八十六話 王都の噂
王都に来て、二日が経った。
二日。その間に、俺達はまず情報収集から始めた。
王都の地理の把握。通り、建物、店、貴族の邸宅、貧民街、危険地帯。何が起きているのか、どんな噂が広がっているのか、飯の種になりそうな仕事の話はないか、不穏な話はないか。
そういう調査をしようと提案したのは、キリカだった。というか、こういうことは盗賊の経験からすると当たり前のことであるらしい。
「馬鹿は何事にも疎くて、気付かない間に外堀固められたり寝首をかかれたりして死んでるものよ。何があるかわからなくても備えなきゃ」
思えば、サブリナでもアロイスでもまず動いてくれたのがキリカであった。ちょっと見ないと思ったらしれっと色んな情報を仕入れてきてくれる。俺達一行の屋台骨であり頭脳のような存在である。使いっ走りをさせているようでちょっと心苦しいが。
なので俺達も動く。せっかくの機会なので別行動に慣れることにした。
キリカには町を回ってもらうことにして、シオンにもウルルと一緒に王都の周囲を巡ってもらった。街道や森、川の位置、牧場や農園などを見てもらって、アイゼルラインという町を外からも浮き彫りにしていく作業だ。直線距離にすればいいとこ半径十キロくらいの行動半径なので、『思念話』も圏内で逐一報告を受けることも可能だった。
そうして、俺はどうしていたかというと──
◇
「人がゴミみたいに見えるな」
『え? 何ですか?』
「いや、何でもない」
『洒落にならないこと言わないでよ』
「ごめん」
だが、実際そうとしか言えないような場所にいたのだ。
どこかというと、まあ、人間が粒のように見える場所といえば限られたもので、ぶっちゃけてしまうと高いところだ。
精確に言うならば、聖ジェニウス大聖堂──その屋根から突き出すように伸びた、尖塔の上である。
高い所からなら広く見渡せる。そういうアホみたいな思い付きを実践したのが今の俺の状況であった。
とりあえず最初は建物の屋根に登ってみて、視界は多少広くなったがそこまででもないと見えて、もっと高い建物を探すうちに、俺の足は先日話題に上がった聖ジェニウス大聖堂へと向かっていたのだ。
このデカい建造物、幅があるだけでなく遠くからでもよく見えちゃう高い尖塔を持っているので、何とも都合のいい場所に思えて、また俺の中のデカいもの好きなアホな部分が疼いて、気が付いたら登ってしまっていた。
さすがに警戒して『探知』くらいは使ったが、アホなことには変わりがない。出来心だった。反省はしてないけど。
しかしその甲斐はあって、俺は一般市民なら到底見られないであろう絶景を眼下に眺めていた。
「さすがにここからなら町がよく見える。怖いけど」
『セイタ、本当に登っちゃったの? 怒られるわよ?』
「聖堂から泥棒してた奴が言うか」
そういう話を聞いたので、反撃も可能ではあったが、キリカの言っていること自体は正しい。見付かったら絶対何か言われる。
それはともかく、『遠話』の魔導具はちゃんと動いてるらしい。位置はよくわからないが、発する魔力の反応から方角もわかる。いいぞ。
「王城もよく見える。ここより高い塔持ってるな。いいな」
『まさか、忍び込もうとか思ってないでしょうね?』
『危ないですよぅ、セイタさん……』
「冗談だよ」
ケルト十字に似た聖教会のシンボルに手をかけ、姿勢を保ちながら答えた。シオンは西北西、キリカは北に存在を感じる。『探知』の範囲外ではあったが、これだけわかるなら上々であろう。もう迷子の心配はなさそうだ。
しかし、絶景だ。ふと風景に目をやるとすぐ意識を持っていかれる。
そもそもこの大聖堂からして、想像を絶する大きさだった。ちょっとした観光のつもりで見に来たと思ったら、完全に目を奪われ、見上げ、見回り、今は見下ろしている。
比較対象にはノートルダム大聖堂辺りでも持ってこようか。規模も尖塔の高さも見劣りしない。いや実物を見たことはないのだけれど。
今俺がいるのは、地上五十メートル超の尖塔の先、聖教会のシンボルの上である。精確にはシンボルに掴まっている形だ。いくら『超化』したところでバランス感覚がよくなるわけではないので、これが一番安全な格好である。
しかし怖くないかといえば、さっき二人に言ったように当然怖い。
そもそも俺は、元々高所恐怖症の気があるのだ。以前オルタル山の山頂に戯れで登った時も、下界を眺めて怖気を走らせていた。
今はその時以上にビビッてる。高さ自体は比べ物にならないなのだが、下に豆のような人影が見えてしまっているのが悪かった。否応なしに高さを感じさせられてしまっているのだ。
が、かといって完全に委縮して動けないというほどでもない。
そもそも高い所が怖いのは、「落ちたら死ぬ」状況下で「落ちるかもしれない」と思うからだ。可能性に恐怖するからだ。
俺の場合、落ちたところで『身体強化』すれば衝撃には耐えられる。落ちる前に適当な場所に『転移』してもいい。そうすればまず死なない。
