五十九話 訓練
手の平の上で、氷が音を立ててその大きさを増す。
やがて一掴み以上になった氷が、今度は徐々に細まっていく。
そしてその先端も次第に鋭く尖っていき、最終的に、腕ほどの長さにもなろうかという矢の形へと変わった。
その成果を眺めて、シオンが、俺を振り返った。
「で、できました!」
「よし」
俺は頷き、シオンが作った『氷矢』を観察する。大きさ、鋭さ、強度、どれも問題はなさそうだった。
ただ一つ、展開に時間がかかるというのが難点だ。しかし、教えたばかりにしては及第点と言っていいできであることも確かだった。
「よし、じゃあそれを……」
と、俺は『土整』を使い、二十メートルほど離れた位置に人型の的を作る。不格好なのは愛嬌ということにしておこう。
それを指差し、シオンに言った。
「あれに当てるんだ。とりあえず十発、落ち着いて狙うんだぞ」
「はい……!」
深呼吸して、シオンは展開した『氷矢』に意識を集中させる。
それが手元から離れ、高速で的へと向かい──外れるのを見ながら、俺はキリカの方へと歩み寄った。
「ほんと、何でもすぐに覚えるのね……」
「ああ。あんまり教えでがない」
「あの子、何なの? 本当に天才?」
「かもしれない。才能というよりは体質かもしれないけど」
シオンのあの魔法の資質は、多分俺のせいだ。俺の魂の片割れと一緒に、魔力やら何やらが一緒に移ってしまったから……と思ってる。
ただ、それが問題かと言えばそうでもない。魔法の習得が早ければ自衛手段の確立にもなる。ここは運がいいと思って、利用させてもらおう。
「じゃあ、今度はあたしの番?」
「そうだな。準備運動は?」
「済んだ。いつでもいいけど」
「よし、来い」
俺が言うと、キリカが腰から抜いたナイフを逆手に構え、身を低くする。俺もまた刃渡りを短く抑えた『氷刀』を作り、キリカに向き合う。
そうして、シオンが的に『氷矢』を当てたのを横目に見ながら、俺達は刃をかち合わせた。
◇
あれから三日が経った。
一向に、相手──奴隷商の出方も行方もわからない。そんな状況の中、ただカズールからの情報を待つだけというのは非情に気の滅入ることだ。
なので、俺達三人は、昼は町の外の平原に出て自衛のための訓練を始めることにした。
シオンは魔法。キリカはナイフに体術に、とにかく何でもだ。
「ほらっ!」
「おっ。いいぞ、今のは見えなかった」
「ふふん。じゃあ、これはっ!?」
シオンはともかく、キリカは元々はしっこい奴だったらしい。
身体が利くし、目もいい。ナイフの扱いにも慣れたもので、『超化』しないと普通に攻め込まれたまま、俺は手も足も出ずに負けるだろう。
視界の外から振るわれる一撃、身体に隠すようにして放たれる突き、上に目を向けさせての月面蹴り、手刀、肘打ち。
それを一発一発受け止めながら、俺も隙を見ては反撃してみるのだが、これも中々入らない。手加減しているとはいえ、キリカの身体能力が高いのは確かだろう。
この三日、身体を動かすようになってから、キリカはこれまで錆び付いていた身のこなしを存分に振るうようになっていた。
普段だらけている様子とは打って変わって、やる気を出した猫科動物のような俊敏な動きだ。キリカもそれが気持ちいいのか、溌剌とした笑みを見せるようになっていた。
「ふっ!」
「ぬっ」
キリカが、腰に隠したもう一本のナイフを投擲してくる。
俺はそれを『氷刀』で弾くが、その隙にキリカが接敵。逆手に握ったナイフを突き出してくる。
それが当たる──寸前で、俺の左手が、キリカのナイフを持つ右手首を押さえていた。
「ああ、惜しいっ」
「いや、入ったよ」
手を放し、二人で構えを解きながら、俺は言った。
今のは、多分普通なら反応できない。俺は『超化』で無理矢理反応策度を速めているから対応できただけで、普通だったらそのまま胸にズブリだ。
そういう危険が伴うので、俺は常に感覚の強化をマックスに振った『超化』で対応していた。
だったら木剣でも使えという話だが、それでは緊張感が足らない。
なお、俺の『氷刀』は刃を潰してある。
「それだけ動ければ、並の奴ならどうにもならないな。戦えるってのは嘘じゃなかったわけか」
「それ、褒めてるの?」
「ああ」
俺が頷くと、キリカは得意気に「ふふん」と鼻を鳴らしてナイフを弄び始めた。
「これも父さんが教えてくれたの。盗みが上手くても身を守れなければ何にもならないって」
「正論だな。お前にはそっちの才能もあるみたいだし」
「ふふ。父さんもそうやって褒めてくれた」
キリカは多芸だった。およそ何でも一人でやらなきゃ生きていけないような世界で生きてきたから、何でもできるようになったのだろう。話を聞く分には、家事も一通りできるみたいだし。
逞しいことだ。少し、劣等感を覚えるくらいに。
「ま、キリカはちょくちょく身体を動かして、勘を鈍らせなければ充分か。俺よりよっぽど勘もいいしな」
「魔導師のくせに剣士みたいに戦う奴が言うこと?」
「戦う以外が駄目駄目なんだよ」
そこだけが俺の領分だ。生活力は元々ないからな。
