七十三話 またしくじった
何だ。
何だ今の『思念話』は。
途切れた。でも何かがあった。それは確かだ。そんなシオンの声だった。
何があった?
考え得る可能性は、今現在妥当なものが、一つしかない。
アナイアだ。
あの女が、シオンの所に飛んだ。そう考えるしかない。タイミングがよ過ぎる。因果関係を疑わない方がおかしい。
しかし、どうやってだ?
アナイアが『転移』を使えたというところまでは百歩譲っていいとして、シオンは『隠蔽』を使っているはずだ。位置がわからないはずだ。
アナイアはどうして飛べた……?
「クソッ!」
考えている余裕はない。今すぐ、行かなければ。
ローグを見る。怪訝な目で見られた。説明する余裕もない。
「おい、何が……」
「来てくれ!」
ローグの腕を掴む。そうしてすぐに『転移』を発動。
シオン達の場所に打った『楔』目掛けて、俺は光の中に飛び込んだ。
◇
光の中を回り、地面に落ちて転がる。
土の冷たさ。空気の冷たさ。埃と空気の焦げた臭いに満ちた監視塔のものとは明らかに違うそれらを感じつつ、顔を上げる。
夜の森の中だった。『転移』は成功だ。『楔』と寸分のズレもない。
「ぐあっ」
ローグが声を上げて転がっていた。どうにか受け身を取って膝立ちになる。
そういえば、『転移』のことは言ってなかった。使えるとも使うとも。突然のことになってしまった。上手く反応してくれたようだが。
しかし、悪いが今は気にかける余裕もない。
踵を返し、森を見回しながら声を張る。
「シオン! キリカ! どこだ、大丈夫か!!」
俺は叫ぶと同時、『探知』を放つ。意味はないかと思いつつの、気安めの『探知』だった。
が、そこで反応が一つ。いや、二つ。
ここからほど近い場所で、わずかに動くこれは……片方は、ウルルか?
無事か? だが、だったらどうして二人分しか……
考えながら、踏み出した。草を踏み倒して駆ける。
十数秒とかからず、二人の場所に辿り着いた。
地面が割れて段ができて、上手い具合に隠れそうな小さい洞ができた場所だった。三人と別れた場所である。
そこに、四人がいた。
血を流すキリカとウルル、そしてアナイアと、その手に捕らえられたシオンが。
頭に、かっと血が昇る。
「てめえこのクソアマ! シオンから離れ……」
「来るな!!」
食い気味に放たれた、アナイアの静止の声。その語調が荒かったからか、それとも声の大きさからか、反射的に俺は地面を削って止まる。
それと同時に、アナイアの腕に締められたシオンが、苦しげに呻いた。
「くそっ、てめえ……!!」
「それ以上動いたら……言う必要はないわよね?」
くっと唇の端を上げて、アナイアが言う。
その、シオンを拘束するのとは逆の自由な手に、魔力が集まっていた。
何をする気かはわからないが、何が起こるかはわかる。馬鹿でもわかる。
アナイアはそんな俺の様子に満足したように笑むと、今度はくっと唇を一文字に引き締め、俺を睨み付けてくる。
目はいまだ見えていないが、多分睨んでいる。そういう顔だった。
「よっぽどこの子が大事なのね。だから気を付けなさいって言ったのに」
「うるせえ……シオンを放せ……」
「放すわけがないでしょう。減らず口を閉じなさいな」
以前とは打って変わって辛辣で険呑な雰囲気を纏ったアナイア。ギリングを殺したことを根に持っていやがるのか。
ちらりとキリカとウルルに目を向ける。ウルルは左目と腹、キリカは左腕と足から血を流している。致命傷ではないが、かなり深そうだ。シオンには目に見えた傷はないところを見ると、二人はシオンを庇ってあの傷を受けたのか。
……ふざけやがって、俺の仲間によくも……
「それにしても、まさかこの子に飛ぶなんてね……何かの役に立つと思ったら、こんなことになるなんて」
そう言うアナイアの、シオンの首を絞める方の手が、何かを握っている。
思わず注視する。指輪でも入りそうな大きさの、木の小箱だ。開いていて、その中から透明な半球が見える。どこかで見たような……
……いや、あれは、もしかして。
俺が、カズールに売っ払った『針儀』……か?
しかも、水晶球の中心が光を放って……稼働している?
「てめえ、それは……」
「あら、あなたこの魔導具を知ってるわけ?」
アナイアが俺を、そしてシオンを見下ろして笑う。
「これが示すのが、あなたの飼っているこの子だった……ということは、あの禿頭のおじ様にこれを売ったのも、あなただったのかしら?」
やはり、そうか。
カズールに売った『針儀』。それを血相変えて買ったという女が、アナイアだった。そういうことか。カズールから聞いた話は役にこそ立たなかったが、真に迫っていたというわけだ。
だったら、何故『針儀』を手に入れたのかということだが。
アナイアの口振りからすると、『転移』に『針儀』を用いたように聞こえた。そういう使い方ができるのか? 俺の『楔』のように。
元々、シオンを指していた『針儀』。その方向に向けて『転移』を……?
