六十六話 獣並
「つまり、ギリングは一人じゃないと」
「というか、俺が追っかけてる奴にギリングがくっついてたって感じかな」
「女の魔導師か。俺は知らんな……」
今、俺達は部屋にローグを招き入れ、向かい合って話している。
俺の提案はどうあれ、情報交換は有益だということになったのだ。
俺もギリングのこと、特に戦法について知りたかったから、否はない。そもそも俺が言い出したことなのだが。
「整理すると、何だ。お前が追っている男の護衛がそのアナイアとかいう女で、そいつを護衛しているのがギリングだったと」
「そう」
「それで、二人とも気配を感じなかったと」
「うん」
「魔法か……」
ローグは魔法については特に明るくはないようだった。ただそれでも、商売柄か『隠蔽』だのといった戦闘に関係する魔法の知識はあるらしい。
「そういう噂は聞いていた。まるで影みたいだと」
ギリングのことだろう。どうにもそういう性質、というか『隠蔽』を使って暗殺だのをやらかしていたらしい。全て伝聞の憶測だが。
「俺も、それで一度見失った」
「え? 会ったことがあるの?」
「ああ。だから追っているんだ」
そういえば、恨みがあると言っていたな。
しかし、あいつと顔を合わせて平然としているということは……ローグはやっぱり相当荒っぽいことに慣れているのか?
ローグもギリングも、実力のほどがはっきりとわからない。かなりできるとは思っているが、精確にどのくらいというのは、まだ何とも……
「だが、近くにいればわかる」
「ギリングが?」
「そうだ」
それはどうして、と尋ねると、ローグは少し迷ったような素振りを見せてから、「におい」と答えた。
におい? ウルルじゃあるまいし、そういうのがわかるものなのか?
それじゃまるで獣並か、それ以上じゃないか。
「奴は……完全に消えてなくなれるわけじゃない。恐らくな。時々『隠蔽』の効果が切れることがあるのだろう。その気配と、魔力の残滓を追って……俺はここまで追って来た」
なるほど。それを「におい」と表現したわけか。
だが、まだ解せないことがある。
「魔導師でもないのに、魔力を追うなんてことできるのか?」
ローグはまた黙りつつ、ゆっくりと仕方なさげに首を振った。
言いたくないことらしい。ならば聞かないが。
そういうことができる人間は、まあいないわけでもない。魔力が見えるとか、嗅ぎ取れるとか、そういう感覚が強いのだ。
大抵は魔導師が訓練を積んで、後天的に手に入れる、というよりは身に付いている感覚である。それが、魔法の心得がなさそうなローグにあるのはちょっと不思議だと思っただけだ。
それだけだ。他意はない。そういうこともあるのだろう。
もしかして、ローグが魔導師である可能性もなくはないが。
「まあ、とにかく合ってたってことだろ。この町に奴はいる」
俺が言うと、ローグは頷き、話を切り替えた。
「奴が使うのは長剣一本。少なくとも俺が見た限りではな。魔法を使ったって話も聞くが……どこまで信用できるか」
「奴とは、どれくらいやり合った?」
「剣を数度打ち合わせただけだ。隙を突いて襲ったが、すぐに逃げられた」
「へえ」
それじゃあ、わかるもんもわからねえわ。ギリングも、ローグの実力もな。
嘘を言っている様子はなかった。しかしあまり参考になるとも言い難い。
「お前の話では、剣に毒が塗ってあるらしいが」
「うん、まあ。俺の場合は刺された所が悪かったからかもしれないけど、まともに動けなくなるくらいに痺れた」
「動いてたじゃない……」
横から、シオンと並んで椅子に座ってたキリカが口を挟んできた。
あれは、火事場の馬鹿力みたいなもんだ。あれのせいでその後若干悪化したくらいで、動けたうちには入らない。
話を戻す。というか総括だ。
ギリングは剣を使う。腕は恐らく並ではない。そして気配も消す。だが完全ではない。大体そんなところか。
まとめてみると、何とかなりそうな気がしてくる。ただ不確定要素が多過ぎてあまりアテにはならない。
対策を考える必要がある。主に毒剣について。
それ以前に、見付ける方法だな。ローグがいれば何とかなるのか?
