四十七話 呼び出し
「あっ、リースさんご無沙汰じゃないですかぁ」
「昨日会っただろうが……というか、なんだこの部屋ァ? お前どれだけ金持ってんだ……」
いや、それは俺じゃなくてキリカがね……と、部屋の外に立っていたリースがシオンとキリカを認めるなり、目を細め、俺を訝しげに見下ろした。
「お前、やっぱあの娘達はそういう……」
「え、いや、違いま……」
う。否定しきれない。一人は違うが一人には既成事実があるのだ。
しかもその本人はまだ寝巻のブラウス姿。キリカは既に俺達が起きる前に着替えていて抜かりがない。何か負けた気分だった。
追及されると面倒なので、慌てて誤魔化す。
「そ、そんなことより! 何の用だよ、俺足がろくに動かないから、今日は宿にいるつもりだったんだけど」
「ああ、お前に報酬渡さなきゃならなくてな」
報酬? ああ、護衛のか。すっかり忘れてた。
確か銀貨二十枚、多頭竜出現なんて有事があったからもう二十五枚か。うーん、まあいいんだが……出くわしたのがあれだから安く思えるな。
ただまあ、あれを倒したのは俺じゃなくてロアって魔導師ってことになってるし、俺の方も変な目立ち方したくないからな。これでいいだろ。
大体金のアテはあるんだし、ここでゴネるつもりは毛頭ない。
「それで、商会に来てほしかったんだがな」
「え、ここで渡すんじゃなくて?」
「手続きがあるんだよ。そういうのはカタいんだ」
何だか役所みたいだな。さてどうするか。
昨日よりはマシだ。歩けないってわけじゃないけど……『治癒』で治したり感覚を鈍くしてどうにかなる類いの負傷じゃないからな。
まあ、誰かの肩くらいは借りることになるか。シオンに貸してもらうか。
「……わかった、行くよ案内してくれ」
「ああ。それと、支店長がお前と話がしたいそうだ」
「え?なんで?」
「大方勧誘だろうと思うが」
ええっ、だって多頭竜は俺じゃなくて別の魔導師が……ってことになってるじゃん。なんでよ。
「片足潰すのでも大したものだということだろう。それと、俺もお前の実力について説明したからな」
「ちょっと、何してんすか」
「報告するのも義務なんだ」
肩を竦めてリースが言う。「しょうがないだろ」と言わんばかりの顔だ。い
つまりは査定か。青田刈りの。
はあ。変なことに巻き込まれそうだなあ。シオンにキリカに商会に、困ったこと多過ぎだよ。せめて一日休ませてくれ。
そんな風に思いつも、俺はシオンに着替えを求め、リースの後を追って宿を出るのだった。
◇
「悪いなシオン、迷惑かける」
「いえ……」
少し顔の赤いシオンが、俺をちらりと見て微苦笑した。うぬ、直視できない。つい顔を逸らしてしまう。その先でキリカが「あーあー」みたいな顔をしていた。
俺達は今、リースの後について商会に向かっている。通っているのはやはり大通りだ。
だがこのアロイスのメインストリートは、南北にではなく北北東から南南西へやや湾曲しつつ伸びている。それと垂直に交わるように東南東から西北西に川が伸びているので、それら二本の線によって町は四分割されているような形となっている。
人口は七千か、六千と聞いたか。ルーベンシュナウと同じかやや少ないくらいだ。確かに、サブリナと比べれば大分落ち着いている印象がある。もちろん、活気は充分だ。
「商会は川のすぐ先だ」
「やっぱり中心部にあるのか」
「町のお得意様だからな、商会っていうのは。金を積めば土地も融通できる」
人目があり、目立つ場所へ。物件の場所を選ぶ時から防犯が始まってるようなものか。
まあ、商会に盗みに入るとかどんな命の捨て方だよとも思うのだが。
そう思っているうちに、商会に着いた。
◇
「アロイス支店長のローラン・グリンです。ようこそおいでなさいました、私どもの商品を無事守り通していただいたこと、心よりお礼を言わせていただきます」
商会に入ってすぐ通された部屋で、何やら髭の渋い三十台後半ほどの男に頭を下げられた。いや支店長か。そう言っていたしな。
