八十七話 ラングハルト公爵
王家に訴状を叩き付けた公爵が死んだ。
その娘が、現在屋敷から逃れて潜伏中だ。
その娘に、怪しい連中が怪しい賞金をかけている。
まとめてしまえば、おおよそそのようなことになる。
ではそもそも、事の発端は何であったのか。
キリカの話によると、死んだ──恐らくは殺された──ラングハルト公爵は、王に討伐軍の大々的な展開を止めるよう訴えたらしい。
理由はいくつかある。国内の防備が手薄になるとか、補った傭兵戦力の規律が魔王領において問題になるとか、獲得した領地の分配方法について明確な法案ができていないために、当地において軍閥が発生し王国にとって危険であるとか、そもそも戦費捻出の問題があるとか、だ。
しかし、これに反発する貴族は多かった。ほとんど全ての貴族は主戦派であり、魔王領への報復攻撃に諸手を上げて万々歳。それだけだと口だけなので、実際に討伐軍に大規模な出資をしていたためである。
ここで、ラングハルトの家についた公爵位が問題となる。外様ではあるが王家の血を引き、さらに代々築き上げた実績と信頼から、ラングハルト公爵の影響力は多勢に無勢ながら無視できないものであった。王ですら訴えを一蹴できなかったほどである。
ここからは推測ではあるが……こうなると困るのは、既に金を出した後の諸侯である。万が一にも討伐軍が取り潰しになることはないにせよ、このままではラングハルト公爵、また彼についた数少ない反戦派のせいで要らぬ出費を求められる。
彼らは一刻も早い進軍、征服、領地獲得を望んでいる。出した金をペイすることを望んでいる。また同盟三国に対する面子の問題もある。討伐軍を出さないという選択肢はないのである。
ここまでくると、最早ラングハルト公爵は国家に対する反逆者である。既に国是である魔族討伐の旗に唾を吐く逆賊である。
意見を封じる必要がある。例え、殺してでも──
「……概ねそんな感じか」
「概ねそんな感じね」
「よくわからないけど、怖いっていうのはわかります……」
『ヒトとは面倒なものだな。ルウィン達はそうでもなかったのだが』
珍しく口を挟んできたウルルの背を掻きながら、「ぬーん」と悩む。
「しかし、何というか……色々と杜撰だな。ここまでバレバレな陰謀があるのか? 絶対みんな怪しんでるだろうに」
「それだけ焦ってたんでしょ。一人娘をうっかり逃すくらいには」
「それにしたってさあ……大体、そういう話はどこから漏れてくるんだよ。普通やんごとない人達の間で内々に片付けちまうことだろ」
「さあね。トイレで一緒に流しちゃったんじゃない?」
そんな下品な、とは思ったものの口には出さない。表情には出たかもしれないが。
「……まあ、何だ。確かに儲け話ではあるよな」
「やるの?」
「まさか」
腐っても公爵家の一人娘ではある。探し出せれば、主戦派勢力に売り渡す以外にも利用価値はいくらでもあるだろう。
が、あまりにきな臭く、危険過ぎる。関わったら最後、地の底にまで引き摺り込まれてしまいそうな怪しさがある。
そもそもちゃんと金は支払われるのか? こんなことに関わった以上、もう生きて帰してくれないのではないか? と思う。
何せ、公爵家なんて大物を潰すか潰さないかって大事に関わらされるのだ。黒幕が保身のためどこまでトカゲの尾を切るか、わかったものではない。
「一応、国王の方でも事件を知って、娘の捜索命令を出してるらしいけど」
「どこまで信用できるんだか。そもそも王が黒幕って可能性もあるだろ」
「ないとは言い切れないわね」
言い切れないと言い切ってしまうのが、何とも言えない気分になる。
この国、想像以上に黒いらしい。まあ清廉潔白な国なんてのは、国としての機能を果たしていないようなものだとも言うし。
「嫌な話だな……不穏過ぎて関わる気がしない」
「まあ、そう言うと思ったけど」
「どっちに転んでも後味悪そうだしな」
その公爵のお嬢さんは可哀想だが、危険だとわかっていてわざわざ関わるつもりは毛頭ない。俺にとってはシオン達の安全の方が万倍大事である。
それに、万一関わるとしたら多分そのお嬢さんの側につくことになるが、それで俺に何の得があるか? という問題もある。
自己満足で事態を引っ掻き回すのにも限度がある。下手すれば王国に睨まれる。ただでさえ魔人に目を付けられているのだ。これ以上平穏が失われるのはごめん被る。ことは俺だけの問題では済まないのだ。
「この話には関わらないようにしよう。そもそも曖昧な部分が多過ぎる」
「そうね。どこまでいっても噂話って所はあるし……」
「怖いですしね」
「それな」
