四十六話 説教
書き溜め十話分ほどしかありませんが、見切り発車で続きます。
今回は本編になります。
早いもので、俺がオロスタルムにやって来てから二ヶ月ばかしが経っていた。
その間、色々あったものだ。ウルルに会って、セーレに会って、シオンを助け、人を殺して、フォーレスを出て、キリカに会って……色々なことを思った。
──だが、こんなことを思ったのは初めてだ。
俺はとにかく、元の世界に戻りたかった。いや、この世界から消えてなくなりたくて仕方がなかった。自己嫌悪と恥辱に、そのことしか考えられなくなっていた。
何故かと言うと──
朝。俺は目を覚まし、胸の中に抱いていたシオンの暖かさと柔らかさと寝顔に、昨夜の情事を思い出し蕩けていた。
そんな折、ふと身体と首を傾けたところ──俺は、ベッドに座ったキリカの、引き攣った笑みを目撃することとなった。
……俺の心がどうなったのか、今さら説明するまでもない。
とりあえず、絶叫した。
◇
「いやぁ、何て言うか……その、別にあたし、からかうとかそんなつもりないから。というか、尊敬してるくらいよ? 凄かったわね。超聞こえてきた。こっちまで興奮しちゃって、しばらく眠れなかったわ」
「やめろおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
「いやあああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
呆れたような感心したようなキリカの声に、俺はベッドにがんがんと頭を叩き付け、シオンはシーツを引っ被って狂ったように頭を振り続けた。
そうだ。思えば昨晩は正気ではなかった。
隣にキリカがいると、しかもどうせ狸寝入りだろうとわかっていながら、すっかり二人の世界に入って事に及んでいた。互いに夢中になって、何も見えなくなっていたのだ。
多分、全部聞かれた。そしてお察しされた。
衣擦れとか、腰を打ち付ける音とか、そういうギシアンのみではない。多分無意識に色々と囁き合っていた。喘ぎ合っていた。そういうのを全部聞かれた。すぐ横で。無警戒のまま。余すところなく。
死にたかった。恥ずかしくて息ができなかった。頭が沸騰して弾ける思いだった。耐え切れず浴室に転がり込んで、完全遮音の『結界』を張って狂ったように頭を打ち付け続けた。
二十分ほどそうしていただろうか。どくどくと頭から流れる血にふと数秒正気を取り戻した俺は、『治癒』と『精神操作』を使って心を無理矢理に落ち付けた。
それでも引き裂かれるような恥辱が残り続けていたことに、さすがに事態の業の深さを感じずにはいられなかった。
◇
「よし、よーしよし、よし……みんな落ち着こう。特にシオン、大丈夫だから、もう大丈夫だから。な? うん?」
「……は、う、あ……」
「お湯を作っておいたから、ひとまず身体を洗ってきなさい。いいね? その間、俺はキリカとお話があるから。ほら、いい子いい子」
あんよが上手とばかりに、俺は裸のシオンを浴室に連れていった。まるで娘か何かである。娘だったら昨晩やったことは犯罪でしかないのだが。
とにもかくにも浴室にシオンを連行した俺は、扉を閉めると、キリカに向き直る。
「えーっと……セイタ? どうしてそんな怖い顔をしてるの?」
「自分でもよくわからん」
冷静に考えれば、今回の事態にキリカの責任はない。ないはずである。
あくまで俺とシオンが昂ぶりのあまり事に及んでしまい、それをキリカが起きているにも関わらず聞かせてしまったというわけで、むしろ問題はそんな変態的行為に及んでしまった俺とシオンの方にあるはずである。
しかしそうは問屋が卸さない。というか卸させない。
何かキリカだけ冷静である、そのことだけで責める理由になるのだ。今の俺にとっては。
理不尽であることは委細承知である。
「……シオンに何か吹き込んだか?」
「え、何よそれは。突然どういうこと?」
「昨日のシオンはどう見ても普通じゃなかった。何かあったとしか思えない」
至って冷静な表情を繕いつつ、感情は挟まず事実を取り上げた。つもりだった。