それよりも何よりも、彼の態度が気になる。こんな言葉、一傭兵にかける類いのものではないだろう。そもそも普通支店長がお目見えなんてしないと思うけど。
「ちょっと物々しいんじゃないですかね? 俺、言われた仕事しただけですよ」
「セイタ殿が多頭竜をどうにかしていなければ全滅だったと、そうリース殿から窺っております。礼を尽くすのは当然です」
「俺は逃げてただけですよ。多頭竜殺したのは別の奴」
と、そういうことにしておいてほしいのだ。だが、ローランと名乗った商人はなおも低姿勢で「いえいえ」と続ける。
「それでも、多頭竜を足止めできるだけの実力があるのは確かでしょう。いやはや、その若さで何とも……」
「はあ、どうも」
うん。どうもちょっと面倒臭そうだ。
さっさと金出してくれりゃそれでいいのに、何故俺をこうまで下から持ち上げるように話を続けたがるのだ、このおっさんは。これで何もないと思う方がおかしい。
何か意図があって俺を呼んだんだ。そうだ。そうに違いない。
とまあ、俺が気のない返事をそれから数度繰り返した頃だ。
痺れを切らしたのか、ローランがとうとう語り出した。
「ふむ……前置きが長くなりましたな。実は、本日足を運んでいただいたのは、報酬の支払いと同時に、お話したいことがありまして」
「ほう」
ほら来た。リースの言った通りだ。
しかし、はて、どのような話でどのように返すべきかな。何も考えてなかった。
「単刀直入に申しまして、セイタ殿の力を見込んで、我が商会付きの魔導師となってほしいのです」
「へえ」
随分はっきり言うんだな。まあ、今さら長引かされても困るからありがたいけど。
しかし、なあ……
「随分いきなりな話ですね」
「そうですかな? 既に実績を見せているではないですか」
「多頭竜からトンズラこいたのが実績になりますかね?」
「少なくとも目を引き付け、商隊を逃し、それでいてさしたる怪我もなく生き残ったのは確かです。充分腕の立つ魔導師と思える気がしますが」
まあ、そうなんだがね。しかしこのおっさん、それだけではないと思ってる……ような気がする。
そういう顔だ。腹の内を見せない商人の笑顔。言外に何かある、あるいはあると思わせるような笑顔。
もしかすると、俺の実力に関して何か思うことがあるのかもしれない。魔法の心得もない商人がまさか、とは思うが。
「セイタ殿ほどの魔導師ならば、このような話は茶飯事だと思いましたが」
「魔導師で売ってく気がなかったんで。それに、ついこの間まで人里から離れた所にいましたから」
「ほう、それは。修行ですかな?」
「ええ、まあ」
この辺の設定は通していくべきだろう。根っこがボヤけてれば俺の人物像があらかたあやふやになるからな。後で誤魔化す時に楽だ。
まあ、逆に「身の証を立てろ」みたいなことになるとこれでは困るんだが。
「まあ、そんなんでこういう話は初めてなんで。どう答えればいいものかわからないんです。すいません」
「つまり、安く買い叩かれるかも、と?」
「そういうのもありますね。ただ……」
「ただ?」
「何というか、あまりパッとしないんですよ。商会付きの魔導師って何するんです?」
「ああ、これは失礼。説明を先にすべきでしたね」
ローランはそう言って仕事の説明を始めた。
商会付きの魔導師、というのは言ってしまえば用心棒だ。
商会は利益保護のため、独自にある程度の規模の兵力を持っている。リースみたいな傭兵がそうだ。
彼らの仕事は主に商隊護衛、その他雑多な荒事。商会に何の荒事があるのか俺にはわからないが、まあどんな世界にも色々あるのだろう。口出しすべきじゃない。
まあ、商会付きの魔導師も大体似たようなものだ。単純に戦力として数え、傭兵のように扱い、金を払って囲う。至ってわかりやすい。
ただ、それだけではない。
魔導師は魔法で色々できる人間だ。商会は、それに対しても金を払う用意がある。
例えば、金銀の純度を魔法で確かめたり。
魔導具の売買や扱いに関する相談に乗ったり。
他の魔導師と交渉するための窓口になったり。
