八話 ヒトの領域
俺がこの世界に来て、およそ四十日が経っている。
それだけ経って、ようやく人里に下りて来ているというわけなのだ。ひとまず、魔王の知識に基づいて今の状況を照らし合わせ、肝に銘じておく必要があるだろう。
まず、ここはエーレンブラント王国。ベルネア大陸のほぼ中央部に位置する、大陸三大国家の一つである。
さらに細かく言うならば、その北部地域に入るだろうか。ここより北には俺達がやってきたミナス大森林があり、そのさらに北には霊峰オルタル山が聳える。王国の領土はおよそその辺りまでとされており、それより以北は荒原が広がって、魔王領との境界を形成している。
だが、今はそれはいいだろう。
問題はここからだ。
昼過ぎになろうとしていた。風は冷たくなりつつあるが、雲は少なく晴天がまだ眩しく感じる。
俺はそんな空から視線を下ろして、外套で顔を隠したヘイスとともに、ルーベンシュナウの北門の前に立つ衛兵と顔を合わせた。
「止まれ。二人か?」
「いや、違う。偶然一緒になっただけだ」
俺とヘイスは互いに他人のふりをしつつ、衛兵と言葉を交わす。
「ルーベンシュナウに来た目的は?」
「あー……職探し、かな」
「ふむ。右腕を見せてみろ」
「え?」
突然妙なことを命じられ困惑するものの、反抗するのもなんだし外套から右腕を捲くって見せる。衛兵はそんな俺を見て「よし」と呟いた。
「これ、何?」
「あ? 何って、焼き印がないか確かめたに決まってるだろ」
「焼き印……」
どうやら聞くところによれば、奴隷や犯罪者は規定された身体の部位に焼き印を入れられ、町への出入りを制限されるという法があるらしい。
随分けったいなことだが、まあ、ある程度合理的とはいえよう。とにかく今は何も問題なくチェックが済んだというわけだ。
「いいだろう。入市税は銅貨五枚だ」
「ああ、はいはい」
財布から銅貨五枚掴み取り、衛兵に手渡す。ちらりとヘイスを見ると、あちらも問題なくやり取りが済んだようだ。まあ、内心では仲間を攫った連中と同じヒト族を前にはらわた煮え繰り返っているのかもしれないが、ここでそんな感情をぶち撒けるほど短慮ではなかろう。
次いで町の門、それから壁を見る。堅牢そうな作りと大きさだ。ルーベンシュナウは大都市と言うわけでもないが、それなりの人口を備えていることは外観からもわかる。門の奥の整然とした街並みと石畳はまさに中世ヨーロッパ──当然実物を見たことがあるわけではないが──といった感じで、今まで森の奥にいた俺の目には妙に新鮮に映る。と同時に、「ようやく人里に下りてきた」という懐かしさと感慨深さを与えてくれるのだった。
そうして感慨に耽っている間に、衛兵に声をかけられた。
「よし、確かに受け取った。ルーベンにようこそ」
「どうも」
「ただまあ、くれぐれも騒ぎなんか起こすなよ。いくら町が浮かれ気分だからってな」
「浮かれ気分?」
「知らんのか? まあ、入ればわかる」
と、促されて俺は門をくぐり、ヘイスとともにルーベンシュナウに入った。
そして、町を南北に貫く大通りを見て、衛兵の言ったことを理解するのだった。
そこで俺が見たものは、出店が立ち並び人々が浮かれ騒ぐ、まるで祭のような光景だったからだ。
◇
『魔王滅びる!』
『数百年に及び人類を恐怖に貶めていた魔王ヴォルゼアは、三国家人類同盟軍と勇者達の壮絶な戦いの末、とうとう滅ぼされた!』
『王なき魔軍は壊走し、魔王領の殲滅と解放も時間の問題である!』
『苦難の末に、我々人類は勝利を手にした! 闇の時代は終わり、大陸に平和と光がもたらされたのだ!』
「……知ってた?」
「いや、我々は世間の事情には疎いからな。お前は?」
「えーと……いや、こんなことになってるとは知らなかった」
俺はヘイスと顔を突き合わせて、ルーベンシュナウのお祭り騒ぎを呆然と眺めた。
これは一体どういうことかというと、まあ、つまりは魔王の討伐祝いだ。
およそ二週間かそこら前になるだろうか。この町に、魔王領へと向かった勇者と人類同盟軍が勝利したという一報が入った。
これは彼らにとっては信じ難い吉報であったが、情報源が王室の発表であったために確信へと至り、瞬く間に知らせは広がって急遽お祭り騒ぎへと発展したとのことだ。
これはこの町に限らず、王国全土どの町でも同じようなものであり、人々は長い長い暗黒の時代が終わったと、歓喜の声を上げている……らしい。