が、そんな俺に対し、気まずそうにしていたキリカは不意につまらなそうな顔をしたかと思うと、大きく溜め息を吐いたのだった。
「あんたね……そりゃ、当たり前のことでしょ。好きな男が死ぬかもしれないって、そんなことずっと考えてて追い詰められてたのよ?」
「好っ……」
「まさか気が付いてなかったとか、そんな馬鹿なこと今さら言わないでよ? 言ったら殴るから」
いや、そんなこと言われても。
気付いてないというか、その、気付いてはいたんだが、そういう類いの感情だとは思っていなかったのだ。シオンは俺の傍にいて安心とか、そういうものを抱いていると思っていたし、俺は俺で、シオンのことは妹みたいに扱ってきたわけだし。
そりゃ、憎からず思ってはいたさ。俺みたいなのを頼ってくれて、可愛いし、普通に好きだった。あわよくば、なんて下衆っぽいこともチラチラ脳裏をよぎってはいた。
でも、それは俺の方だけで。
シオンは俺を頼ってはいるけど、信じているけど、そこまでのことは考えていない。そう思っていた。
「俺になら大丈夫、別にいい」とか思わせぶりなことを言いつつも、それは俺のことを信用しているからで、本当にそこまでの感情にまでは至ってないと、そう俺の方は思っていたのだ。
それが違ったのは、昨晩シオン自身が証明してくれちゃってたが。
「……あたしは何も言ってないわよ。まあ、好きなようにしなさい、くらいは言ったけどね」
「言ったんじゃないか」
「ええ、認めるわ。多少のお膳立てはした。でも結局、全部シオンが決めてしたことよ。変に焚き付けたりなんかしていない。あんたがそう思ったんなら、それシオンへの侮辱だから。わかってる?」
「う……」
意外にも強い口調で答えが返ってくる。ほぼ開き直りではあったが、そこまで強く出られると女に弱い俺は何も言えなくなる。たとえ童貞でなくなっても、異性が怖いのは変わらないみたいだ。駄目だな俺。
そんな俺に溜め息を吐きながら、やれやれと首を振るキリカ。
「……大体ね、元はと言えば全部あんたのせいなのよ」
「え?」
「忘れた? あんたここ数日妙にあたし達のこと避けてたじゃない。あれのせいでシオンが余計不安になったのよ。『私のこと邪魔になったの?』ってね」
「あ、ああ……」
思い出したくないことを思い出させるものだ。追及はないので誤魔化しておく。
まあ、あれは所詮夢。現実に昨晩凄まじいことをしちゃってるので、今さらあまり気にならなくなっていたが。
「あんたがシオンを追い詰めたの。不安にさせたの。『何でもしなきゃ』って思わせたの。自分が何やったかわかってる? 女の子に『身体開かなきゃ』って思わせるくらい悩み込ませたの。反省しなさいよ」
「はい……反省します……」
キリカによる怒涛のラッシュ。勢いに負けて謝らざるを得ない。なんで恥ずかしい一面をデバガメされて逆に怒られているのか、と思うこともなくはなかったが。
いやそれも結局俺達のせいか。勝手にヤり始めちゃった俺達の。
……うーん、まあ。何というか。
全面的な納得はできないが、理解はできる。
そして、そのことについて思うこともあったり。
「……ていうか、妙に気にかけるのな。シオンのこと」
「何よ。悪い?」
「悪いっていうか、何か、キリカってそういうのじゃないと思ってたっていうか……そもそもお前盗賊だろ?」
男女の仲を取り持つとか、それで給料が入るのか昨今の盗賊は。んなわけねーだろ。
「大体さ。もう結構前から、キリカとシオン仲いいよな。最初はシオン、キリカのこと苦手って言ってたんだぞ」
「知ってる。聞いたから。多分、あたしがあんたにグイグイ行ってるのを見て、いい気持ちがしなかったんでしょうね」
「それってつまり?」
「焼きもちって奴」
ウワォ。俺って嫉妬させるほどシオンに想われてたの。
素直に嬉しい。愛しい。今すぐ浴室に行って抱き締めてきたい。多分それで終わらず、また致しちゃうから止めとくが。
ていうか今はキリカと話してる最中だ。
「ま、あんたが押しても駄目駄目、身体で繋ぎ止めるのが無理だってわかったから、あの子の方から落とそうと思ったのよ。将を射んと欲すればうんぬんって奴」
「そうやってぶっちゃけ過ぎるのは心臓に悪いから止めて差し上げろ」