そういう仕事を期待されるのが商会付き魔導師である。
そして、業務が雑多になる分給金はいい。普通の傭兵に払われる額の数倍、あるいは十倍、はたまたそれ以上になる者もいるという。
なお並の傭兵で月給銀貨四十枚前後だ。これは普通に暮らすならばまあ余裕はあるというくらいの額なので、それの数倍となれば三人家族くらいは養える計算だ。
そして、ローランは何と俺に月二十五枚出すと言う。
銀貨ではない。金貨である。つまり銀貨二百五十枚である。
うん、並の六倍強である。浪費しなければ、というか宿住まいをやめれば普通にリッチに暮らせていける。しかも三人でだ。
俺がなびきかけたのは自然の摂理であった。金は命より重い。
「それだけでなく、住む場所も用意させていただきます。商会がある町には提携している宿が一つ二つありますからね。宿を一々取らせる手間はおかけしません。それか、もしその気があれば我が商会でもいくつか扱っておりますので、物件を紹介させていただくことも可能です。もちろん、三人でも手狭でない物件を」
「ぬ、うっ……!」
ローランの怒涛のセールストークに思わずなびきかける。グイグイ引っ張られる。あかん抗えない。頷きたくなってしまう。
仕事、金、家。特に暮らしていくのに文句のない待遇をチラつかせられればそれもそうなる。何だかんだアロイスに来た後の展望を何一つ考えていなかったからな。このまま不安定な暮らしをするくらいならば……と思うところがないでもない。むしろ多分にある。
別に、「魔王である俺をそのような端金で!」とか思う気持ちがあるわけじゃない。元々この借り物みたいな力で売っていこうとは思っていなかったからな。そんな気があれば討伐軍にでも何でも入っていた。
そう。何となれば、「ここでドロップアウトしてもいいかもしれない」なんてことを俺は考えていたのである。
何せ俺には、目的がなかったから。この世界に来てからここまで何一つろくに決めず、何となく生きてきてしまったから。
そして──シオンがいるから。
俺はシオンとそういう関係になってしまった。
それに対して責任を取る必要がある。命を助けたのとは、別の責任だ。
ならここで、手に職付けてシオンを食べさせていくってのが男ってもんじゃないのか。責任の取り方ってもんじゃないのか。
多少のしがらみはあるが、それは些細なことだ。一番大事なのは、シオンに苦労とかかけさせないことなのだから。
そう思えて仕方なかった。
……キリカ? キリカは、まあ、何かと色々手伝ってもらったし、この後も裏ギルドの方で色々手伝ってもらうから、╽パトロン《かねヅル》にくらいなってもいいかな……色々知られてほしくないことも知られちゃったことだし……
と、そこでふと思った。
これは、俺だけで決めていい話ではない。俺は今、シオンとキリカとウルルの四人で行動しているのだから、と。
頭を振り払い、新居でのシオンとの蕩けた新婚生活みたいな妄想を取り去る。というかそこにキリカとウルルいなかっただろ。どうすんだよ。邪魔だからって追い出すつもりか俺。いくらなんでも薄情過ぎるだろ。
なので、ローランに言う。
「そこまで買ってくれてるのは……まあ、ちょっと変な気もするけど嬉しいです。けど、こういうのはちょっとすぐには決められませんね。少し、時間をくれませんか? ちょっと、こっちでも相談したいことがあるので」
「そういうことならば、はい、こちらは構いません。しばらくはこの町にいらっしゃるのでしょう?」
「ええ」
ひとまずはこう言っておくべきだろう。
まず、この町に来た目的を果たすのだ。そして二人と相談。順番にこなさないと話が上手く纏まらない気がする。何よりやっぱり俺だけで決めちゃいけないことだろうからな。
……二人を振り返ったら呆然としていた。何だおい、その顔は。
◇
「では遅れましたが、これが依頼の報酬です」
と、ローランから木のトレイが差し出される。上に乗っていたのは銀貨が四十五枚……だけではなくそれに加えて金貨が二枚?
