三十七話 魔物の領域
「あの……セイタさん、どこか悪いんですか?」
夜。馬車を止めた野営場所にて夕食を済ませた後、少し馬車列から離れ草原に寝転がっていた俺に、シオンが尋ねてくる。
「それとも、何か私、気に障るようなことしましたか? だったら、その……」
「い、いや。そんなことない。ないから。シオンは気にするなよ」
「そうですか、はい……」
慌てて否定して、シオンを追い返す。なんかどんどん卑屈な顔になっていってるのが自分でもわかっているので、顔を見られたくなかったのだ。
と思ったら、今度はキリカが声をかけてきた。
「もしかしてセイタ、お金使い込んだこと怒ってる? だったら……謝るよ。確かにあたしもちょっと、調子に乗り過ぎた気はあるし……」
「いや、別に俺はそんなこと……」
しどろもどろになりながら追い返す。キリカはまだ、らしくもなく気まずそうにしていた。心配してくれているのかもしれない。だったら嬉しいが、心苦しい。
駄目だ。前みたいに適当言って笑い合ったりできない。ほぼ一方的に俺が罪悪感抱えて、それだけで全部滅茶苦茶になってる気がする。昨日までは普通にできていたのに。どうしてこうなった。
全部俺のせいだ。俺自身の何もかもが嫌だ。二人の顔が見られない。
そんなつもりはなかったのに、そのはずだったのに、俺は自分自身でも気付かないうちに、二人を女として見ていた。欲望の対象としていた。
そのことに気付いてしまった。意識してしまった。
そしたらもう、戻れない。前の俺には、戻れない。
◇
夜から朝まで、俺は眠れずに『探知』を張り続けていた。
眠ってしまうと、またあの夢を見てしまう気がして怖ろしかったからだ。
いや、怖ろしいとは違うか。見ている時はそれこそ、天国に昇るような快感なんだ。二人を好き勝手に犯して、無責任に、滅茶苦茶にして楽しんでさ。
起きると死にたくなる。俺って最低なんだなって。ただそれだけのこと。おかしいね。
「本当、大人しいのね」
キリカが欠伸をしながら、一晩寄りかかっていたウルルの腹をぽんぽんと叩いた。顔合わせ自体はほぼ初めてではあったが、すぐに慣れたのは彼女の適応力の高さがなせる業か。あるいはシオンがまるで怖がらないのにどうして自分が、という気持ちがあったのかもしれない。
そのシオンも久し振りのウルル枕にご満悦のようであった。今は朝飯の肉を差し出している。なお昼飯も晩飯もウルルは肉だ。当然食費はうち持ちで商会からは出ない。シオンとキリカの分の飯は出してもらってるから何も文句は言わないが。
「セイタ、この子昨日一日中歩き詰めだったけど、疲れないの?」
「シオンを背負って一日歩いても平然としてる。多分平気だろ」
「下手な馬より優秀だな……お前、調教師の才能もあったのか?」
キリカとの会話に質問を挟んできたのはスタインだった。昨日は俺の魔法見て呆然としてたが、持ち直したらしい。あと、それとなくチラチラとキリカに視線を向けてるの、俺は気付いてるからな。好色くん。
「別に調教したわけじゃない。ウルルは優しいから俺についてきてくれてんだ」
「何だそれ」
「そのままの意味」
適当に返しといた。そのままウルルの鼻面と顎を撫でる。
おお、癒される。男同士は安心するよ。襲いかからなくて済むから。
ホモでなくてよかった。ホモで獣姦の二重苦とか業が深過ぎて死んだ方がいいからな。
「よし、出発だ。全員乗り込め」
リースの号令が聞こえる。それに応じて御者や商人、護衛達が飯を食いながら、あるいは首を鳴らしたり、欠伸をしながら馬車に乗り込んでいく。
俺もだ。あの気まずい空間に今一度戻らねば。
気まずいのは嫌だが、何かあった時二人の傍にいたいからな。厳しいな。
早いとここの状況をどうにかしなければとは思うのだが、如何せん妙案が思い浮かばない。駄目だな俺。何回駄目って繰り返すんだ。駄目だなもう。
本当、俺って女に免疫ないんだな。このまま病気こじらせて死にそうだ。
◇
二日目の馬車の旅である。やはりほぼ何もないまま、時間が過ぎ去っていった。
寝不足のせいか、時折意識が飛ぶことがあった。数分か、十分そこらか。無意識に放つ『探知』にふと起きはするのだが、覚醒はしない。白昼夢の中を漂うように、俺は馬車の後ろでうつらうつらと泥船を漕ぎ続けていた。
そのまま昼になり、馬車を降り、会話も少なく飯を食って、再度馬車に。その先はやはり何も変わることはなく、陽が沈み色が変わっていく空をただぼんやりと眺め、気付けば夜になっていた。