まあ、一度置いておこう。次はアナイアだ。
「かなりできる魔導師だった。俺の攻撃より常に一瞬速い」
試しとばかりに『氷槍』を作りながら、ローグに説明した。それを見てようやく、ローグは俺が魔導師であるということを納得したみたいだった。
「土魔法が得意そうだったけど、他にも何か隠してるかもしれない。とにかく勘がいい。それにギリングを待って俺をやらせようとしたくらいだから、かなり強かだ」
「そいつも面倒そうだな。常に一緒にいるのか?」
「護衛って言ってたから、多分」
つまるところ、アナイアを襲えばギリングもオマケで付いてくる。一粒で二度損だ。やってられない。
ただ、その逆は違うかもしれない。希望的観測だが。
「後ろを取られて毒を盛られて、何とか逃げた、と……運がいいのか、お前がやるのか、どちらなのか」
「運だな」
今回ばかりは言い訳が利かない。完全敗北だった。
なので十倍返しにしてやる。今度は油断しない。
大体、互いに話せることは全部話した。俺はアナイアのこと、ローグはギリングのことをだ。
そこでローグは一度話を切り、俺を見て、言った。
「……やっぱり、お前はこれ以上連中に関わるべきじゃない」
「な、なんで」
「危険だからだ」
わかっている。危険なのは承知だ。
そう言おうとして、ローグに押し留められる。
「その娘達のことを考えろ。またお前が同じような目に遭ったら、そいつらはどうする?」
「う……」
ローグは、俺が下手こいてシオン達に助けられたことを知っている。
だから、それを言われるとぐうの音も出ない。
またシオン達を危険に晒すのかと。今度は互いに助けられないかもしれないと。そう言っているのだ。ローグは。
だがしかし。ここで全部ローグに任せるというのもどうだ。
ローグはギリングを追っている。この町まで来たのだ。いずれ辿り着く。
その時、ローグが相手をするのがギリングだけという保証はない。アナイアという仲間がいることはわかっているのだ。
二対一。そんなの、いくらローグが強いという楽観的な予測に基づいても、無理がある。無茶が過ぎる。
だが──
「無理でも、ギリングは始末しなければならん」
ローグはそう言った。決意は固かった。
何の理由でローグがギリングを追っているのか、俺にはわからない。聞くべきではないのかもしれない。怖いので聞かない。
だが、ここまで意固地だと俺が入り込む余地がない。
何せ言ってることは正論なのだ。対する俺は、自分の意志を通したい、というか憂さを晴らしたいだけの我儘……
だが、ここで退くわけにはいかない。逃げるわけにはいかないのだ。
最終手段だ。譲歩とばかりに、俺は言った。
「……俺は、奴らに目を付けられてる」
「そうだ。だから、早く町を……」
「待った。逆に考えたらどうだ? 奴らは俺を狙ってる、かもしれない。俺を襲う、かもしれない」
「だから、何だ?」
「奴らから来るなら、あんたが探す手間が省けるんじゃないのか?」
言うと、ローグが黙り、「何言ってんだこいつ」という顔で俺を見てくる。
だが、言っていることは正しい。そのはずだ。
なので、自信を持って言う。
「あんたを俺達の護衛として雇いたい。それなら、お互いのためになるんじゃないか?」
◇
俺の選択は間違っていなかったはずだ。多分。
だが、キリカは少々不安を覚えているようだった。ローグには俺達の宿にほど近い場所に部屋を取ってもらい、行ってもらった後、誰が聞くでもないのに声を抑えて聞いてきた。
「あの人、信用できるの?」
元々、キリカの警戒心は強い方である。この反応は想定外ではない。
別に悪いことじゃない。俺とシオンは割と気を張れないタイプであるからして、その穴を埋めてくれているのだ。
説明責任は俺にある。どう説明していいのかわからんが。
「信用できる、というか怪しむ必要はないと思う」
「会ったばかりの人よ? 大丈夫なの? そんなの……」
「でも、助けてくれたろ」
他意があってそうした、という可能性もなくはない。だがローグはそういう人間には見えなかった。
そもそも最初は俺の誘いに断ろうとしていたのだ。仮にアナイア達の回し者なんかだったとしたら、やることが回りくど過ぎる。
「それに、敵の敵は味方って言うだろ」
「そうとは限らないと思うけど……」
まあ、それも正しい。