つまりシオンがキリカを気に入れば、必然的に俺がキリカを追い出すのも難しくなるということか。
聞きたくなかったよそんな衝撃の真意。シオンが泣くよ。あと俺も。
と思ったら、キリカが「でも」と続けた。
「あの子見てるうちに、あたしもちょっと楽しくなってきちゃって……素直過ぎて、危なっかしくて、放っておけないというか……シオンは何か、妹みたいなのよ」
「ああ、わかりますわかります」
実際、ほぼ妹のように扱っていたからな俺も。
それも実妹ではなく義妹だ。実妹は兄の心が痛むだけだっていうのが世の現実らしいからな。あと規制にも引っかかる。
キリカがちょっと遠い目をしながら続ける。
「シオンから、色々聞いたわ」
「え、何を?」
「そうね……あの子があんたに助けられたこととか、記憶がないとか、まあそんなこと」
少ないな。と思ったけど、実際、それで説明できちゃうんだよな。うん。
シオンにフォーレスにいた時の記憶はほぼないだろう。俺のことは少しは覚えてるらしいが。多分、服装について少し思うところがあったくらいか。
「あの子、セイタにずっと気兼ねしてたんだって。自分はセイタに世話になりっ放しなのに、何も返せてない、このままじゃ邪魔物になっちゃうって」
「んなこと思うわけないのに」
「そりゃ、あんたはね。でもシオンが申し訳ないって思うのはシオン自身の問題でしょ」
そうか。それもそうだな。
キリカも似たようなことを言っていた気がする。俺に助けられて、借りを作りっ放しは気持ちが悪い。だから何でもして返そう、むしろ借しを作るくらいでいこう、って、そんな感じだったっけか。
俺もそうだな。俺も『夢創』で勝手に二人のこと滅茶苦茶にしちゃっといて、それで目を合わせるのが気まずいとか言ってた。
でもそれは別に二人に関係のないことだ。俺の問題だ。二人に対する現実の俺の態度に影響を出したって意味がない。自己嫌悪は腹の中で留めておくべきなのだ。
と、そう考えたら、シオンのこともあながち笑っちゃ済ませない気がする。
シオンは俺に負い目を感じてる。それを返せないことに苦しんでいた。
その気持ちをどうにかするには、俺が何か言ってやるのではなく、自分で行動しなきゃいけなかった。
つまりそれが……アレだったのか?
「いくら何でも身体で返せなんて言わねえよ……」
「だから、言ったじゃない。あんたのことが好きなんだって。それだけよ。恩返しの意味もあったかもしれないけど、素直になったんでしょ」
う、うぐぅ。
第三者から言われると恥ずかしいことこの上ない。でも嬉しい。でも恥ずかしい。死にそう。紐があったら首を括りたい。
まあ、情事を横で聞かれて今さらだとは思うが。
「とにかく、責任は取ることね。男なんだから」
「お、おう……うん……取ります……」
重いですね、話題が重い。責任は性欲を抑えられなかった俺にあるんだが。
二十歳の若造にして十四歳の女の子を孕ませて子持ちか……飛躍し過ぎてはいるが、可能性がゼロとは限らない。
何か考えるだけで怖くなってきた。俺に子育てとか、無理だろ……でもやらなきゃ……それ以前にシオンを幸せにしなきゃ……ああ……結婚は人生の墓場か……
「何死にそうな顔してんの」
「いや、だって」
おかしいか。そうか、この世界じゃ人の寿命も短いし、成人も早いんだよな。
十五歳で即結婚したり、十六歳で子供作ったりとかそういうのも普通に入るか。だとすれば俺みたいな二十歳回ってて、しかも金の目途が立ちそうなくせに責任取ることに怯えてるとか、馬鹿みたいに見えるのだろうか。
でもね、違うんですよ。
責任っていう言葉は重いんですよ。そんなの誰も取りたがらないような時代に生まれたからね。余計一層重く感じるんですよ。
だって昨日まで童貞だったんだもの。女の子一人抱えて生きていくなんて、そういうの考えたことなかったんだよ。怖がるくらい許してほしい。
許してもらえないか。そうか。だったら最初から抱くなって話だよな。
そうですね、はい……
……駄目だ。このままじゃ潰れちまう。
無理にでもアゲていかなければ。前向きに、上向きに精神を矯正するんだ!