昨日と変わったことといえば、スタインが話しかけてきたことだろうか。
「少し話したいんだが、いいよな?」
細かいようだが、俺はここで「いいかな?」ではなく「いいよな?」になることにチマチマと反感を覚えるタイプの人間である。多分友達は少ない。いやそうでもないか。フォーレスのみんなと仲良くなったし。追い出されたけど。
とにもかくにもこれで、俺の中でのスタインの評価は一段下がって「なんか槍持ってる気障っぽい三十路手前」になった。
一段下がるどころの表現ではない気がするが、俺は仲良くもないイケメンと相対するのは生理的に駄目なのだ。なのでこれは正当な評価である。
そんな相手との会話も突っぱねられないのが、ノーと言えない日本人であるところの俺であるわけだ。
「別に。何だよ」
面倒臭そうに応じる俺に、嬉しそうに笑うスタイン。こいつ、アレだな。女のことについては人一倍に敏感だけど、男の感情については学習意欲がない奴だ。空気読めなさそう。
大丈夫なのか、こんな奴が護衛でも。仕事はするのかもしれんけど。
「あの子達、お前の連れか? どういう関係なんだ?」
「何それ。あんたに関係あんのかよ」
案の定、シオン達のことか。この場合はキリカ達、と言った方がよさそうか。スタインはロリコンっぽくはない。まあ、キリカの十七歳も見ようによってはロリかもしれないが。
「隠すなよ。囲ってるのか? その歳で二人も?」
「違う。ただの連れだ」
一人はほぼ妹みたいな感じだがな。とは言わない。
その妹に何を欲情してんだって話だよ。夢の中とはいえ、実際にアレしたりソレさせたりするのはさすがに一線を超えている。セクハラ発言ごっことは罪の重さが違う。
「だったら、なあ。ちょっと紹介してくれよ。それか馬車替わってくれるだけでいい」
「はあ?」
こんな時にナンパかよ。幸せな頭だな。それとも退屈過ぎて刺激が欲しくなったか。
それはそれとして、ここで馬車を替わったらどうなるか。多分、俺達は揃って気まずい雰囲気から解放される。なるほど、それだけ聞くといい提案に思える。
だが却下だ。いくら今の空気が悪かろうと、どこぞの馬の骨とシオン達を同席させるのは耐え難い。あり得ない。
俺には監督責任がある。目の届かない場所に二人を置けるわけがない。目は合わせられないけどな。
「無理。駄目。そういうことで、じゃ」
「お、おい! 何だよ、やっぱお前の女なのかよ!」
「声でけえんだよ! それにそんなんじゃねえ!」
一人寝が寂しいなら自分で慰めてろ、まったく。
そういや、この商隊にはシオンとキリカしか女がいない。まずいな。一層ちゃんと見守ってないと、五日ぽっちすら耐えられない奴が出てくるかもしれない。
誰一人としてそんなことはさせない。出たら殺す。俺だって例外じゃない。
決意を新たにしながら、俺はウルルに寄り添い毛布を被るシオン達から少し離れ、『結界』を張るのだった。
◇
三日目。やはり何もない。変わったことといえば、空が若干曇っていたくらいか。それも夕方頃にはさっぱり雲が晴れ、綺麗な茜空を見せていた。
そんな空模様とは裏腹に、俺達の間の空気はドロドロと澱み続けている。いい加減不自然な俺の態度に、キリカが不安と苛立ちを募らせている様子なのが窺えた。それを察したシオンが怯えて視線を惑わせ、腹を抱えている。ストレスで痛くなってるのかもしれない。
どうにかしたい。したいけど、無理なんだな。今の俺はシオンの頭を撫でることすら罪深く感じてしまう。何一つしてやれない。辛い。
誰も何も言えず、三日目の陽は沈み、そして朝が来た。
◇
その日の馬車から眺める風景は少し変わって見えた。ではなく、確かに変わっていた。
何がというと、西側だ。西に、平原ではなく森を臨んでいるのである。街道がほぼ森に沿う形で続いているかららしい。
このことについては、昨晩リースから説明があった。この森はルンツェという名前で、何でも魔物が住んでいるのだとか何だとか。なので何かあるとしたらこの森の脇を通る時が一番可能性が高いので、今日は特に警戒しろとのことだ。
しかし魔物か。知識にはあるし、伝聞でも聞きはするが、見たことはないな。
まあ、エーレンブラントにはオルタル山っていう要害があるし、しかもそれ以前に、魔王領以南では普通、魔物は極々限られた場所にしか存在しないことになっている。
というのも、こういう理由があるのだ。
五百年前、ベルネア大陸に突如として魔王が現われた。同時に、その頃は大陸北部の一地域にしかいなかった魔物や魔人達が爆発的に増え、北部諸国はその攻勢に飲まれあっという間に滅ぼされ、たちまち魔王領が形成された。