どういうことだこれは? まさか商人のくせに数え間違いか? そんなことはないだろう。取って付けたような金貨二枚がうっかりだったらそれはそれで怖いわ。
聞いてみたら、ローランが答えた。
「セイタ殿の働きを見て、少々色を付けさせていただきました。お受け取りください」
そうやって申し訳なくさせて取り込もうって腹じゃなかろうな? そんな手にはかからないんだからねっ。
まあ、貰えるものは貰うけど。
「では、よいお返事を期待しています」
「はあ。では、今日はこのところで」
そう言って、三人で商会を後にする。
帰り際にリースと、それからウルルに会った。そうだ、昨日からここで預かってもらっているんだったな。
いかんな。お詫びの品でも持ってくるべきだったか。
「昨日のゴタゴタに巻き込まれて、お前を抱えて来た時にそのまま……な。まあ、害がないってのはわかってたから、とりあえずスタイン達と一緒に置いておいたんだ」
「あ、そういえばあいつらは? 見ないなあ」
「とっくに金もらってどっか行ったよ。お前が生きてるって聞いたら全員目ん玉丸くしてたな」
つまり俺は完全に囮になって死んだと思われてたってことか。心外だ。
いや、普通はそう思うか。けど俺はお前らのためにそんなことしたんじゃないぞ。あくまでシオンとついでにキリカのためだからな。
「じゃあ悪いけど、しばらくここで預かってもらえるか? それが無理なら町の外の貸し厩舎に連れていきたいんだけど」
「まあ、聞いてみるがな……お前には借りがあるし」
「おう、恩に着てください」
こういう時はふんだんに着せてかなきゃな。
それにしてもウルルの住む場所か。参ったな。これは俺が人里にいる限り恒常的に付き纏う問題だ。せめて町を自由に歩き回れたら……と思うのだが。
「そういうとこ、どうにかなりませんかねリースさん」
「さすがにこんなデカい狼が歩いてたらみんな驚くんだよな……まあ、商会の徽章ぶら下げてたらどうかわからんが」
「徽章?」
「馬車とか、馬とか、樽とか箱とか。それが商会に帰属してるって証だよ。それがデカデカとくっついてりゃ、怪しまれるだろうが怖がられはしねえだろう。『サンデル・マイスでは狼にも荷を引かせるのか』って感じでな」
なるほど。いい案だ。商会付きということにすればウルルも市民権を得られるのか。
ともあれしかし、そうしようとすると俺はサンデル・マイスと繋がりを持たねばならなくなり、そうするには俺が商会お抱えにならなければいけないわけだよな。難しいな。この件も保留だ。
「まあ、ひとまずはそんなとこで。またすぐ来ると思う」
「そうか。まあお前なら歓迎だ。生きて帰ったことを祝って一杯やるか? 嬢ちゃん達も一緒に」
「悪いが俺とこの子は酒が飲めない。こっちは酒癖が致命的に酷い」
「何よその言い方!」
「本当のことだろ」
俺にリースにキリカでそんなやり取りをしながら、シオンの肩を借りて大通りに出た。まだ昼前だった。
と、商会支店から出たところでそれまで静かめだったキリカが口を開く。
「どうするの? あの話」
キリカに問われ、少々悩んでから首を振る。
「とりあえず、この町でやることやってから決めよう。ってわけだ、キリカ。一旦宿に戻ろう」
「ああ、そうね。アレね」
そうだ。アレだ。
サンデル・マイス商会と云々するより前に、やることがある。
カタギで話をする前に、まず俺達は裏ギルドに行かなきゃならないのだ。