五十話 酔った勢い
レギス商会は、エーレンブラントでも最大手と言われる奴隷商会の一つだ。
王国の各地に支店を持ち、取り引き先、扱う奴隷の数、資本も群を抜いて多い。
質のいい奴隷、珍しい奴隷を多く取り揃え、管理能力も高い。
その商売の性質上、裏世界で名前が上がることの多い商会だが、表の世界でもある程度名が知れており、貴族を多く顧客に抱えている──
と、まあ、ざっとこんな感じだ。
しかしまさか、その名前をまた聞くことになるとはな。
◇
「まさかあんたが奴隷商と関わりがあるなんて」
裏ギルドからの帰り道、貧民街の路地でキリカが言った。
「関わりってほどでもない。ちょっと喧嘩になっただけだ」
「えっ、レギスと? 正気?」
「正気だったよ」
まあ、やってることは正気じゃないけどな。
傭兵をタコ殴りにして森に放置、手足に穴開けて放置、氷漬けの地下室に放置、奴隷を強奪、果ては商会の用心棒である魔導師まで抹殺だ。これで喧嘩売ってないとか言ったら頭がおかしい。
しかし、俺は悪くない。それははっきりと言っておきたかった。
そもそもルウィンの領域にまで潜って来て攫ったり森に火を点けたりする方が人道的におかしいのだ。
そういうのは死んでいい。いくらグレーな商売でも度を超している。明らかにブラックだ。
「ちょっと調子に乗ってたから、お灸を据えてやったんだよ」
「はあ……あんたに睨まれるとろくなことにならないのね。わかってたけど」
そうだ。容赦しないからな。容赦しないと決めたのだ。
しかし、そのルーベンのレギス商会支店だが、何やらおかしなことになったらしい。
カズールが話していた話だが、どうもそのルーベン支店が絡んでいるというのだ。
何やらそのルーベン支店、どうも最近不祥事が立て込んでいて、それで致命的な損失を負ってしまったらしい。
曰く、傭兵が軒並み使い物にならなくなったとか、奴隷を盗まれたとか、高い金で雇っていたお抱えの魔導師を使い潰し死なせてしまったとか。
そのことがレギス商会の上役に知られてしまい、商会は補填を見込めないためルーベンから撤退、支店の責任者はあわや詰め腹という事態にまでなったという。
が、そこでその責任者がまさかの金持ってドロン。レギス商会は慌てて生け贄と金の回収のため、方々に手を回して……ということらしい。
「……もしかして、あんたのせい?」
「あー……多分そうだと思う」
うん。心当たりがあり過ぎて困るね。
なるほど、そんなことになっていたのか。あの一件で俺はフォーレスから出ていかざるを得なくなったけど、レギス商会もルーベンから、つまりミナス大森林とそこのルウィン達から撤退せざるを得なくなったと。
うん、いい気味だ。痛み分けだな。
というか、これでルウィンを狙う大筆頭な連中がいなくなったというわけだ。安心できた。彼らもこれで少しは静かに暮らせるだろう。
……うーん。考えてみると、別れてもうひと月になるんだな。
セーレとかマリウル、元気にしているだろうか……
「で、どうするの?」
「え?」
キリカから話しかけられ、一気に現実に引き戻される。
何の話だっけ。その支店長の話か。
「ていうか、アロイスにいるのかよ? って話なんだけど」
「可能性は高いと思う。ここの貧民街は広いし、隠れる所も多いから」
「そんなもんか」
実はルーベンシュナウからアロイスまでも馬車で五日から一週間ほどの距離らしい。距離と隠れやすさを考慮すればアロイスが選ばれる可能性は高い、というのがキリカの意見だった。
「まあ、やることも決まってないし、片手間で探してみるのもいいか……? でも俺、レギス商会から恨まれてるっぽいからなぁ……いや、恨んでるのはルーベン支店の奴だけか?」
目撃者は大体始末した……いや、してないか。
魔導師は殺したが、中には俺の顔を見て生きている奴もゴロゴロいそうだ。しかしそいつらが「たった一人にしてやられた」なんてことを言って、上役が信じるかどうか……でも、お抱え魔導師を殺したっていう事実はあるわけだしな……うーん……
……わからないな。考えるのも面倒だ。
まあ、万が一話に乗って会うことになっても、顔を隠せばいいだけのことか?
