八十五話 王都
王都アイゼルライン。人口六万を誇るエーレンブラント、ひいては大陸諸国でも有数の大都市である。
その起源は王国の創始、さらにはそれ以前の旧時代の帝国まで遡ると言われ、各所には古い伝説や由緒正しい建造物がいくつも存在する。
またそのような古都としての特徴だけではなく、王国の中心地という立地もあり、人や商品、情報の往来も多い。あらゆる地域への中継点でもあるのだ。
と、まあそのような前情報はさておき。
キリカは、王都も大して他の町と変わらないと言った。人がいて、建物が建ってて、壁で囲われているどこでもある町だと。
全然違った。
まず何より一番先に目に入るのは、建物の背の高さである。ルーベン、サブリナ、アロイスはどこも同じようなものだったが、この王都ときたらそれより少なくとも五割増しといった感じだ。一階分背が高い建物などザラで、何やら尖塔のようなものまで聳えている所だってある。
さらに、建物と人口の密度が高い。
そういう通りを通っているからかもしれないが、それにしたって凄いものだ。加えて活気が段違いであり、ここに比べれば今までの町が田舎に見えるのも仕方のないことのように思える。
そもそも同じはずがなかったのだ。
人口は今までの町の十倍強はあるし、何せ王都だ。首都である。そりゃデカくないわけがない。違わないわけがない。
確かに現代日本のビル街とは比べるべくもないが、地方都市レベルの密集度と建物の背の高さくらいはあるだろう。中世に相当する世界でこれは驚くべきことであり、実際俺はおのぼりさんだった。ついでにシオンも。
「ねえ、大丈夫?」
「え、ああ、うん。ちょっと呆気に取られてた」
「セイタでもそういうことあるのね」
俺を何だと思ってるのだ、この子は。山の如く動かないような人間じゃないことは既に御承知であろうに。
「目が回りそうです、セイタさん」
「精々はぐれないようにしないとな」
「はい」
「そんな、子供じゃあるまいし……」
でもこれ絶対迷うと思う。とりあえず拠点決めたら徐々に探索範囲を広げていく感じでないと、本当に路頭に迷う。
どこ行ってもある程度すぐ地理を把握しちゃうキリカと違って、俺は割と方向音痴な方だからな。『探知』があっても迷う時は迷う。
「まあ、商会に着いたら宿でも紹介してもらうか……」
できたら風呂のある宿な、と俺が言ったらあからさまに二人が喜んだ気がした。素直で可愛いと思った。
◇
「では、こちらが報酬になります」
馬車を送り届け、商会に通された先で話をした。
相手をしたのはフリック・ハックバインという男だった。この男、レギス商会のジュストと似たような感じで、アレから飄々とした雰囲気を抜いたような感じだ。眼鏡で冷静で無表情、頭の中に計算機だけが詰まってそうな印象である。
ローランやジュストみたいにのらりくらりされるのも難しいものだが、こういう手合いだと一層話をし辛い。黙って金貨二十二枚を受け取る。
「ところで、うちのウルルを預かってくれる場所って……」
「手配しましょう。商会の厩舎にも空きくらいはあるでしょうし」
「はあ」
「あなた方の宿も、必要なら用意できますが」
トントン拍子に話が進む。いや進められる。元が横着だから別にそれに不快感を覚えるでもないので、提携してる宿を紹介してもらう。
そこそこのグレードとツインベッド、あと風呂だけは外せない要素として、一泊銀貨五枚の宿を紹介してもらった。これが半月分いっぺんに払うなら、会員割引か何かで六割引きになるので文句のありようもない。
つまり、一泊銀貨三枚。一人頭、一泊銀貨一枚の計算である。大都市で何かと物価の高いはずの王都に来て、この節約は躍進と言える。ケチ臭い割に何故か浪費の絶えない俺達にとっては革命的なことであった。
「でも、ウルルの厩舎代と合わせるとトントンよね」
キリカのぽつんと言った一言が、大体的を射ていて微妙な気分になったが。
どうにも王都の貴族様の中には、妙な愛玩動物を誇る困った方々がおられるようで、そんな人達の需要があって市街には特殊な厩舎があったりする。ウルルもそこで泊まることになるらしく、その点はサブリナの時と同じだ。
なまじそういう所がフォローされている分、金は払わなければならない。アロイスの時みたく商会本店の庭で遊ばせておくということもできないのだ。そもそもそういうスペースがこっちにはなさそうだし。
「町に入るとウルルを別行動にさせちゃうのがなぁ、気にかかる」
「なら、家でも買ってみんなで住む?」
「それもどうなんだ」
キリカの冗談は軽く流し、今のところはこのままで済ませておく。
まあ、ウルルは真面目くさった性格だけど、寝ていればそれでいいっていう大雑把な部分もあるし、割とどこにでも順応しちゃうから、あまり気にかけるほどでもないか。
何かあれば王都の近くには森もあるし、そっちに移ってもらって俺が『転移』で様子見に行くことも可能だ。というかそっちの方がいい気もするが。
まあ、その辺は追々考えるとしようか。
話は終わり、金貨と紹介状を受け取り、俺達は本店を後にした。
話に聞いた宿は、そこから五分もかからない場所にあった。サンデル・マイス本店とともに王都の北西区画にあり、この辺は雑多ながらそれなりに治安がいい、格の高い地区に当たるらしい。
