四十一話 デンジャークロース
「ウルル? いるか? 聞こえるか?」
『……ああ。無事か?』
「まあな。そっちは? 今どこだ?」
『馬車に並んでる。怪我もない』
「そうか」
俺はほっと胸を撫で下ろしつつ、続けてウルルに指示する。
「そのまま馬車についてってくれ。町に近付いたらその辺で隠れて……もしあの怪物がやってきたら二人を探して連れて、どこかに逃げてくれ」
『そうしよう』
「頼んだぞ」
『ああ』
シオン達と違って、ウルルは俺の言うことに異を唱えない。迷いなく従ってくれる。
それは俺を信じてくれているからだろうか。それとも、俺の本当の力を知っているからか……?
やめよう。今回の相手はさすがに余計なことを考えてる余裕がない。集中しよう。
相手は盗賊でも魔導師でもない。多頭竜だ。怪物なのだ。
……それでも、負けるつもりはないし、その気もしないけどな。
何故かはわからないが、自信がある。覚悟もできている。
多頭竜が強大な力を持っている……というのはわかる。魔王謹製の特上魔物だ。強くないわけがない。
だが、俺はそれを造った魔王の力がある。虎の威を借りているわけだが、それで精神の均衡が保てるならそれはそれでいい。
今は、こいつをどうにかする。それだけだ。
「オオオォォオオオォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」
多頭竜が吼える。魔力の塊が、瘴気を撒き散らして震え、地面を叩く。俺を見下ろし、敵意に燃えた目をぎらつかせる。
竜の神聖さは微塵も残ってはおらず、ただおぞましく怖ろしい魔物の本性が、その全身から迸っている。
初めてだな。この世界に来てから二ヶ月経つけど、こんな怪物と、魔物と戦うことになるなんて。もしかしたら、という程度には考えていたけど。
皮肉なことだ。魔王の俺が、魔物と戦うことになるなんて。
……待てよ。魔物なんだよな、こいつ。
魔物ってことは、魔王の配下だったんだよな。だったら、俺が従えたりとかは……できないのか?
やってみるか。無理なら、その時はその時だ。
「おい、止まれ!! 聞け!!」
多頭竜はずどんずどんと爆砕音を立てて俺に闊歩してくる。駄目か。そう思いつつ両手に魔力を込め、距離五十まで詰まった時だった。
多頭竜が、その歩を止めた。
「……お?」
話が通じるのか。本当に止まるとは思っていなかった俺は一縷の望みを抱きつつ、三つ首を見上げた。
あ。駄目だ。目が完全に「ブッ殺す」って感じだ。これは駄目な奴だ。うん。
『……魔力……強イ力……ヨコセ……喰ワセロ……』
と思ったら、喋った。多頭竜が喋った。
喋れるのか、こいつ。竜族は同族同士でも喋るし、他種族の言語も容易く理解する知能を持っているけど、改造された多頭竜は脳や精神までグチャグチャに弄られて、自我なんて残っちゃいないってのが魔王の知識だった。アテにならないな、おい。
「悪いが、お前に食わせる餌はない! とっとと帰って寝ろ! 取り返しがつかないことになるぞお互い!」
『敵……喰ウ……貴様……力食ワセロ……飢エル……』
言い終わるなり、高らかに咆哮。駄目みたいですね。俺が憎いと同時に、どうしても食いたいようだ。腹ぺこさんかよ。
ところで魔物や魔族の他の生物と違う最たる点は、魔力を取り込んでそのまま代謝のエネルギーに利用できることだ。
要するに、魔力があれば食わずとも生きていけるということである。そして当然、何かを食うことでもエネルギーにできる。便利なものだ。
しかし身体がでかければ、それだけ必要とするエネルギーも多い。自然の摂理である。多頭竜なんて複数頭分の内臓や筋骨があるのだから、当然基礎代謝も魔力消費も馬鹿にならない。
