五十五話 始末
「待て、俺は何も……あぎっ!?」
抗弁しようとした男の横面を殴りつけ、地面に転がったところを襟を掴んで無理矢理引き上げる。
そのまま、力任せに壁へと放り投げた。
「あがっ……ぎゃあぁあっ!?」
次いで、投げ出された足の膝を間髪入れず踏み砕いた。
よくわからないが、皿が割れただろうか。血が滲んでいるのは、皮膚が破けただけなのか、骨も突き出ているか。
ついでのついでで、もう一本の足も踏み折った。
「うああぁぁあああぁっ!? あがあぁあぁぁあっ!!」
男が叫んだ。叫ぶなと言っても叫ぶので、止めても意味がない。遮音性の『結界』を張ることで手を打つことにした。
だが、これはこれでいい気分だ。
キリカに手を出してくれた礼を、悲鳴でたっぷり返してもらっている。それで、俺の中の暴力性も腹が満たされていく感じだった。
──しかし、足らないな。
俺は『氷刀』を両手に作ると、それらをそのまま男の両腿に突き刺した。
「な、あがああぁぁあっ!?」
「痛いだろう?」
叫ぶ男に構わず、『氷刀』でぐりぐりと傷を抉る。その度、絶叫とともに血が噴き出した。『凍結』は使っていない。今は使わない。
「叫ぶのもいいけど、飽きたら俺の連れに何をしたか話してくれよ? でないと、血を止めてあげられないからさ」
俺がそう言うと、男は無精髭を鼻水と涎と涙で汚しながら、泣きじゃくり震える声で語り出した。
◇
仕事だ──男はまずそう言った。
俺が今しがた胸を打った男に頼まれたのだ。数時間前のことだったという。
この辺では一般的な、今日食うにも難儀する類いの人間だったこの男は、前金を受け取って是非もなく引き受けたという。俺が頭を潰した男も同様らしい。
内容は、この場所に監禁した女を──キリカを尋問しろというもの。
何を尋問するのかというと、全部だ。
俺の予想通り、キリカは探りを入れていた相手に逆に存在を悟られていた。礼のトンズラこいた奴隷商だ。
野郎には、一人護衛の魔導師がいたらしい。大枚はたいて雇ったそいつが、今の奴隷商の行動指針を決めている頭脳だという。
つまり、そいつだ。
そいつが、キリカをこんな目に遭わせた元凶ということだ。
そして、そんな危険性を見過ごした俺も……
……しかし、今はこいつだ。
こいつから聞けることを全部聞き出す。それから、始末する。
順番を間違えてはいけない。速やかに片付けるのだ。
「その魔導師の特徴を言え」
「わ、わからねえ……ローブで、顔も見えなかったし、男か女かも……」
「んだと? 使えねえなぁ?」
「ぎゃあああぁぁぁぁあ!!」
左足に刺していた『氷刀』で傷を掻き回す。もう膝の上で切断寸前だ。
血を流し過ぎたか、男の目が虚ろになっていた。息も浅く、荒い。
死ぬか。死なせないけどな。『治癒』で治してやる。
ただ、それをやるのも業腹だ。だから、今話せ。全部話せ。
これ幸いと、俺は『読心』を使った。いい実験体だった。
ただし、今度の『読心』は最近の経験も踏まえて、調整を利かせる。流す魔力量を減らし、加えて流す時間をコンマゼロ秒単位まで短くするのだ。
これによって、得られる情報量は必然少なくなる。質問ごとに「はい」か「いいえ」のみ、という程度だ。
しかしその代わり、一発ごとのダメージは格段に低く抑えられる。脳を焼き切るまで数十回は尋問可能だろう。
結果、知り得たことは少なかった。
敵が奴隷商だということ。そいつに魔導師がついていること。パイプ役だった男は俺がさっきうっかり殺してしまっていたこと。
キリカが俺のことを話したものの、宿の場所までは口を割らなかったこと。
そして……こいつらがキリカにしたこと。
最初は、恫喝して口を割らせようとした。
それが無理だったので、殴った。まず腹を、話さないので顔を。
次に刃物だ。潰した刃で服を引き裂き、傷を刻んだ。殺すためではなく痛みを与えるために。
しかしそれもキリカは耐えた。俺の名前しか出さなかった。
だから、こいつらは次の手段に出ようとしていた。
つまり、薬、魔法、そして凌辱。
キリカは犯される寸前だった。女としての尊厳を壊される寸前だった。
壊されて、全部吐かされる。そうなるところだった。
俺は、ギリギリで間に合った。
いや、間に合ったのか? どうなのだろう、わからない。
男はまだやっていない、と言った。だがそれはこいつの言い分だ。
こいつが見ていないところで、キリカがどうなったのかはわからない。何をされたのかはわからない。そうである以上、結果論で許すこともできない。
いや、そもそも、最初から許す気もない。こいつらはキリカに手をかけた。
許せるわけがない。全部始末しなくてはならない。
まず、ここの三人からだ。
「ぜ、全部はが、話した! 助けて、助けてぇ!」