結局、シオンの言うところに集約するわけだ。
なのでこの件は危険事項として留めておくだけにし、キリカには続けて情報収集してもらうことにする。シオンも同様、今度は南への街道を探索してもらい、俺は町中の高い所に登ると。いや最後のは冗談だが。
そんな感じで話をまとめ、ウルルを厩舎に送って、午後はせっかくなので三人で町を回ることにした。
実際歩いてみないと、町の構造は掴めないものだ。
それに今回が初めての観光になるわけだしな。ちょっと楽しみだった。
◇
「何だかんだで王都って色々あるものね」
「目が回っちゃいました……」
夜。午後一杯を商店街を回ることに費やした俺達は、棒になった足で適当な食堂に転がり込んでいた。
シオンの言う通り、あっちからこっちに目が移って何も買えずに終わった。そもそも何を買うかも決めてないのに財布の口を開くのは無駄遣いもいいところなので、かえってよかったのかもしれないが。
「でも物価は高いよ。需要に限らず王都は」
「そういうもんだろうなあ。何だかんだ貧乏人は住めなさそうだし」
「宿を紹介してもらわなかったら、今頃困ったことになってたかもしれないですね」
まったくもってシオンの言う通りだ。物価は高いわ町は広いわ路地は入り組んでて複雑だわ、おのぼりさんに優しくなさ過ぎる。
そのために外、中、情報で手分けして町を把握しようとしていたのである。その甲斐はあった。あったが、どうにもきな臭いという事実が判明して困っているのが現状である。
「どこ行っても面倒事はなくならないもんだな」
「煩わしいのが嫌なら、海に出て無人島を探すしかないわね」
「それはそれで面倒臭そうだ」
「少なくとも人間絡みの問題は起きないわよ」
極論過ぎて何とも言えない。俺がないものねだりするのが悪いんだが。
「まあ、関わらなきゃいいのよ。それで丸く収まる」
「そうね」
「じゃあ、明日の予定でも決めるか。とりあえずそろそろ訓練を……」
と、俺がスープパスタにフォークを絡めようとした時だった。
突然、何かに後ろから押され、俺は皿のパスタに顔を突っ込む羽目になった。
「ブッ……あ?」
顔を上げ、髪からスープが垂れるのを見る。
その奥に、唖然とするシオンとキリカの顔。何だ。何が起こった。
原因は、後ろだ。後ろにある。そう思い、ぐるりと首を回す。
そこには──
「おいお嬢さん方、突然押すなんて酷いじゃねえか」
「そうだよ。俺達ゃ、同席していいかって聞いただけじゃねえか。ヒッヒ」
そう言い、俺の椅子に寄りかかってきているデカブツと、その隣で小狡そうな笑みを浮かべる男。
そして、その二人に因縁つけられている、これまた二人の……女?
「近寄らないで。あなた達と同席する気はありません」
その片一方、青みがかった黒髪の女性が、張り詰めた声で言い放った。
妙齢の女性だ。妙齢というからにはその容姿も当然目を引くもので、ぶっちゃけると美人だ。こんな大衆食堂に来るような雰囲気の女性とはとても思えない。ぼろの外套が何とも似合わず、何か間違っている印象が拭えない。
一瞬、目が合う。猫のような、我の強そうな感じの吊り目だった。
その目も、すぐに冷ややかな敵意を湛え直し、眼前の男達に向けられた。
もう一方は、フードを被って伏せているため、顔が見えない。小柄なので少女だろうとは思うのだが……
と、それはとにかくだ。
「オウ、お高く留まってんじゃねえよ。こんな飯屋でよぉ」
「そうそう。俺達ゃちょっと、あんたみたいな美人さんとお喋りを楽しみたいだけなんだよ。何の因果か女っ気がないからさぁ」
「知りません。そういうのは別の場所で探してください」
「そうツレなくすんなよ!」
「ちょっ……!」
黒髪の女が腕を掴まれる。それに反応してか、少女の方がガタンと席を立ち、二人の間に立ち塞がろうとするも──
「何だぁ、お姉ちゃんと一緒に楽しみたいってか?」
「悪いけどな、お前みたいなちんまいのは趣味じゃねえんだよっ!」
「あっ……!」
少女が突き飛ばされる。軽く小突いただけに見えたが、体格差のせいか派手に転んで悲鳴が上がる。
その拍子にフードが脱げて、下から金髪が覗く。同時に、黒髪の女が「お嬢さ……」と言いかけて途中で口を塞ぐ。
いや、いや、それはとにかく。
「おら、こっち来て酌してくれよ、なあ!」
「その後もさぁ……いいだろ? ヒッヒヒ……」
「嫌、放して! 放し……」
そこまで聞いて、俺は席を立った。シオンとキリカの「あ」って感じの顔が見えたが、気にしなかった。その余裕がなかった。
一瞬で沸点を突破した怒りのまま、俺は後ろのデカブツに殴りかかっていた。