まあ、田舎者丸出しで聞いた甲斐があった。手っ取り早くこの状況について知ることができたし、話を聞いた出店でなんかサービスだと串焼きをもらえたからだ。どうにも浮かれ過ぎて商売意識がぶっ飛んでるらしい。
「魔王が……倒されたとはな……」
ヘイスも驚いていた。表には出さないが、抑え切れない喜びといった類いの感情が見て取れる。やはりこの世界に住む人々にとって、魔王の滅亡は待ち望んでいたことなのだろうな。
かくいう俺はといえば、当然ながら複雑な気分だった。それもそうだ。みんなが滅びたと思っている魔王の力は今俺の中にあるのだから。
……下手なことはできない。何としてでも俺の正体は隠し通さなきゃな。
「まあ、そのことは後でいい。それよりこれからのことだ」
「あ、ああ」
そこで、俺はヘイスと簡単に打ち合わせした。
まず、ヘイスの仲間、タニア組がこれから時間を置いて順次町に入る。そうしたら、そちらはそちらで合流し、調査を始める。
一方で俺は、これから適当な場所に魔力の『楔』を打ち込み、町の外との『転移』の足がかりを作って、フォーレス組を町に引き入れる。それからはタニア組と同じく手分けして調査だ。
そうして情報が集められ、可能であれば攫われたルウィンを探し出し、助ける。いざとなれば帰りは俺の『転移』を使うという寸法だ。
できなければ、集落に戻り対策を考える。期限は約一週間だ。人口数千からなる町を住人足らずで調べるにはいささか時間が足りないように思えるが、仕方がない。
「では、別れるぞ。これ以降はあまり顔を合わせない方がいい」
「ああ。でも相談が必要になったら?」
「朝と昼と夜の三度、この通りのこの場所にお互いの伝令を向かわせよう。明日の夜明けからだ。その後のことは追々決めることにしよう」
「わかった」
「では、フォーレスの者達を町に。頼むぞ」
「ああ……信じてくれてありがとうな」
俺がそう言うと、どちらかというとルウィンにしては精悍な顔付きのヘイスが、唇の端を歪めて笑った。
「……助けられておいて、その者を信じないルウィンはいない」
「そうか」
それだけ返し、俺達は通りを離れた。
さあ、まずはマリウル達だ。
彼らをこの町に引き入れなければ、どうにもならないのだから。
◇
大通りから逸れ、路地に入り、ひたすら奥に進む。祭の人気はどんどん薄れ、通りが狭くなるにつれて暗さと空気の悪さもわずかながら徐々に増していく。
そうしているうちに、俺は、打ち棄てられた家屋を見付けた。もう何年も人が入った形跡がない家だ。
周りに人気がないことを確かめ、俺はそそくさと中に入り込み、その床に魔力の『楔』を打ち込んだ。
凝らした目でよく見たら、ぼんやりとした細長い赤い光が床から昇っているように見えるだろう。高密度、かつ俺だけが正しく認知できる魔力だ。問題なくこの場に定着している。俺はそのことを確かめつつ、もう一つの『楔』を探った。
「……よし、『転移』」
北の『楔』の位置を感じつつ、俺は全身から魔力を引き出し、『転移』を行使した。
およそ四十日ぶりではあるが、不安はなかった。
瞬く間に俺の足下に円形の法陣が広がり、流した魔力が自動で演算を始める。その直後に俺は白い空間へと投げ出され、また一瞬後には森の中に立っていた。
「わっ! セ、セイタか」
「ああ」
近くで待機していたマリウルに手を振る。
「成功だな。よし、みんな集まってくれ」
「本当に大丈夫か?」
「平気、平気だって。保証する」
まあ、保証というか保障になるかもしれないが、俺には不安はなかった。
マリウル達フォーレス組の四人を法陣の中に立たせる。一人はここで待機してもしもの時のために備える役割だ。そんな時がなければいいのだが。
「じゃあ、行くからな。できるだけ俺の近くに集まってくれよ」
不安がるマリウル達をよそに、俺は範囲で『転移』対象を指定。何か言われる前に、町中の『楔』目掛けて『転移』するのだった。
◇
転移先の建物の中で、俺はヘイスと話したことをマリウルに伝えた。
連絡役はマリウルがやること、そして拠点はその建物ということになった。その後、町の東側を重点的に探るということで相談は終わり、すぐに四人は散らばっていった。
そこで俺はというと、下手なことはしたくはないと思い、付かず離れずマリウルと同行することにした。何かあれば手を貸す形である。