「助けるなんて一言も言ってないんだよな」
へたり込む男の口に爪先を叩き込んだ。靴を血が濡らす。
倒れた男の胸を二度三度踏み付けた。何かが折れ、肉がへこむ感触とともに、口から血反吐がぶっと噴き出た。
汚いのでもう最後にしようと思い、男の顔目掛け足を踏み下ろす。赤いものと白いものとピンク色のものが、弾けて潰れた。最後の最後で一番汚かった。
後で洗わないといけない。そう思いながら、地下を眺め回した。
頭が弾けた男、胸を潰された男、後頭部が潰れた男。三人分の死体が転がっている。それ以外には何もない。ここにはもう何もない。
目的の奴隷商、そしてその手下の魔導師はどこだ。探し出して、そっちも始末をつけないといけない。
だが、今はキリカだ。キリカが心配だ。一度戻らなければ。
俺は天井に開けた大穴から一階に上がると、外で待機していたウルルと合流し、商会に向けて走った。
空は、すっかり暗くなっていた。
◇
酷い格好で商会にウルルを預けてきてから、一目散に宿に戻った。
だが、部屋の前に立った瞬間、突然俺の中で強烈な躊躇いが生まれた。
俺は、どんな顔をキリカに合わせればいいんだ?
俺のせいで、キリカは危険な目に遭った。殺されそうに、壊されそうになった。そんな相手に何が言える? どう接したらいい?
謝りようがない。怖い。扉に伸ばした手が震えていた。
何も聞きたくなくて、知りたくなくて、シオンとの『思念話』も切っていた。そんなのは問題の先送りだと思いながら、緊急事態だと言い訳して、耳を閉じていた。
だから俺は、キリカがどんな顔でこの扉の向こうにいるのか知らない。
でも、知らなければいけない。
俺は、顔を伏せつつ扉を開けた。
「あ」
「え」
そうして部屋に入った俺の目の前に、キリカが立っていた。
破かれた服は着替えて、髪は洗ったのか少し濡れて。
シオンにお湯を出してもらったのか、少し肌が上気しているようにも見える。
ノブを掴もうとして伸ばされた手は、行き場をなくし空中で止まっていた。
俺とキリカは、突然のことに硬直していた。目と目が合ったまま、動けない。
キリカの肩越しに見えたシオンだけがこの空間で動いていた。俺とシオンの方へ小走りで向かってくると、間に割って入るように両方に手を伸ばした。
「セイタさん! 大丈夫……でしたか?」
「あ、ああ」
ぼんやりと返事して、シオンを見る。俺を不安げに見上げていた。
その目が、キリカにも向く。
「あの、えっと、あの後セイタさんと連絡付かなくて、それを言ったらキリカさんがセイタさんを探しに行くって……止めようとしたんですけど、その……」
「いや……いい。ごめん、ちょっと立て込んでて」
言い訳混じりに謝る。そうか。また俺のせいか。反省しないな、俺も。
ただ、そうか。キリカは動けるのか。その程度には気力と体力が残っているのか。少し安心した。
もっとも、改めて見るとキリカは酷く憔悴した様子で、立っているのもやっとみたいだった。上気した肌も、温度が下がれば青褪めたものが見えてくるだろう。決して平気ではないとわかる。
そうだ。平気なわけがないのだ。そういう目に遭ったのだから。
俺のせいで。俺がやらせたことのせいで。
「……キリカ、その……ごめん」
「……何で謝るの?」
「だって、俺が、その……俺がやらせたことのせいで、こんな……」
キリカが鼻を鳴らして笑う。
「セイタがやらせた? あたしが自分でやったことよ。どうして謝るの」
「だって」
「謝らないでよ。あたし、セイタを裏切ったのよ。あいつらにセイタのこと話したの。耐えられなくて、黙ってられなくて」
「そんなの、どうだっていい」
「よくないわよ!」
キリカの目が一瞬見開かれたと思うと、次の瞬間にはその目が潤み、震えて、視線が床に落ちた。肩も震えていた。
どう声をかけていいかわからなかった。今までのキリカじゃなかった。軽口を交わせる雰囲気じゃなかった。
何を言えば安心させられるのか。慰められるのか。傷付けないのか。今は何もわからなくなったいた。
キリカは言う。
「あたし、セイタの役に立たないといけないのに……そういう約束なのに……どうしてこんな、馬鹿みたいな失敗……どうしてセイタの方が謝るのよぉ……」
「キリカ……」
「ごめんセイタ……あたしセイタのこと話しちゃった……全部話しちゃったよぉ……」
それは、嘘だ。
あいつは言っていた。キリカは自分の後ろにいる、俺の名前だけしか言わなかった、この宿の場所までは言わなかったと。
だから、それまで以上の尋問を行おうとしていたのだ。探りを入れていた相手を捕まえ、逆に探り返す。至極当然の反応だ。
まあ、それも俺は許す気がないが。
……しかし、名前だけ分かれば後は探りようがいくらでもあるのか?