死なないのなら前提条件の「落ちたら死ぬ」が成り立たない。なので高い所にいるからって致命的な恐怖とはなり得ないのだ。そもそもそう思っていたら山とかこんな場所に登ったりはしていない。
まあ、この掴まってるシンボルがいきなりポッキリいったりしたら、さすがにゾッとするだろうけど。
「とりあえず、大体の地理はわかった。一度合流して昼飯にしよう」
『了ー解』
『わかりました』
二人の返事を聞きつつ、俺は尖塔から聖堂の屋根目掛け飛び下りた。
◇
せっかくウルルが厩舎から出払っているので、四人で揃って食べることにした。
そのために、まずキリカと合流。露店でパンの間に肉と野菜をこれでもかと挟み込んだサンドウィッチらしき軽食を軽いと思えない程度に買い込み、事前に王都の外に打ち込んでおいた『楔』に転移。待ち合わせたウルル達と合流という流れだ。
「何かピクニックみたいだな」
「そうね、はい」
「ありがとうございます、キリカさん」
キリカからサンドウィッチを受け取ったシオンが、もっしゃもっしゃと食べ始める。躊躇いがなくて実にいい。
なお、ウルルの飯は昨日森で狩ってきたシカである。町で肉を買うと余計な出費になるし、新鮮な方がいいだろうと思ってのことだ。サンドウィッチは何か食えないものが入ってたら困るし。
そういうわけで、食いながら情報交換である。
まずシオン、王都の周りの散策状況から。昨日と今日で王都の周囲北を、半径二キロ程度に渡って回ってもらった結果だ。
「ええっと、街道は北に一本、西に二本、東に一本です。農園と牧場がいくつかあって、特に目立つものはないです。あ、あと西に森があります」
「馬車はよく通るか?」
「はい、結構見ました。王都から出ていくのと入るのと同じくらいです」
まあ、至って普通な報告だな。意外性は求めていないから、これでいい。
シオンは俺と常時『思念話』で連絡できるから、これまでも報告は受けていた。大きな違いはない。
「俺も上から見下ろしてはみたけど、やっぱ建物が多くてよくわからなかった。地図見ながら通りを確認するくらいだったな」
「目立つ建物は大聖堂と王城くらいだから仕方ないんじゃない?」
「宿の位置だけわかればいいか……」
下手するとそれすらわからなくなりそうなのだ。自分のことではあるが、おのぼりさんはこれだから困る。
万一の時はキリカの方向感覚に頼るか、『転移』に頼るしかない。シオンはともかく、大の男がいい年こいて迷子なんてのは情けなさ過ぎて首を吊りたくなるからごめん被りたいところである。
「じゃあ、キリカは何か、変な話は聞いたか?」
ここで、キリカだけはちょっと違う情報収集をしてもらっていた。
地理的なものではなく、噂とか儲け話とか、そういう類いの情報だ。ある意味最も重要で、俺やシオンではちょっと探すのに難儀する話である。
元盗賊のキリカはこういう話に耳聡いので、優先してやってもらおうと思っていた。無論、アロイスの時みたいに面倒事に巻き込まれない程度にである。
その成果はあった……のだろうか?
キリカはやや勿体ぶって、また少し躊躇い気味に、口を開いた。
「面白い……というか、きな臭い話なら聞いたわ。最近あちこちで噂になってるらしくて、儲け話になるかどうかはわからないけど」
「何だよ、それ」
「貴族が絡んでいるのよ。それも、公爵」
公爵。公爵というと、爵位の一番上のアレか?
貴族であって貴族でない、というか王族の血を引く、アレか?
キリカに聞いてみると、「それで概ね間違いない」と言われた。要するに、この国の超お偉いさんである。
そんな公爵に何の話が……
「元は別の土地で屋敷を構えている貴族だったらしいんだけど、ひと月ほど前にこっちの別荘に移って来たらしいのよ」
「そりゃまたなんで?」
「王に直訴することがあったの」
「穏やかじゃないな」
てっきり旅行か何かだと思った。平和ボケだな、俺も。
「それがどうにもこの国の大多数の貴族が望まないような訴えだったらしくて、国王含めて貴族議会が一時喧々囂々の状態になって」
「うん」
「それで誰かさんが痺れを切らしたのか、十日ほど前、とうとう事件が起きた」
「……何となく想像がつくけど」
「多分合ってるわよ。その公爵が死んだの」
なるほど、きな臭い。
ここまで聞くと、ただ「死んだ」っていう風には受け取れない。そもそも貴族が死ぬっていう状況が普通ではない。事前の状況と照らし合わせて「何かあったのでは」と勘繰ってしまうのが普通である。
が、そこに首を突っ込むのは藪蛇なので言わないでおこう。ひとまずここは、キリカの話を促しておく。
「……それで、それがどう儲け話に繋がるんだ?」
「それなんだけどね」
顎に手を当て、眉根を顰めて、そんな真面目な表情が無駄になるようにウルルに寄りかかりながら、キリカは言った。
「どうもそのゴタゴタに紛れて、死んだ公爵と一緒にこっち来てた一人娘が逃げ出したらしいのよ。別荘から。その子に裏ギルドを通して、非公式ながら懸賞金がかけられてるって噂があってね」
「……賞金首、ってことか」
「ええ」
想像以上に生臭く、どろどろした話に、思わず目元を押さえてしまった。