「もう充分協力してもらっている。お前まで動かなくてもいいのだぞ」
大通りの端で祭を眺めながら、マリウルが言った。
魔王関連の話は町に入った時点でしている。驚いてはいたが、今はそれより大事なことがあると心を入れ替えていた。今も、住民の浮かれようを眺めつつ大して心を動かした様子はない。
「いや、俺も行くよ」
俺が首を振って答えると、マリウルが「奇特な奴だ」と呟いた。
それほど、おかしいことなのだろうか。俺は俺のやりたいようにやっているだけなのだが。
何にせよ、人手があって困ることはないのだ。特に文句は言われなかった。
だが、魔王討伐に浮かれる町の熱気が目晦ましとなったせいだろうか。
その日はとうとう目ぼしい情報は得られなかった。
◇
陽が沈み、俺達は『転移』で森の合流地点に戻った。
さすがに半日走り詰めた後であり、みな疲労があった。タニア組も同じではあろうが、まあ、あちらはあちらでやるだろう。こちらは邪魔にならないように動くだけだ。
軽く夕食を取って、すぐに休むことになった。久し振りの野宿だ。それもウルルがいない。外套を丸めて枕に、外気温は小さな結界で保つことにした。まあ、風邪を引いても魔法で無理矢理治せるのだが、引かないに越したことはない。
また同時に、どれだけ疲れたり眠くなっても、魔法でそれらを拭い去ることは可能なのだが、それをやると精神に変調をきたしそうなのでやめておいた。寝られる時に寝るのは生物として必要なことなのだろう。
「少しいいか」
横になってしばらくした頃、マリウルが話しかけてきた。まだ我慢ならないほど眠い、というわけではなかったので、応じる。
「何だ?」
「ああ。お前には面倒をかけたと思ってな」
「それはいいって言ったじゃんよ」
「わかっている。だから、ついでにもう一つ知恵を借りたい」
マリウルの神妙な表情に、俺は身体を起こして「知恵?」と聞き返す。
「はっきり言おう。我々はこういうことに慣れていない。ヒトの里に下りたり、誰かを疑ったり調べたりするということにな」
「まあ、わからんでもないけど」
「そうだ。そして恐らく、このままではいくら探してもタニアの者達は見付からないだろう。手遅れになる可能性は高い」
「手遅れ?」
聞き返す俺に、マリウルが答えた。
ルーベンシュナウという町は王国の中でも相当北に位置する町の一つであり、規模はそれほどでもなく、そして王都から離れている。というとだから何なのだということだが、これが実は少し問題なのだ。
第一に、ここはならず者がルウィンを拉致し、その身柄を奴隷として売り捌くための前哨基地ということである。
ルウィンはこの大陸に多くはないにしろ幅広く暮らしている。だが、ミナス大森林はその中でも特にルウィンが多く暮らす地なのだ。
となると、彼らを奴隷にしようとする連中にとっては、あの森は絶好の狩り場、仕事場になろうということである。
だがまあ、この点は俺も話を聞いたり推測を立てたりで、既知の情報である。
厄介なのはここからだ。
「あの町ではあまり高額の奴隷は売買できない。そんなに金を持っている貴族がいないからだ。精々、奴隷商が仕入れる程度だろう。そして奴らは、仕入れた奴隷を売るためにしかるべき場所へと運ぶ」
「……王都とか、他の都市へ?」
「そうだ」
言っては悪いが田舎者なマリウルがどうしてこんな薄暗いことを知っているのかというと、流れ者のルウィンがフォーレスに立ち寄った際に教え、警告してくれたのだという。数年前とのことだ。
「町を離れられたらもう追いようがない。実際、過去にそうなってしまったこともある。だから、十日と言わずできればすぐに見付けたい」
「それで、俺はどうすればいいって?」
「何でもいい。お前はヒトだ。何でもいいから知恵を貸してほしい」
「そう言われてもな……」
言いつつも、考える。攫われたルウィン達はどこにいるのか。
まず、賊が捕まえて奴隷商に売り払うというのはほぼ確定だ。賊は人数を揃え、計画的にルウィンを襲ったというのがヘイス達の話からわかっている。そこまでやっておいて、すぐに処分したりするなど割の合わない話だからだ。これは希望的観測ではなく、単純に可能性が高い予想である。
そして次に、売られた先だ。ルウィン族という高値が見込める商品を扱うのだから、奴隷商はそれなりに大きな組織ないし財力を有していると考えられる。でなければ上手く捌くことはできないだろう。