だが、敵ではない。それも正しい。
「俺が駄目になっちまってる今、味方が一人でも多いのはありがたい。死角が少なくなるし、アナイア達も及び腰になるかも」
「うーん……」
この点では、キリカも否はないと思う。
一方で、シオンは俺と同じく、特に何も不安はなさそうだった。
「私は、ローグさんは悪い人じゃないと思います」
語調の弱さとは裏腹に、シオンは確信を持って言っているようだった。
どうも俺と繋がっているせいか、シオンにも魔力を通して他人の心を察する能力が身に付きつつあるらしい。まあ、そうでなくても、ローグは割と態度に心中が出るタイプの人間っぽかったし。
「シオンもこう言ってることだし。何かあったら俺がどうにかするから」
「まあ……どうせ決定権はセイタにあるんだけど」
納得したようなしてないような、曖昧な返事。どうにもならんか、こればかりは。
まあ、頼んじまったものは仕方がない。宿代くらいしか出してないが、ローグとはよろしくやってくことにしよう。
問題はない。悪い人間ではないだろうし。アナイア達の件が片付くまでだ。
これは取り引きだ。ローグはギリングを追うために、俺達は保身のために。悪い話ではない。そのはずだ。多分。
とまあ、そんなことを思っていた矢先のことだった。
事態は、意外と早く動き出した。
◇
「倒壊事件、ね……」
翌日朝。ローグと合流しこれからのことを打ち合わせようと入った飯屋で、俺は頭を抱える。
「そんな騒ぎがあったなんて……」
「知らなかったのか?」
数日前。貧民街で突如謎の爆発が起きて、古い建物が一戸倒壊。周囲にも小さくない被害が広がり、周辺住民は混乱の坩堝に叩き込まれた。
そんな中、怪しげなローブを着た数人組が目撃される。当局はこれを事態の犯人と目星を付け、現在捜索中である。
……ってなことが、ここ数日のアロイスのホットなニュースだったらしい。
引き篭もってたのでわからなかった。まさにその事件の主犯であるのに。我ながらふてぶてしいと思う。
ローグには……言わないでおこうか、うん、今は、ひとまず。
……そういやあそこ、ボロい建物ばっかだったよな……うっかり一帯が吹っ飛んでなきゃいいけど……
最後に使った『榴弾』の指向性は内側、アナイア達に向くように設定しておいた。だから大丈夫……だとは思うが、何分結果をこの目で見てないので、何とも言えない。祈るしかない。
しかし、それでも仕損じたらしいというのが現実だ。認めねばならない。連中のしぶとさは俺の想像以上、いや、予想通りだった。
「まあ、今はそれは置いといて」
と、その話を仕入れてきて議題に挙げたキリカが、テーブルを指で叩く。
「つい昨日の夜、町の南門に襲撃があったらしいの。怪しげな三人組よ。どこかで馬車を奪って衛兵を叩きのめして、そのまま町を出たって」
「何か、臭いな」
「ええ。みんな、倒壊の一件と関わりがあると思ってるわ」
要するに、こういう流れだ。
数日前、貧民街で爆発事件を起こした連中がいた。町の衛兵達、自警団はその犯人を探して、普段は行かないような貧民街にも赴き事情を聴取した。そこの住人達も被害に遭ったために協力的だったという。
そうして、怪しげな三人組が捜査線に上がった。その足跡を辿って、ようやく追い付いたと見えるのが、昨晩のこと。
だが、その連中は追手を振り切り、馬車を奪って逃走。このことに一層警戒を覚え、主犯であるとの確信を強めたアロイスは、ギルドに協力を要請。ギルドは犯罪者の捕縛ないし討伐に乗り出して、今現在人を集めている最中……らしい。
……何と言おうか、俺のせいでとんでもないことになってしまった。
今さら何か言えるような状況ではない。言ってはならない……
「つまり……もう、大丈夫ってことですか……?」
そう言ったのはシオンに俺達の目が向くと、突然のことにシオンはあわわあわわと困惑し出す。
が、言っていることは正しい。その連中がアナイア達だというのなら──まあ十中八九間違いないが──俺達に危険が及ぶことはもうないはずだ。何せ町を出ていってしまったのだから。
これで一安心。落ち付ける。めでたしめでたしだ。
……が。
「……でも、これは逆にチャンスだよな?」
俺が言うと、今度は三人の視線が俺に集まった。
シオンが味わった気まずさを覚えつつ、俺は、これからのことを考え始めた。