しかしその後魔物が大陸中に拡散したのは、意外にもヴォルゼアの台頭から百年が過ぎた頃。しかもその要因となったのは、皮肉にも人類側の行動だった。
いわゆる失地回復運動である。今の時代の人類同盟軍のようなものが当時の三大国でも結成され、魔王とその土地を滅ぼそうと、北伐を始めたのだ。
だが、その結果は惨敗。ヴォルゼアの力を舐め過ぎたのだ。戦線は崩壊し、あろうことか大陸中部の国々は無様にも失地を増やす羽目となった。
そしてその機を逃す魔王ではなかった。ヴォルゼアはお返しとばかりに穴の開いた防衛網を突き破って魔物を人類領側へ侵攻させ、征服と蹂躙の限りを尽くさせた。その一環として大陸南部の国々、つまりは三大国の背後に魔人を忍ばせ、色々と謀ったりなどということもしたらしい。とにもかくにも無茶苦茶やったというわけだ。
そんな魔軍の跳梁跋扈を食い止めたのが、今から三百年前に勇名を馳せた「聖戦騎士団」と呼ばれる人々だ。
「騎士団」とは言うものの、なんでもこれは、高名な数百人とも数千人とも言われる各国の魔導師や剣士が後世一括りに纏められた呼び名らしい。
端的に表現するならば「凄まじく腕の立つ傭兵、冒険者集団とそれに追従した人々」である。ある意味でその時代の「勇者」と言ってもいいのかもしれない。
彼らはその実力とフットワークの軽さでもって大陸中に散らばった魔物達を狩り、追い払った。
そしてそれを見て憧れを覚えた者も、彼らに同道する、ないしは彼らに匹敵する力を身に付け、魔族との戦いに赴いていった。
この「聖戦」によって、無秩序に広がりつつあった魔物の生息域は急速に縮小、限定されることとなった。人類側の被害も甚大ではあったが、この抵抗にある程度の警戒を示した魔王は方針を改め、魔王領内での戦力拡張に舵を切り、再び形成された人類と魔族との戦線で膠着が始まったのだった。
それから三百年、かつての聖戦騎士団をも上回る力とカリスマを備えた勇者が現われ、大陸全土の平和を背負う人類同盟軍が結成されることとなるのだが……それは別の話で今は関係がない。
問題となるのは、三百年前の聖戦である。これは確かに大陸全土の魔物の数を減らし、あるいは北方に追い返したが、全てではなかった。その一部は今もまだ人類領の各地に潜み、生き永らえ続けている。
これは一定の数を保ちつつ自分達の領域を形成し、時折人里に現われて害をなす。それを食い止め、討伐するためにギルドの依頼がある。
……とまあ、これが魔王の記憶やらリース、キリカに聞いた話からまとめたことである。
ルンツェは、エーレンブラント領内にいくつもある魔物の領域の一つだ。魔物の目撃報告、近隣への被害は昔から一定して存在しており、これから向かうアロイスのギルドからはそれに対応した依頼がよく出る。それがある程度町と傭兵達の財政を回してもいるということらしい。
馬車で一日ほどの距離だからな。狩り場、仕事場という感じなのかもしれない。今思えば、この護衛依頼の報酬が少し高いのはこの街道を通るからなのかも。
何となれば、限定されているとはいえ魔物の存在は危険だ。これによって森を使う林業やら狩猟などの産業は軒並みストップをかけられるし、今の俺達みたいに移動にも気を張らないといけなくなるからな。
逆に言えば、ここを過ぎればもうほぼ何もないというのと同じだ。前述した通りにアロイスまで一日そこらの距離だからな。この気まずい空気もあと一日の我慢ということだ。
……いや、そうではないか? 俺達は一緒に旅しているわけだし、一緒の宿に泊まるわけだし……そうなると今よりもっと……うおあぁぁぁ!
やめよう。考えたって仕方ない。いや考えなければ。この俺の駄目な感情全てを排除する方法を。
よし、『精神操作』だ。それしかない。でも今の俺が使ったら自己嫌悪のあまり自分で自分の心をブチ壊してしまいそうだ。もう少し落ち着いてからにしよう。
いやだからもう少ししたらアロイス着いちゃうっつってんだろ! 馬鹿か!
「どうしよう……」
つい弱音を漏らしてしまう。ただし二人には聞こえない声量でだ。
聞こえてないよな? よし、こっち見てない。とうとうキリカは見てくれもしなくなった。シオンは少し見てくれてる。どっちがありがたいのかはもうわからなくなっていた。ごめん、いつかマジで謝るから。
そんな風に、欝々していた時だった。
森の中を歩いてついてきていたウルルが、一つ大きな遠吠えを残した。