四十四話 また四人で
多頭竜出現──ルンツェの森から突如として三つ首級の多頭竜が出没したことを、アロイス及びその近隣の村落はすぐに知った。
そして同時に、その多頭竜が既に討伐されていることも。
不確かな証言によれば、これを成し遂げたのは一人の魔導師であったという。これが誰かは定かではないが、一説では、魔王を討伐した勇者アレスに同行した、魔導師ロア・サントラではないかと言われている。
というのも、彼女は勇者一行と王都に帰還した後、その姿を眩ませていたからであり、さらには多頭竜を単身打ち倒すほどの実力がある者など、勇者一行の他には考えられないからである。
遍歴の折に偶然出くわした多頭竜を討伐する、という偉業を成し遂げたロアの名声はたちまち高まり、すぐに英雄譚として持て囃され、伝聞で伝わっていくこととなる──それが真実であるかどうかの確証は、誰も持たないまま。
──まあ、何と言うか。
こうして歴史は捏造されていくんだなぁ、と、中々面白いものを見た。
俺の方に起こった色々については、大して面白くもなかったが。
◇
あれからなんやかんやありつつも、再合流したウルルの助けもあって、俺はアロイスに辿り着くことができた。多頭竜と戦った翌日のことだった。
その後、休む間もなくアロイスのサンデル・マイス商会支部に叩き込まれ、リース達と合流。
そこで何故か一緒に町に入ってきたウルルを預かってもらうことにもなって、安心したのも束の間、今度はアロイスの詰め所に連行されて諸々の事情聴取となった。
「いやだから、俺はこのままじゃ商隊がマズいと思って、とりあえず多頭竜の足だけでも止められないかなって残ったんですよ。それはまあ何とかなったんですけど、魔力切れて殺されそうになって、もう駄目だ! って思った時に、誰かよくわからない魔導師……でしょうかね? 何か凄い光がドバーッて、多頭竜がグシャーッて、その隙にはい、逃げましたね。だからよく覚えてないです」
色々適当ぶっこいて曖昧にしておいた。そうした方が後で話を合わせやすいと思ったからだ。
大体それとほぼ同時に、ルンツェの森のすぐ脇の街道が焼け野原になっており、またその只中に三つ首の多頭竜の死体が転がっているという報告が届いた。それによってリース達がもたらした目撃情報に対する厳戒態勢は解かれ、すぐに方々へ伝令が走ることになったらしい。
問題発生とほぼ同時に解決とは、情報が早くない世界にとってははた迷惑なことだ。まあ俺のせいなんだけど。
その後、まともに歩けない俺はキリカが部屋を取ったらしい高級宿に連れ込まれたわけだが……
◇
「あの、自分で洗えますから、その、どうかそれだけは勘弁を……」
「駄目よ」
「駄目です」
「ああぁぁっ! 脱がさないで脱がさないで! 足に響く痛い痛い痛ぁぁぁいぃぃぃぃぃぃ!!」
アロイスに着き、あちこちたらい回され、ようやく宿に入った夜。部屋の豪華さに困惑しつつもベッドに倒れ込んだ矢先のことだった。
それまで神妙な様子の二人に何と声をかけたらいいかわからず、落ち着いてから話そうと思っていたのだが、その時突如として二人が豹変し、俺に襲いかかってきた。
いや、襲いかかってきたというのは語弊があるが……いや、やっぱり襲いかかってきた。
「おい! ちょっと、何すんだキリカ! シオンまで!」
「うるさい。抵抗しても無駄よ。脱ぎなさい」
「静かにしてくださいセイタさん。大人しくしてればすぐ終わります」
「何がだよ!?」
「お風呂です」
「お風呂よ」
極度の筋肉痛に苦しむ俺は、鬼気迫る目の二人に抗うこともできずポンポンポンと服を脱がされる。
辛うじて股間だけは隠すことに成功したものの、やっぱり歩くのも難儀する状況のため逃げるに逃げられず、浴室に引き摺られていく。
そう。どうも今回借りた宿には浴室があるらしい。
バスタブなどがあるわけではなく、運んできた水を沸かして被ったり浴びるだけの浴室ではあるが、確かに浴室があったのだ。見るからにお高いと想像できる。
金がかかるからとサブリナを出たのに、これはどういうことか。
キリカに詰問したかったが、目が怖かったので何も言えなかった。
「ほら。セイタ、早く魔法で水出して。沸かして」