であるからこそ、かつての魔王は多頭竜を侵略兵器としてしか利用できなかった。
管理するのも大変なものだから、敵地に放り出して勝手に暴れさせ、勝手に食い散らかさせ、勝手に死んでもらおうという魂胆だったのだ。酷い話だ。某傘の製薬会社の生物兵器もかくやである。
つまり何が言いたいかというと──魔力の塊である俺は、多頭竜にとって絶好の餌ということだ。
『喰ワセロオオォォオオォォォォォォォオオオオオオオオオ!!!』
「や、やだよぉ!!」
ずどんずどんと短足で踏み込みながら、多頭竜が三つ首で俺に噛み付きかかる。ダイナミック一人奪い合いだ。破城槌なんて目じゃない大質量の攻撃を、俺は『超化』で上に跳んで避けた。
が、そこに。
「のわっ!?」
首より数倍長い、しかも凶悪なフォルムの尾が迫りくる。デカい図体とイカれた風貌に似合わない、狙い澄ました冷静な一撃だ。
避けようがない。慌てて空中で『障壁』を多重展開する。
咄嗟に張れた合計十四層の対衝撃『障壁』──その半ばをカチ割られながら、俺は尾を受け止め……切れず、吹き飛ばされる。
「うおあぁあっ!?」
浮遊感なんてもんじゃない。ただ風を切ってフッ飛ばされる感覚。後ろに重力が働いているかのような錯覚。
その中で、俺は何も考えられないまま再度『障壁』を張った。
着地、もとい地面に着弾し、爆音を上げながら、ごろごろと転がる。
衝撃は殺した。しかし勢いが殺せない。転がり続ける。
ざっと百メートル以上飛ばされただろうか。頭を揺らされグラグラしながらも立ち上がる。
と、その時には多頭竜が息を吸い込むように胸を張り、口を半開きにしていた。
「マズっ……」
直後、極大の息吹が俺の呟きを掻き消した。
三つ首から放たれる、何もかもを吹き流す極熱の暴風。さきほど走りながら吹きかけたのとはまるで違う、本物の息吹。
俺は『障壁』で受け止めるも、まるで足らない。受け切れない熱が伝わってくる。
熱い、アツゥイ! 熱、死んじゃう! 助けて! 誰か! ああぁぁぁぁ!!
◇
……頭を庇う両手の感覚があらかたなくなった頃、息吹が止んだ。
焼かれた目で、何が起きたのかを見る。
炭化した腕、焦げた服、俺の前に広がる焼け野原。そして……屹立する多頭竜。
『オ、オォ……喰ウ……力……腹ガ……飢……』
息を荒げる多頭竜。その身体がぐらぐらと揺れる。相当量の魔力を使ったか。それとも元々飢えていたのか。
俺は『治癒』を両手に使う。たちまち焦げ死んだ体細胞が剥がれ、綺麗な肌に逆戻り。
かといって状況が好転したわけではない。今しがた三回くらい死んでもおかしくない攻撃を食らったばかりだ。
痛みもあればわずかばかりの恐怖もある。足も震えて目も霞む。
──それでも負ける気はしない。何故なら俺は、魔王だから。
負けてはいけない。そう約束したのだ。
「今度はこっちの番だぞ」
呟き、右手を多頭竜に向ける。まるでターン制RPGだな。互いにリカバリーを考えないぶっ放し合いの比べ合いか。
「おぉぉぉっ!!」
ならばと、魔力を集め法式を構築する。
俺が使うのは先と同じ『爆閃』。超高密度の爆発エネルギーを一瞬で解放する、対人にはとても使えないほどに過度な威力を持つ広域破壊用炎熱魔法である。
だが、今回は先とは違う点がいくつかある。
一発目は、慣れないこともあってか、色々と不完全な『爆閃』だった。
どこがというと、まず魔王の魔力を解放していなかった点だ。
そのせいで込める魔力が不足し、着弾時の爆轟を収束し切れず、結果として威力も拡散してしまった。
多頭竜が平然と立っていたのは当たり所もよくなかったのと、そもそも威力が足らなかったことが原因だったのだ。
