四十九話 裏と影
シオンとのイチャコラの日々で俺の頭はすっかりドロドロの桃色になって駄目になってたが、身体の方はばっちりだった。
シモの意味でではない。健全な意味でだ。跳んだり跳ねたり踏んだり蹴ったり殴ったりももう大丈夫。
どこからでもかかってこいや。拳が血に飢えておる。といってもカチコミに行くわけではないのだが。
「じゃあ行きますか」
「お、おう」
キリカに対し多少震えた返事をしつつ、俺は覚悟を決めてクソ重い革袋を肩にかけたのだった。
◇
宿はアロイスの北区東に位置する。裏ギルド、そして闇市はその反対側、つまり町の南西部にあるというのがキリカの説明だ。
何もわからないので、俺は黙ってついていく。シオンも俺のすぐ脇に、フードを被ってついてきている。
一人で残すのは不安だし、本人も嫌がるからな。あと俺も嫌だ。
「南西の区画は貧民街があって、それに囲まれるみたいに裏ギルドがあるの。官憲は近付けないし、近付きたくない。だから勝手に地下を掘ったり、陥没した部分を利用したりして、無節操に地下街が広げられてるのよ」
「それ崩れたりしないのか……?」
「さあ? 崩れてるかもね。でも、どうも魔導師が工事に絡んでるらしくて。意外にそういうのはあまり聞かないわ」
うーん、怖いな。怖くても行かなきゃならないけど。
アロイスという町は、南北に伸びる大通りと東西に流れる川によっておおよそ四っつの区画に分割されている。
このうち北西部は小高くなっていて、そこいらには金持ちや貴族の屋敷がちょくちょく建つ。北東部は宿屋とかが中心で、それとギルドもある。南東部は住宅街だ。もちろんそれぞれ完全に分けられているわけではないが、雰囲気としてはそういう感じだ。
一方の南西部。ここには決して小さくない貧民街が広がっている。
接する川も下流側で、住人も柄の悪いのが多い。だがもっと多いのは当然貧困層だ。治安もよくないし、ここに来たがる町の人間はそういない。いるのは仕方なくここに流れてきた人間だけだ。
しかし、それは実は裏ギルドを隠すための隠れ蓑だ。
というのは言い過ぎか。結果としてそうなっているだけだ。
結果として貧民街が裏ギルドを取り囲むようになっており、裏ギルドが貧民街の経済の中心となっているというだけだ。要するになあなあの関係である。
「ここまで大きいのはそうないけど、裏ギルドがある町は大体こんな感じよ。中にはもっと酷くて、町全体が裏ギルドの支配下にある所もあるし」
「大丈夫なのかよそれ……」
「まあ、あたしが知っているのはそう大きくない町だけど」
しかしそれでも、ト○トゥーガとか、ゴッ○ムシティとか、モガディシュとかデトロイトみたいな空気の町なんだろう。絶対ヤバいって。行きたくない。
まあ、これからそんなミニ○ルトゥーガに行くんだけどな。
「目立つんだから盗まれないようにしてよ」
「おう、ずっと『探知』張ってるから。シオンも何かあったら声上げろ」
「はい」
本当は手繋いでいきたいくらいだけどな。危ないから。
しかしいざという時対応が遅れるのが一番困る。なので、右手は自由にしておいた。
そうしているうちに、町の雰囲気が変わってきた。
建物の壁はボロく、割れてる窓が多かったり板で打ち付けられている。足下を見ても、石畳は砕けて、雑草が生えていた。雰囲気もどことなく澱んでいる感じだ。
住人の姿も見た。決してみながみな浮浪者、という極端な光景ではない。しかし覇気がなく、それでいて時折目がぎらついているのは共通している。それが威嚇のためなのか、それとも怯えの裏返しなのかは、俺にはわからなかったが。
「道、わかってるのか?」
「ええ。来たことあるもの」
「頼むぞ。何か怖くなってきた」
「あんたがそれを言うの? 笑えないわよ。多頭竜を一人で相手にしたくせに」
いや、それとこれとは話が別だろう。キリカは慣れているからいいのだろうが。
シオンも俺のマントを掴んだまま離れなかった。多分、ここ数日の休日で教えた『探知』も使っているのだろう。時折そっちこっちに目を向けていた。
