七十九話 オハナシ
壁側に転がっているサルベールは放っておき、交渉が始まった。
と言っても、交渉することなどほとんどない。サルベールの引き渡しに支払われる金額は決まっていたので、こちらはそれをただ受け取るだけだ。
その額、しめて金貨百枚。
毎度お馴染み特に意味のない日本円換算で、百万円相当である。
……え? 多過ぎない?
「ちょっとこれ、多くない?」
「まあ、多いと言えば多いな……」
答えてくれたのはローグだ。盗賊狩りや賞金稼ぎで口に糊してきたローグが言うには、賞金首にかかる額なんてものは高くて金貨十枚らしい。
その十倍である。
十倍……お、おう。これは、凄いな?
「あの宿でもあと三ヶ月は住めるじゃねえか……」
実際には全部俺の取り分とするわけにはいかないので、それほどでもないが、しかし多額なのは確かである。
これだけの額が、あの部屋の隅のデブにかけられていたっていうのか。
「サルベール殿が持ち逃げした金はそれ以上にありましてね。全部回収するとなればこれで済んで助かっているというのが本音です」
サルベールは様々な手段で持ち逃げした金を分散し、国を出る直前でまた手元に集める気だった。少なくとも、レギス商会はそうアタリをつけた。
そこで、サルベール自身を確保する必要があった。こいつを捕らえて、金の流れを把握して、それから回収しなければいけなかった。
ジュストはそう言った。なるほどね。サルベールが金貨百枚で安いわけだ。
まあ、こちらとしては別に安くない額だ。不満はない。ちょっと金貨入りの袋を持つ手が震えているくらいだし。
「それじゃ、ま、後はそちらさんのお好きなように……」
「ああ、そうそう」
さっさと切り上げようとした俺の背にかかる、ジュストの爽やかボイス。思わず肩を震わせてしまった。
我ながら爽やかボイスに何をビビッてるんだという気分だが、しかし、何を言いだされるかわかってしまっているものだから、やはり心臓に悪い。
「少々、聞きたいことがあるのですが」
「な、何でしょうか」
「さっきの、サルベール殿の言いかけたことですが」
「はは、何のことやら」
「いえですから、あなたがルーベンシュナウの支店を……」
「あーあー! 聞こえない! 聞こえなーいー!」
誤魔化そうとしてみたが、駄目でした。というか誤魔化しになっていない。
ジュストの取り巻き二人が、いつの間にやら俺達の退路を断っていた。これはもう、駄目みたいですね。
カズールが渋い顔をし、ローグは目を細めている。数だけ見れば三対三だ。
強硬手段に出るとなれば、まあ、どうにかはなるだろう。この二人もジュストも腕っ節という点では大したことはなさそうだし、のして逃げるのは難しいことではない。
が、そうやって騒ぎを大きくしても何だ。そんなことしたらもっと面倒なことになる気がする。ていうか、十中八九そうなる。
口封じっていうのも、気まずいし後ろめたい。先手必勝とは言うが、俺は専守防衛の日本で生まれ育ったわけだから。
「むぅ……」
よく対応を考えてみよう。ジュストは「聞きたい」と言った。ひとまずは話をする余裕はあるということか。まあ、取り巻き二人もかかってくるというよりはただ立って通せんぼしているだけだし。
喧嘩にならないっていうなら、乗ってやってもいいか……
「……改めてお聞きしてもよろしいでしょうか?」
俺の態度から次の対応を読み取ったか、ジュストが問う。俺は剣に手をかけそうになっているローグを留めて、ジュストに頷いた。
そうして、ジュストが笑いながら俺に改めて問うのだった。
「では今一度お聞きします。あなたが、ルーベンシュナウの支店をやったのは、本当にあなたですか?」
◇
質問というよりは、確認だったのだろう。
ジュストは、もうほぼ俺がルーベン支店を潰したという確信を持っているようだった。そういう感じがしたので、正直に答えることにした。
こいつには多分、嘘が効かないと思ったからだ。
「いえね、実はかの支店が潰れた後に、元従業員を事情聴取のために回収したのですよ。そこで、支店を襲ったのは黒髪の凄腕魔導師っていう話を聞きまして。サルベール殿と並行してそちらも探していたんです」
ジュストは何が楽しいのか、声を弾ませてぺらぺら喋る。よく回る舌だ。商人ってのはみんなこうなのか。
ともあれ、なるほど、俺も指名手配されていたようだ。そうかそうか。
うん。マズいなこれは。
「黒髪の方っていうのは意外とこの辺りにいないのでしてね。先程あなたを見た時に『もしや』と思ったわけですよ。そこで、サルベール殿のアレじゃないですか。これはもう、確実だなと」
「へー……それで、俺をとっ捕まえると?」
やっぱ、正直者が馬鹿を見るのかもな。でももう過ぎたことだし。
一応、両手をいつでも魔法が撃てるように準備する。構えこそしていないが、それで雰囲気が変わるのはわかるだろう。少なくともローグは気付いたし、ジュストの取り巻きも片足を半歩後ろにやっていた。
そこで、ジュストが片手を上げて取り巻きを止める。
「さすがに、勝てない相手に喧嘩を売るほど馬鹿ではありませんよ」
まるで表情を変えず、敵意を微塵も見せず、本気でそう言ってのけた。
だが、それをそのまま信じられるか。
「随分大人しいんだな。俺はあんたらの敵だろ」
「敵といえば敵でしょうね。しかし敵わないのだから仕方がない」
「わからねえだろ」
「わかりますよ、それくらい。でないとこんな商売やっていられません」
ジュストがおどけたように肩を竦める。その様子につい力が抜けてしまう。
俺がわずかに気を緩めたのを見てから、ジュストは続けた。