「いや、そこまでやるなら後も自分でやるし……」
「お湯。お湯って言ってるの」
「早くしてください、セイタさん」
怖い。シオンまで怖い。どうしちゃったの。
何故か二人は俺を怖ろしい目で睨み、命令し、そのくせ色々な世話を焼いてくる。
いや違う。世話を焼かさせるのだ。
強制的だ。俺に拒否権はない。何一つ自分の手でやらせてもらえなかったのだ。
この風呂も例外ではない。あちこち焦げた服は強姦されるみたいに二人に脱がされ、無理矢理浴室まで引っ張って来られ、挙句自分達が身体を洗うからお湯を出せと言う。
途中まで聞けば完全に集団レイプ現場である。最後まで聞けばそれ何てソープだ。
どちらにしろろくなものではない。ろくなものではないけど俺には拒否権がない。ちょっと酷過ぎないですかねこれ。
でも怖いので言うことを聞いて、俺はビクビクしながら魔法で水を集め、温め、適温にしたお湯を水桶に溜めたのだった。
脅迫されてるのか拷問されてるのか介助されてるのか奉仕されてるのか、正直もうよくわからなかった。
「お湯、出しました……」
「よろしい」
「では洗わせていただきます」
目が据わった二人が袖を捲くり、布を絞り、俺にじり、と近付く。
だから怖いっつってるじゃないか。やめて。小便漏らしそう。
しかしそんな様子とは裏腹に、二人が温かい布で俺の身体を拭う手付きは本当に優しかった。さっきまでの輪姦ムードが嘘のようだ。
少々ぎこちなかったものの、女の子に裸を見られ、洗われるという異様な状況も相まって、気持ちよさはマックスを振り切っていた。
当然のように元気になってしまったので、必死に隠していた。隠す時点でもうアレなのはモロバレなんだが。
俺変態なのかもしれないな。面倒だからもういっそそれでもいいやと思ってしまった。
股間以外を洗ってもらって、拭いてもらって、服を着せてもらって、便所に行かせてもらって、そんないたれりつくせりだというのにくたびれ切ってしまいながら、俺はようやくベッドに辿り着いた。
本当はもう宿着いた時点で今日は寝かせてもらおうと思っていたので、長い旅だった。あと酷い旅だった。大事な何かを失う旅だ。もうお婿には行けないと思った。
「ちょっと待って」
と、ゴロンとベッドに転がろうとしていた俺を、キリカが無表情で止めた。声も冷たい。怖い。もう勘弁してください。
「あたし達に何か、言いたいことあるんじゃない?」
「え? あー、その……色々ありがとう? あ、あと、無事でよかった……」
「違うわよね」
「違いますね」
じり、と寝巻のブラウスに着替えたシオンとキリカにベッドの両側から詰め寄られる。あの、ちょっと、え……?
「ごめんなさい、でしょ?」
「はい?」
「ごめんなさい。心配かけてごめんなさい。言ってみて、ほら」
「し、心配かけてごめんなさい……」
「あたしだけ?」
「は?」
「シオンにも言いなさい。ほら、言いなさいよ」
喉の奥が痺れる。歯の根元がガタガタする。
キリカが怖い。マジで怖い。
大人しく従い、シオンの方を向く。そこに立っていたのは、愛らしくも無表情な少女が俺を見下ろす姿。
何かわからんがちょっと泣きそうになりつつも、俺は震える声で「ごめんなさい」と言いながら頭を下げた。
──その頭を、ふわっと何かが包み込んでくる。
「──ふわっ?」
声に出た。何ぞ。何が起きた。
目を開ける。ブラウスの白い布が見える。鼻に飛び込んでくるのは女の子のいい香り。後頭部に感じるのは細い指が髪を撫でる感触。
俺は、シオンの胸に抱き留められていた。
「セイタ、さん……よかったです……本当に、本当、にぃっ……いぃ……!」
腕が、胸が震えている。泣いている。シオンが泣いている。
俺が泣かせたのか。俺のために泣いているのか。
何にせよ俺が原因で泣いている。俺の色々のせいで。俺の身を案じるせいで。
「……ごめん」
申し訳ないと思った。それしか思えなかった。シオンの胸の香りを一杯に吸い込むと、彼女の不安や恐怖や安堵が俺にまで伝わってくる気がして、こっちまで喉の奥が震えて、泣きそうになってしまった。