俺も、路地を通る際何かちょっとでも怪しい動きを感じ取ったら、そっちに目を向けた。大体は外れだったが、何人か意図ありげな目を逸らしているのもいた。かっぱらい予備軍か。目で追い返せれば楽なもんだが。
「ここよ」
そうこうするうちに、俺達は異様な建物に辿り着いた。
まず一目見て、大きいと思った。金かけた宿とか商館とかそんな感じだ。あるいは昔は成金の屋敷だったのかもしれない。
「昔」と言ったのは、随分年季が入っていたからだ。
とにかく補修の跡、そしてそれで隠し切れないボロさや古臭さが滲み出ていた。一部は崩れていて、そこを直すついでに他の建物と繋がったりしてしまっていた。
魔改造というレベルではない。最早建物の合成獣というか、西洋版九龍城塞である。規模は比べるまでもないが。
「すっげえ胡散臭え」
「そういう場所なのよ」
ついでに、見えるだけが全てではないらしい。広がる地下までが裏ギルドの管理下で、しかもあちこちの建物と繋がっているとか。蟻の巣かよ。
「と、とにかく行くか。頼むぞ、キリカだけが頼りだ……」
「調子狂うわね……」
怯える俺に溜め息を吐くキリカ。
仕方ないだろう。慣れないものは慣れないのだ。ぶっ壊して済むものならそれでいいけど、そうじゃないからな。
◇
建物の中は外から想像するより雑多で、人と物に溢れていた。
多分、みんな出所が怪しかったりするんだろう。根拠なくそう思う。何か結構凝った装飾の割に血が付いてて怪しい短剣とか見えたし。見間違えじゃないよな……
「カズールはいる?」
先行するキリカがその辺を歩いていた男と二言三言会話を交わし、戻ってくる。その右手親指が、くいくいと後方を指していた。
「盗品商に会いに行くわ、ついてきて」
「イエス、マム」
「いえす?」
ついていった。建物の奥に。段々暗い方に。
途中で不安になってきたが、いざという時には『転移』があるという事実が何とか冷静さを保ってくれた。
そんな冷静さも、地下への階段を見かけた途端崩れそうになったが。
◇
石段を数十段降りる。降りるうちに段々と広くなっていくのが奇妙だったが、その先の通路はさらに広かった。
そして、もっと広くなった。
坑道のような空間に、石や木の板が敷き詰められている。それはキリカと会ったあの洞窟に似ているが、規模が違う。あちらはあくまで通路の連続であるのに対し、こちらは部屋の連なりと言えよう。
というかもう地下街だ。そう、地下街。
地下には人が大勢いた。店がたくさんあった。そこかしこに灯りが、商品が、金が、喧噪があった。
想像以上の場所だった。確かにもう一つ、地面の下に町ができていると言ってよかったのだ。
「何か上より活気がありそうな……」
「それだけ厄介事も多いけどね」
ここまで来てまだ怖がらせてくれるか、キリカよ。
まあいい。ついていくよ。薄暗い中キリカの背中を追う。
そして、数分でそこに着いた。倉庫みたいな、牢屋みたいな鉄扉の奥の部屋。
大量の木箱が積んであるその部屋の中心に、これまた木箱をテーブルと椅子代わりにしている、禿頭の男がいた。
見るからに厳つい、そしてヤクザな人相の男。その目が、俺とキリカをじろりと睨む。いや睨んでないのか? 見ただけなのか? 元々の眼光が鋭過ぎてよくわからない。
そいつが、口を開く。
「こいつは……随分と久し振りに見た顔だな」
「一年ぐらいかしら? カズール」
「どうかな。お前のことなんざ忘れかけてたぞ」
「そう邪険にしないでほしいんだけど」
キリカが肩を竦ませ、首を振る。カズールと呼ばれた男の目が細くなり、俺をちらりと見てから再びキリカを斜めに睨んだ。
……知り合いなのか。
「随分おべべが上品になったもんだな。アザンとこは羽振りがよさそうで、羨ましいぜ」
「アザンは関係ないわ。あいつはもう死んだし」
「何?」
一瞬、カズールの目が見開かれたが、次の瞬間には涼しい顔に戻っていた。
さて、見た目ほど心が動いているか、どうか。
うっかり目を合わせるとビビりそうなので、わずかに視線を逸らしていた。
「そう、死んだ。ここのぼんやりしてる奴が殺したわ」
「な」
「えっ」
いきなり話を振られて、キリカを見る。
無視された。おい。