では逆に治安の悪い区画もあるのかというと、ある。ローグと途中で分かれ、宿で部屋を取り、一息ついたところでキリカに教えてもらった。
ついでに、宿はアロイスの時と同じくらいのグレードだった。
◇
「くっきり分かれているわけじゃないけど、大体この辺はちょっと、っていう区域はあるわね。どこの町もそうだけど」
「大体どの辺?」
「南西の一区画が特に。というかその辺りは裏ギルドの管轄だし」
管轄も何もただ吹き溜まりになっているというだけ、というのがキリカの談だったが。しかしどこにでもあるのな、裏ギルド。
「王城が中心にあるのは当然として、一番治安がいいのは多分南東の区画かな? 聖ジェニウス大聖堂があるから」
「何だそれ」
「知らないの?」
「私も知りません」
二人して無知を晒すと、キリカは困った様子でこめかみに指を置き、俺達に問い直してくる。
「聖教会のことは知ってるわよね?」
「話くらいなら」
「ええっと……」
「あんた達……」
シオンが気まずい顔をしたので、補填しつつ話を進めた。
聖教会というのは、この世界である程度市民権を得ている宗教宗派であり、その実態と思想は大体キリスト教なんかの一神教みたいなものをイメージするとわかりやすい。
で、聖ジェニウス大聖堂というのは、その聖教会の象徴かつこの国における総本山的施設であるということらしい。
付け加えると、王都までの道中立ち寄ったサンジェニという町は、元を辿れば聖ジェニウス大聖堂と同じくジェニウスさんなる古い聖人の名前から取っているとのことだ。それはまあいいのだが。
「にしては、今までの町で聖堂なんか見なかったけど……」
「王国では廃れてたからね、聖教は」
「えっ、何それは……」
曰く、王国では長年、聖教会の腐敗と政界との癒着が問題視されてきたらしい。田舎から出てきたばかりの何も知らない修道女を手籠めにする神父だの、袖の下で貴族子弟を重要ポストに推挙する司祭だの、まあとにかく好き勝手やってたとのことだ。
さる事件をきっかけにこれにプッツンきたのが、今より一世紀前の国王。何とも剛直で糞真面目な王様だったらしく、かつ敬虔な聖教徒だったのがかえって悪かったのか、軍さえ動かして各地の腐敗した聖教徒を粛清しようと働き、一時はあわや禁教にまでなりかけたという。
これをどうにか当時の大臣、参謀、王子が押し留め、また聖教側でもまともな司教が働きかけて、事態は収束した。が、それまでに王が喧伝した聖教会の──至ってまともな──悪評は拭い難く、王国では自然と聖教会が廃れていった……と。
「聖ジェニウス大聖堂はその名残。何とか残してもらった数少ない聖堂の一つってわけ。まあ、お金かけて建てた箱物だし、壊すのも勿体ないっていうのが一番の理由だったんだろうけど」
「つっても、一応教会の機能はあるのな」
「まあね。でも数年前まではパッとしなかったらしいわ」
「数年前? 何かあったのか?」
「勇者が現われたのよ」
斜陽を迎えていたエーレンブラントの聖教会だが、キリカの言う通り数年前、勇者が現われたことでその立場が一転する。
まだ頭角を現し始めたばかりの頃に、勇者を支援し、経典の聖句や預言になぞらえて彼らを列聖したのである。
この賭けが大当たりした。勇者は神の使いとして大いに活躍し、これを前もって大々的に宣伝していた聖教会は「それ見たことか」と信者を回復した。
今や王都を中心に聖教圏はじわじわと広がりつつあり、やがてはかつての権勢を取り戻すだろうと言われている。
「まあ何十年後になるのって話だけど」
「気の長い話だな。勇者も死んでるぞ、その頃には」
「言えてる」
実際、死んでたわけだしな。俺が生き返らせたけど。
「でも、そんな場所なら一度見に行ってみたいな。観光がてら」
「見るだけならタダだしね」
何にせよ、一度王都はぐるっと回っておく必要はある。何かあった時に主な通りやランドマークだけでも把握しておいた方が安全だからだ。
まあ、「何か」って何なんだよって話だけど。
「しっかし広いんだよなあ……」
常識で考えて、人口密度が変わらなければ、町の人口が十倍なら面積も十倍になる。アロイスなんかは多分一キロ四方もなかっただろうけど、この王都は多分二キロから三キロ四方くらいはあるだろう。
さらには、相当メリハリのある町並みをしている。場所が場所なら建物も人も相当密集しているだろうし、迷うことは必至だ。地理の把握にも一苦労なのは想像に難くない。
「まあ、それは後でいいか」
言い捨てて、俺はベッドに寝転がった。久し振りに柔らかい寝床だ。この三週間ウルルを枕にはしていたが、寝床となると久し振りだった。
一度横になってしまうと、もう何をする気力も湧かない。飯すら食うのが億劫だし、当然ながら二人を食べる元気だってない。
虫のように転がるのが精一杯である。そうしているうちにそれすら疲れてきてしまって、目を瞑ってうつぶせになっていると、眠気がじわじわと身体を飲み込んでいく。やっぱり駄目だったよ。
そうして、まだ陽が沈まない頃に寝入り、王都での一日目は静かに無為に終わっていくのだった。