。お嬢様を。もう頼れるのは、誰の手の者でもない、セイタ様のような旅の方だけです」

「お、俺じゃなくたって、そんなの誰でもいいじゃないですか」

「はい。誰でもいいのです。しかし今までそんな方に逢えませんでした。もう限界と思った時に、セイタ様に逢えたのです」

「俺はそんな、大した人間でもないし……」

「そんなことはありません。私は人を見る目だけは確かです」


 碧眼が俺をぎっと見据える。ただでさえ鋭く、強めの眼光なのに、そうすると本当に猫科の獣のようだ。

 まるで人に色仕掛けする人間の目ではない。敵意がないのが救いか。


 俺の肩を掴み、逃げられないようにしてから、ユリアさんは言う。


「危険なのは承知です。それを強いる非礼も。つけいるような真似をする卑劣さも。代償に私が何でもいたします。ですから……」


 そこで、声が震える。目が潤む。

 ほとんど表情を変えないまま、一筋、涙が彼女の目から落ちた。


「お願いします、お嬢様を助けてください。私だけじゃ守れないんです。私の大切な人なんです。お館様の、ラングハルト家の最後の希望なんです……何でもしますから……どうか、助けて……」


 怜悧に、固めた表情が、雰囲気が、口調が、どんどん崩れていく。

 嗚咽を必死に噛み殺し、俺に縋りついてくるユリアさんは、今やできる女性などでは全然なく、どうしようもない状況に立ち向かいかねている一人の女の子に過ぎなかった。


 そんな彼女から、涙以外に流れてくるものがあった。感情だ。

 魔法を齧ったことがあるからか、ユリアさんには魔力の流れがある。それが御せず、感情を乗せて、俺に漏れ流れてくるのだ。


 俺の魔王の感受性(アンテナ)は、はっきりとそれを感じ取ってしまう。ぐずぐずと胸の奥で腐り続ける後悔、悲しみ、痛み、恐怖、怒り。エーリスを守らなければという、身を焼くような使命感、焦燥。自分への苛立ち。そしてふとした拍子に鎌首をもたげる諦め。


 全てを隠し、飲み込んでいたのだろう。エーリスの前では気丈でいなければならないと自分を鼓舞し、叱咤して。本当に悲しいのは父親を喪ったエーリスなのだから、と。


 しかしもう限界だった。抑えられなくなっていた。疲れに飢えに焦り、諦め。全てに苛まれ、病み、壊れかけていたのだろう。

 ユリアさんのぐちゃぐちゃになった心は、表層をなぞるだけでも痛ましいものだった。努めて平静を保っていたのを見た分、余計にそう思ってしまう。


 そして、こうなったのは俺にも責任があると思う。

 なまじ俺のような、打開策というか蜘蛛の糸というか、希望のようなものを見付けてしまった分、それを手にできないとなると落胆は酷い。その可能性を考慮してしまったからこそ、あんなに冷静なユリアさんがこんなに乱れているのだろう。


「はあ……」


 責任……また責任、か。

 下手に首を突っ込んだ時点で、もう諦めるべきなのかもしれない。

 いつだってそうだった。セーレも、シオンも、キリカの時も。どう足掻いても見捨てるという選択肢はなかった。それは俺がお人好しだからか? そうでもあるし、それだけでもないのかもしれない。

 何というか……なまじ魔王の力なんて手に余るものを持ってしまったために、変な責任感とか強迫観念が芽生えてしまった気がする。自分一人のために使うのが怖ろしいなら、もっと多くの人のために使え、と、そういう感じの。


 まあ、まだるっこいことはいいんだ、ぶっちゃけ。

 要するに俺は、辛い目に遭っている、泣いている女の子を黙って見過ごしてはいられないということだ。


 力がないなら言い訳して逃げられもするが、そうでないなら、な。


「……わかりましたよ。ディーツさん」

「え……?」


 ユリアさんの身体を離し、その肩を軽く叩いて笑う。


「大したことはできないですけど、まあ、ご助力させていただきます」

「本当……ですか?」

「はい。なので、胸元締めて寝てくださいね」

「え、でも……それじゃ……」

「僕はヘタレなんで、ディーツさんの胸の谷間見ただけで満足です。前払いってのは、まあ、そういうことで」


 紳士なようで残念なことを言っている自覚はあった。だが、さすがに三人の女の子が寝ている横でギッコンバッタンやるわけにもいくまい。

 いや消音しようと思えばできるけど、そういうことじゃない。多分、そんな浮気行為はすぐキリカ辺りが嗅ぎ付けるだろうし。


 申し出自体は、確かに魅力的ではあるのだが……いやいや。見苦しい、未練たらしい。


「事が済んだら、お嬢様の方から現金でお支払いいただきますよ。ディーツさんは……その、魅力的ですけど、俺にはその、いますんで。はい、そういうことは、ちょっと」

「あの、お二方ですか……?」


 シオンを抱いてむにゃむにゃと幸せそうに眠るキリカ。そんな二人のベッドを眺めて、ユリアさんは言う。俺は「はい」と頷いた。


 すると、胸元を締め、涙を拭いながら、ユリアさんは言うのだった。


「てっきり……妹さんかと思ってました」


 ……いや。あんた、人を見る目は確かなんじゃなかったのかよ。

 一応折り返しというところでしょうか……? 

 ストックが切れたので、勝手ながらこの辺でしばらくお暇をいただきたいと思います。区切りまで目処がついたらまた再開させていただきますので、それまで気長にお待ちください。


 では、ここまでお読みいただきありがとうございました。

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