誤魔化すようにシオンの背に腕を回した。背中も震えていた。泣いている方が胸を貸すという変な構図な気はしたが、シオンの香りを嗅いでいると幸せな気持ちで胸が一杯になって、どうでもよくなってしまった。何だか段々眠くなってきた……
「シオン、ちょっといい」
キリカの声が聞こえ、一拍遅れてシオンが俺を解放する。
向き合ったシオンの顔を見る。涙の筋はあるものの、俺にくしゃりと笑いかけるシオンは、俺が今まで見た何よりも綺麗なものに見えた。
「セイタ」
シオンに見惚れてぼうっとしていた俺は、キリカの声に反応するようにそちらを向き──
──彼女の赤髪を視界に収めた瞬間、バシンと両頬を叩かれた。否、潰された。
「痛い!」
「セイタ、あんた、よくも心配させてくれたわね。一人で勝手なことしてくれちゃってさぁ。わかってる? ねえわかってる? 心配したの!」
「痛い痛い! やめてくださいキリカさん!」
ぐにぐにと潰され、引っ張られ、叩かれ、弾かれ、さんざっぱら顔で遊ばれた挙句、唐突に解放された。
ひりひりと痛む顔を擦りつつ、ふと見上げると、ぶすっとしたキリカが俺を見下ろしていた。怒っているのだろう。心配させたんだからな。
でも、さっきの無表情に比べれば全然怖くない。
何を考えているかわかるし、それに……言ってくれたからな。
「心配……してくれてたんだな」
「当然じゃない。せっかくあんたの傍で美味しい汁が吸えると思ったのに、あんたが死んだら元も子もないでしょ。それわかってるわけ? シオンだけ押し付けて勝手に死ぬつもりだったわけ!?」
いやそんなつもりは毛頭なかったけど。ていうか、それ本心で言ってるのかお前は? だったらちょっとアレだ。
まあ、俺にはあんまそうには聞こえないが。
「いや、別に死ぬ気はなかったし、ちゃんと戻ってくるつもりだったよ……ほら、戻ってきたろ」
「運がよかったのね」
「魔法だよ」
このやり取り、二回目だな。
そして今回も俺の自信過剰だと思ったのか、キリカは腕を組んでふんと鼻を鳴らした。
……今思うべきことじゃないが、そうして寄せられてみると結構……ある。
何がとは言うまいが、美味しそうだ……あ、いや、ごめんなさい。何でもありません、はい。
「あんたのせいでこっちは大変だったのよ。シオンは死にそうな顔になるし、あたしは胃がキリキリ痛んだし。もし死んでたら二人して路頭に迷ってたところじゃない」
「金ならあったろ。荷物に」
「遺産のつもり? 笑えないわよ」
「いやだから、死ぬつもりは毛頭なかったって」
いざとなれば多頭竜の足だけ潰して『転移』で速攻逃げる気だったからな。何とか勝てるか、と思ったから戦闘を続けただけで。
あと、誰も見てないから色々試したかっていうのもあるな。あの竜にはちょっと申し訳ない理由だが。
と、そんなことは言えないのでキリカが納得も理解もできるはずもなく。
「まあどっちにしろ、あんたがあたし達にちょっと無視できないくらいの不安を与えたってのは事実なわけ」
「シオンはともかく、お前までねぇ」
「何よ、恩人を心配しちゃいけないわけ?」
「いや……」
恩人。そういえば俺はキリカを助けたんだっけな。
うっかり忘れかけてた。なんかもう面倒だからチャラにしとこうって無意識で思ってたのかもしれない。
それだけ、俺がキリカに慣れていたというのもあるのだが。
しかし信用してはいたが信用されているとは思っていなかったというわけか。我ながら面倒なことだな。
「ありがとよ、色々と。大分気を揉んでくれたみたいだな」
「そうよ。感謝してよね」
「ああ。けど……」
ただ、それにしても。それにしてもだ。
あの風呂の乱行は、ちょっと納得がいかない。わけがわからない。
問い詰めさせてもらう。と、二人は気まずそうに視線を逸らした。
おい、何だよその反応は。
「あれは、その……ねえ?」
「は、はい、あれはセイタさんが、その、不自由そうだったから……」
「むしろ引き摺り出される時この上なく不自由で痛かったんですけど」
足がね、足が。その後はもう何の風俗だよって気分だったけど。
「い、いいじゃない! 気持ちよかったでしょ!? 嬉しかったでしょ!? 男なんだから! だったらそれでいいじゃないの!」
「だから何でそんなことする必要あったのって聞いてんの俺は! 突然狂ったのかと思ったぞオイ!」