だが今回は違う。
観衆もいなければ周辺被害を気にする場所でもない。いくらでも魔力を解放できる。
この世界に来てからの二度目の全力全開だ。身体の奥底から魔力が噴き上がり、身体中の血液が沸騰したみたいに熱くなる。
さらにその熱が、ぶわっと広がった全身の毛穴から噴き出して俺の中の何もかもを真っ赤に染める。
熱い。痛い。息苦しい。そしてはち切れんばかりの攻撃性。
それら全てを乗せて、収束した『爆閃』を──放つ。
「飢エル……喰ワセ……オ、オオッオオォオオォォアアアアアァアアアア!??」
棒立ちの多頭竜に着弾した『爆閃』が弾けると、一瞬周囲が白に染まった。
直後、爆心から巻き荒れ出す衝撃と轟音。それらを、俺は受け止めるでなく、受け流すように張った『障壁』でやり過ごす。
爆風と土煙の中から、多頭竜の悲鳴のようなものが聞こえた。効いている。明らかに手応えが先の一発とは違った。
町なら一区画フッ飛ばすくらいの『爆閃』だ。しかも今度は爆発力を集束させ、ダメージを余すところなく叩き込んだ。魔力解放あってのものである。
だが、当然これで終わりだなんて思っちゃいない。
俺は食い止めると言ったが、本当は殺すために残ったのだから。
「行くぞおらぁ!!」
走りながら『超化』で地面を蹴り、跳ぶ。高さ数十メートルなんて馬鹿げた跳躍だ。こんな状況にも関わらず、俺の中に爽快感が駆け巡る。
「っしゃあぁぁぁぁらあぁぁぁっ!!」
「オオォォオォォアアァァァァアアッ!!!」
三つ首の一本が俺を迎え撃つために鎌首を上げた。『爆閃』は胸付近に当たったから、頭部はまだ大丈夫なのだろう。しかしそれも時間の問題だ。
魔力解放で溢れ出す魔力のせいか、それとも炎熱魔法の影響か、俺はかつてないほどの攻撃性に支配されていた。頭を煮え滾らされていた。
──あの時とは大違いだ。あの、ミナスの森の時とは。
「アアァァァッ!!!」
多頭竜の大口が迫る。鋭い牙列が俺を引き裂かんと上下に待ち構える。
その口目掛け、俺は『爆轟』を放った。
「ゴバッ!??」
空気中の大気組成を弄り、そこに点火することで爆発を生じさせる炎熱魔法。それが『爆轟』だ。言ってしまえば『爆閃』の下位に当たる魔法なのだが、人間に当たれば半殺し以上はまず確定、多頭竜みたいな怪物でも当たり所によっては充分牽制になる。
そして何より発動までが早い。魔法式が単純なのだ。『爆閃』が溜めに五秒ほどかかるのに対し、『爆轟』はコンマ三秒から四秒あればいい。連続使用となると話は別だが、炎系魔法に慣れてない俺でも問題なく使える使い勝手のいい魔法だ。あくまで「怪物と戦う上で使い勝手がいい」という意味ではあるが。
「いよっしゃっ……ッアァァーイ!?」
噛み付きを回避したと思った矢先、『爆轟』に痛み悶える首がぐわんと振られ、俺はそれに叩き付けられた。当然『障壁』でガードしたが、またフッ飛ばされる羽目になる。
しかし今度は受け身を取り、すぐに体勢を直す。それから距離五十ほど離れた多頭竜に視線と両手を向ける。
「くそっ、落ち付けよ、俺……」
頭に血が昇ってつい突っ込んでしまったが、改めて考えると近接戦は無謀だ。そもそも図体が違い過ぎるのである。懐に飛び込めば安全、とは言うが、戦闘慣れしていないペーパー魔王の俺にはそもそも飛び込む前の近距離戦を支配できない。
何となれば多頭竜の三つ首も脅威である。頭が三つとは一体どういう思考形態をしているのかわからないが、目が六つあって死角がないのは普通に危険なことだ。一本に囚われていては残り二本に食われる。
であれば、一本ずつ潰すのが得策か。それとも先に足を止めるか?
