五十一話 少女達の包囲網
「なんかさ……セイタといると、父さんを思い出すの」
「親父さん?」
「そう。前に話したでしょ? あたしに盗賊の生き方を教えてくれたのが父さん」
聞いたよ。それで、その人がもういないってことも。
「ちょっと頼りないけど、頼り甲斐あって。駄目だけど、優しくて。口下手で、だらしないけど、あたし大好きだったの」
「そうか」
そんなどこか矛盾した人物評に、しかし素直なキリカの想いを感じて、俺は頷いた。
キリカから母親の話を聞いたことはない。口をついて出るのは、いつも父親のことだけだ。
いなかったのだろうか。思い出したくないのだろうか。それを聞くのはとても勇気がいることで、俺にはその勇気がなかった。
話したいなら、今のように自分から話すだろう。だから俺は聞かない。聞きたくない。
下手なことを言って、聞いて、関係に傷を付けたくない。
そういうのが、俺は怖くてたまらない。
「……でも、俺はキリカの親父さんじゃない」
ただ、それだけは言っておきたかった。
父親ではないし、父親にはなれない。その資質も、資格も、意味もない。
そう言うと、キリカは「当たり前でしょ」と笑っていた。
「でも、安心するの」
キリカは俺の背中を叩きながら言った。
俺も、とうとう我慢できずキリカの背中を抱き返す力を強めた。
それから、キリカは簡潔に、しかし色々なことを話した。
昔のことではない。俺達と会ってからのことだ。
俺をたらし込もうとしていたこと。それに失敗していたく自尊心を傷付けられたこと。半ば自棄になりつつ今度はシオンに取り入ろうとしたこと。しかしその過程でシオンのことを気に入ってしまったこと。
そして、それらについて回った俺に対する色んな感情……
キリカは饒舌だった。酒のせいもあるだろうが、元々話すことを決めていたからかもしれない。
流れるような独白を、キリカの温かさを抱き締めながら、俺は相槌を打ちつつ、ただ聞き続けた。
そして、締めにキリカが言った。
「セイタとシオンが仲いいの見て、『いいなあ』って思ったの。男と関わったことないからよくわからなかったけど、何だか楽しそうだったし」
「楽しい、ね」
「そう。だから、一足飛びに最後までいっちゃえばもっと楽しいかなって思ったけど……上手くいかないものね」
そういうのはヘタレには厳しいんだよ。
そういうところをキリカはよくわかってなかったみたいだ。
「それにもう、気が付いたらあんたはシオンのものになってたわけだし」
「所有物かよ」
「そうよ。あんたはまるでシオンの奴隷」
その節はある。自覚もな。それをキリカに言われるとは思ってなかったけど。
「だから、セイタはもうあたしのものにならないんだなって。身体で言うこと聞かせたりはできないんだなって」
「今のこれは違うのかよ」
「どうせあんたはあたしを抱いてくれないもの」
そりゃあ、そうだろ。
俺は、もうシオンと……そういう関係なわけだし。
複数人とそんなことをするのは、現代日本の草食系男子としてアウトなのだ。
俺の中に残留する童貞思念が、血涙を流しながら俺自身にそう言っている。
「……俺の故郷では、普通男女で一対一なんだよ。そこから外れたら、もう浮気で、裏切りなんだ」
「二人一緒に、ってしないの?」
「できる奴がそうそういないよ。身体は一つしかないし、金の問題もあるし」
何より心の問題だ。
二人の女性を同じくらい大事にできる奴なんて、どこにいるんだ?
それだけ愛情に溢れているなら、それを一人に向けろっていう話になる。
「俺にはそんな甲斐性はない」
「そうは思わないけど」
「買い被りだろ。俺、これでも一杯一杯なんだ。そういうことになったのシオンが初めてだし。最近はそのせいで、何があっても落ち付かないし」
隙を見てはシオンとイチャイチャしてる。シオンのことを考えてる。耐え切れず自分で慰めもしている。
そんな風に我慢できないことを、シオンにも、キリカにも申し訳ないと思っている。ここに来て男の性が暴発している感じだ。
だが、そんな俺を見てキリカがふと笑った。
「……もしかして、あの後シオンとは、してないの?」
「えっ」
何を。いや、わかってるんだが。しかし何故わかった。
俺が羞恥心とともに頷くと、キリカが笑いながら俺の胸をドンドン叩いた。痛いです。
「何よ、それ。一回こっきりで満足なわけ?」
「だ、だって、三人で泊まってる部屋でそういうのって正直アレだし、そもそも俺だって色々怖いんだよ、妊娠とか、そういうの、まだ心の準備が……」
「今さら女々しいのよ。せっかく二人っきりにしてあげてるっていうのに……男らしくしたい時にすれば?」
お膳立てのつもりだったのかよ。初耳だわ。
いや、というか、そんな男本位な思考で動きたくないんだよ、俺は。
と言っても、わかってくれないんだろうか。この世界の価値観は、俺のとは結構違うだろうからな。
男が無理矢理にでも引っ張っていく。それくらいの強引さがなければ生きていけない云々かんぬん。そういう世界でもあるのかもしれない。
何せ、五百年も魔王と戦争していた世界だ。力がなければ生きていけない。
けど、力にかまけて好き放題やったら、それは魔王と変わりがない。
俺は魔王になりたいわけじゃない。
ただ、自分の価値観を持ったまま生きていきたいだけなんだ。
しかしキリカは、そんな風に悩む俺を一蹴するように言う。
「あの子はあんたを待ってる。あんたを欲しがってる。応えてあげなきゃそれこそ甲斐性なしってものでしょ」
「でも、それじゃキリカが……」
「あたしのことまで気にかけてる余裕があるの? だったら」
キリカの目が細まる。笑みが消える。俺の肩に手を置く。
そうして、一歩退いた位置で、静かに言う。
「……あたしを抱いて。あたしも、セイタの女に……してよ」
「……」
俺を突き離そうとする気持ちと。
俺を引き込もうとする気持ちと。
その冷たく、平坦な声が、俺には二つの意味を持っているように聞こえた。
自意識過剰だろうか?