「それは……お、お礼……そうよ、お礼よ!」
「意味わかんねーよ!」
「だから! あんたにまた助けてもらって! そのお礼よ! 他にどうしたらいいかわからなかったの! 文句ある!?」
お礼。お礼と申すか。あの恐喝、連行、強制泡風呂行為を。
いや無理です。どこをどうやったらそう思えるというのか。
確かに元気になっちゃったくらいには気持ちよかったけど。雰囲気があれじゃ……
「別にそんなんいいから! ああいうのは心臓に悪いからやめてくれ! 大体お前男の裸なんぞ見て平気なのかよ!?」
「そんなウブのネンネじゃないわよ! 馬鹿にしないで!」
あんた自分で処女だって言ってたじゃないですか。耳年増か。それともやっぱり処女ビッチか。
しかし顔が少し赤いぞ。やっぱり別に見慣れているわけではなかったか。俺も肝心な部分は隠し通したが。
……隠せただろうか? ちょっと自信がなくなってきた。
大体、これはキリカだけの問題ではないのだ。
シオンもいたんだぞ、シオンも。仮にシオンが俺のムスコを既に拝見済みだったとしても、あんな風俗行為をやらせていいはずがない。その点わかっているのだろうか、こいつは。
と思えば、そのシオンが口を開いた。
「キ、キリカさん、今はこれくらいにしてください……セイタさんも怪我してることですから……」
「う、うぐっ」
キリカの逆ギレから端を発したシモの言い争いに、絶妙なタイミングでシオンが待ったをかける。シオンの方はもうすっかりあの少女型冷徹兵器の様相からいつもの弱気キャラに戻っていた。
ありがたい。これで二対一の優勢だ。ただ、俺が怪我じゃなくて筋肉痛っていうのがカッコつかない部分だな。
言わないでおこう。名誉の負傷だということにしておこう。我ながら汚い。
「……今日のところは勘弁してあげる。でも……自分が言ったこと、忘れないでよ」
「言ったこと? 何?」
「忘れたの?」
背を向けていたキリカが俺を振り返り、横顔ににやりという笑いを浮かべる。
「言ったじゃない。『何でも言うこと聞くから行かせてくれ』って」
「あ」
そういえば、確かに言ったな。
そして、マズい。これは明らかにマズい。
何がって、「何でも」って文句は凄い危険なワードなのだ。常識である。事故に遭ったら「ごめんなさい」と言ってはいけない、と同じくらいの常識だ。
まして男が女に「何でも」なんて言ってしまったら、マジでケツの毛までむしり取られる可能性があるのだ。明らかにヤバい。
超早まった。今さら遅いけど。
己の迂闊さに俺が睾丸縮ませて衰弱死寸前の犬みたいな声を上げていると、キリカがもう一つのベッドに入りながら背中越しに言った。
「じゃ、シオンはあんたのベッドに寝かせてあげて。今日のところはそれで勘弁してあげるわ」
「え!? え、あぁぁ、あの、どういうことですキリカさん!?」
「明日からも覚悟しておいて? 商会から報酬も入るんだから、無事アロイス到着を祝ってパーッとやりましょ?」
「ちょっ、キリカさん、僕達今お金が……」
「たくさんあるでしょ?」
当然あるわけではないのだが、にっこりするキリカにシオンも俺も何も返せませんでした。
キリカは中々にゴージャスなベッドに潜り込んで、わざとらしい寝息を立て始める。「もう話すことねーから」と、その解いた赤髪が告げていた。
取り残された俺とシオンが顔を見合わせる。
気まずくなって苦笑いを浮かべつつ目を逸らす。それでもまた目を合わせる。
どういうことでしょうか。キリカは一体何のお膳立てをしたつもりなんでしょうか。いやお膳立てというのは明らかに俺が悪意持ち過ぎているか。でもそうとしか思えない。
だってシオンの表情は恥じらいで死にそうになりながらも、何かそれだけでないような雰囲気も醸し出していて……
「え、ええっと……シオン、あの、あのさ……」
「あの、セイタさん……私は床でも……」
「それはダメッ!!」
反射的に言ってしまった。その時点で、俺のその晩の運命は決定してしまったのだった。
そう、運命が。運命が、ね……
44話と言っていましたが、ウソでした。申し訳ありません。
なんか長くなってしまったので分割します。次回で本当に一区切りとなります。