俺はできる! やればできる! ヤればデキる! ガンバルゾー!!
シオンがもし妊娠しちゃったら? めでたいことじゃないか! 子供の名前考えないとな! 子育て? 魔王の俺にできないことはない! 慢心? 何言ってるのかわからんなあ! シオンの家族? 挨拶しに行かなきゃね! オウイェス! イェスッ!
そうだ! 家を建てよう! でっかいのがいいかな? 落ち付いたのがいいかな? シオンにも意見を聞かなきゃな! そんで、次は──
「……でもさぁ」
と、ようやく立て直しかけてた俺を止めるキリカの声。
はっと正気に戻る。心の隅でまだアホな俺がテンション上げてたけど。
「あたしとしてはさぁ、気まずいんだよねぇ……仲良くするのは結構だけど、横で毎晩ああいうのが始まっちゃうと、ねぇ……?」
「い、いや、毎晩とかシマセンヨ? ていうか、昨日は突発的なアレで……」
「男のそういう言い分、信用できないのよねぇ」
正論である。俺も信用できない。
手出さないとか言っておきながら出したんだ。「先っぽだけだから!」とか「外に出すから!」とかそういうのと変わりない。男の一番駄目な奴だ。
まあ、それを指摘するキリカがどれだけ男を知ってるんだって話でもあるけど。
「あたしの気持ちになって考えてみてくれるかなぁ? ねぇ? 眠ろうとしている横でさ、ギシギシって音が聞こえてきて、泣くような嬉しそうな艶っぽい声が……」
「ヤメロッ、ヤメロオォォオ!!」
恥ずかしさといたたまれなさがモンロー・ノイマン効果で心臓を貫徹してくるので慌てて止めた。でもちょっと遅かったかもしれない。心に穴が開いていた。
「わかってくれた?」
「わかりました……いえ、わかります……」
俺は元々陽の当らない側の人間だったからな。
陽とはこの場合女性である。元始、女性は太陽だった。多分そんな感じ。
そして俺は日陰者だった。当たり前だよな。
「そう、わかってくれるのね。じゃあ、その辺りのことについてはどうすればいいか考えておいて」
「はい……誠心誠意対応させていただきますので……」
「ああ、あたしは別に『するな』とは言ってないから。ただあたしが気まずくならなければそれでいいの」
「は、はい……でも昨晩のようなことは二度とないと誓います……」
俺は人前であんなことそんなことできる勇者じゃない。昨日のことは冷静に考えて、冷静じゃなかったのだ。
そうさ俺は紳士。家名はロリコン、号はヘタレ。
あんなことまともな神経でできるわけがない。モルダー私疲れていたのよ。そう、疲れていたの。
あ、思い出したけど足がまだ痛い。まあいいか、今日はゆっくりしていよう。
そう俺が思ったのと、シオンが浴室から上がったのと、部屋の扉を叩かれたのが、ほぼ同時だった。
予告になりますが、今後結構痴情のもつれパートが続きます。
タイトルは何だったのでしょうか……ある意味御乱心してますけど。
それと、見やすくするために今回から章分けすることにしました。
章タイトルは暫定的なものなので、特に最新のものはイメージを鑑みて後で変えるかもしれません。