けど、俺の直感じゃなくて、魔力がそう言っているのだ。
言葉だけでなく感情から、俺に直接伝えてくる。
どうしようもない気持ち──諦めと、執着が。
──こんなものを、キリカは今まで抱いてきたのか?
俺みたいな、どうしようもない男に。
もっと選びようがあっただろうに。可愛いんだし、口も上手いんだから。
もっと優しくて、いい男が。もっと似合う男がさ……
「キリカ、俺は……俺はさ……」
「冗談よ」
「は?」
と、知らず逸らしていた視線を戻すと、キリカが笑っていた。「してやった」とでも言いたげな、乾いた笑いだった。
「じょ、冗談?」
「そうよ。ちょっと揺すってみただけ」
どういうことですか? と思っていると、シオンが俺をとん、と突き離した。
「あんたは押したら駄目ってわかってるからね。また同じ失敗はしないわよ」
「それって……」
あれか。あの夜か。
確かにあの時は完全に動転していて思わず拒否ったけど、でも、あれから時間も経っているわけだし。
何ていうか、こう言うと女ったらしのクソッタレ全開なんだけど、正直キリカのこと可愛いと思っているし、普通に好きだし。
その「好き」ってのがシオンへのそれと同じかというと、ちょっとわからないけど……でも、憎からず思っているのは確かだった。
だから、もし押し切られたら今度はちょっと耐え切れないかもって思っていたんだけど……
「あはっ、今度は引いてみるわ。せっかくシオンがくれたチャンスだもの。大事に使わせてもらわないとね」
「な、シオンが何だって?」
「あんたは四面楚歌ってこと」
精確には数的に挟み打ちだ。
いや、そうじゃなくて。なんでまたシオンがそんなことを応援しているのかって話だ。
自分の男──と言うとこれまた俺の自意識過剰っぽいが──を他の女に差し出すような真似をしているのだ。さすがに俺も少し不安になる。
だが、キリカはへらへらと笑って言う。
「あたしもシオンも女だからね。こういうことに関しては、あんたよりよっぽどわかり合えてるってこと」
「こういうことってのは」
「あんたの管理、共有、利用ってとこかしら?」
怖いことを言う。女性不信になりそうだ。
でも、やっぱり正直に言うものだ。だから俺は、キリカを突っぱねられない。
そういうところが……嫌いじゃない。
「……シオンはね」
「ん?」
「シオンは……本当に優しいのよ。あたしのことまで考えてくれるの。お人好しで、ちょっと不安になるくらい……」
それは……そうじゃないだろう、とは思う。
シオンは、キリカのことが好きだ。信頼しているのだ。だから、そういう風に接する。それは当たり前のことだろう。
俺とウルルの次にシオンが付き合いが長いのがキリカだ。純粋な性格だから、接すれば接するほどその人を強く信頼していくことになるだろう。
だから、不安なことなんて何もない。俺もシオンも、キリカを信頼している。
元、盗賊ではあるけどな。
キリカは言う。
「シオンのこと、大事にしなさいよ。あんな子、そうそういないわ」
「わかってる」
「それと、あの子だって待ってるんだから。いい加減腹括りなさいよね」
「……わかってる」
「あんなこと言ったけど、あたしは気にしないわ。ニオイだけどうにかしてくれればそれでいいから」
「おい、ちょっと」
いくら何でもそこまでいくと話が下衆だ。俺が止めるとキリカは腹を抱えて「冗談、冗談」と言っていた。
「ま、そういうことだから。あたしはじっくりのんびり、セイタから襲って来るのを待つことにするわ」
「あのさあ……」
「何よ、さっきだってちょっと迷ってたくせに」
「うっ……」
否定できない。やっぱりバレていたか。元盗賊の目は伊達じゃない。
言うだけ言ってニヤリと笑うと、くるりと踵を返し、軽い足取りで宿に戻るキリカ。
その背を追いながら、俺はやっぱり「女には勝てない」と思うのだった。