「あたし、このセイタに助けられたの。ついでにアザンとこから色々盗って来た。それを買い取ってほしいの」
「何だと、おい……本当かよ、こんな奴が」
「こんな奴でも凄腕の魔導師よ。怒らせたら怖いわ」
「俺を脅す気か?」
「まさか」
いや、脅してるだろ。俺を恐喝に巻き込むなよ。そんなつもりないし、何も聞いてないし俺。
カズールに睨まれた。何とかびくりとならないのが精一杯だった。
なお、さっきからシオンは俺の背に隠れている。多分カズールからは二人にしか見えてないだろう。まあ、頼られるのは嬉しいし、いいんだけど……
「お前、何モンだ」
「いや、ただの魔導師……」
「ただの、か。キリカはそう言ってないがな」
しかしどう答えろと。恐喝しに来たんじゃないんだから実力を見せる必要はない。
俺は金が欲しい。そうだよ。それだけだよ。
キリカを見た。今度は無視されなかったが、首でくいとカズールを指されただけだった。後は勝手にということか。わかったよ。
「俺のことはどうでもいいんだ。それより、こいつの処分に困ってんだ」
どん、と革袋をカズールの前の木箱に置いた。そして、中身をばっと出す。
その中身の宝飾品やら雑貨やらに、カズールの目がまん丸になった。もう一つある革袋にも同じだけ入ってると聞いたらどんな顔になるか。
「キリカからここでなら買い取ってくれるって聞いた。ちょっと頼めませんかね」
余裕ぶっこいて言った。カズールが黙って俺を見る。
……やっぱ交渉はキリカに頼もうかな。何か面倒で苦手だ。
◇
聞くところによるとだ。
カズールは、キリカが以前この町に身を置いていた時よく世話になった盗品商らしい。何やら親父さんの生きている時からの付き合いらしく、顔はアレだがこれでキリカを結構目にかけているのだという。
だが、それもキリカがアザンの部下になるまでの──精確にはアザン配下の盗賊団の一つに入るまでだった。
仲間を見捨てられずアザンの下についていったキリカは、カズールにとってはもう死んだも同然だったらしい。
当然か。アザンという男の悪名はこちらの世界ではよく知れ渡っていて、あのクズの下にいてもどうせあらゆる意味で利用されるだけされて捨てられるというのが目に見えていたからだ。
そして、実際そうなりかけたわけだが……そこで俺と出逢ったと。
運のいい奴、とカズールは吐き捨てていた。目にかけていたキリカに出ていかれて、思うところがあったのかもしれない。
ただ、それでも取り引きは公正にやってくれると。そこはありがたかった。
「これ全部あの野郎の盗品か。フザけた野郎だな」
「もっとあったわ。換金できずに持て余してたのよ」
「馬鹿じゃねえのか。いくら盗んだって捌けなきゃ意味がねえだろ」
「馬鹿だから死んだのよ」
物騒なキリカとカズールの会話に戦々恐々としている俺とシオン。
と、シオンがさりげなく手を握ってきたので、後ろ手に繋いでやる。
そうするとこっちも落ち付く。
むしろ幸せになる。
ああ、とても幸せ……
「ちょっとセイタ、こっち来て。あんたの取り引きなのよ」
キリカに言われる。何だよ、もう。もっとイチャイチャしてたいのに。
いや、それは後でいいか。
ここで一山稼いで、そうすればその金で自由気ままに生活できる。そしたらシオンと二人でしっぽりと……
いやいやいや。いくら何でも頭蕩け過ぎだ。
やっぱり耐性がないんだよな、女の子に。経験ないから。
酷いな。ハニートラップに簡単に引っかかる魔王だよ。もしシオンが誰かの刺客だったら俺がさぞ馬鹿に見えていることだろう。馬鹿なのだが。
キリカにも借り作って言質取られてるわけだしな。ご機嫌取りしなきゃ。
まあ、元から邪険に扱う気はないけど。
「って言っても……俺じゃ相場はわからないし、大体何盗んで来たのかもよく覚えてないんだよな」
「あんたね……あたしが盗んでたらどうするつもりよ」
「その時はその時」
今ならエッチなおしおきも視野だ。抑制が利かなくなってるからな、うん。
それに、俺はキリカを信用してるから。と言ったら、カズールに鼻で笑われた。
「こんな馬鹿みたいなお人好しがね……坊主、カモにされるぞ」
「されてんだよなぁ、既に」
「自覚があるのかよ」