「確かに、あなたにはルーベン支店を潰されてしまいましたがね。正直それは、大したことではないんです」
「何?」
「あそこは、元々サルベール殿が無茶をして大した利益を上げられていなかった支店なんです。収入に対して、従業員と用心棒が多過ぎてね」
そうだっただろうか。確かに、あの時は十人単位で相手をしたような記憶もあるが……
「要するに経営が下手だったんですよ。利益を回収しようとして、立地頼みでルウィン狩りなんて始めて、そのためにまた人を雇って……そんな悪循環で、悪評も集まっていましたし。実際あそこはもうほとんど見捨てられていましたね、はい」
「酷いもんだな」
止めを刺した俺が言うべきことでもないが、そう思った。
「そういうわけで、セイタ殿を恨もうだとか、どうこうしようとは考えておりません。そもそも敵いっこありませんし、利益の回収はサルベール殿の家財やらご家族から行えば傷も浅く済むことですし」
「おっかねえことを言うな」
「負け犬というのはそういうものです。絞られ、捨てられ、死ぬ。今回はサルベール殿の番だったということでしょう」
ハッキリ言うものだ。しかも本気なのだから、空怖ろしくもなってくる。
「これを聞いたのは、そうですね。事実を知りたかった。それに尽きます。我々がどのような相手と、どのようにして事を構える羽目になったのか。それを知ったら、後は残務処理ですね。これ以上レギス商会の傷を深めないための」
「つまり……」
「セイタ殿と和解するということです」
はっ。和解ときたか。
俺に一方的に攻撃されて、余裕なものだ。それだけレギス商会が大きくて、これくらいのことは屁でもないということだろうか。
正直何かあっても困るが、何かあると思っていたから拍子抜けだ。いや、まだ完全に気を抜くわけにはいかないが。
と、そこでサルベールが「それに」と付け加えた。
「我々も、いつまでもこのような些事に関わっているわけにもいかないのです。何があったのかを知る必要はあるし、対処しなければならないのならそうします。しかしセイタ殿はどうしようもありませんし、恒久的に我々の敵、ということでもないのでしょう?」
「……別に、あんたらが奴隷を売り買いしようが、それはこの国で認められていることだろうしな」
それに口を出せるほど俺は偉いわけではない。確かに現代日本人の目から見て、奴隷制というのは気分的にいいものではないが、その価値観を押し付けるのはこの国を、この世界を否定することだ。
郷に入っては郷に従え……が必ずしも真ではないが、喧嘩を売る相手を間違えては、それこそ俺の方が終わる。
「俺は、そこの小デブがあんまりに横暴なもんで友達が苦しんでたのを許せなかっただけだ。いくら何でも拉致は……」
「ええ。それは、こちらとしても同意見です。サルベール殿のやり方はさすがに法に触れるものですしね」
ジュストが言うには、王国にとっての奴隷とは懲罰対象として値の付く商品にまで貶められた身分の人間であり、そこに該当するのは犯罪者や借金を払えなかった債務者などであり、攫ってきた人間は含まれないという。
厳密に奴隷の出自を確かめるようなことはないから、半ば形骸化していてミナスのルウィン達のように攫われて商品とされてしまうこともあるそうだが、それでもレギス商会ではそのような商いは極力しないように努めているということだ。
「誠実な商いがモットーでここまで大きくなったものですから」
「よく言う……」
ともあれ、俺がルーベン支店で暴れた理由は納得したようだ。
納得した上で、俺がこれ以上敵意を向けることはないとも理解したようである。本当に何事もなくて逆に怖くなる。あの一連の事件を「些事」で済ませるのは、豪胆なのか見栄を張っているのか……
と、悩んだところでまたジュストが説明を付け加えた。
「我々も、これから新しい方面へ事業を伸ばさないといけませんので。過ぎたことは過ぎたこととしたいのです」
「新しい……事業?」
「ええ」
その事業というのを聞いて、俺はまた目眩がした。
こいつ、いやレギス商会は、奴隷市場を魔王領まで広げようとしていたのだ。
否、奴隷市場に魔人領を組み込もうとしているのだ。
今や討伐軍の遠征も始まり、失地回復の名の下、三大国に切り取られることが運命付けられた魔王領。
そこでは、当然のように魔人達の捕虜が大量に生まれることだろう。レギス商会は、そこに目を付けて新事業としようとしたのだ。
魔人奴隷の商品化である。物珍しさと真新しさに着眼したトンデモアイデアだ。しかし戦争で出る捕虜ないし奴隷の買い付けというのは確かに突飛でもないし、法に触れるわけでもない。高いコストをかけてルウィンを攫うようはよっぽど利益が見込めるかもしれない。
そういうわけで、俺とのゴタゴタは「些事」なのだろう。切り替えが早いというか、まあそうでなきゃ商売なんぞやってられんのかもしれんが……
「そういうわけで、ある意味こういう形でもセイタ殿と関われたのは不幸中の幸いだったのかもしれませんね」
「は?」
「いえ、いくら奴隷といえども相手は魔人、魔族ですから。管理などには腕のいい魔導師を雇う必要があるかもしれませんし」
「お、俺を雇うってのか?」
「ええ」
おい、またヘッドハンティングか。サンデル・マイスに続いて今度はレギスまで。
だが、さすがにこっちはいかがわし過ぎる。そもそも俺は奴隷制度は基本的にノーなのだ。断るのに半秒もかからない。
「そうですか。残念です」
どれだけ本気だったのかわからないが、あっさりと引くジュスト。
そして、その話の終わりが、同時にこの商談の締めになったのだった。