都市間での奴隷の移送には馬車を使うが、それは当然、自前のものであるはずだ。奴隷制度はこの国では法として認められているが、扱う商品が人というだけあり、倫理的に灰色として見られるのは否めない。
後ろ暗い部分を感じないわけにはいかない以上、移送云々に関わる部分で赤の他人には任せたくはないはずだ。
つまり、奴隷商はかなり大所帯ということになる。
だというのにすぐ見付からないという風になるのであれば、それはつまり、連中は身を隠すのに非情に長けているということになる。
……と、俺ができるだけ善悪関係なく冷静に分析した結果がこれである。
実は、これを導き出すために魔法を使った。『精神操作』である。
本来であれば他人の思考に介入して操る魔法ではあるが、これを俺自身に、充分に調整して用いることで、感情の制御や頭の回転を速めることに寄与する。
まあ、元々頭がよくないから劇的な効果はないが、それでも、純朴に過ぎるマリウル達が持ち辛い視点からの、ヒトらしい卑近な意見を出せたと思う。
まあ、問題はここからなわけだが。
「奴隷商は商品を管理しなきゃならないから、根を張ってそのための場所を確保する必要がある。で、よっぽど理由がないならそれを隠す。表には別の店とか、酒場とか、そんなものを置くんじゃないか。ルーベンには奴隷を買う奴はそうそういないんだろ? だったら看板晒して客引きする必要はないし、それでも買う奴は奴隷商と個人的な繋がりがありそうなもんだ……ん? あ、そうか!」
突如思い立ち、俺は軽く拳で手の平を叩いた。マリウルがぴくりと耳を動かす。
「何だ、何を思い付いた?」
「あれよ、簡単な話だ。奴隷を持っているような貴族だの金持ちだのを見付けて、そいつから奴隷商の居場所を聞いちまえばいいんだ。いやーほんっと馬鹿だなー俺、こんな簡単な話だったなんて……」
と、すっぱり自己解決して晴れた面持ちの俺に対し、マリウルは何故か暗い顔のまま。
「……どうした?」
「……その手段を取ろうとすると、荒事になるな」
「それは、いや……そうとは限らないだろ」
「だが、そんな連中が我々のような者達と会うだろうか? それに会えたとして、素直に口を割るか? 無理矢理となると、それは……」
マリウルが苦虫を噛み潰したような顔で一度言い澱み、それから続けた。
「……何をしてでも同胞を助けたい、とは思っている。タニアの者達ならなおさらだろう。だが、そのためにルウィンがヒトに手を上げるとなると、取り返しのつかないことになるかもしれない。森であれば射殺しても獣の餌食になるだけだし、非は領域に入った奴らにある。しかしヒトの町で、我々が先に手を出しては……」
「先にやったのはあっちだろ。ルウィンを攫ったのが悪いんだ」
「そうだが……」
「だったら、どうやって攫われた奴らを取り返すんだ? 無理矢理じゃないなら、買い戻すのか? 忍び込んで助けるとか、移送のタイミングを狙うのか? どうするにしたって、どこかで無理が出る。これはそういうものだろ?」
「……だが……それでは……」
マリウルは答えられない。唇を噛んで、地面を睨んでいる。
わかっている。俺だって、彼の思っていることがわからないわけではない。
ルウィンはヒトに比べればその数が少ない。もし全面的な争いが起きたとすれば、その被害は相当なものになるだろう。そんな事態はできるだけ避けたいはずだ。
そのために、ルウィンは忍耐強さと調和の心を育んできた。脅威は退け、受け流し、森の奥で波風立たせぬように。そうして平和を保とうとしていたのだ。
しかしだ。それだけではいけないのだ。
現に脅威に晒されている今でも、マリウル達は平和を求めるがために一歩遅れている。踏み出せないでいる。もしかすれば、攫われた仲間を探し出してからの明確な方針はまだなかったのではないか。
それを、及び腰だとか言って馬鹿にするつもりはない。俺はルウィンではないからだ。ルウィンにはルウィンの価値観と思想がある。
ただ、マリウル達が今こうして悩む姿よりは、タニア組のなりふり構わない姿勢の方が現状には即していると思うだけだ。
ヘイス達は危うい。マリウル達は一歩引いている。バランスが大事なのだ。
そのために、俺にもやれることがあると思った。
いや……俺にしかできないことか。
「……考えがある。奴隷商の居場所を聞き出すのは、俺にやらせてくれ」