救いようがないな、という顔で首を振られた。それほど軽くて薄っぺらい間柄でもないと思うんだけどな。付き合いは短いけど。
「まあ、とりあえず品は試算した……ざっと金貨三十枚ってとこか」
「さんじゅっ」
「少なくない?」
驚きかけた俺を遮るように、キリカが不満の声を上げた。カズールがそれに答える。
「正規の値で通ると思うなよ。綺麗な金にしてやるんだ、手数料込みだと思え」
「これだけ物があるんだから、四十枚くらいにしてよ」
「ならねえな。出せて三十三枚だ」
食い下がるキリカ。睨みを利かせ続けるカズール。
俺としては荷物が減って金になるなら何でもいいんだが……と言うとキリカの努力が無駄になるので、黙って見守ります。
はい、来た意味ありませんね。でも一応俺の取り引きらしいし。
結局、カズールは金貨三十四枚で諸々の物品を引き取ってくれることとなった。
ただし額が額なもので、今日のところはあるだけの金貨十四枚を支払い、残りは後日ということになった。
まあ、いくら金がありそうでも、限度はあるわな。キリカは現金払いでの少なさに苦渋を呈していたが。
「俺としてはこれでも結構大金に思えるんだが」
「大金でも小金のように扱わないと底が知れるのよ、この界隈は」
「怖いなあ」
「あんたが恐喝すればもっと出させられるかもよ?」
いや、おっさんに聞こえてるから。というか本気じゃないでしょ、あなた。
「取り引き先を潰しても得なんかないからな。未払いの金もあるし」
「一週間以内には集めといてやる。折を見て受け取りに来い」
「あーい」
まだちょっとビクビクしながらも、カズールに明るめで応えた。当然笑い返したりとかはしてくれなかった。はい。
じゃあ、そろそろ帰りましょうかね……と、俺が倉庫に背を向けようとした、その時だった。
「ところでカズール、最近何かいい仕事とかない?」
キリカがカズールに話しかけていた。おい、終わりじゃなかったのかよ。
カズールはキリカを見、それから俺を見て、こめかみを掻く。
「っつってもな……そいつにやらせる気か?」
「まあ、それもあるけど」
「何ができんだよ?」
「多分、何でもできるわ。盗みでも、ちょっと荒っぽいことでも」
「おい、キリカおい」
何勝手に話進めてんだ、と止めるも、聞く耳を持たないキリカ。
「何よ。だってあれだけじゃまたすぐ使い切っちゃうわよ?」
「そんなん宿移ったり節約するなりすればいいだろ!」
「セイタ、お風呂なしの宿に今さら移れる?」
うぐっ。それを言われると俺も辛い。
確かに、湯を出したりと半ば俺の魔法でもっているような最近の浴室事情ではある。
しかし、それでも宿の裏で人の目を気にしながら身体を洗っていた今までに比べれば、プライベートな空間でゆっくり身体を流せる、というのは非常に魅力的で、甘美で、抗い難い誘惑だ。
そうだ。それだけでなく、あの宿は普通に居心地がいい……悔しいが認めざるを得ない……! 一泊銀貨六枚だけど……! サブリナの時より高いけど……!!
「はぁ……」
本気で家を買うのも視野かもしれないなあ、とそんな弱気なことを思う。
うん、そうすれば俺はここで根を張ることになって、商会の御用聞きになってシオンとキリカとウルルを養っていって……
……まあ、それでもいいんだが……もう少しこの世界を色々見たいと思う気持ちも、確かにある。
男の子だからな。男の子は好奇心の生き物だ。
で、何の話だっけ。
そうだ。キリカが俺に変な仕事やらせるって話だ。
それ、結局大丈夫なのか?
「とりあえず、話だけ聞いてみない?」
「そう言われると断れないじゃないかよ」
まあ聞くだけならな、とカズールに目を向けると、おっさんが憮然としつつも困った顔をしていた。
「つっても、そんな仕事なんてなあ……あ」
「あ」って。「あ」って何だよ。
「そういえば、変な話聞いたなあ……どっかの奴隷商会が、金持って逃げてる身内を指名手配してるっつう話だったか……」
「奴隷商会?」
「ああ。レギス商会、っつってよ。大手の商会なんだが……何だよ?」
レギス商会。
その名を久し振りに聞いた俺は、ぽかんと口を開けて、三人から変な目を向けられていた。