「ゴアァァァオオォォオオ!!!」
地震を起こしながら俺に迫り来る巨体。よし、足だな。フッ飛ばしてやる。
断続的に放たれる息吹の炎弾を左手の『障壁』で弾きながら、『超化』で距離を取りつつ右手に『爆閃』の魔力を溜める。同時使用は頭がこんがらがる。溜めにはざっと十五秒ほどかかってしまった。
暴れ狂う魔力を押さえつつ、多頭竜の右前足に狙いを定め、放つ。
直後の閃光、そして爆音。『障壁』で爆風を受けて後方に転がりながら、俺は多頭竜の身体がぐらりと傾ぐのを見た。そのまま俺が膝立ちになるのとほぼ同時に、巨体が轟音と地響きを立てて崩れ落ちる。
「やったか!?」
自分から死亡フラグを建てていくのか。言ってからうっかりやってしまったことに気付き、慌てる。
「オオオォォオオォォォォ……オォォォアァアアァアアアアア!!!」
一度消え入るかと思った多頭竜の咆哮が、やはり途中から怒りに震えて声量を増し、大気を震わせ土埃を吹き飛ばした。
多頭竜巨体は右前足を根元から吹き飛ばされ、全重を支え切れず伏していた。
しかし倒れたわけではない。三つ首を上げ、三足で地面をぎりぎりと踏み躙り、破壊された胸と傷を引き摺りながらじりじりとこちらに向かって来ている。大したタマだ。
『痛ム……苦シイ……貴様喰ウ、殺シテ喰ウゥアァァァァアアア!!!』
三つ首が一時に口を開き、吸い込んだ魔力と空気を根こそぎ息吹として吐き出し始める。
さながら火山弾の雨、いや嵐だろうか。炎弾同士がぶつかり、散らし合いながら、俺というより俺を中心とした広範に降り注ごうとしていた。
これは無理だ。俺は思った。
これは『超化』で避けられる規模ではない。『障壁』でもジリ貧だ。受けに回るべきではない。では、どうするか。
──どうするもこうするもない。頭に血が昇った俺は、こんな状況でも攻撃することしか考えられなかった。
「『爆轟』!」
両手に魔力を込め、ひたすら炎弾の嵐に向けて、放つ。俺と多頭竜の間で無数の爆発が巻き起こった。
息吹を爆発で撃ち落としているのである。まるで理性的ではない。ゴリ押しの極致だ。しかし今の俺にはこれが酷く冴えたやり方に思えていた。
「おおおぉぉあぁぁぁぁぁぁ!!!」
「オォオオォォォォォォォォォォォォォ!!!」
もう何も見えていないし、聞こえていなかった。爆発に目も耳もやられ、熱を感じている余裕すらない。とにかく『爆轟』を放ち続けることで精一杯だった。
しかし心中はそれだけではなかった。
俺の中には何か、こうして魔法をぶっ放し続けることに対する、破壊的な快感が芽生え始めていたのだ。
大量の魔力を、湯水のように浪費してただ破壊のために魔法を放つ。それがまるで、いつまでも終わらない射精のようで……
「……っははははは……はははははははははははぁあぁぁ!!!」
気付かぬうちに、俺は笑っていた。
◇
突然、がくんと身体が傾いだ。
何が……ああ、膝に力が入らない。揺れる。震える。
魔力は……まだある。体力が先に底を尽きたのか。笑い過ぎたか。馬鹿か俺。
膝をつく。同時に『障壁』を張る。衝撃。支え切れない。吹き飛ばされる。空中にいる。姿勢を直せない。駄目だ。『障壁』で受け身を取る。くそったれ、このままじゃ負ける、負ける……
……だが、地面を転がり終えた俺の『障壁』には、たった一発の追撃も来ない。
何があった? 顔を上げる俺の視界に……
「オ、オオォォ……?」
がくがくと巨体を、首を、顎を震わせる多頭竜の姿があった。
「……そっちは魔力切れか?」
相手の弱みを見て、現金にも力を取り戻す俺の身体。というわけではなく、魔力を流して無理矢理活性化させただけだ。
強化すると同時に保護する『超化』とは違う。足の筋肉が内側からビキビキと音を立てていた。あとでどうなるかわからんな。『治癒』すればいいだけだが。
腕組みして、大股を開きふんぞり返る。何故だかそうしたくなった。勝ち名乗りではないが、そんな感じだ。
多頭竜は三足で身体を起こせないでいる。息吹は体力か魔力切れで後が続かない。
俺はどうだ? 五体満足、多少疲れてはいるが、息は切れてない。魔力も実のところ大して減ってない。慣れない割に戦えるもんだな。
とにかく。
我慢比べはこっちの勝ち。あとは決着をつけるだけだ。
「よっしゃ」
組んだ腕を解き、左手に右拳を打ち付けながら、俺は気合いを入れて吼えた。