一応、目立つことならやっている。多頭竜の一件だ。サンデル・マイス商会はあれで俺の実力の一端を知った。そちらから俺のことが漏れるということも考えられなくもない。
まして貧民街や裏ギルド街に隠れるなら、情報は生命線。取っ掛かりだけでも得られれば、そこから遡って脅威の排除に移るのもあり得るだろう。
だが、今はそんなことはどうでもいい。
問題は、キリカが泣いているということだ。
あの、飄々と俺を弄んでいたキリカが。こんなに震えて、小さくなって。
こんな時でなければ、その姿にぐっとくるものもあっただろう。
しかしその身に何があったのかを考えると……今はただ、痛々しいだけだ。
酷い目に遭った、というなら、彼女を助けた時もそうだった。あの時キリカは、手首を折られて閉じ込められ、奴隷として売り飛ばされそうになっていた。
それでも涙一つ流さず、平然とした顔で、俺をおちょくっていた。
だがあれは……今になって思えば、諦めていたからではないのか?
元々盗賊という殺伐として世界に生きてきて、これでお終いだと自分を諦めていたから……だから、あんな風に振る舞えていたのではないか?
今回は、違う。
キリカはきっと、俺を待っていた。俺に力があるとわかっていたから、もしかしたら助けに来るのではないかと、そう思っていたのかもしれない。
でも、俺は遅れた。
キリカは辱められて、背中を切り刻まれた。期待した分、痛み、苦しみ、怖い思いをさせられた。
であるなら、口を滑らせたことをどうして責められようか。
キリカが俺を裏切ったんじゃない。俺が、キリカを裏切ったんだ……
「……キリカ、その……俺は……」
何か、何でもいいから……言ってやらないといけなかった。
女の子を安心させるのは、男の仕事なのだ。
「……俺は大丈夫、そんな名前くらい、いくら知られたって平気だ。そんなことより、キリカの方が……生きててよかった」
無事、という言葉を使うのは、何か躊躇われた。キリカの様子を見ると、簡単にそう言ってしまうのは無神経だと思われたからだ。
キリカは黙って顔を伏せていた。俺の言葉が届いているのか、いないのか。
どちらにせよ、これはもう終わったことだ。俺はとにかく、キリカにはもうこれ以上、このことを引き摺ってほしくなかった。
だから、無神経だと自覚しつつも、できるだけ明るく言った。
「今日はもう休もう、な? 明日も……いや、落ち着くまで俺とシオンがついてるから。シオンもいいよな?」
「え、あ……はい。大丈夫ですよ、キリカさん」
「……」
「心配するなって、ここなら安全だ。俺も……今度はちゃんと守るから。だから、な?」
「……わかっ……た」
弱々しく頷き、後ろのシオンに振り返るキリカ。
その手を、シオンが握って引いていく。足取りは鈍く、ややふらついている。やはり、尾を引いているか。
こういう時、男は何もできないな。シオンがいて、本当に助かる。
……と、その足が突然止まった。
どうしたのか、と俺とシオンがキリカを見ると、キリカは俺をゆっくりと、澱んだ顔で振り返りつつ、小さく言った。
「……あたし、もう一度お風呂に入りたいんだけど……いい?」