しかし、『針儀』は稼働していなかったはずじゃ……
「てめえ……どうしてそれが使える? そいつは」
「動かないはず、とでも?」
先に言われて、言葉が詰まる。そんな俺を見てアナイアは満足そうに喉を鳴らし、さらにシオンを締めた。
「う、くっ……!」
「やめろ、おい!」
「あら、ごめんなさい。何も知らないあなたがおかしくて、つい」
嘯くアナイア。憎悪がどんどん膨れ上がっていくのがわかったが、何をされるかわからない以上動くわけにはいかなかった。
後ろからローグの声が聞こえてきたが、それに答えることもできない。その余裕がない。腕を伸ばし「止まれ」と指示するしか。
「どうなってんだ、おい……」
ローグも困惑している。だが、見ての通りだ。
俺は、またしくじった。
「ただの魔力切れよ。使い方を知っていれば、また動かすくらいは造作もないこと」
アナイアはそう言い、カタカタと『針儀』を揺らす。その中の光の針が、間違いなくシオンを指しているように見えた。
「ま、あなた達は知らなくてもいいことだけど。これの使い方も、本当の目的も」
「てめえ、何を知ってる?」
「別に教える義理はないわ」
言い切り、アナイアが俺に顔を向け直す。
その、フードの向こうの表情が、冷たく一変したように見えた。
「……さあ、そこをどきなさい。でないと、みんな一緒に不幸になるわよ」
「……」
「聞こえなかったのかしら、坊や? まずこの子から不幸にする?」
アナイアは言って、拘束するシオンごと強引に一歩進む。
そうしつつ、左手に魔力で纏わせた氷の刃をシオンに突き付けた。
「うぐっ……」
それを見た瞬間、血の気が引く。アナイアへの怒りまで引く気がした。
呑まれていた。シオンを人質にされたこともそうだが、アナイアの様子が、態度が、今まで相手にしてきた雑魚とは全くの別物だったからだ。
アナイアは本気で、いざという時にはこの場の者をみんな道連れにしようとしている。助かろうとは思っていない。
逃げるつもりはあっても、何が何でもではない。ヤケクソだ。しかしすこぶる冷静で、冷徹なヤケクソ。
何かことが起きれば、まずシオンが死ぬ。
それを俺が一番怖れていると知ってのこの暴挙。
全部、アナイアの手の上だった。俺はほんの少しの魔力だって動かせない。そうした瞬間、シオンの首から血が噴き出しそうで……
だから、アナイア達が目の前に来た時、俺は黙って、震えながら、一歩退くことしかできなかった。
「フフ、いい子ね」
「……」
「そうして、じっとしていなさい。そうすれば、少なくともその間だけは、あなたの大事なこの子も傷付かない」
「かっ……ぐっ……!」
締められるシオンの掠れた息声が聞こえる。アナイアの詭弁に腹が捩じ切れそうだった。
だが、血反吐と一緒に罵詈雑言を吐いたところで何も好転しない。
何もできない。俺には。何も。
シオンを助けられない。俺では、アナイアに勝てない。
俺のせいで……ここまで連れてきた、俺のせいで……
「シオン……ごめん……俺っ……」
「セ……タ、さん……」
シオンの声が聞こえる。俺を呼んでいる。
その顔を見る。俺のせいだ。恨まれていると思って怖かった。それでも見ないといけないと思った。
そこで、俺の動きが止まる。震えも止まる。
シオンが、拘束されて苦しそうにしながら、笑っていたからだ。
「な……」
アナイアからは見えない、その苦しげながらどこか強気な笑顔。
それが意味するところを知ったのは、次の瞬間だった。
「ぃぎっ!?」
突如として、アナイアが呻き、右足の側から崩れ落ちる。
その右腿に、何かが刺さっているのを見た。はっきりと見えた。
ナイフだった。シオンの懐から、流れるように引き出されたのだろうか。
そのナイフにも、見覚えがある。
あれは、もうずっと前に、盗賊から奪ってシオンに渡したものだった。
「シ……シオン!」
「げほっ、セイタ、さん……!」
「こ、のぉぉッ!!」
解けかけた拘束を振り払い、転げてくるシオン。
その後方で、フードを振り払いながら、怒りの気炎を上げるアナイア。
シオンの背後で、魔力が膨れ上がる。まだあれだけの魔力を残しているとは。だが感心している場合ではない。
何をするにしても、速い。体勢が崩れているにも関わらず、構わず俺とシオンに魔力を向けてくる。魔法を組んでくる。
ここにきて本気か。慌ててシオンに手を伸ばす。
だが、間に合わない。『超化』してもなお、意識だけしか間に合わない。魔法も身体も追い付かない。疲れか。こんな時に。
「くそぉぉっ!!」
「死になさ……がっ!?」
その時、またアナイアの身体がぐらりと揺らいだ。直後、放たれた極大の『火炎』が俺達を掠めて森を焼いていく。
間一髪だ。というか腕が少し焼けた。アナイアが体勢を崩してなかったら直撃だった。
どうして崩したのかと、焼かれて霞む目で確かめる。
と、アナイアの肩にナイフが刺さっていた。あれか。あれのお陰で……
「大丈夫か!?」
ローグの声が聞こえる。シオンを抱き留めながら振り返る。それで悟る。
今のは、ローグが投げてくれたのか。なんてタイミングだ。ここまで頼りになるとは。万の言葉でも感謝し切れない。
しかし、今は礼を言っている時間すら惜しかった。
シオンを後ろに退け、ローグに任せつつ、走る。
始末をつけるために、アナイア目掛けて走る。
「このおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
想像通りの美貌を歪ませ、キレた目を赤くギラつかせながら、吼えるアナイアが俺目掛けて『火炎』と『氷槍』を放ってくる。
構わない。『障壁』で弾く。弾き切れず多少は傷付くが、問題ない。
死なないなら安いものだ。
勝てるなら安いものだ。
「おあぁぁぁらああぁぁぁぁぁぁ!!」
アナイアの魔法を突っ切り、放った俺の拳が、アナイアの腹に突き刺さった。