「まあ、それは後でいいや。とりあえず何日かゆっくりしよう」
「セイタからそんな言葉が出るなんてね」
「俺は元々怠け者なんだぜ」
あとスケベでアホだ。なのでそれに相応しい生き方をしたい。
そうだ。もう耐え切れない。
シオンとにゃんにゃんするのだ。したい。
ついでにそのことについてキリカにお許しをいただきたい。これからの関係についての前向きな会議だ。
そのためには色々と根回しとか賄賂とかをだね……
「そういうわけだから美味しいものを食べに行きましょう」
「繰り返すようだけど、あんたからそれ言い出すのね……」
「悪いか」
キリカのせいで、もう散財とかについて考えるのが億劫になってきたからな。
パッ、と享楽的に生きて、刹那的に死ぬ。
太く短く。いい男っていうのはそういうものだ。
俺は、正直長く生きたいけど。
◇
久し振りに外に出て温かい飯を食った。濃い味付けが舌と胃袋に沁みた。
あの日以降ペケ出してた酒も解禁した。とはいえ飲むのはやっぱりキリカだけだ。
しかし今回はさすがに自重したのか、性格も変わらずちょっと喋り方がのんびりになっただけだった。介抱とか面倒なのでありがたい。
そんなこんなで早速金貨一枚使って、ゆるゆるな笑顔のキリカを背負って宿に戻った。実はちょっと足取りが怪しかった。本当に酒に強いんだろうか。
「セイタぁ、あたし今日頑張ったでしょー」
「ああ、そうだな」
「じゃあ撫でてー」
こいつ、やっぱり駄目なんじゃなかろうな。
猫がマタタビでちょっと壊れたみたいな感じで擦り寄ってくるキリカだったが、なんか精神年齢低めに感じて悪い気はしなかったので、頭撫でといた。撫で撫で。
実際、今日は色々と世話になったからな。感謝の念はこれだけじゃ足らない。
しかしこれ以上過激なこともできないので、撫でるだけに留めておく。やり過ぎるとシオンの目が怖いからな。
と思ったら、シオンまで緩んだ目をして笑ってる。何ですかちょっと。
「キリカさん、ちょっと熱くないですか? セイタさんに外連れていってもらったらどうでしょう?」
え、何その不自然な提案。
と、突然キリカがばっと手を上げて「行きまーす!」とか言い出した。
何だよこれ。何の茶番だ。
そう思ってたら、シオンが耳元に口を寄せてくる。
「キリカさん、セイタさんと話したいことがあるそうです。私はお留守番しているので、二人きりでどうぞ」
え、いや、何言ってんのシオン。
普通、そこいい気分しないでしょ。酔った別の女連れて男が外行くんですよ。普通色々と疑ったり止めたりしない?
しないのか。しないみたいです。何考えてるかわかりません。
「どういうつもりだよ?」
「だから、それはキリカさんが……お話、聞いてあげてくださいね?」
わからん。わからんが、シオンから頼まれた以上ヤダとは言えない。
酔っている人間と会話するのは得意じゃないが、仕方ない。
俺はキリカを背負って、宿の外へ向かうのだった。
◇
空気は冷たく、夜空は少しく曇っている。あまりいい感じの夜ではなかった。
ただ、酒を飲んでいるキリカはそうでもないのか。頭が冷めて丁度よさそうな気分で壁に寄りかかっていた。
「大丈夫か? 吐かないか?」
「吐かないわよ。あたしは大丈夫」
俺は「そうか」とだけ答えて、その横でしゃがんでいた。
キリカの視線が上から来る。それに視線を返しつつ、やや気まずくなりながら、俺はふと思い至ったように、キリカに話しかけた。
「あのさ、今日は……っていうか、ずっとだな。サブリナん時から、色々キリカにやってもらってさ、助かってるよ」
「お礼なんて言わないでよ。それがあたしの仕事でしょ」
仕事……仕事か。
俺の手伝いをすることで、キリカは俺についていける。そういう取り引きの体で、一応今までやってきたわけだ。
そこで礼を言うと、またややこしいことになる。そういうわけか。
それはわかる。けど。
「ありがとな」
「……」
キリカは空を見上げていた。頬にわずかに朱が差しているように見える。やっぱり少し酔っているのかもしれない。
「……セイタ、約束覚えてる?」
「『何でも言うこと聞く』、だっけか」
「そう」
あれは流石に失敗したな、と思う。やろうと思えば際限なく要求されちまうからな。
そしてそれを反故にするっていうのも、心情的に何だ。
多分、キリカは無理な頼み事はしてこない。絶妙に難しいことを頼んでくるだろう──という、変な信頼感があるのだ。
「……できる範囲で頼むよ」
「そうね、じゃあ……」
言いかけたキリカが、黙って手を差し伸べてくる。
どうしようかと思ったが、俺はそれを掴んだ。引っ張って立たされる。
……何だろう。キリカが両手を広げているのだが。
「何、何だ?」
「ぎゅってして」
「は?」
今変なこと言わなかったかこいつ?
という目で俺が見ていると、キリカが不機嫌そうに目を細めたので、冷や汗を垂らしながら一歩近付く。
「早く」
「ちょっ、ちょっと待って」
「待たない。言うこと聞くって言ったでしょ」
キリカは問答無用という様子だった。逃げられる気がしない。
……どうしよう。
俺はしどろもどろになりながら、半ば諦めつつ、ゆっくり手を伸ばして──
──痺れを切らしたキリカから抱き付かれた。
「わっ!?」
そのまま壁に押し付けられる形で、俺の背中に腕が回される。
そして胸にはキリカのそれが、首には頭が押し付けられるわけで。
酒の臭いが強かったが、それ以上に女の子の匂いも漂って来て……
「……馬鹿」
という罵りにも、俺を現実に戻す力がない。
すぐ近くで、耳元に囁かれるそれに、ぼろぼろと理性が崩れていく……
それでも抱き締め返すだけに留められたのは、ふと放されたキリカのやや熱っぽい顔に、邪気のない笑顔を見たからだろうか。
それが、普段のキリカとは全然違って、でも少し、悲しそうで。
「これ以上は……シオンに怒られちゃうからね」
「シオン?」
「気を利かせてくれたのよ。わかんない?」
いや、そりゃわかるけど。
わかるけど、それ以外がわからない。
シオンがキリカに気を利かせる理由とか、そもそもどうしてキリカがこんなことするのかとか。
俺は何もわからないで、突っ立っていただけだ。説明を求む。
と、困惑していた俺を見て薄く笑みながら、キリカがゆったりとした口調で話し始めるのだった。