だから、いざという時は盾になるだけだ。
キリカは戦えるが、前に出して戦わせるわけじゃない。
あくまで万一の時のためだ。自分の身を、それとできたらシオンも守ってもらいたいということで、訓練している。この分なら問題はなさそうだが。
「休憩してからもう一本やろう」
俺が言うと、キリカは頷いた。二人で平原に寝転がっているウルルを見てから、シオンの方に目をやる。
俺が立てた土の的が三つ、シオンの『氷矢』で剣山のようになっているところだった。
◇
シオンとキリカが交互に休憩を取り、俺はそれを交互に見る。
魔法と剣、あるいは体術。俺は教師としては駄目だが、二人は元がいいので、それぞれができることをこの数日で確実に伸ばし、あるいは再確認していった。
戦わせるためではない。
何度でも言うが、万一の時に身を守れるようにするためだ。
そして、それ以前に心構えを付けるためと言ってもいい。
女の子にこういうことを仕込むのはどうかと思うが、ここはこういう世界で、こういう時代だ。
何かあった時に、一秒でも耐えるようにならなければ。
一秒耐えれば、俺が間に合うこともあるのだ。
二人を傷付けたくない。そのために、二人には強くなってもらわないといけない。
そして、俺もだ。
二人の指導の片手間に、魔力の制御の訓練を始めた。ここ最近、怠けていた修行の再開だ。
それと同時に、咄嗟に使える魔法のレパートリーを増やすことにした。
元々俺の使う魔法は氷系統に偏っていたが、今後のことを考えると色々な魔法が使えた方がいいだろうと思った。至極当然な結論だ。
しかし、それでもやはり慣れ親しんだためか、どうしても事ある毎に氷の魔法が脳裏をちらつく。
事実、熱魔法と氷魔法を組み合わせて水蒸気の霧を作る『白霧』とか、袖に隠せるほどに小型化した『氷刀』のバリエントだとか、『障撃』を添加した氷で全身を纏う『氷鎧』だとか、そんなのばっかが思い付くのだ。最早趣味の領域になっている。なお、最後の奴は普通に冷たいので完全に趣味だ。
ただそれだけでなく、他の魔法も色々考案した。『練成』で作って硬度を上げた土の塊を内部から爆破し、その破片で攻撃する『榴弾』とかがそれだ。
こいつは、威力が高過ぎて俺が使うのに難儀する『爆轟』の威力を、対人用に調整するために作ったものだ。
要するに手榴弾なわけだが、これは屋内の人間を殺傷するために適した武器であると同時に、俺がイメージしやすいからと採用したものだ。今後、役に立つ場面があるかもしれない。多分。食らった人間は悲惨だが。
後は、まあ、何と言うか……あまり実用に耐える魔法はできなかった。
そもそも、これまで使ってきた魔法で大体何とかなると再確認したのだ。
遠距離攻撃の基本である『氷矢』。
それをショットガンのように改変した『雹撃』。
撹乱と範囲攻撃に『吹雪』。
近距離の備えに『氷刀』。
防御の要である『障壁』。
カウンターに使える『障撃』。
索敵の要である『探知』。
緊急退避に『転移』。
そして、それらを根本的に支えるための『超化』。
あまり選択肢が増え過ぎても、使えなくては意味がない。そもそも、使い切らねばならない理由もない。
無駄は省くべきだ。単純が最も強い。要は使い方である。
確かに魔王のくれた力は強大だ。しかし、それの使い方を間違えては意味がない。
同盟軍を相手にするわけではない。これからの戦い方に、どう力を落とし込んでいくか。それが肝要だ。
まあ、一番重要なのはやっぱり魔力の制御だろうけどな。
そんなわけで、今日も今日とて糸を編むように訓練、訓練、訓練だ。
そうして三人で訓練、あと一人は日向ぼっこを終えて、夕陽を眺めながら飯食って帰った。
いい加減、食費の歳出くらいは抑えなければと思ったのだ。まあ、腹空かせて量食うからあまり変わらない気がしたが。
◇
ウルルを商会に預けて、宿に帰って、風呂入って、二人を抱いて泥のように眠った。
いや、語弊があるな。三人であれやそれはしていない。あの日からしていない。疲れてそういうことをする体力が残っていないのだ。
性欲は運動で発散しろと言うが、まあ、そんな感じだ。
繰り返すが、本当にしていない。していないからな。
ただ、二人を抱えて寝るのは暖かいし柔らかいし、気持ちがいいからそれはそれでよかった。幸せな気持ちになった。
そんな、幸せな気分に浸っている丑三つ時だった。
部屋に張った『探知』と『結界』に、妙な気配が触れたのは。
がばっ、と身体を起こし、魔力を頭に巡らし意識を無理矢理覚醒させる。
俺の腕を抱いていた二人が身じろぎする。が、それだけで起きはしない。起こす気もないので、ゆっくりと腕を抜く。
反応の位置を探る。部屋のすぐ外、扉の前だ。そこに三人ほど固まっている。動かずにいるから、「妙」と判断したのだ。
もう一つ、全身を覆う遮音性の『結界』を張って扉の前に近付き、壁の向こうの気配を探る。何が起きているのか。起きようとしているのか。
動きがあった。一人が扉から一歩引き、勢いよく踏み込もうとしていた。
当たりだ。
そう思った瞬間、俺は扉に魔力を流していた。